ティムカット祭Timkat
このティムカット祭編では,2020年1月19日ジンカを飛び立った機はアジスアベバに到着し,ジュピター国際ホテルに行きチェックイン.夜になりダンスショーレストランで夕食,ホテルに戻り宿泊.翌1月20日早朝出かけティムカット祭に参列.その後ルーシーレストランでランチ,そして国立博物館見学,次いでアベベの墓を参拝し,首都を離れ,メケレに向かうときの写真を載せました.
ティムカット祭付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Timkat
アジスアベバのマップだが,はてティムカット祭がどの辺りで行われたのか分からない.....
別窓で大きなGoogleマップを開くアジスアベバ到着arrive to AddisAbaba
エチオピア航空の古い機体
ジンカからのフライトは予定通りアジスアベバに到着した.そして小型バスでホテルに向かった.国内線前広場にはエチオピア航空の古い機体が展示されている.同航空は1945設立,翌年アジスアベバ/カイロ間を5機のDC-3で運航開始したようだ.この機体はそのDC-3でしょうか.
エチオピア色でティムカットの装い
緑,黄,赤は国旗にもなっているエチオピア色だ.この三色幕が街のあちこちにティムカットの装いとして張られている.
ジュピター国際ホテルにチェックイン
小型バスはジュピター国際ホテル(Jupiter International Hotel)に到着し,チェックインした.これまでと比べて圧倒的にちゃんとしたホテルに見える.
ジュピター国際ホテルの部屋
こんな部屋だった.コーヒー/お茶セットも用意されていた.ただ部屋はちょっと寒い.全館空調のためか温度設定ボタンやon/offスイッチが見つからない.
夕食に出かける際,レセプションで,寒いので空調を切っておいてください,とお願いして出た.
そして食事から戻ると,部屋にはポータブル暖房器具が置かれていた.冷房で寒いと思い込んでいたが,実際は外気が冷たく,暖房がないため寒かったのだ.レセプションの女性は空調の有無には言及せず,黙って解決策を提示してくれていたのだ.感心した,ありがとうございます.でもアジスアベバって意外に寒いのですね.
ダンスショーで夕食diner with Dance Show
アバシャ2000レストランへ
夕食とダンスショーを楽しむためにアバシャ2000レストランへと出かけた.大変人気のレストランで,観光客も多い.テーブルや椅子を移動し,いろいろな客に対応するようだ.
バフェ形式で料理は自分で装う
店内の一画にバフェ形式の料理が並んでおり,自分で装う.飲み物はボーイに頼み,運んでもらう.
英語も併記された料理鉢
アムハラ語に加え英語も併記されており,大まかに知ることができる(ものもある).しかし辛いのか,非常に辛いのかとかまでは判らないので,人に訊いて装った.
生ビーフの唐辛子詰めとインジュラ
最もエチオピアらしい料理の生ビーフの唐辛子詰めとインジュラを食べてみた.
前者は生の牛肉をミンチしたものを青唐辛子で包んだものだ.青唐辛子は口に触れただけで激辛らしいので,先ずは肉を唐辛子から外し,それだけ食べる.生ビーフはエチオピアで大変好まれているそうで,ある4WDドライバは1kgくらい食べてしまうことがあるそうだ.まあ,若いからあり得る.
インジュラはこれまでも少しづつ食べてきた,ここでは他の料理をサンドイッチして食べてみた.こぼれないように食べるのが結構難しい.美味しかった.
結婚披露宴も
フロアの一画では結婚披露宴が催されていた.普通のお客さんが大勢いいるので相当うるさい中の一画で開催するのはちょっと不思議に思ったが,エチオピアの人々は大騒ぎ(のように見える)が大好きで,しかも見ず知らずの他人を含めて祝福されるのを好むようだ.
ダンスショー始まる
客席がいっぱいになった頃,ステージに楽隊が上り,演奏が始まった.そして順次いろいろな部族ダンサーが登場し,部族ダンスを披露する.アフリカ系らしくリズミカルでダイナミックだ.
オロモ族のダンス
そのうちオロモ族(Oromo people)のダンスが始まった.最初グループで舞い,途中から左端女性の独演になった.彼女は首を激しく振り,髪の毛を連続的にすごいスピードで振り回す.すごい!むち打ちになりゃしないかと心配になる.なおオロモ族はおよそ2600万人で,人口の40%を占めるエチオピア最大民族.アムハラ人(Amhara people)と並びエチオピア二大民族の一つ.
