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コンソKonso

このコンソ編では,2020年1月16日アルバミンチのロッジで朝を迎え,4WDで出発しバナナ畑に立ち寄り,ドラシェ川で水くみや沐浴のドラシェ族を眺め,コンソ族の村とコンソ族の木曜市を訪ね,コルベタロッジでランチを頂き,午後はコンソ族の段々畑やオモ渓谷方面を展望しながら,綿花畑と,それを栽培するツェマイ族集落を訪ねたときの写真を載せました.

コンソ付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Konso

コンソ付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

コンソのエリアはマーカー5辺りに位置している.そして同名のコンソ族はこの周辺に多く住んでいるようだ.

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アルバミンチの朝in the morning at Arbaminch

アルバミンチパラダイスロッジの朝

パラダイスロッジの朝

1月16日朝が明け,ロッジレストランに行く.広い谷の先には前日ボートクルーズしたチャモ湖の水面が鈍く輝き始めている.今日もいい天気になりそうだ.


バフェの朝食

バフェの朝食

バフェの朝食だったので,先ずトーストを装った.他にも無難な食べ物があったのでそれらも皿にいれたのだが....写真がなかった.


パラダイスロッジの庭

パラダイスロッジの庭

朝のロッジ庭は,泊り客の皆さんが徒歩やカートでレセプション方向に向かう.私達同様これから出かけるのであろう.


アルバミンチの街を抜ける

アルバミンチの街を抜ける

私達は4WDに分乗し,パラダイスロッジをお暇した.そしてアルバミンチの街を走り,抜けた.そして抜けると直ちに農業地帯に入る.


バナナ畑Banana Field

牛やヤギが餌場に向かう

牛やヤギが餌場に向かう

朝は家畜が餌場に向かう時間だ.このグループは牛と少数のヤギを引き連れているようだ.

エチオピアは牛の数が人口と同じくらいあるということで,こうしたシーンに頻繁に遭遇する.

なお私はビーフが好きなので,しばしばこれを選択するが,概して硬い.色々働き,年老いて食用に回されるからだということだ.また肉が薄いので直ぐ火が通り焼き過ぎで硬くなる面もあるようだ.


向こうに十字架が見えるので村があろう

向こうに十字架が見えるので村があろう

先方に正教会の十字架が見えるので,その近くに村があるのだろう.築後間もないのかまだピカピカに見える.


馬車の多い村を通過

馬車の多い村を通過

果たして村があった.空荷で駐車中だが馬車(の荷台)がたくさん路肩に見える.地方ではまだまだ馬車やロバ車が活躍しているようだ.なおロバは他国同様荷車はなく背に大量の荷を背負わされている光景はまま見かける.ロバはいつでもどこでも大変なのだ.


朝のバナナ畑

朝のバナナ畑

この辺りはバナナ畑(プランテーション)が多い.実はアルバミンチからコンソに至るエリアは国内最大のバナナ産地なのだそうだ.

数人の青年が房毎に刈り入れ,一箇所に集めていた.こうした収穫は毎日朝夕二度行われるそうで,そこに集荷トラックが現れ,積み込むと首都方面に搬送されるという.収穫から2~3日が食べごろになるそうだ.

ところでバナナの一房(写真左側)は相当大きく重く,確か20~25kgくらいになるというが,試しに持ち上げる挑戦者を募ったところ,一番若そうなSさんがさっと持ち上げてしまい,感心した.中学生くらいから男の子に負けない力持ちだったそうな.


バナナ畑の雑草

バナナ畑の雑草

バナナ畑縁に棘(っぽい)実を付けた雑草が生えていた.カステロイドという名の草という.ただ棘は柔らかく,全然問題ない.多分これならバナナにも無害であろう(想像)

実は後日,全く別の種であるが,トゲトゲの草に絡まれ,皆苦労することになったので,こうした優しいトゲトゲ草は好ましく思えるのだ.


