アハメッドエラAhmed Ela
このアハメッドエラ編では,2020年1月21日お昼頃ダナキル低地にあるアハメッドエラに到着,ランチの後塩の採掘場,塩の奇岩群,ダロール火山,硫黄泉,小さな温泉,アサレ塩湖を順次訪れ,アハメッドエラ村に戻りテントで宿泊.翌1月22日朝,アハメッドエラの村を改めて見物し,朝食を頂いて次のエルタアレ火山へと向かうときの写真を載せました.
アハメッドエラ付近のGoogleマップ(静止マップ)map around AhmedEla
この訪れるアハメッドエラ周辺マップ(エルタアレ12は次の日訪問).大まかな目安程度.
別窓で大きなGoogleマップを開くアハメッドエラに到着arrive at Ahmed Ela
ダナキル低地に入っていく
バラハル村を出て,車はどんどんダナキル低地(Danakil Depression)もしくはダナキル砂漠(Danakil Desert)に入っていく.低地と砂漠のエリアが一緒なのかどうか理解してないが,概ね同じではなかろうか.
このエリアもまたオモ川下流域と同じように人類のゆりかごと呼ばれ,首都の国立博物館で見てきた318万年前の有名なアウストラロピテクスの化石ルーシー が1974年発見されている.
ダナキル低地は地球上で最も低い場所の1つで,年間平均気温がこれまた地球上で最も暑い場所という.そして年間を通じて殆ど雨が降らないという.添乗Iさんの長い年数に渡る経験でもその通りと言うことだ.
アハメッドエラ村に到着
私達の車はアハメッドエラに到着した.カシオで見ると標高-65mだった.しかし全然暑くはない,適温だ.贅沢を言えば,拍子抜けか.
村にはアファール族(ここではイスラム教徒が多いそうだ)が住み,塩採掘の権利を有し,実際採掘を行っているようだ.ただし,他所からの出稼ぎ労働者もこの採掘作業に加わっているようだ.
村の住宅はほぼ全て,午前中バラハル村で見てきたのと同じ流木ハウスだ.この辺りは完全な砂漠で,通過してきたバラハル村以上に木はないのだ.しかし大きな枯川はあり,雨季の豪雨が流木を運んでくれるのでしょう.
アハメッドエラとはアハメッドの井戸の意だという.アハメッドエラ村は塩切り出しや搬出の基地であり,井戸はその要であったであろう.それと観光も結構大事な産業となっているようだ.
ローカルスタッフと合流
写真のシェフ,そのアシスタント(実の妹さん),銃携行ガード,ガイドなどローカルスタッフと合流.どうぞよろしく願います.
過去では2007年,5人のヨーロッパ人観光客と13人(多いですね)エチオピア人護衛が,革命的連合民主戦線によって誘拐された事件があったそうだ.2週間後に釈放されたそうだが.
この日のランチ
早速この日のランチを用意してもらい頂戴した.多分すぐ近くに八百屋さんや肉屋さんがあるかどうか....定かでないが材料の調達からして簡単ではないだろう.写真を見ると肉類はスパムとかであったか.
テントサイトのキッチン
テントは上レストランやキッチンのある建物の庭に設営された.建物は流木建築のスカスカスタイプだ.そしてキッチンを覗いてみた.水や電気などいろいろ制限があるが,頑張って調理している.
村に電気は来てないのでジェネレーターを備えている.ありがたいことに冷蔵庫もあり,ビールは十分冷たくしてくれる.またスマホやカメラの充電用差込口も提供され,ありがたい.夕方から庭に照明も灯り,9時に消灯だ.手洗いもあるのでヘッドランプを傍らに置くのは山のキャンプと同じだ.
アハメッドエラ村の流木ハウス
アハメッドエラ村は上述通り流木ハウスが多い.
地面はゴロゴロ石,それにゴミが散乱している.でも子どもたちは元気に駆け回っている.なお直接見たわけではないが,少なくとも小学校はあるようだ.
アハメッドエラのモスク
上述のように住民はアファール族イスラム教徒が多いそうで,コンパクトではあるがモスクが建てられている.月に星がイスラム色グリーンで描かれている.
枯川で休憩中のラクダ
アハメッドエラの片側にはとても大きな枯川がある.流木もあろう雨季の豪流を想像すると,現在のカラッカラとの落差が大き過ぎる.豪流も見てみたい気がする.
その枯川の河床には鞍も着けず身体を落としたラクダがリラックスしている.暫く仕事がなく休暇中のようだ.
