ラリベラLalibela
このラリベラ編では,2020年1月30日朝バハルダールからラリベラに飛び,洞窟のナクタラブ教会を見て,この日と翌日連泊のホテルにチェックインしランチ.午後第二グループ教会群を見物.ホテルに戻り夕食を頂き就寝.翌31日朝,最初第一グループ教会群,次いで聖ジョージ教会を見物,円筒形伝統建築を眺め,古い集落を散策し,コーヒーセレモニーを体験し,ホテルに戻り夕食,就寝.次の2月1日朝ラリベラの土曜市を訪ね,ラリベラでの全行程をするまでの写真を載せました.
ラリベラ付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Lalibela
1月30日朝バハルダール18からラリベラ19に飛び,ここで小型バスや徒歩で色々見物する.
別窓で大きなGoogleマップを開く12世紀後半~13世紀頃,ザグウェ朝は最盛期で,またエチオピアは熱心なキリスト教国家だった.そして誰しもが聖地エルサレム巡礼を望んでいたが,周辺はイスラム勢が固めており,実現は困難だった.
皇帝ラリベラ帝はロハという小村にミニチュアエルサレムを再現し,そこを巡礼地にしようと,ヨルダン川,オリーブ山,ゴルゴダの丘,それらに関連する聖堂や教会,さらにアララト山のモデルなど建設したそうだ.そしてそれまでの地名ロハをラリベラに改名したという.何でもラリベラ帝が異母兄に毒を盛られ,一旦天国を彷徨い,そこで聖地を幻視したのが発端だそうだ.生き返って良かったですね.
ラリベラに飛ぶfly to Lalibela
1月30日早朝バハルダール出発
1月30日早朝バハルダール空港に行き,エチオピア航空ET126便のチェックインを行う.ホテル出発が朝食には早過ぎたため,バハルダール空港のレストランで頂いた.
そしていつも通り二度手間の厄介なセキュリティチェックを受け,DHC-8-Q400に乗り込む.
タナ湖がよく見える
離陸し,窓を眺めると,昨日クルーズしたエリアがよく見える.下側濃い緑の辺りにバハルダール港が在り直ぐ上方に,少し突き出た半島がセギ半島だ.タナ湖の広さに比べればほんの僅かな距離だ.
直ぐに着陸態勢
バハルダール/ラリベラの距離は少なく,フライト時間は30分程度であろうか.そして高度を下げ始めるとランディングギアを出して,着陸体勢に入った.
下界は深い峡谷が刻まれた岩山ばかりで,緑地や畑は少なそうだ.
ラリベラに到着
予定通りラリベラに到着した.こちらもいい天気で幸いだ.
ナクタラブ教会Nakutelab cave church
ラリベラ空港からナクタラブ教会に向かう
小型バスでラリベラ空港からナクタラブ教会に向かった.道路は空いており,たまにロバやヤギが現れて,心和ませてくれる.いつも重労働なので,空身のロバを見るとホッとする.
坂を上る
ET126便から眺めたような岩山がちな坂を上っていく.ただこの辺りはある程度木もあるし,草も生えている.景色としてはなかなかいい.
自然の洞窟見える
車を降り,先方を覗くと,自然の洞窟が見える.そして洞窟には人造物も嵌め込まれている.ここが目指すナクタラブ教会(Nakutelab cave church)なのだ.
ナクタラブ教会に至る
少し歩きナクタラブ教会に至った.自然の横穴洞窟に,幾らか削るなど手を加え,壁や階段を組み入れた構造に見える.テグレの岩窟教会(アブレハアツベハ教会)はソリッドな岩山を横から削り取って外壁や部屋にした構造であったが,それに比べて自然の洞窟を用いたので建設は比較的容易であったと思われる.
本教会はザグウェ朝ラリベラ帝後継者,最後の皇帝ナクタラブ帝によって建立されたそうで,そのまま帝の名が冠せられたわけですね.
