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エルタアレ火山Erta Ale

このエルタアレ火山編では,2020年1月22日朝,4WDでアハメッドエラを出発し,イラプティ村に来てランチと散策,その後エルタアレ火山ベースキャンプに至り夕食を頂く.次いで身支度しエルタアレ火山に登頂,そこで半野営の準備整え,夜の火口を眺めに行く,そして山頂に戻り,宿泊.翌1月23日エルタアレの未明に再度火口を覗きに火口縁を半周する.そして軽い朝食を摂り,小雨の中をベースキャンプに下山,そしてBCを撤収し,近くのアファール家族を訪問したときの写真を載せました.

エルタアレ火山付近のGoogleマップ(静止マップ)map around ErtaAle

エルタアレ火山付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

右写真は前アハメッドエラのページと同じで,この日はアハメッドエラ9からエルタアレ火山12に行き,山頂で一泊後下る.

別窓で大きなGoogleマップを開く

イラプティ村へgo to Erebti

大地溝帯らしい景観

大地溝帯らしい景観

アハメッドエラを出発した私達の車は舗装道を順調に進んだ.途中停車し大地溝帯(Great Rift Valley)らしいという景色を眺めた.多分山と谷が複数並列する景観が大地溝帯らしいのではなかろうか.


イラプティ村へ

石造りの家が並ぶ村

これまで見てきた地方の集落では木材や流木で組んだ住宅が多かった.それがここでは切り出した石ブロックを積み,トタン屋根にした住宅が多く見える.石加工技術があるのであろう.


塩運びロバのキャラバンが行く

塩運びロバのキャラバンが行く

多数のロバが塩ブロックを載せて街道を進んで行く.きっとアハメッドエラの塩採掘場で切り出されたブロックで,この先で道を折れメケレまで運ばれるとのことだ.

メケレの卸し業者は市場で,家畜用などにはこのまま,食用には砂を取り除き白い塩部分だけにして販売するのか....な.

なおこの街道は真っ直ぐそのまま行くとジブチに入るという.


一休み

一休み

広場というか荒れ地というか,そうした場所で休憩.アカシアの奥にあるのはドラゴンツリー(竜血樹)かな~という話があったが,ちょっと遠くてはっきりしない.

手前右は普通のアロエ,左はサボテンの一種かな.


トレーラーの横転

トレーラーの横転

街道は概ねいい道だが,結構カーブもある.そして2連結大型トレーラーもよく走っているのだが,積載荷重が大きいためか,曲がり切れずに横転した車両があった.崖の直ぐ脇でなくてまだ幸いだった.


イラプティ村に到着

イラプティ村に到着

街道の両側に質素なお店やレストランの並ぶイラプティ(Erebti)村に到着した.

道から引っ込んだところにモスクも見える.キリスト教会は....見当たらない.ただ近くで停まっていた救急車は赤十字を付けていた.

道行く人は圧倒的に男性が多く,その殆どが巻きスカートを着用しているのが目立つ.


イラプティ村チャットのお店

チャットのお店

チャットのお店が2,3軒営業していた.チャットの相場は100ブル(400円くらい)/1束だそうである.安いように感じるが,現地での他物価比ではそうでもないのであろう.

なおチャットは普通合法であるが,運転するときは違法という.つまりビールなど酒類と同じ扱いということであろう.


ランチのレストラン

ランチのレストラン

スノコの壁にプラスチックのテーブル/チェアという庶民的なレストランだ.

メリークリスマスの垂れ幕を掲げたクリスマスツリーが今どき飾られている.メケレのホテルに在ったのと同様エチオピア暦に従うためであろう.


イラプティ村で頂いたランチ(のサラダ)

頂いたランチ

これが頂いたランチ(のサラダ).メインは写真がなかった.


イラプティ村のコーヒーも美味しかった

コーヒーも美味しかった

エチオピア式にポットに水と細挽いたコーヒー豆を入れて沸かしたコーヒー.普通に美味しい.容器は取っ手のない茶碗のことが多い.


