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ゴンダールGondar

このゴンダール編では,2020年1月27日午後,シミエンを後にした私たちは南西に進みギョルギス村でシミエン山地を望遠し,黒いユダヤのファラシャ村を訪れ,ゴンダールのホテルに着き夕食.翌28日朝デブレビルハンセラシ教会,ゴンダール市場,コーヒー市場を見物し一旦ホテルに戻り昼食.午後はファシリデス城,ファシリデス帝の沐浴場に出かけ,ゴンダール観光は終了.そして再び南西行きを始め,神の指,トマトのウェロタ村を通過し,農家家族の農作業を見せてもらったときの写真を載せました.

ゴンダール付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Gondar

ゴンダール付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

シミエン16から途中立ち寄りなが南西に進みゴンダール17に至った.ゴンダール観光後は次のバハルダールを目指し再び南に進む.

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ギョルギス村Amba Giogis

羊の放牧

羊の放牧

シミエン国立公園を出て南に向かった.途中羊が放牧されていた.これまで牛やヤギは多いが羊は比較的少なかった(ただ時々食べることがあったので皆無ではないと思う)

土地の状況,特に草の種類や生え具合が違っているのでしょうか.


ユーカリも多くなる

ユーカリも多くなる

ユーカリも多くなってきた.写真のような林もあるし,街道脇の並木も多くなった.上同様植生が変わったのはやはり地質の変化であろうか.


ギョルギス村辺りでシミエン山地を望遠する

ギョルギス村辺りでシミエン山地を望遠する

ギョルギス村(Amba Giogis)辺りに来て,停車しシミエンを振り返って見た.幾重にも山と谷が連なり,なかなか豪快な眺めだ.


ロバは藁を運ぶ

ロバは藁を運ぶ

ロバは一番の働き者,いや働かされ者で,どっさり藁を運んでいる.脇の並木はユーカリであろう.


黒いユダヤのファラシャ村Black Jews Felasha

黒いユダヤのファラシャ村

黒いユダヤのファラシャ村

暫く進み,ファラシャ村に至った.昔エチオピアにはかなり多くのユダヤ教徒がいたそうだ.このファラシャ村(Felasha)もアフリカ系黒人のユダヤ教徒の多く住んでいたところだったそうだ.ただユダヤ教徒は迫害を受けるなど容易な生活はままならず,イスラエルに逃れるなどして,この村もやがて廃棄されに至ったそうだ.

現在は一般のエチオピア人(正教徒)が代わりに住むようになっているようだ.


ファラシャ村への道標

ファラシャ村への道標

ファラシャ村への道標があった.ダビデの星のイスラエル国旗にライオンが描かれている.前者はもろにそのものであるが,ライオンはどういった意味合いなのでしょうか...


シナゴーグ跡と記された建物

シナゴーグ跡と記された建物

この建物はシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)だったそうで,1941年建立と脇に説明書きがあった.

そしてお土産店がいろいろ商品を展示している.

まあ,かつての黒人ユダヤ教徒を出しにした観光業関係者の再開発村ではないかな....との評価が多いようである.


ゴンダール着arrive at Gondar

ゴンダールのホテルに到着

ゴンダールのホテルに到着

やがてゴンダールのGohaホテルに到着した.石造りの客室が重厚だ.


Gohaホテルのテラス

Gohaホテルのテラス

Gohaホテルのレセプションをそのまま行くとレストランの先は2つのスイミングプールのあるテラスになっており,周囲が良く見える.このロケーションは山城構築には最適,何しろ飛び抜けた山の上に位置している.実際はどうだったのであろう,昔城は無かったのか.....


ゴンダールは緑豊か

ゴンダールは緑豊か

テラスから見下ろしたゴンダールは実に緑豊かだ.川も流れている.標高は2000m程度で他と似たりよったりであるが,やはり乾季にある程度の雨量があるのだろうか.それとも地下水脈から補給されるのか....


ファシリデス城も見える

ファシリデス城も見える

少し右に目を移すと,後で訪れる予定のファシリデス城も見える.上の辺の凹凸がいかにもお城のデザインで直ぐそれと見分けが付く.

ところでこちら側の背後は土色の山で,緑は少ない.ということでゴンダール周辺全域が緑豊かということではないようだ.


ゴハホテルの部屋

ゴハホテルの部屋

キーを貰い石造り低層建築の部屋に入る.内部も一部石構造が見えるようにしてある(右から1/3のとこ)

最初カーテンもないし,ブラインドも見えないし.....と探したら,右側城や動物の描かれた天井から床まである大きなパネルが,引き戸式ブラインドだった.う~んそうきたか,ホテルでは初めて見るタイプだ.