ナクタラブ教会の結婚式
ナクタラブ教会ではたまたま結婚式が執り行われていた.エチオピアンスタイルの歌舞入り聖歌などで賑やかだ.こうしたお祝い事については私たち見物人も暖かく迎い入れて,写真も全く問題ない.
(同じ教会別の場所で葬儀もあった.こちらは写真禁止)
花嫁花婿さん
こちらが花嫁花婿さん.どちらも冠をかぶるのですね.それ以外はシンプルな白と黒の衣装だ.ただ花嫁さんはモズレムのように髪を完全に覆ってますね.
脇の人が飾り傘というか,天蓋というか....まあそういったものを差し掛けている.
壁画のある部屋で聖水を付けてもらう
次に壁画のある部屋を見せてもらう.ここでは少しお坊さんの話を聴き,よく理解しないまま額に聖水を付けてもらった.聖水は単なるエビアンとかではなく,当自然洞窟の天井から滴り落ちる水滴を集めたもので只者ではないのだ.
壁画は普段カーテンで覆われた古い作品で,聖母子像やキリストの磔刑像といった内容だ.
伝えられたクロスや聖書
さらに次の間に伺った.ここではナクタラブ帝の時代から伝わるというクロスや聖書を別のお坊さんに見せてもらった.お坊さんは上の花婿さんと同じような冠を着けている.パラパラ捲って見せてもらった聖書は羊皮紙製で,開いたページは私にも解りやすい絵本のような画風の聖母子像だった.
信徒の方には病治癒のため等の理由で当教会を訪れる人も居られるようだ.実際一人の婦人がお坊さんと対話している場面が見られた.近所にクリニックなどないケースでは,教会はまだまだドクターの代わりの役目を果たしているそうである.上記天井から滴り落ちる聖水などは特に効能大と思われる.
チェックインしランチcheck in at a hotel and Lunch
丘を下る
ナクタラブ教会を後に,私たちはラリベラの街を目がけて丘を下った.この辺りは決して大きな木があるわけではないが,意外に緑が目立つ.
ロハホテルにチェックイン
ナクタラブ教会から下り,ラリベラの街に入るとロハホテルは直ぐだった.ロハはラリベラ帝が改称する前のここの地名だ.そして右側レセプションで直ぐチェックイン.
直ぐにランチ
チェックインすると,皆育ち盛りなので直ちに奥のレストランに足を運びランチにした.
そしてこれがそのランチ.ビーフに人参,細いパスタ,キャベツ....かな....
部屋で一休み
ランチを頂き部屋に入り一休みした.窓のある裏庭は建築資材置き場になっており,木材が乱雑に積まれている.聞けば,本ロハホテルは客の増大トレンドから2倍(いや3倍)の収容数に客室拡張工事中なのだそうだ.でも私たちが見る限り,それほど客室はいっぱいに見えないし,多分稼働率は極端に下がり倒産するのでは.....と勝手に話していた.
廊下側の庭
廊下側の庭はとても広く,ポインセチアが咲き,緑豊かだ.上記客室拡張はこの庭ではなく,隣の空き地で行われているので安心(?)だ.
少し離れているが街の様子
ロハホテルと少し離れているが,ラリベラの街の様子だ.通りに日用品や衣類の露店が並んでいる.つまりバハルダールやゴンダールといった都会に比べて,失礼ながらかなり片田舎町といった趣であろう.旅行者にとっては望ましい.
第二グループ教会群Second Group of Churches
私たち担当のシューキーパー
午後になり,私たちはチケットオフィスに立ち寄り,第二グループ教会群(東群)見物に出かけた.
IDカードを下げた写真の女性がシューキーパーとして同行してくれるという.教会に立ち入る際は必ず靴を脱ぐのだが,いろいろな参拝者や見物客の履物がゴチャ混ぜになりやすい.彼女はグループの靴を教会を出て再び履き終えるまで見守り,また履くスペースのある場所に移してくれる.ありがとうございます.