これがエチオピア暦の時計

これがエチオピア暦の時計

クリスマスツリー脇に時計があったので,世界標準暦と比較してみよう.
エチオピア暦/世界標準暦
年度:2010年/2020年
月日:10月23日/1月22日
時刻:7時30分/13時30分
曜日:日曜日/水曜日

と,ほら何がなんだか全然解らない.ただエチオピア暦の日付や時刻は標準暦より位相がずれているだけで,一年の長さ(日数)や一日の長さ(時間)は同じようだ.なお1年は13ヶ月で,ひと月の日数は異なるそうである.13月の日数は特別少ないという.以上,4号車のドライバーミカエル(マイケル)さんが教えてくれた.全然関係ないが彼は独身ということだ.なおミカエル(マイケル)はエチオピアで最も人気の高い大天使の名でもある.


エルタアレベースキャンプErta Ale base camp

さらに南に進む

さらに南に進む

イラプティで食事の後,エルタアレを目指し再び南に進んだ.周りの土地は徐々に溶岩のような黒い岩石が増えてきた.


オフロードコースに入る

オフロードコースに入る

途中から街道を離れ,砂漠のオフロードに入った.これがエルタアレベースキャンプへのコースであるようだ.


砂漠を自由に駆ける

砂漠を自由に駆ける

広い砂漠を自由に駆けた.向こうからこちらに来る車も見える.ただし隊列を組んで進むときは,先頭車(ドライバリーダーとガイドが乗っている)は問題ないが,二番手以降はドライビング技術が問われる.つまり直ぐ後ろに続くのが簡単であるが土埃を浴び続け悲惨な目に遭う.上手い人は風上側横に逸れて続く.ただし横道はとかく窪みや岩など障害物があるので,先を読めないといけない.いや~ご苦労さまです.

なお先方に山が見えるが,目指すエルタアレではない.エルタアレはもっともっと低い山(613m)なのだ.また目指しているそのベースキャンプ標高はおよそ300mということだ.


砂漠に人だかり

砂漠に人だかり

砂漠を暫く進むと人だかりがあった.バスを待っているのか....

この辺の人たちは男女の装い,ヘアスタイルが似ていて,その区別が付きにくい(私だけかな~).


何らかの公的機関か

何らかの公的機関か

近くには塀に囲まれた建物,行政機関とか軍とか何らかの公的機関であろうか.そのゲート脇の守衛室脇にはお昼のお祈り(イスラムの)をしている男性と,塀の外からお弁当を差し入れている奥さんとお子さんの姿があった.なかなか感動的光景だった.

ところで私達がここで停まったのは,エルタアレ入山申請か,或いはセキュリティガードをピックアップしたのか.....分からずじまいだった.多分立ちションとかに行っており,聞き逃したのだ.


エルタアレベースキャンプに到着

エルタアレベースキャンプに到着

私達の4WDはエルタアレベースキャンプ(BC)に到着した.BCには幾つかの石室(車の背後)があり,車から降ろしたバッグを一旦ここに入れた.

午後から回復しつつあった天気は,今は良くなったようだ.


スタッフの車両も到着

スタッフの車両も到着

スタッフの皆さんを乗せ,折りたたみテーブルや簡易ベッドなど積んだ車両も到着した.やはりハッチを開け,荷物を下ろす.


エルタアレBCキッチンのシェフ

BCキッチンのシェフ

アハメッドエラで食事を作って頂いたシェフとアシスタントの妹さんにも来てもらった.シェフは到着すると早速夕食の準備に取り掛かってくれた.

シェフはまだ23歳と若いが,首都アジスアベバで修行を積んだそうで,腕利きだ.


ラクダも来てくれた

ラクダも来てくれた

贅沢なハイキングで,頂上では折りたたみベッドを使うという.そしてそういった嵩張るものや私達個人のシェラフや着替えを入れたバッグを山頂までラクダが運び上げてくれるそうだ.