ゴハホテルレストランで夕食

ゴハホテルレストランで夕食

テラス手前,明るいレストランで夕食を頂戴した.ここでは賑やかな中国語が聞こえてきたので,大陸の中国観光客でしょう.ビジネス面での進出はよく知られているところであるが,一先ずコロナウイルスが収まれば観光客も怒涛の勢いで増加して行くことでしょう.


ゴハホテルの夕食

ゴハホテルの夕食

フライとグリルの魚,ミートボール,人参,キャベツ,ほうれん草,それにパンかな.魚は普段選ばないので久しぶりかも.

夕食後部屋に戻り,1月27日は暮れていった.


デブレビルハンセラシ教会Debre Birhan Selassie Church

さてゴハホテルで一夜明け,1月28日になった.引き戸ブラインドを開けると,今日も好天のようである.そしてレストランに行き,コンチネンタルスタイルの朝食を頂く.

デブレビルハンセラシ教会(Debre Birhan Selassie coptic Church)入り口ゲート

デブレビルハンセラシ教会入り口ゲート

朝食の後,車で丘のホテルを下り,デブレビルハンセラシ教会(Debre Birhan Selassie Church)にやって来た.この教会は光の丘の上の三位一体教会(Trinity and Mountain of Light Church)の別名も持つという.

写真は石壁の門から眺めた教会へのゲートウェイ建物で,その奥に本堂がある.ゲートウェイ建物も本堂も広々した境内の中にゆったり建てられている.ゲートウェイ建物はよく見るとライオンの形で,睨みを効かせている.

石壁もゲート建物も漆喰で固めた石造りで強固に見える.

本教会は1630年初めてゴンダールを首都に定めたファシラダス皇帝(Fasiladas)の孫イアス帝(Iyasu)が1690年代に建立したのが始まりという.ただ最初の建物は火災で消失し,今見ているのは18世紀後半再建されたものという.


デブレビルハンセラシ教会本堂正面

デブレビルハンセラシ教会本堂正面

本堂は長円型で全体が漆喰で固めた列柱に囲まれた回廊が巡らされ,その内側石壁内に礼拝堂と至聖所が配置されている.回廊は礼拝前に気持ちを整える前室の機能も担っている.

屋根は2層藁葺き構造で,上記石列柱は下層屋根を支えている.


デブレビルハンセラシ教会の三位一体像

三位一体像

礼拝堂正面の2連アーチドアをくぐると,正面至聖所入り口上に全く同じ姿,白髪,白ひげ,光背3人の男性像が掲げられている.父なる神,神の子なるキリスト,聖霊の三位一体(Trinity)を象徴的に表しているという.

三位一体の言葉はよく聞くが,これを絵で表現したのを見たことはあまりない(或いは気付かなかった)ので,いいアイデアではないかと思った.

三位一体像の下はごく一般的なイエスキリスト磔刑像だ.


デブレビルハンセラシ教会の智天使(Cherubim ケルビム)

智天使(Cherubim ケルビム)

テグレの岩窟教会で初めて見て驚いたものだが,ここデブレビルハンセラシ教会礼拝堂天井には,これでもかとばかり顔に羽の大大大天使が描かれている.120くらいあるそうだ.

そして添乗Iさんの記録を見ると,2番めに偉い大大大天使である,智天使(Cherubim ケルビム)だそうである.ただ羽はテグレと比べてあまり具象的ではないのが多く,一見ただの人の顔に見える.


デブレビルハンセラシ教会壁画は戦う姿多し

壁画は戦う姿多し

壁画は聖ジョージのように馬に跨り武器を携えて戦う姿が多い.でも羽はなく,ドラゴンも見えないので大天使聖ジョージではないですね.聖ミカエルでもないようだし.....


土壁に貼られたカンバスに描かれた壁画

土壁に貼られたカンバスに描かれた壁画

テグレの岩窟教会でもそうであったが,ここの教会壁画もフレスコ画ではなく,壁に貼られたカンバスに描かれたものだ.この写真で壁の下地は藁を混ぜた土壁で,その上にカンバスが貼られている状態が,縁の僅かな剥がれからよく分かる.

カンバスであれば,絵を描く時間的制約はなく,また特に天井画は楽である.仮にフレスコ画なら不自然な姿勢で短時間で仕上げないといけないので,120ものケルビムを描くのは困難であろう.


デブレビルハンセラシ教会後部

デブレビルハンセラシ教会後部

教会は前後左右対称な長円系で,至聖所がある後部も外観はほぼ同じだ.ただ2連アーチドアはなく,横にドアが有るようだった.