教会群とラリベラの街を見下ろす丘
最初丘に上った.ここからは教会を覆う保護屋根や教会の部分,それにラリベラの街を見下ろすことができる.周囲は岩山なのにラリベラの街は大きな木が茂っているのが印象的だ.
ヨルダン川
ページ冒頭に,ラリベラ帝はミニチュアエルサレムを再現し,そこを巡礼地にするというアイデアを実行した旨記した.その一つはイエスが洗礼を受けたヨルダン川の再現で,写真はその一部,または支流であったか....記憶違いで,現在乾季なので枯れていたかも知れない.....
ガブリエル=ラファエル聖堂(Biete Gabriel-Rufael)
ガブリエル=ラファエル聖堂を含めてラリベラの聖堂,教会は全て,テグレのウクロキルコス教会と同じように外壁は縦穴式に掘り込まれ,建物内部は彫られた壁の側面から壁や柱,天井を残し,削り取るという工法で作られている.その結果はモノリシック構造となるわけだ.
ガブリエル聖堂とラファエル聖堂は連なり,一体的に建設されている.写真はそのバルコニーで,洗礼盤,若しくは貯水槽と思しき丸い窪みのある底まではかなり深い.私は怖いのであまり縁までは行かなかった(この写真の対岸撮影位置からは底まで見える).
ガブリエル=ラファエル聖堂はアクスム王国衰退期の7世紀ころ,当初要塞や王宮として建設され,12~13世紀頃ザグウェ朝時代に聖堂に転換されたようである.
なお聖ガブリエルは「受胎告知」等神のメッセンジャーとして知られる大天使,聖ラファエルはユダヤ教に由来するキリスト教3大天使の一人.薬剤師で盲人,病人,精神障害,旅人の守護者.魚や杖を持っている絵が多い.
ガブリエル=ラファエル聖堂の壁画
ガブリエル=ラファエル聖堂は他所と同じように,壁画やイコンが多数掲げられている.
この写真で右は聖母子像,左は多分聖ラファエル像ではなかろうか.
ベツレヘム聖堂(Biete Bethlehem)の大きなキッチン跡
ここに居住する聖職者,また訪れる巡礼者のためのパン焼窯など備えたキッチンだったと言われるようだ.ベツレヘムの名を冠しているので,さらに他の意味合いを含んでいるのでしょうか.
地獄の闇のトンネル
ベツレヘム聖堂の後は地獄の闇のトンネルに入る.このトンネルは完全に光が入らず,真っ暗闇で,手伝いで歩く.写真がその出口で光溢れる世界に戻った.最後の審判で地獄に落ちる前にその恐ろしさを体験してみようという場なのだ.
実は四国遍路で少し似た体験がある.善通寺宿坊朝の勤行で,約100mの真っ暗な回廊を宝号を唱えながら巡る『戒壇めぐり』という所作を行った.ただ真っ暗闇は地獄ではなく,心身を清めお大師さまと結縁する道ということだった.
メルクリオス聖堂(Biete Qeddus Mercoreus)
教会群の中で2番目に大きいというメルクリオス聖堂(Biete Qeddus Mercoreus).足首用の足かせが見つかったため当初監獄として作られ,後に聖堂に転換されたのではないかとされるそうだ.
メルクリオス聖堂の古い壁画
メルクリオス聖堂には古い壁画が残されている.写真は不鮮明だが東方の三博士(三賢人)で,イエス誕生と聞きおよび,それぞれ没薬,黄金,乳香を携えてベツレヘムに参上した様子であろう.
三博士の中の一人はエチオピア人だったとの説があるようだが,エチオピアがエルサレムの東方に相当するか.....若干疑問も感じるが,まあそうした地理的な東方でなく,学術が東で進展していたためかな....
エマヌエル聖堂(Biete Amanuel)
四方完全に掘り込まれた岩窟モノリシック聖堂.アクスム王国時代に作られたそうで,王室専用礼拝堂だったようだ.確かに窓の模様,特に4角に突き出た突起などは巨大オベリスクのレリーフそっくりですね.