ドラシェ川Dorze river

次の村通過

次の村通過

バナナ畑を進むとそのうち次の村に入った.ここも立派な牛たちが行進中で,暫くシンクロして進む.いや~牛は多いですね~そして背にコブのあるインド牛のようなコブ牛(正式名知らず)が主流のようだ.それに角がやたら立派な牛(こちらも正式名知らず)もしばしば見かける.さすがこれにはスペインのマタドールさえ敵わないんじゃないかと思ってしまう.


養蜂筒はここにも

養蜂筒はここにも

村を抜けると前日見た養蜂筒はここにも下がっていた.今日はやや順光で近いので,筒はごく一般的な麦藁,もしくはそれに類するものでできている様子が良く見える.


ドラシェ川でひと仕事中のドラシェ族の皆さん

ドラシェ川でひと仕事中のドラシェ族の皆さん

やがて枯れておらず水を湛えたドラシェ川(Dorze? river)でひと仕事中のドラシェ族(Dorze? people)の皆さんが色々仕事中だ.

ある人は黄色いポリタンクに飲料や調理の水を汲み,ある人は洗濯や家畜の水を汲み,そして下流側では沐浴や洗髪,洗濯している人もいる.

何れにしても水が極めて重要であることが窺える.


飲料水を持ち帰る人たち

飲料水を持ち帰る人たち

黄色いタンクは元々食用油の容器だったもののリユースだそうだ.それが水タンクとして使い勝手が良く,また丈夫でデファクトスタンダードのようになったのだという.

ということで,これを携えた人の上流では洗濯しないなどの暗黙のルールが確立されたということだ.

写真は確か20lつまり20kgの黄色タンクに詰めた水を自宅に持ち帰るドラシェ族女性たちだ.重いですね.


コンソ族の村a Konso Village

ドラシェ川先の小さな村

ドラシェ川先の小さな村

ドラシェ川の先に進むうちに幾つかの小さな村を通過した.写真はその中の一つだ.円筒に藁葺き屋根の形態は朝まで泊まっていたパラダイスロッジによく似ている.この辺りではごく一般的なデザインだ.

さてドラシェ族でしょうか,それとも目指している先と同じコンソ族の村でしょうか....


コンソ族ガモレ村のポスター

コンソ族ガモレ村のポスター

車は目指すコンソ族ガモレ村に到着した.そして先ず第一に入り口の大きなこのポスターに目が行った.

ポスターはコンソのモリンガ(Moringa)供給分配婦人協会のもので,乾燥モリンガ,モリンガソープ,モリンガ粉などの製品形態で供給と記されている.

私はモリンガについてはこれまで全く聞いたことはなかったが,各種有効成分が含まれているらしい.


ガモレ村入り口の土産物店

ガモレ村入り口の土産物店

村内で営業するのはまずいのであろう,入り口手前で観光客相手の露店を開いていた.右端の木製小型椅子は特徴的で,この辺りの部族男性が常に持ち歩き,座るときは椅子として,寝るときは枕として使うものだ.椅子としては小さく,枕としては高いように見えるが,常時持ち歩くための折衷案として固まったデザインなのであろう.面白い.


コンソ族ガモレ村に入る

ガモレ村に入る

私達はガモレ村に入って行った.子どもたちが付いてきた.単に付いてくるのではなく,”フォト,マネー”つまり写真を撮ってお金頂戴,と言ってくるのだ.そしてこれはガモレ村に限らず,また子供に限らずエチオピア全土で展開されるビジネス行為と知る.インドなどと並び世界三大ウザイ国の一つとされるそうだがほんとだった.なおインドは物売りの付きまとい等なので,質的には異なる.

閑話休題,左側はトウモロコシ,そして頭上に明るいグリーンの葉を付けた枝がモリンガの木なのだそうだ.木の成長は速く10m以上に達し,小枝を食用に切り取ってもどんどん代わりが生えてくるようだ.そしてモリンガにはビタミン13種類,ミネラル7種類,アミノ酸18種類含まれ,高栄養価で知られるモロヘイヤ以上らしい.