ゴンダール様式クロス

ゴンダール様式クロス

教会前方屋根に掲げられたゴンダール様式クロス.島津藩ロゴの外周に6つの玉が付いている.ダチョウの卵らしい.ダチョウの卵は蜘蛛避けに効果があり,大きなモスク天井部に置かれる話はトルコで聞いたことがある.しかしここは屋根の上なので関係あるかな.....

またクロス下部の垂れ幕など,全体的にチベット仏教のような雰囲気を漂わせているような....もちろん個人的感覚だが.


ゴンダール市場Gondar Market

ゴンダール市場の衣料品街

ゴンダール市場の衣料品街

デブレビルハンセラシ教会の次にゴンダール市場を訪れた.ここは衣料品街で,まあ延々と多数のお店が並んでいる.多分ここは常設店舗と思われる.紳士用,子ども用に比べて婦人用品店が圧倒的に多い.日本と同じだ.


ゴンダール市場おしゃれな白服店

おしゃれな白服店

例えば教会のミサに参列するとき,あるいは普段ちょっとおしゃれをするときなど,よく着用される白い服だ.ファッションには甚だ疎いが,エチオピアあちこち見てきて,多分そうだろうと思うに至った.


ゴンダール市場の仕立て屋さん

ゴンダール市場の仕立て屋さん

テーラーメイド専門店で,ミシンを踏むのはIさんに聞いた掟通り男性の仕事だ.


木炭アイロンのお店

木炭アイロンのお店

一番奥に4つ並んでいるのは木炭アイロン.停電や電気の来てない山奥でもアイロン掛け可能だ.ただ温度コントロールは厄介だと思う.昔日本でもあった.

手前3種類の商品な何だろう,見当付かない.


ゴンダール市場謎の木片チップ

謎の木片チップ

これは他の市場でも見たことがあるが,完全に謎の木片チップだ.隣に並んでいるのは雑穀など食料なので,料理の調味料,出汁を取る材料....とかであろうか.

それとも乳香のように,焼いて香りを楽しむ香木などであろううか....これも見当付かないな~


ゴンダール市場の陶器店

ゴンダール市場の陶器店

概して水差しや蓋付き器を専門に扱っている小規模なショップ.エチオピアン3色の器は愛国者の多いこの国では常時一定の需要があるようだ.


コーヒー市場coffee Market

コーヒー市場

コーヒー市場

ここはゴンダール市のコーヒー市場だ.専ら生豆の取引を行う市場で,煎った豆や挽いた豆は扱われない.コーヒー農家は収穫した豆を販売店に持ち込み,そして販売店が不良豆を取り除いたり,クラス分けしたりして卸し或いは小売販売するのだ.一般家庭よりカフェなどへの卸し販売が多いのかな~と思う.


コーヒー市場生豆の選別等級分け

生豆の選別等級分け

コーヒー農家から仕入れた豆は,販売店の担当女性が選別し等級分けをする.見るからに細かい仕事で,大変だ.

この選別作業の賃金は2ブル/1kgで,1日で80~100ブル(360円程度)と低賃金である.ただ他の仕事と比べてどうなのかは判らない.


子羊が行く

子羊が行く

コーヒー市場から引き上げる時子羊が歩いていった.上記ゴンダール市場の家畜市場に向かっているのであろうか.上にも述べたが,ゴンダールエリアはそれまでのエリアと比べて羊を見ることが多い.


武漢コロナウィルスのニュース

武漢コロナウィルスのニュース

ランチのため一旦コーヒー市場からホテルに引き上げた.部屋に入りテレビを点けるとCNNが武漢コロナウィルスのニュースを伝えていた.この時点では患者4,500人,死者106人と出ていた.中国以外の状況はまだよく判ってなかったかな....


Fasilトラディショナルレストラン

Fasilトラディショナルレストラン

ホテルのレストランには写真の看板が掛かっていた.Fasilはファシラダス(Fasiladas)皇帝の名の一部で,またFasil Ghebbiは午後訪れるファシリデス城の正式名だそうだ.つまりFasilはファシラダス皇帝何とかかんとかに相当することばのようだ.で,Fasilトラディショナルレストランはファシラダス伝統レストランとなろう.


伝統料理

伝統料理

これが頂いたランチ.伝統料理かどうか不明だが青菜にパプリカ,ご飯,ナス,ひき肉...であろうか


ファシリデス城Fasil Ghebbi(Fasilides Castle)

テオドロス皇帝像

テオドロス皇帝像

ランチの後バスでファシリデス城に向かった.途中の交差点には金色の戦士像が立てられていた.テオドロス皇帝(Emperor Tewodros)像ということだ.