外壁に縦横ストライプ状模様が施され,他とは違う凝った外観となっている.
なお上部が半円形,その下にくびれがあり,さらに四角形から成る,何というかコケシのような窓デザインは,上述のとても古いと言われるガブリエル=ラファエル聖堂からず~っと受け継がれてますね.
エマヌエル聖堂内部構造
アーチ型天井,4角突起の窓型レリーフ,廊下のビーディング模様....内部も凝ったデザインが施されている.
エマヌエル聖堂内部
額縁に収められたキリスト磔刑像などあり,お坊さんがカーテンを開けて見せてくれる.ひっきりなしに参拝者や観光客があるので,殆ど開けたままではあろうが.
それにしてもお坊さんのクロスは大きいですね.
リバノス聖堂(Biete Abba Libanos)
こちらもアクスム王国時代に建てられたそうだ.外壁に横方向ストライプはないがエマヌエル聖堂似たイメージだ.屋根部分の岩石は削り取らず,自然のままの岩を屋根としている.
壁に亀裂が見えるが,外力で構造体に入ったのであろうか.だとすると進行しないようにくい止めたい.もちろん当局が対策しているであろう.
リバノス聖堂内部構造
壁にクラックがあるように見えたが,内部は傷みがなく,石の表面はつるつるだ.外側は一見大きく見えるが,内部は狭い造りだ.
伝説によれば,ラリベラの妻メスケルケブラ(Meskel Kebra)が天使の助けを借りて,一晩で建設したそうである.秀吉の一夜城みたいなものでしょうか.
夕食dinner
織物店を通りホテルに
第二グループ教会群見物を終えると車でホテルに引き上げた.途中織物を実演し,販売するお店を覗いてみた.一つおきの縦糸を上下させながら,シャトルを左右に走らせる一般的な編み方だ.鮮やかな色合が美しい.
ホテルレストランに到着
ホテルレストランに到着した.さてこの日は何を食べたかな~
食べると部屋に戻り,確か出の悪いシャワーを浴びたと思う.
明日は第一グループ教会群(北群),それに聖ジョージ教会だ.お休みなさい.
第一グループ教会群First Group of Churches
ロハホテルで一夜明けて,1月31日になった.いや~月日が経つのは速くなった.ホテルを出ると,第一グループ教会群見物の前に,チケットオフィスの横にある博物館に寄った.博物館は各種聖具や古い聖書などいろいろあった筈だが,写真禁止なのでなかなか思い出せない.忘却も速くなった.
マドハネ・アレム聖堂(Biete Medhane Alem)
この際の観光は第一グループ教会群(北群)のマドハネ・アレム聖堂(Biete Medhane Alem)からだ.岩窟教会群の中でも最大の聖堂で,風雨から保護のため大きな屋根で覆われている.
本聖堂は900年~1270年ころ栄えたザグエ王朝ラリベラ帝の建立で,まあラリベラ岩窟教会群建設の張本人の建立ということになろう.
今立っていいる岩の上から眺め下ろすと,マドハネ・アレム聖堂の周囲がとても深くえぐり落とされている様子がくっきりと見える.
マドハネ・アレム聖堂外壁
そして周囲がなくなると,外周から回廊の列柱の切り出し,本体壁の削り出し,室内空間の削り出し....と進んでいったのでしょうか.回廊部と室内の削り出しは同時でも構わないですね.
コケシ型窓や入り口のデザインはほぼ他と同じで,十字架窓四角の突起は多少数や位置に差があろうか.壁の横方向に走るビードは,凹面なら楽だが凸面なので,加工量が多く大変だ.その点4角突起も同じように大変だ.
マドハネ・アレム聖堂内部
マドハネ・アレム聖堂内部では聖書を手にお祈りする姿があった.装束からすると司祭ではなく巡礼者でしょうか.