ガモレ村は城壁集落

ガモレ村は城壁集落

ヨーロッパではよく城壁都市を見かけるが,ガモレ村はこれをぐっと小型にした城壁集落である.つまり凹凸ある地形に在る各戸は石垣のある小路で繋がり,外敵の侵入を妨ぐ構造になっている.地形が複雑で,小路もややこしいが,大まかには3重の石垣になっているそうだ.

石垣は1,000年(日本では平安時代)もの歴史があり,人口6,000人ということだが,当時から他部族との争いが激しかったのでしょうね.そしてこの間,往時の生活様式がさして変わらず,伝統が維持されてきたということも驚きだ.


コンソ族の円筒二層藁葺き屋根の家

円筒二層藁葺き屋根の家

円筒状本体は木材を環状に立て,土壁を塗り込んだものだ.土壁は泥に連結材の切り藁,それに牛糞を混ぜて捏ねて作るようだ.家の周囲にはヤギの柵が設けられている場合もある.

二層屋根は比較的珍しい.上屋根下には煙抜きの窓が設けられているのであろう.また天辺には(壊れた)陶器などでデコレーションされている.一部十字架を載せている家もある.村全体がクリスチャンなのかどうかは不明だ.

右側はやはり円筒二層藁葺き屋根構造だが高床式だ.家畜や野獣の侵入を防ぎ,通気性を確保する穀物などの貯蔵庫であろう.


コンソ族食物乾燥作業中の家族

食物乾燥作業中の家族

鞘の豆,いや干瓢か...日向で広げて見守っている.ヤギがやってきたら追い払う程度で,まあ単に休息のひとときか.


コンソ族食物貯蔵庫の魔除け

食物貯蔵庫の魔除け

こちらの食物貯蔵庫にはチンプか何かの白い骸骨が掛かっていた.ドキッとしたので魔除け,お守りの類であろうか.大きな角のカモシカ類の魔除けはヒマラヤとかで幾度か見たことがあるが,ここのは人骨に近いだけにインパクトがある.


コンソ族家全体のお守りか

家全体のお守りか

こちらは家の庭に立てられていたので家庭全体のお守りか.素朴な雰囲気がいい味を醸している.特に手前のブチ模様の動物(ヒョウかな)は面白い.


コンソ族の独身男性共同生活の家

独身男性共同生活の家

ガモレ村では男の子は6歳になると,写真正面の大きな円筒集会所でグループ共同生活に入る掟があるそうだ.普通それは18年間続き,村に10組あるグループは持ち回りで村のために奉仕活動(例えば道路や石垣工事とか,水汲みなどか)を行うそうである.

写真右側は木材の束で,18年間の共同生活を終えたときに「世代の柱」として一本立てて去るということだ.

柱束の前にあるのは10kgの丸石で,成人に達するとこれを持ち上げて,後方に投げるそうだ.添乗Iさんは以前試してみたが,丸く持ちにくいので大変だったそうだ.


コンソ族円筒集会所の構造

円筒集会所の構造

円筒集会所はかなり大きい.男の子が立っているのは地階で物置き場,手で触っているのがメインの一階フロアになる.

共同生活ではその一階フロアにて雑魚寝で過ごすということだ.18年間とか大変そうですね.


コンソ族の石垣に触れながらガモレ村を去る

石垣に触れながらガモレ村を去る

入るときとは違う道を辿り,石垣に触れながらガモレ村を去った.多分現代は他部族襲来はあまりないのだと思われるが.....他の村では大抵銃を持ったガードマンが守っていたから,ここの石垣はまだ必要なのかも知れないですな.


コンソ族の木曜市Konso Thursday market

コンソ族の木曜市

コンソ族の木曜市

ガモレ村から少し離れた場所にコンソ族の木曜市があり歩いてみた.

写真は玉ねぎ売りの集まっているところだ.フリーマッケットではなく,当局がお客さんや売り手の利便性に鑑み場所割を決めているようだ.