塩の採掘場salt Mining
アハメッドエラから塩の原へ
アハメッドエラからランクルで塩の原へ出かけた.塩の原と言っても真っ白なNaClだけではなく,茶色い土砂が混じっている.
亀甲模様の塩原と切り出されて塩塊
塩原は亀甲,或いはハニカムパターンで区切られた模様になっている.結晶の成長と関係するのかどうか理由は解らないが,こうした模様はウユニ塩湖などでも同様に見られる.
奥に積まれたブロックは切り出されて塩塊で,これからラクダやロバに積まれて運び出されるのを待っている商品だ.見ての通り,塩塊は真っ白ではなく,砂と塩の層が交互に重なっているためだ.
ところで塩の運び出しはアファール族ではなく,クリスチャンであるティグレ族(Tigre people)の仕事と決まっているのだそうだ.互いにwinwinの協定を築いたのでしょうか.なお人口の7%を占め.これはオロモ人,アムハラ人に次ぐ第3位で,メケレのページ で記したように,1991年にティグレ人民解放戦線が社会主義軍事政権を倒して以来実権を握り,オロモ出身首相が就任するまで長くティグレ人政権が続いたようだ.
塩塊の採掘
この日は例外的に涼しい,普通この辺りの真っ昼間は灼熱地獄なので,採掘は朝夕の気温が下がった時刻に行われるそうだ.
採掘は先ず地表からタガネで四角く溝を掘り,その後所定の深さの側面にタガネを入れ,そしてブロック状になった塩塊を掘り起こしているように見える(ちょっと正確ではないかも知れない).
掘り起こされた塊は不揃いなので,土砂の多い面を削り落とし,40cmX30cmの標準サイズに整形する.これでおよそ6.5kgとなるそうだ.ラクダは最高30枚(200kg),ロバは15枚(100kg)載せて運ぶということだ.
ガード,ガイドの皆さん総出で撮影許可願い
上の写真は撮影許可をもらった後に撮ったものだ.最初暫く撮影料を支払ってもダメということだった.
そこでこのボディガードの青年が水を差し入れ,金額を交渉し,ガイドFさんと添乗Iさん,ローカルガイドさん総出で撮影許可を取ってくれた.ボディガードはそういった仕事もしてくれるのですね.どうもすみません.
ローカルガイドとボディガードの青年
右がローカルガイド,左が銃携行ガードの青年.二人ともアハメッドエラ在住のアファール族でしょうか.
塩の奇岩群strangely Shaped Salt
鋭く硬い塩の結晶
塩塊採掘を後に塩の奇岩が立ち並ぶエリアに行った.
塩や他の岩石が堆積したり,侵食されたりしてこうした荒々しい地面や,塔や丘状形態が造られたのであろうか.カッパドキアと似ているが,そこの岩と比べてカチンカチンなように見える.
白い部分はNaClの結晶であるが,エッジは鋭く硬い.石器時代であれば,石器として活用できたのではと感じた.で,硬さを見てみると石膏より少し硬い程度だそうで,ちょっと石器には不足なようだ.融点は800℃と結構高いようだが.
キノコ状柱
上部が風化されにくい層で,その下は風化され易く,しかも上部にあった塩分が滴り落ちて,鍾乳石のようになったものであろうか.荒々しい光景だ.
ダロール火山Dallol Volcano
ダロール火山
奇岩エリアからダロール火山に車で移動した.
火山と言うので,当然「山」なのかと思いきや,ダナキル低地の普通の面とさして違わない.わずかに盛り上がったところから火山ガスが噴出し,またそこから舞い上がった成分,例えば色合いなどからすると硫黄などが地面に付着している.実際火口は-45mほどで,世界一低い噴火口ということだ.
近年では1926年に起きた水蒸気噴火によりダロル火山が形成され,その付近に塩干潟や噴火クレーター跡が点在している.
ガスマスクを携行
火山ガスには強い有害成分が含まれることがあり,急な発生に備えて個人個人支給されたガスマスクを持って歩いた.
臭うことはしばしばあるが,特段問題なく,はてガスマスクを装着するとどんな人相になるか試してみる.映画の銀行強盗にしてはちと軟弱そうに見える.
極彩色のダロール火山
塩(NaCl)でしょうか白い壁の段々池が形成され,pH1未満という強酸性の池ができている.また赤い部分は酸化鉄(FeOやFe3O2など),黄色い部分は硫黄が多いようだ.
段々池は黄龍やパムッカレなどにも見られ,また規模も大きいが,ダロールは色鮮やかな点でインパクトがある.
ダロール火山のいろいろな風景
ダロール火山を歩いていると以下のようないろいろな景観が楽しめる.