演技が終わると,パフォーマンスが気に入ったお客さんがダンサーに駆け寄り,胸の辺りにお札を挟み込んでいた.昔日本のステージでもそんなシーンがあったな~と思い出した(現代は不明).
食後ホテルに戻ると,上述のように暖房器具が置かれていた.再度多謝!お休みなさい.
ティムカット祭参列Timkat
未明に出かける
ジュピターホテルで1月20日が明けた,いやまだ暗い.寒いのでアンダーダウンジャケットを着る.そして道路が混んで車が進めなくなる前,ティムカット祭参列のため早めに出発した.
ティムカット祭の執り行われる広場ジャン・メダ(Jan-Meda)は広大であるが,柵の内側に入れるのは僧職近親者や正教に特に縁深い信徒,それに私達,パーミットを下げた外国人観光客に限定されているそうだ.外国人観光客のパーミットは主に祭典開催費の一部に充てるためであろう.
そんな訳で柵の内部には然程多くの信徒ではないが,白い装束に身を包み,前日からここ屋外で夜を過ごした人が明るくなるのを待っている.
広場柵の外には圧倒的多数の一般信徒がどんどん詰めかけ,地面が埋め尽くされていく様子が窺える.
テントで過ごした信徒の人々
首都以外から参列するため,前夜からテントで過ごす信徒の人々も多い.テントは地方の教会単位や町単位のようである.いま目覚めて,身支度を整えている場面だ.
ティムカットとテレビ中継
テレビカメラがあちこちに設置されている.一部始終を生中継するようである.
ところでティムカット祭とは1月19日を挟んで3日間に渡り開催されるキリストのヨルダン川で受けた洗礼を祝う行事,ということだ.ただ主な行事は19日だけで完了するようだ.
旧約聖書にある十戒を収めた「契約の箱」(聖櫃/アーク)を象徴するミニキュアレプリカ「タボット」を僧侶が特定の教会(普通エチオピアで人気高い大天使聖ミカエル教会が多いようだ)から持ってきて,ベルやトランペットを奏で,香を焚き,聖なる水(ここではプール)脇にて豪華な装束の司祭や僧侶がタボット周りで水を撒き,改めて十の戒めを新たにする,ということだ.
そしてこのときプールにも水が注がれ,プール内の水全てが聖水に変わるそうで,信徒(と私達見物人も)この聖水をぶっ掛けてもらい,祝福を受けるのである.
ティムカットは各地で行われるが,ここ首都のティムカットは,高名なエチオピア正教会総主教(patriarch)が取り仕切るので特別で,テレビで全国に流されるわけだ.
プール周りでティムカット祭典が始まる
朝日が昇り,プール周りに司祭や僧侶が集まり,いよいよティムカットのメインイベントが始まる.
プールサイドのヨルダン川洗礼像
集まった司祭や僧侶の反対側には,ヨルダン川でバプテスマヨハネから洗礼を受けるイエスキリストの像.ヨハネの洗礼が,クリスマスとか復活祭より優先的な祝祭になるのがエチオピア正教の特徴なのかな~と素人ながら思う.
私はちょうどこのキリストの左手前辺りで諸事眺めていた.
僧侶出揃う
金ピカ装束の僧侶が出揃った.そして聖歌や,よく解らないが聖書のフレーズであろうか,唱えられる.さらにプールの周りを廻り,ときどき正教の所作を繰り返す.
タボットが登場
金ピカの箱が登場した.これが噂のタボットに違いなかろう.
本物の十戒が刻まれた石版を収めた「契約の箱」(聖櫃/アーク)はエチオピアのどこか(後日訪問のシオンの聖母大聖堂の礼拝堂と言われる)に隠されていると信じられているのだそうだ.何にしてもそれは唯一無二であるから,万が一傷めたら大変なので,そのレプリカタボットが作られたのであろう.またレプリカであれば多数製作できるので,各地の教会で保持でき,またティムカットも祝えるわけだ.
総主教がお出ましし,締める
エチオピア正教最高位である総主教(赤い帽子の方)がお出ましし,よく理解できないが,何やらお言葉を述べ,締めにかかる.当てずっぽうで言えば,締めはもちろん十戒,ヨルダン川でのバプテスマ,その水つまり聖水に関わることかな~などど勝手に想像する.