水用黄色タンク

水用黄色タンク

エチオピアでは必需品の水用黄色タンク.前にも述べたがオイルタンクのリユース品であるが,手運搬にも,ロバ運搬にもちょうといいサイズと耐久性ということだ.


乾燥モリンガ

乾燥モリンガ

乾燥モリンガのお店だ.煎じてお茶のように飲んだり,調理に使うそうだ.


生モリンガ販売に訪れる人達

生モリンガ販売に訪れる人達

こちらは枝払いされたモリンガを市場で売りに来た人たち.これを買い上げた人は自宅で葉っぱを剥ぎ取り,そして乾燥や更に粉砕しパウダーとし,飲料や食用にするのであろう.

モリンガは温かい地方で育ち,日本では石垣島や宮古島などで栽培されているようだ.


コンソ族の木曜市衣料品売り場

衣料品売り場

古着を含めて雑多な衣類が販売されている.

うまく写ってないが,足踏みミシンでちょっとした仕立てをする商売も見られる.こうしたミシンを扱う仕事はなぜかすべからく男性の仕事だそうだ.どうしてでしょうね?


古タイヤリユースサンダル

古タイヤリユースサンダル

古タイヤリユースのサンダルが売られていた.ベトナムでホーチミンサンダルとして流通しているのと同じコンセプトで,リユースで環境劣化抑制,高耐久性,低価格....を旨としている.

ただし,添乗Iさんの経験では,普通の人には危険,数時間履くと怪我を負うということだ.まあ,見るからにそんな気がしますね.


これはタバコだったか

これはタバコだったか

この束ねた茶色い葉っぱはタバコだったかな~ただタバコを吸っている人はあまり見かけないので,タバコであれば噛みタバコかな.....


コルベタロッジでランチlunch at Korebta lodge

コルベタロッジでランチ

コルベタロッジ

コンソ族木曜市を後に私達はランチ目的で車で丘を上りコルベタロッジ(Korebta lodge)にやってきた.ロッジにはスケールは大きいがコンソ族スタイルの建物が並んでいた.


コルベタロッジからの眺め

コルベタロッジからの眺め

コルベタロッジ庭にはブーゲンビリアなど咲き,その先に谷や山を望む景観がなかなか見事だ.


コルベタロッジのランチ

コルベタロッジのランチ

ロッジのレストラン棟に入りランチを頂いた.写真はトマトサラダで普通に美味しかったと思う(私の常套句).ただ肝心のメインは写ってなかった.こういうことが増えてきた.PCならSSD増強とかで改善できそうだが,私の脳細胞では如何ともし難い,いや減る一方だ.


コンソ族の段々畑Konso terraced fields

コンソ族の段々畑

コンソ族の段々畑

ランチの後南下を継続した.その道すがら脇を眺めると起伏ある地形に段々畑が展開されている.ユネスコ世界遺産に登録されている『コンソの文化的景観』で前述のコンソ族ガモレ村の要塞化された集落と共に要点を成す段々畑だ.

先ず周辺に高い山などないので農業用水の供給はどうするのであろう?と思った.乾季は作付け以外の作業をするのか....何れにしてもこうした乾いた土地に耕作地を広げた意義が大きいのであろう.


進むと水の残る半ば枯川

進むと水の残る半ば枯川

少し進むと水の残る半ば枯川があった.かなり川幅があり,ほぼ枯れているが,少し残っている.川の脇には木が茂っている.木は正直だ.

ということで上の段々畑にも何らかの作用で幾らか水が供給されるのかな.....


コンソ族の小さな集落

コンソ族の小さな集落

川の先にコンソ族の小さな集落があった.コンソ族は南エチオピア最大部族で,アルバミンチ~ケニア国境にかけて農業可能な土地に暮らすという.ここではトウモロコシの茎が転がっているので,少なくともそうした作物は栽培しているのだ.なお農業以外に幾らかの家畜も飼っているようではある.