なおBiete Medhane Alemとは世界の救世者の館 (House of the Saviour of the World)の意だそうだが,つまりイエスキリストと解釈していいのでしょうか.
マリアム聖堂(Biete Maryam)
聖母マリアのお堂の意味だそうで,やはりマドハネ・アレム聖堂同様ザグウェ王朝ラリベラ帝治世中に建てられたとみられているようだ.
前に張り出した2連コケシ型入り口や,いろいろな形のクロス窓が特徴的だ.マドハネ・アレム聖堂の屋根は自然のままだったが,マリアム聖堂屋根はきれいな山形に削り取られている.
壁には鉤十字もあるが,ナチスのそれは45度回転しており,ここのは真っ直ぐなので異なるそうだ.これはキリストの愛があらゆる方向に出ることを示す古代キリスト教のシンボルということだ.
マリアム聖堂内部
柱や壁,天井にレリーフが彫られ,彩色も施されている.
カトリックと同じようにエチオピア正教でも聖母マリアは強く信仰されているようで,これまで至るところでイコンや壁画を見てきた.
マスカル聖堂(Biete Meskel)
十字架のお堂の意だそうだ.そして上同様ザグウェ王朝ラリベラ帝によって建てられたようだ.
このお堂は上記マリアム聖堂とバカに良く似た形態のように思った.
別アングルからのマスカル聖堂
やはり傷みが激しいのか屋根が掛けられている.
このアングルから見てもやはりマリアム聖堂と似ているような.....
マスカル聖堂内部
マスカル聖堂の礼拝室には岩壁に二体の聖人像(多分)レリーフが彫られていた.岩壁全体や像本体は荒削りだが,お顔だけはきれいになっている.
右端の礼拝者は床に臥してお祈りで,一般的クリスチャンスタイルではなく,珍しく思えた.なおここだけでなくエチオピアでは他の教会でも見かけた.
マリアム聖堂とマドハネ・アレム聖堂間の壁
マリアム聖堂とマドハネ・アレム聖堂間には壁がある.
壁ではあるが内側は回廊のようになっており,往来できるのかな.
ゴルゴダ=ミカエル聖堂(Biete Golgotha Mikael)
ゴルゴダ=ミカエル聖堂(Biete Golgotha Mikael)は2つの聖堂が繋がったタイプだ.前日眺めたガブリエル=ラファエル聖堂と同じ形式だ.最初ミカエル聖堂に入り,ゴルゴダ聖堂から抜ける.
ここは女人禁制だったかな.
ゴルゴタ聖堂には,壁に12使徒の実物大像があったようだが,よく思い出せない.
聖ジョージ教会st. George church
聖ジョージ教会上面
聖ジョージ教会(聖ギオルギス教会)は第一グループ教会群(北群),第二グループ教会群(東群)にも属さず,あえて言えば西群になるという.この写真は岩窟教会を有名にした正十字状屋根と同一平面から撮ったショットだ.
これまで見てきた教会同様,ラリベラ帝の建立指示で始まったが,これが最後で後継者時代に完工したようだ.縦堀りで十字の外側を掘り出して,十字形外形を形成し,次に側面から内部に削り進んで部屋を作ったことになる.岩は火山凝灰岩ということだ.
上から下まで同じ形,サイズの十字形であるから工事は比較的やり易かったのではなかろうか.
聖ジョージ教会サイドビュー
横斜め上から見ると4階建てのような床板的ビードが見える.実際は不明だ.この穴の底までは坂とトンネルで降りることができる.しかし教会内部に立ち入ることはできなかったのか.....写真がない(単に忘れただけか).
底の一画には盛り土があり,アララット山に見立てられているそうだ.ならばノアの方舟の破片もあろうかと見渡したが....何もなかった.
そして,もちろん私たちは見ることができないが,十戒アークのレプリカ,タボットはここにも収められているそうだ.
寄進者でしょうか
穴は縦横25m x 深さ30mで,建物(十字)は縦横12m x 高さ13m(他に階段状土台あり)であるそうだ.