聖水掛け始まる
お坊さんの儀式が完了すると,先ずヨハネ,イエスキリスト金像前で聖水の放水が始まり,私はその脇に居たのでありがたくもその聖水を早速浴びる.ちょっといきなりのことでびっくりした.
他国や日本でも水掛け祭りとか,類するものがあると思うが,多分その効能には一部似たものがあるように思う.ありがとうございました.
幸せそうな信徒の方
片端には幸せそうな信徒の姿があった.聖水を浴びて満足そうな様子に見える.このようにほんとの信徒の皆さんはこの場に入れない親戚や知り合いの方のために,容器にプールの聖水を掬って持ち帰る人も見える.こうした行為は異教徒ヒンドゥーのガンガー聖水汲みと同じように見えるが,どこか共通点があるのでしょうか.
ドローンも出動
池の上にはドローンも現れた.放送用であろうか,監視用であろうか.
広場塀外部の人だかりに放水
広場には塀(写真右側)があり,塀の外には膨大な人が集まっている.塀を乗り越えてプールの聖水を汲むのを防ぐためお巡りさんが塀から一定の間を置いて,近づくのを制止している.
そして櫓の上から送水ポンプでプールの聖水を汲み上げ,その膨大な信徒目がけて放水する.あたかも消防車のようだ.
こうして聖水を浴びた信徒の皆さんからは歓喜の声が上がる.ティムカットのクライマックスであろう.
ルーシーレストランでランチlunch at the Lucy restaurant
一旦ホテルに戻る
聖水を掛けてもらい,一旦ホテルに戻ることになった.
広場近くの通りはやはり引き上げる人たちで混みあっている.
再開発区を通過
車は再開発区を通過した.このエリアでは高級ホテルなど開設されているそうで,高層建築が多い.
ティムカットのパーミットと解説冊子
ジュピター国際ホテルの部屋に戻り,ティムカットのパーミットと解説冊子を眺めてみた.右がスタンプの押されたパーミットの半券で,これを首に下げて広場内部に入れる.
中央が会場で貰った解説冊子で,表紙のヨルダン川でのヨハネによるイエスキリストの洗礼が一目瞭然に描かれている.中は現地語と英語で解説されている.総主教の写真のあるページ以外読まなかったが.....
ルーシーレストランに出かける
ホテルで休憩後ランチのためルーシーレストランに出かけた.同レストランは国立博物館の近くにあり,そこの有名な化石愛称『ルーシー』の名を借用したものだ.
先ずコーヒーを入れてもらう
エチオピアでは挽いたコーヒー豆をポットに入れ,お湯を注いで(或いは水を入れて火にかけて),頃合いを見てカップに注ぐようだ.フィルターは使わないがコーヒー粉は大半底に沈殿し,カップに入る心配はなさそうだ.トルココーヒーと似た抽出法だが,カップにコーヒー粉が大量に入り込まない点が違う.ということでコーヒー占いには向かない.
ピザを選んだ
この日はサラダに続き,ピザを選んでみた.美味しかった.Lサイズ巨大で隣の人にも食べてもらった.
国立博物館見学national museum
エチオピア国立博物館に入る
ルーシーレストランで食事後,直ぐ近くのエチオピア国立博物館に入った.入り口のお巡りさんは脇に腰掛けて,リラックスした様子だ.ルーシーの化石実物は他所(または他国)で保管され,ここはそのレプリカだけというので警戒度は高くないのかも知れない.
ルーシー化石からの復元模型写真のコピー
ルーシー(アファール猿人)化石のレプリカがあり,自由に写真を撮ることができたのだが,ケースのガラスに色々映り込み失敗.そこで館内に掲げられた復元骨格の写真をデジカメで写してみた.
この写真で茶色い部分が発掘された部分で,白い部分は半ば想像で復元(補われた)部分という.本物の化石が人骨の40%で,驚異的に大きい値だそうだ.
ルーシー化石はエチオピア北東部アファール盆地で1974年に発見され,318万年前(周囲火山灰の放射年代測定で)の人骨とされている.ルーシーのニックネームは,調査隊が当時流行っていたビートルズのLucy in the Sky with Diamondsに因み名付けたそうだ.