オモ渓谷側の段々畑

オモ渓谷側の段々畑

小さな集落の後も南下した.そして街道の右側(西側)にも段々畑が見えてきた.この区間も相当長いエリアが整備されている.


オモ渓谷方面展望Omo valley

池があった

池があった

さらに南下すると池が見えた.あるいは川の一部かも知れない.格好の水飲み場で,牛が中に入り,水を飲んでいる.


オモ渓谷を見下ろす

オモ渓谷を見下ろす

池から進むと右側(西側)にオモ渓谷(Omo valley)を見下ろす辺りに至る.渓谷そのものは写真左から1/4くらいのところにちらりと見えるだけだが,そこに下る周囲斜面の緑はよく茂り見事だ.


コブ牛が行く

コブ牛が行く

コブ牛が進んで行く.この辺りは草木が茂っているので,餌も多いのであろう.


4人乗りバイクも行く

4人乗りバイクも行く

4人乗りバイクも行く.ノーヘルメットだ.多分規制がないのでしょう.ベトナムとかよりさらに緩い感じだが,交通量が疎らなので規制がなくても大丈夫なのでしょう.


綿花畑とツェマイ族集落cotton and Tsamai people

綿花畑地帯になる

綿花畑地帯になる

そのうち綿花畑地帯になった.広い面積に綿花が栽培されている.なかなか雄大な眺めだ.中央アジアとかであれば夏の終り頃収穫期を迎えるが,はてここエチオピアではいつ頃かな.同じ北半球だからやはり8月頃であろうか.

ところでこの地方で綿花栽培を行うのはツェマイ族(Tsamai people)とのことだ.そしてこの後そのツェマイ族集落を訪ねることになった.


ツェマイ族集落

ツェマイ族集落

間もなくツェマイ族集落が見つかった.平坦地で水が十分得られるのであろう,入り口前の畑には豆類か何かの野菜が青々と茂っている.

その脇のアカシアには機織鳥(weaverbird)の巣がぶら下がっている.日本では見たことがない.まあ器用にぶら下げて作るものですね.玄関は上や横ではなく下向きに付いているようだ.


ツェマイ族の円筒藁葺き屋根家屋

ツェマイ族の円筒藁葺き屋根家屋

ツェマイ族の家屋もコンソ族のそれと似て円筒藁葺き屋根構造だ.屋根も一層タイプと二層タイプ両方見える.右の家はクリスチャンのようで頂点に十字架を掲げている.正教でしょう.

ただ円筒本体は土壁が塗られず,環状に立てられた木製柱群だけで,実に風通しの良い構造だ.またソリッドなドアでなく牛皮か何かの暖簾風な造りも見える.


家畜囲いのある住宅

家畜囲いのある住宅

ツェマイ族は半農半牧だが牧畜がメインで,比較的人口が少なく,あまり豊かではないそうだ.でもこちらの家々の庭は広く,結構豊かそうに見えるが....

こちらのお宅は家の庭でヤギを飼っており,周囲に家畜囲いを設けている.夕方になると外の草場に出掛けている牛も帰ってくるのではなかろうか,と想像.


住宅内部を見せてもらった

住宅内部を見せてもらった

こちらのお宅はしっかりした木戸があり,そこから見せてもらった.部屋は丸いワンルームで,床は土のままで一部なめしてないままの牛皮が置いてある.

円環状列柱に壁はないので,ほぼ何もないのと同程度の風通し,シースルー度だ.

天井にはトウモロコシや,茎に付けた状態で野菜の種子などが保存されていた.


ツェマイ族の高床式貯蔵庫

高床式貯蔵庫

これもコンソ族の貯蔵庫と同様,高床式に建てられ,乾燥性を確保している.

さらに庇先端を専用柱で支え,庇を長くし,雨が庫内に回り込む被害を少なくする対策も加えられている.上居住区のあっけらからんとしたシースルー性に比べてかなり気合を入れた構造だ.

さてこれでコンソ族とツェマイ族の生活の一端を見せてもらったので,次はトゥルミに向かう.