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テグレの岩窟教会Tigre rock-hewn Churches

このテグレの岩窟教会編では,2020年1月24日メケレを出た私達は,その真北に位置し,テグレの代表的岩窟教会であるアブレハアツベハ教会,ウクロキルコス教会を順に訪れ,その後ウクロロッジでランチ,食後次の訪問地アクスムに向かうときの写真を載せました.

テグレの岩窟教会付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Tigre Churches

テグレの岩窟教会付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

テグレの岩窟教会はマーカー14周辺にたくさんあり,その中の一つWikroと記されているのがウクロキルコス教会.

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アブレハアツベハ教会Abreha Atsbeha rock-hewn Church

テグレ手前の街

テグレ手前の街

メケレの街を出て暫く走るとある程度大きな街を通過した.ある程度大きいか否かは,私の場合走っているトゥクトゥク(バジャージ)が数台以上であるかどうかで判断している.小さな村では需要が少ないので殆ど走ってない.

それと,これまた前日ドライバミカエルさんに聞いたのだが,人を乗せるタクシーの場合,法律で空色と白の2色でペイントすることが義務付けられているそうだ.これはトゥクトゥクだけでなく,普通の4輪タクシーも同じだそうだ.この街のトゥクトゥクは空色が殆どで後ろにアンダーライン付きH文字状白になっているデザインが多い.なお空港タクシーだけは異なり,イエローとグリーンという決まりがあるそうだ.何れも判りやすくていいと思う.


道路工事

道路工事

アブレハアツベハ教会への途中は曲がりくねった坂道を通る.そして道路工事現場を通過した.女性も石運びなどの力仕事をやっていることにちょっと驚いた.


岩山のアブレハアツベハ教会が見えてきた

岩山のアブレハアツベハ教会が見えてきた

ゲート手前で下車し,見上げると岩山のアブレハアツベハ教会が現れた.手前の前室は石を積み上げたように見えるが,本堂は岩山が掘られて建設されているように見える.

本教会はテグレ最古の岩窟教会で,335年~340年アブレハ王(Abreha)と彼の双子の兄弟で共同摂政のアツベハ王(Atsbeha)によって建立されたそうだ.もちろん途中幾度か補修が施されていると思うが,非常に古いことに驚く.


大きなイチジク属の木

大きなイチジク属の木

ブレハアツベハ教会に上るカーブした階段途中にとても大きなイチジク属の木が枝を広げている.フィカスマグノリア(Ficus macrophylla)と言うらしいが....何れにしても普通のイチジクの木とは比較にならないほど大きく迫力がある.


アブレハアツベハ教会前室

アブレハアツベハ教会前室

玄関のドアをくぐると前室があり,ここで礼拝前に心を整え,準備するそうだ.壁や天井には多くの壁画が描かれている.ヨーロッパの多くの教会が用いるフレスコ画ではなく,岩壁に貼り付けたカンバスに描かれているそうだ.

先ず感じたのは,大天使など含め人物の顔はエチオピア人風だと強く印象付けられる.非常に特徴的人相で,他の正教会では先ず見ることはできない(私の印象).

絵の内容は旧約聖書や新約聖書,エチオピア正教で受け継がれてきた伝承などであるようだ.左端は槍でドラゴンをやっつけているのは聖ジョージだ(それ以外解らない).


アブレハアツベハ教会顔に羽だけの天使など

顔に羽だけの天使など

例えば写真中央縦に3つ並んだ顔のように直接羽があり,顔以外の胴体のない天使が多く描かれていた.私は全く知らなかったがカトリックでも知られる最高位の天使なのだという.添乗Iさんの解説では一般に大天使と呼ばれるガブリエルとかミカエルとかは,言うなれば使い走り程度で,顔羽天使は比較にならないほど大大大天使ということだ.

ググってみるとカトリックでは熾天使(Seraphim セラフィム),もしくは二番目に偉い智天使(Cherubim ケルビム)と呼ばれるらしいが,エチオピア正教での呼称は.....う~ん思い出せない.

またその一番上の向き合った二人は双方横顔であるが,エチオピア正教で横向きの顔は邪悪な人物を表す,と相場が決まっているそうだ.これまたちょっとびっくりですね.

その2悪人の下はまた顔羽天使で,さらに下は斬首された洗礼者ヨハネの首を受け取る実在したという歌と舞の名手でヘロデ王の娘サロメだという.ヘロデ王の祝宴で歌と舞を請われ,「もし私の求める褒美が叶うなら」と,舞った後に「バプテスマのヨハネの首」と言った結果だそうだ.恐ろしい.多分ヘロデ王がバプテスマのヨハネ(それにイエス)を直接処刑することを避けたかったのであろう.ところで断首されても生き残る聖人の話は一般のカトリックでも多くあるのだそうだ.


アブレハアツベハ教会礼拝堂

アブレハアツベハ教会礼拝堂

前室の先が礼拝堂(本堂)になっている.岩山をくり抜いて造ったものだ.柱やアーチ部分は強度的には取り去っても問題ないが,壁画を描くなどデザイン的な観点で残してあるようだ.

こうして岩山をくり抜いて建物(礼拝堂)を作るのはペトラのエルカズネなどと同様な工法で,また岩は比較的柔らかい種類ではなかろうか.

なお正面ピンクのカーテンの向こうは至聖所(イコノスタシス)で,一般人は覗くことはできない.ここには十戒を収めた契約の箱(アーク)のミニキュアレプリカ「タボット(tabot)」が置かれている,と信じられている筈だ.