その穴の底では穀類か豆類を選り分けている人が居た.これをお坊さんに寄進するため準備しているのでしょうか.
ミイラになった人
穴の側面には幾つか横穴があり,お坊さんやメンテナンス担当者が寝泊まりしている.
そして中には仏教で言えば即身成仏のように亡くなった人のミイラの入った横穴もある.巡礼者だったそうだ.
伝統建築Vernacular architecture
ラリベラの伝統建築
ラリベラ岩窟教会の近くには円筒石造り藁屋根葺きの住宅が結構多く見られる.南部少数部族の円筒住宅と比べると,しっかりした石造りで2階建てが多い.
やはり南部では暑いので,より通気性が重視され,また部族によっては遊牧なので分解/組み立て/可搬性がポイントとなるが,この辺りは寒いのでしっかりした構造が求められるのであろう.それと岩窟教会群建設のときの石工技術や,工事で出た廃材(石片)の有効利用といったバックグラウンドがあったのかも知れない.
私は現物を見たことがないが,写真でだがイタリア南部で似たような家があったように思う.
ラリベラの伝統建築階段
二階建ての一階部分は家畜小屋や倉庫,二階が居住空間になっていることが多いそうだ.
二階に上がるには,この写真のような螺旋階段や,直行階段あるいは梯子が使われるようだ.
ただこの伝統建築も工事が大変,屋根のメンテナンスも手がかかりそうで,どんどん減ってきているようだ.
古い集落old town of Lalibela
食事の準備
ラリベラはそれなりに大きな村であるが,昔からあったという古い集落を訪ねた.
道は曲がりくねった路地状で,そこでいろいろな家事が行われている.
こちらのお宅では調理など食事の準備中である.
穀物の乾燥
こちらのお宅では穀物や唐辛子の乾燥を行っている.自宅前の道路は自分の庭として使用して構わないという暗黙の取り決めがあるのでしょう.
時々授乳しながら粉挽き
お母さんは臼に穀類を入れ,杵を降ろし,製粉作業だ.赤ちゃんが泣き出すとおっぱいをやり,なだめる.忙しいです.
集落の子
南部と違って,やたら寄ってきて,フォト,マネーマネーとか言われないので普通に落ち着いて歩ける.
路地は窪みもありますね.そして伝統建築も少し残っている.
四角い家が多い
この集落では四角い家が多い.木材に土壁,さらにその上に漆喰を塗った構造が多いか.屋根は大方トタン葺きだ.
村の鍛冶屋さん
道端の簡単な炭炉で営業している.暇な人が立ち寄り,多分四方山話を交わしているようだ.いい光景だ.
コーヒーセレモニーcoffee ceremony
古アビシニアレストラン
私たちはコーヒーセレモニーを体験するため古アビシニアレストランを訪れた.アビシニアとは昔欧州人がエチオピアの呼称に用いた名だという.
生豆を選別から焙煎まで
黄色い洋服の女性が私たちの人数分生豆量を皿に入れ,念入りに不良粒を弾く.
一方小さなかまどに火を起こし,焙煎準備しておく.
選別された生豆は,フランパンに入れ,火に掛け,焙煎する.焙煎結果好ましくない粒があればそれを取り除く.
空になったフランパンにはトウモロコシを入れ,火に掛け,弾けさせお茶受けのポップコーンを作り,出してくれる.
豆挽き
煎った豆を小さな木臼に入れる.一方水を入れた陶器ポットを火にかける.
木臼の豆に,杵を真上から振り下ろし,砕く(左写真).これを細かくなるまで繰り返す.この際臼の外に砕けたコーヒー豆が飛び散るのをいかに防止するかがワザだと思う.普通に考えて,飛び散らない方が不思議だ.左手で臼の縁を支えて飛び散りを抑えると共に,臼縁に載った粉は中に戻す.何れにしても全工程中この豆挽きが最も大変な作業と見た.