硫黄泉a sulfur spring
硫黄泉は強い毒性
ダロール火山の後,硫黄泉があった.流れ込む川はないので下から湧き上がるのであろう.見たところ普通の水のように見えるが,硫黄分を含む硫黄泉なのだそうだ.温泉でも硫黄泉があるが,ここは硫化水素(H2S)の形で含まれ,猛毒ということだ.添乗Iさんは以前この水を飲んで死亡した鳥を見たことがあるそうだ.
岸は塩の結晶か
硫黄泉の岸辺にはキノコ型,もしくはテーブル型の岩が堆積している.塩の結晶に酸化鉄が付着した色であろうか.
小さな温泉a smal spring
塩の原に温泉あり
塩の原を進むと,少し人だかりがあり,どうやら温泉があるらしい.車を降り覗いてみる.
適度に暖かな湯
近づいて見ると何人かが足湯を,一人の男性は全身浴を楽しんでいた.手を入れてみると,ちょっと温めで,適度に暖かな湯だった.多分舐めてみれば多少塩気があるのではなかろうか.
アサレ塩湖Lake Assale
アサレ塩湖は半ば干上がり
夕刻になり夕陽を眺めるためアサレ塩湖にやって来た.ウユニ塩湖とかチャカ塩湖のように真っ白かと思っていたが,かなり土砂が多く白くない.それと半ば干上がり状態である.ただ泥濘ではないので足が取られる心配はない.
夕陽はなく,むしろたまに小雨がパラつくことがあった.
そしてテントサイトに戻り,流木レストランで夕食を頂いた.冷えたビールも出してもらった.ごちそうさまでした.
ところでこの晩は強風が吹き荒れ,テントがバシャバシャ揺れて騒音がすごかった.間もなく寝てしまったが.
ところでテント列の先にトイレテントが立てられたが,このトイレがすごい!なんと水洗ポータブル式なのです.初めて見ました.ただ強風に煽られ困った.トイレどころか何もなく,岩陰,岩もなければ砂原の上とかの場合もありますので....昨年のチャドはそうだった.
アハメッドエラの翌朝next morning at Ahmed Ela
アハメッドエラの井戸
さてアハメッドエラのテントで朝が来て1月22日になった.私達は日の出前に,多分枯川でティグレ族の塩運びキャラバンが一夜明かし,前日眺めた塩採掘場に向かうであろう場面を眺めにいった.どの場所で休み,何時頃出発するかガイドFさんや添乗Iさんは心得ていて,それに合わす.
最初アハメッドエラ(アハメッドの井戸)の元になった水場の井戸を見た.井戸のポンプはロックされていた.まあ,これがアハメッドエラの命綱であろうから当然でしょうね.
果たして塩のキャラバンは見つかる
夜が明けてきて,読み通り塩のキャラバンは見つかった.ラクダとロバの混成部隊だ.御者の皆さんは河床に座り食事を始めた.
テントサイトに戻り出発準備
私達は一旦テントサイトに戻り出発準備に入った.先ずテントから荷物を取り出す.テントは十分大きなサイズで,中には簡易ベッドも置かれていた.ゴージャスです.また滅多に雨が降らず,暑い地方なのでもちろんフライシートはなく,メインのテント壁一部はネットのみになっている.ネット部の蓋はない.やはりこの地に合わせた造りになってます.
河原に歩いてみる
テントから河原は直ぐそこで,歩いてみた.すると先程の塩キャラバン隊が,ロバを先頭,ラクダを後ろにして塩採掘場方向に河床を歩いていった.今日も暑くならなければいいですね.
流木レストランで朝食
流木レストランに集い,野菜サラダ,スクランブルエッグ,トースト,フルーツの朝食を頂く.美味しかった.
アハメッドエラの子らが集まる
私達がアハメッドエラ村を見て回ったが,反対にここの子らも私達が珍しいようで集まってきた.ペンとか何か欲しいのかも知れない.でもごめん....
傍らには屋外ベッドが置かれている.普通強風でもなければここで寝るのも快適であろう.多分ランクルドライバーさんはそうしたのではなかろうか.
水を運び戻る少年
少年は黄色いポリタンクをこのロバの背に載せ,流木レストランのキッチンに運び入れ,そして今戻っていくところだ.
鞍はドラム缶を2つに割り,ヒンジで繋いだもので,エチオピアでは普遍的に使われている.水タンク2つを運ぶのにぴったりなのだ.
次のエルタアレ火山に向けて出発
テントを撤収し,荷物をまとめ,車に積み込んだ.
そして次のエルタアレ火山に向けて出発した.