アブレハアツベハ教会礼拝堂の壁画

アブレハアツベハ教会礼拝堂の壁画

礼拝堂の壁画には例えばこうした絵があった.どういったシーンなのか理解してないが,全員優しく幸福そうな表情を見せているように感じる.


アブレハアツベハ教会天井の浮き彫り

アブレハアツベハ教会天井の浮き彫り

礼拝堂天井のアーチ部には浮き彫り(レリーフ)が施されている.ちょっと迷路のように見える.モスクではないがアラベスクも連想させられた.

過去の火災で天井の一部が黒くなっている.


アブレハアツベハ教会僧職の方

アブレハアツベハ教会僧職の方

こちらがアブレハアツベハ教会僧職の方.ガイドFさんにいろいろ説明されていた.

手にしているのは金属製のエチオピア十字(Ethiopian cross)で,十字の各先端が装飾された矢印状になっている.かなり特徴的だ.


アブレハアツベハ教会の聖歌室

アブレハアツベハ教会の聖歌室

アブレハアツベハ教会の聖歌室にはドラムが幾つも転がっていた.賑やかに聖歌を歌うためだ.他国の一般的正教会は楽器を使わないアカペラということなので,大いに異なるわけだ.


削り出されたアブレハアツベハ教会の外観

削り出されたアブレハアツベハ教会の外観

礼拝堂と至聖所部分の壁が削り出され,屋根部分が残されたアブレハアツベハ教会の構造がよく見える外観だ.手前の前室は土地の上に積まれた構造であることも窺える.


ウクロキルコス教会Wukro Chirkos rock-hewn Church

ウウクロキルコス教会に向かう

ウクロキルコス教会に向かう

アブレハアツベハ教会を後に,私達の小型バスは半ば山道を通り,ウクロキルコス教会に向かった.


エチオピア三色暖簾を掲げたウクロキルコス教会に到着

エチオピア三色暖簾を掲げたウクロキルコス教会に到着

小型バスはウクロキルコス教会に到着した.まだティムカットに関連する期間なのか,緑,黄,赤エチオピア三色暖簾を掲げてある.

この教会は岩山を十字形外側を切り出して,また内部は上述のアブレハアツベハ教会同様,柱を残し抉り取って部屋にした造りだ.ただ至聖所背後外壁は全部削り取られていたか,或いは山と繋がったままだったかは不覚にも確かめなかった.

創建はアブレハアツベハ教会と同時期という説から,それより一世紀前,はたまたAD700~1000年と,諸説あるようだ.

アブレハアツベハ教会は山の横から切り出したが,こちらウクロキルコス教会は山の上から縦に切り出す工法で,後日訪れる有名なラリベラの教会建築工法のモデルになったということだ.すると,少なくともAD700~1000年創建説は無しかな~


靴を脱ぎウクロキルコス教会にお祈りに入る人

靴を脱ぎお祈りに入る人

男性は靴を脱ぎお祈りに入るところだ.それと白い装束に着替えようとしているのかも知れない.白い装束でお参りは仏教でも同じで,四国遍路では私も着た.

なおここに限らず,エチオピアではどこの教会も靴を脱ぐ.脱ぐ前に添乗Iさんが「ここはダニの心配はあまりないですよ~」と言ってくれる.ダニに好かれる人は防止薬や靴下カバーで対策している.


ウクロキルコス教会至聖所(イコノスタシス)前でお祈り

至聖所前でお祈り

教会の礼拝堂に入れてもらった.上述のアブレハアツベハ教会に比べて壁画やイコン類は少なく,さっぱりしている.

ちょうどお昼のミサの時間だそうで,至聖所(イコノスタシス)前では白い装束の人々がお祈り待機していた.


ウクロキルコス教会アーチ状の天井

アーチ状の天井

アーチ状の天井には連続的幾何学模様が刻まれている.

赤い仕切りカーテンに下げられたイコンはアブレハ王(Abreha)と彼の双子の兄弟アツベハ王(Atsbeha),合わせて3人なのでしょうか.

いや本教会は聖ガブリエル,聖キルコス,聖ミカエルを祀っているということなので,その3人でしょうか.この中で前後二人はよく聞く大天使だが,聖キルコスは.....初めて聞いた.どういった方でしょうか.


ウクロキルコス教会の焼かれた天井

焼かれた天井

13世紀,襲来したユダヤ教徒が火を放ち,柱や天井が焼かれたそうだ.現在壁画が少ないのはそのためのようだ.ということはユダヤとは少なくとも当時相当強い敵対関係にあったのでしょうね.


ウクロロッジでランチlunch at Wukro restaurant

ウクロロッジに行く

ウクロロッジに行く

ちゃっかり有名な教会の名を冠したのか,それとも先に地名ウクロがあったのか....よく判らないがランチのためここを訪れた.

円筒に藁葺き屋根は南部少数民族の家屋を巨大にしたような形だ.だがちゃんとした広いガラス張りで見晴らしの利く凝った建築だ.


ウクロロッジの内部

ウクロロッジの内部

屋根は傘を開き,柄の部分を切り取ったような構造だ.柄がないので骨(垂木)や支える筋交いには大きな荷重がかかりなかなか大変な構造だ.見事だ.

その内部にはバーと食卓が置かれている.


ウクロロッジからの眺め

ウクロロッジからの眺め

緩やかな斜面に展開される住宅が見える.周囲は山に囲われている.青空になりいい眺めだ.


ウクロロッジでデザートはフルーツ

デザートはフルーツ

メインはスパゲティでデザートはフルーツを選んだ.これを見るとパパイヤにアボガドかな.パパイヤには左のレモンが合う.

そしてコーヒー.私の一本槍だ.

食後私達は次の訪問地アクスムに向かった.