テオドロス皇帝と引くと,なぜかテオドロス2世が出てきて,初代テオドロスは出てこない.皇帝となったのは2世からなのかな.

テオドロス2世(Tewodros II)はエチオピア帝国皇帝(在位:1855~1868年)で,戦国時代を終わらせ「中興の祖」とされ,近代化政策を推進した人という.


ファシリデス城に到着

ファシリデス城に到着

そのうちファシリデス城に到着した.石を漆喰で積み上げた城壁で囲まれている.

入り口にマークがあるようにユネスコ世界遺産に登録されている.


ファシリデス城址内側

ファシリデス城址内側

ファシリデス城(ファジル・ゲビ)は17~18世紀,ここを首都としていたゴンダール朝(ソロモン朝の一つ)の歴代皇帝が城や正教聖堂,さらに書庫,サウナ,宴会場,動物の檻などを建造したところだ.

最初はファシリデス帝(Fasilides,在位1632~1667年)で,ファシリデス帝宮殿(城),聖堂,修道院など建設したそうだ.

ファシリデス帝の後はヨハンネス1世帝,イヤス1世帝,ダウィト3世帝,バカッファ帝(在位:~1730年)まで続いたそうである.イアス帝(Iyasu)は午前中見てきたデブレビルハンセラシ教会を建立した人ですね.

ファシリデス城の石造建造物群はゴンダール様式と呼ばれるが,当時同盟関係を結んだポルトガル,それに内部はインド様式などの影響を受けているそうだ.


ファシリデス城(Fasilides' Castle)

ファシリデス城(Fasilides' Castle)

かなり大きく目立つファシリデス城(Fasilides' Castle).ゴンダールを最初に首都と定めたファシリデス帝(在位1632~1667年)が建設した城だ.

なおファシリデス帝はこの後訪れるファシリデス帝の沐浴場を建設し,一旦カトリックに改宗した民衆を再度正教に寝返らせた皇帝でもある.


ファシリデス城内部

ファシリデス城内部

ここは居間であったか,宴会場であったか.かなり広い.次の間への連絡口は若干インド風であろうか.


イアス大王城の標識

イアス大王城の標識

イアス皇帝城の標識があった.the Greatと付いているので大王格だったのですね.まあデブレビルハンセラシ教会も建立したことですし,信任厚かったのでしょうね.


ライオンの檻

ライオンの檻

この城では最後のバカッファ帝の頃,王位の象徴でもあるライオンなど飼育されていたそうだ.当時干ばつなどで,民衆の食料はなく,困窮を極めたという.そのような折,皇帝はペットのライオンにふんだんに餌を与えるとは何事かと,大顰蹙をかったそうである.他を覚えてないがそこだけ思い出した.


オオハシガラス

オオハシガラス

出口近くに飛んでいた鳥,オオハシガラスというそうだ.アングルがイマイチで判りにくいが関東のハシブトガラスよりさらに大きい嘴だ.そして頭の上に金色モヒカンヘアのようなものが載っている.何かすごい.


ファシリデス帝の沐浴場Fasilides Bayh

ファシリデス帝の沐浴場入り口

ファシリデス帝の沐浴場入り口

ファシリデス城(ファジル・ゲビ)創設者ファシリデス帝(在位1632~1667年)は熱心なエチオピア正教の保護者でもあった.そして上述のようにポルトガルとの同盟強化を図ると,一時民衆のカトリックへの改宗が増える.すると慌ててイエズス会の土地の没収や追放など行い,また民衆の正教会への再改宗を迫ったということだ.

再改宗に際して洗礼が必要だが,大勢まとめて行うため,並みの洗礼盤ではなかなか進まない.そこでここに大きなプールを作り,大勢まとめて洗礼を施すようにしたという.


これが洗礼プール

これが洗礼プール

これがファシリデス帝の沐浴場と呼ばれる洗礼プール.軽く100人や200人同時に洗礼が受けられるであろう広さだ.

ところで私たちはアクスムで真新しいシオンの聖母大聖堂と,アークを収めた礼拝堂をを見てきたが,実はその前にファシリデス帝は古いシオンの聖母大聖堂を建てたそうである.アークを収めた礼拝堂の左側にあった建物がそうであろうか.


この沐浴場でのティムカット祭

この沐浴場でのティムカット祭

この沐浴場は現在洗礼には使われないが,ティムカット祭で聖水を入れるプールとして使われるそうだ.写真はその様子で,写真手前は階段状参列者ベンチだ.