このアファール猿人アウストラロピテクスの発見は,類人猿に近い脳容量(400cc未満)と,人類に近い直立二足歩行(外反足などから判明)を行なっていた痕跡が見られという点で重要という.人類の進化において脳容量増大より二足歩行が先行していた証拠になったという.ただしアファール猿人が現代人の直接的な先祖ではないそうである.
ルーシーは骨盤や仙骨の開き具合などから女性と判定され,身長1.1m,体重29kgで,現代のチンパンジーに近い体型のようだ.ただし他にも見つかったアファール猿人の骨格に比べて小型ではあるそうだ.
上でも述べたが化石が人骨の40%と高いため,色々判明し信頼度が高くなったようだ,前年訪れたチャドではもっと古い時代(700万年前)の頭部化石(サヘラントロプス・チャデンシス)が見つかっているが,頭以外の部位の化石は発掘できず,猿人とかの判定には決定打を欠くようだ.
動物の化石
こうした大きな動物の化石,この場合頭部も出土している.
王政時代の絵画
エチオピアは長く王政時代が続いたが,そうした時代の絵画が多く展示されている.王や家族の肖像,凱旋の様子,それに玉座家具類などいろいろあり.
側面に描かれたペルシャ風の絵柄
これは玉座の側面ではなかったか.私にはペルシャ風デザインに見えてしまう.ただ左側人物のヘアスタイルなど見ると,エチオピア人の頭髪で,やはりエチオピア特有のデザインなのかな....も少し詳しく見るべきだったが....
現代の農機具類など
よくあるように現代の農機具類なども展示されていた.特段変わったものはないが,鋼ではなく木製の鋤など展示され,別の日に畑で現代も使われていることにびっくりさせられた.
アベベの墓参拝Tomb of Abebe Bikila
タボットを教会に運び戻すパレード
国立博物館を後に,アベベの墓に行くため表に出た.ところが通りは,広場で総主教より改めて誓いを受けたタボットを教会(多分聖ミカエル教会)に運び戻すパレードにぶつかった.これではとても車は出せない.
ランチのレストランで休憩
私達は近くのランチを頂いたルーシーレストランに再び行き,一服した.
ルーシーレストランではパパイヤとアボガドのミックス,いや2層ジュースを出してもらった.パパイヤとアボガドは混ぜられず,完全に2層に分離されている.私はストローを深く沈めて飲んだので,最初はアボガド,ある時点からパパイヤに変化する味を楽しんだ.最初にかき混ぜて飲む流儀の人もいた.それはそれでいい味かも,ですね.
国立墓地に向かう
タボット戻しのパレードは終わり,通行止めが解除になった.そして私達の小型バスは国立墓地に向かった.
途中写真のような小編成の電車に出合った.アジスアベバは拡張中なのでこうした公共交通手段は一層強化されていくだろう.
アベベの墓
これが裸足のランナーとして有名なアベベビキラ(Abebe Bikila:1932~1973年)の墓.
特に1960年ローマオリンピックでは裸足で走り,当時の世界記録(2時間15分16秒2)で優勝し,アフリカ黒人初の金メダルに輝く.たまたまレース直前に靴が壊れ,現地で新しい靴を買おうと探したが合うものがなく裸足で走ったという.ただ元々地元では裸足で駆け回っており,足裏は十分丈夫だったという.これでアベベはエチオピアの英雄となり,ときのハイレセラシエ皇帝より勲章を授与されたそうだ.なおアジスアベバの標高は2,355mで,エチオピアの多くはこうした高い標高,つまり酸素濃度の低い地にあるので,以来世界で高地トレーニングが注目されるようになったようだ.
また次回1964年東京オリンピックでも2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得している.靴は履いていたがオリンピック二連覇はすごい.
その後アベベは交通事故に遭い,身体が不自由になり,41歳のときその後遺症が元となり脳出血で生涯を閉じたということだ.
首都を離れるleave Addis Ababa
またアジスアベバ空港に行く
アベベの墓参拝後,次の観光地ダナキル砂漠の拠点メケレに飛ぶため,またアジスアベバ空港に向かった.
空港への通りは花のポットがきれいに並べられている.
エチオピア航空ET108便に乗る
いつものように2回のセキュリティチェックを受け,エチオピア航空ET108便に乗り込んだ.しばし首都から離れ,メケレに向かう.