ポットに粉投入からカップに淹れるまで
適度な湯温度になっているであろう陶器ポットにコーヒー粉を注ぎ口から投入する.よく見てもポットに蓋はないようだ.不思議だ.そこで唯一の開口部注ぎ口がら無理やり入れるのだ(右写真).
コーヒー粉の入ったポットは再び火に掛けられ,確か沸騰させ,しばらく継続.その後火から降ろし,湯の中を漂っているコーヒー粉が沈殿するのを待つ.
そして沈殿したであろう頃合いを見て,カップに注ぎ,一番茶,いや一番コーヒーとして頂戴する.これは美味しい.
一番コーヒーを注いだ後,ポットに水を注ぎ,また火にかけて二番目のコーヒーができる.これは少し味が落ちる.
さらに二番コーヒーの後,同じことを繰り返し三番コーヒーができる.だがさすがに三番コーヒーは美味しくない.だがこれはセレモニーで,それなりの奥深い味わい方があるのであろう.とにかくごちそうさまでした.
コーヒーセレモニーの後ホテルに戻り,夕食を頂いた.このようにして1月31日は暮れていった.明日からは2月か~
ラリベラの土曜市Lalibela Saturday Market
ホテル庭に集まる小鳥
さて明けて早2月1日になった.ロハホテルレストランで朝食のため部屋を出て,庭を見ると.餌台の上にはたくさんの青い鳥が集まっていた.今日は何か幸せが待っているのかな....
補講で登校の生徒の皆さん
この日はラリベラ土曜市開催日で,見物に出かけた.少し行くと,高校生であろうか,校門前に大勢集まっている.開門を待っているのだ.普通土曜日は休みなのだが,先だってのティムカット祭で講義が潰れた分を取り戻す補講があるのだそうだ.ティムカット祭と言えば,日本の正月元旦くらいの休みだと思っていたが....違うんだなあそれが...そうです,イスラム始め異教徒も結構多いですし...と私なりに理解した.
ラリベラの土曜市に集まる
私たちは車を降り,ラリベラの土曜市に歩いた.続々と取引のお客さんが集まってくる.特に牛やヤギを連れた人もいて迫力だ.ここは家畜市場もあるのですね.
この辺りが家畜市場
どうやらこの辺りが家畜市場のようで,ヤギと牛が集まってきた.
ところで家畜市場はあるが,これまで何箇所かの市場を見物してきた限り,精肉市場はなかったですね.ちょっと不思議だ.中央アジアや東南アジアには家畜市場もあるが精肉市場もあるところが多いように思うが.....やはりまだ安全性が保証できないからであろうか.
穀類市場
麦や雑穀類の取引市場であろう.きっとインジュラの材料テフも扱っているであろう.
穀類は多分定量消費商品であるから,それなりの商売作法があるのでしょうね,きっと.
久しぶりに見たモリンガ
多分他でもあったのであろうが気付かなかったモリンガに久しぶりに出合った.コンソ族の村やそこの木曜市以来のように思う.
コンソ族木曜市ではもっと細かく刻んだ乾燥葉タイプが主流だったように思うが,ここでは一枚一枚葉タイプが多いようだ.
白い礼拝服
女性が礼拝で教会に出かけるときや,結婚式などオフィシャルな会合で着用する白い服だ.需要が多いのであろう,数軒軒を並べている.
改めて思い起こすが,ガリラヤ湖でこうした白装束の一団に出会ったときのインパクトは強く,以来エチオピアにはぜひ一度行かねば....と思うに至ったのだ.
私たちは引き上げ,ヤギは続々と来る
私たちはあくまで冷やかし客なので迷惑掛けぬよう早々に引き上げる.取引の人はこれからが本格取引時間で,ヤギを引き連れ続々と集まってくる.大きな市場だ.
次に向かうためラリベラ空港に行く
私たちは次,アジスアベバに向かうためラリベラ空港に行った.
ここでアジスアベバ行きフライトを待ち,少し飛べば着く筈だ.