プールは壁で囲われ,ガジュマル茂る

プールは壁で囲われ,ガジュマル茂る

沐浴場は壁で囲まれ,壁はカンボジアのタ・プロームのようにガジュマルの根が絡まっている.


ティムカット祭外野観覧席

ティムカット祭外野観覧席

この沐浴場にもティムカット祭では大勢集まるそうで,壁の外に臨時簡易外野観覧席が設けられるそうだ.それがこの写真で,細い木を縛ることなく,単に釘を打ち付けて階段を組んでいる.これで人が載ったらどうなるか....とても持ち堪えられるようには見えない.でも昨年までは大丈夫だったようだ.


でも今年は1セット崩壊

でも今年は1セット崩壊

ただ今年1月20日催されたティムカット祭(私たちがアジスアベバで参列したのと同じ日)では,一組の階段観覧席が崩壊し,写真のようになった.そして死亡10人,負傷多数という事故になったそうだ.

死亡10人という大事故なのにティムカット祭の催しは中断することなく,続けられ,当日の予定を完了したということだ.ティムカットは事故より重大なのだ......


神の指God's finger

南に進む

南に進む

ゴンダール見物を終えた私たちは,次の地バハルダールを目指し南に進んだ.

男の子が牛を追っている.牛はコブのあるセブ種ということだ.交通量が少ないのでまだしもいいと思う.

また周囲の作物は,雑穀種の一つソルガムではないかということだ.


この辺りの住宅

この辺りの住宅

この辺りは殆ど農家と思われるが,ポプラであろうか細いが,密に列柱状に立て,内側から土壁を塗り,屋根はトタン張りにした住宅だ.土壁は将来外側にも塗るのかも知れない.


神の指

神の指

暫く行くとこのように地面から突き出た岩がある.神の指と呼ばれ,ところどころに現れる.

太古の時代の溶岩噴出の名残なのか....


神の指と牛

神の指と牛

また神の指があった.少し細長く,いかにも指らしい形だ.

それと全然関係ないのだが,指の下では牛が餌を食んでいる.ふむ.


トマトのウェロタ村Werota

緑の畑が広がるエリア

緑の畑が広がるエリア

さらに南に進むと緑の畑が広がるエリアに入った.これまで見たことのない光景でちょっとびっくりする.エチオピアでも乾季こうした所も在るんだ~


トマトのウェロタ村

ウェロタ村エリアに入る

順調に進みウェロタ村(Werota)エリアに入ってきた.やはり緑の畑が見えている.

家畜も見えるが畑の野菜大丈夫かな....


ウェロタ村のトマト市場

ウェロタ村のトマト市場

ウェロタ村はトマトの山地として有名で,もちろん都市部に出荷されるのが多いであろう.また写真のようにもぎたてトマトとして道路脇で販売している.青いのから赤いのまで混ぜて売っている.細かいこと言わないのがいいですね.


反対側もトマト店だらけ

反対側もトマト店だらけ

道路の反対側もこの通りトマト即売店でいっぱいだ.売値は10ブル/kgということだ.

ビニールハウスは全く見ないが,一年中適温で,露地栽培可能なのではなかろうか.


農家家族a farmer family

テフ藁積み

テフ藁積み

私たちは柔らかそうな穀物藁を積み上げている農家家族を訪問した.いや押しかけた.

藁は,製粉しインジュラに焼き上げるテフの実を収穫する,そのテフの藁ということになろう.稲や麦わらと比べて繊細で柔らかそうだ.家畜の餌にするのでしょう.


テフの実の分離

テフの実の分離

ご主人がテフの籾殻と実が混じったものから,実を分離する作業を実演してくれた.籾殻と実の混合体を握った手から少しづつ地面に落とす.すると比重の小さい籾殻は風下遠くに落下し,比重の大きな実は割と近くに着地する.ただ着地点がきれいに分離するわけではなく,風まかせなので,少し実の密度が高くなった籾殻と実の混合体を握り,再度同じ作業を行う.いや3,4回繰り返す.

なかなか根気のいる作業の繰り返しで,得られた実は非常に小粒で,胡麻より小さいと思う.美味しいインジュラになるといいですね.


テフ栽培家族の皆さん

テフ栽培家族の皆さん

親切なご家族は,ご主人,その息子さん夫婦,お孫さん4人合わせて7人だ.右から2番目の男の子はデブレビルハンセラシ教会天井の大大大天使智天使(Cherubim ケルビム)そっくりですね.ご家族に幸あれと願う.


私たちは南行きを継続し,今夕バハルダール着を目指す.