ということで私達はほぼ手ぶら,小さなペットボトルの水程度持って歩けばいいのだ.

なおラクダとラクダ引きの男性はこの近所住まいだ.多分アファール族でしょうか.

そしてこの後シェフの用意してくれた夕食を頂戴したのだが.....写真忘れて,何だったか思い出せない.


エルタアレ登頂climb up Erta Ale

夕食後,暗くなった7:20PM,ヘッドランプを点けエルタアレ山頂目がけて歩き始めた.

上述のようにエルタアレ標高は613,BCは300m,つまり300m程度の標高差,距離は6kmだ.勾配は緩やかでゆっくり2時間かけて登り,9:20PM山頂に到着した.

ただこの間真っ暗だったため,写真は一切撮らなかった.ストロボで少し撮っておけばよかった.

エルタアレ山頂で宿泊準備

エルタアレ山頂で宿泊準備

エルタアレ山頂では当初野営の予定だったが,隙間だらけ,破れ屋根ながら石室小屋がたくさん空いていた.そしてそこにラクダの運んでくれた簡易ベッドや枕,各自のバッグを運び入れてくれた.

私はベッド上に夏用シェラフを広げ,これでいつでも就寝OKだ.


火口見物に下る

火口見物に下る

山頂は富士山で言えばお鉢の上の剣ヶ峰のような場所で,火口はお鉢(クレーター)の内部にある.そのため固まった溶岩のお鉢から,火口が覗ける場所にいくらか降りながら歩いた.


エルタアレ小さな火口が見えた

小さな火口が見えた

そして,かなり低い位置に火口,赤いマグマが見えた.正直あまりに小さくて驚いた.もっと華々しくガガ~ンと大きいものと思い込んでいた.私はかなり落胆した.


トリミングし拡大してみた

トリミングし拡大してみた

拡大してみるとマグマの形(吹き出し口の形)はこんな風になっている.

マグマの周囲も結構赤い,つまり色温度が高いので,周囲岩石の下にも熱いマグマが溜まっているのでしょうね.


そして火口覗きから上記山頂に戻り,石室のシェラフに入り一夜を過ごした.天井から切れ切れに下がった屋根材がバタバタしてたが間もなく寝入ったZzz.....


エルタアレの朝mornuing at Erta Ale

翌朝もう一度見に行く

翌朝もう一度見に行く

さて石室で目覚め,1月23日になった.そしてまだ暗いうちに火口をもう一度眺めようとお鉢(クレーター)トレイルに出かけた.

でも火口の形もサイズも変わってなかった.それはそうですね僅か数時間のことですから.


エルタアレのお鉢が明るくなってきた

お鉢が明るくなってきた

明るくなり足元が良く見えるようになった.火口を覗き込む辺りは流れた溶岩が固まった地形で,オーバーハングしている.あまり前に出ないよう要注意だ.


エルタアレのお鉢を戻る

エルタアレのお鉢を戻る

エルタアレの火口お鉢は200mの長さで,上記火口見物地点はその中ほどだという.ということで100mお鉢トレイルを歩いて山頂石室に戻った.

トレイルは流れて固化した溶岩そのままの形で,凹凸激しいことから,溶岩は相当粘度が高く流動性が低かったのだな~と思わせる.水飴程度かな.まあ,この辺りまで上がった溶岩は冷えかけており,温度が下がったからであろう.


簡単な朝食を頂く

簡単な朝食を頂く

火口見物から戻り,折りたたみベッドの代用テーブルに並んだビスケットやチーズの簡単な朝食を頂いた.さすが寒いのでスタッフの皆さんも一枚羽織っている.普段ショートパンツのIさんも巻きスカートを重ねている.雨もほんの僅かにパラついている.


武装ガードも着重ね

武装ガードも着重ね

自動小銃を肩にしたガードの人も寒いので重ね着だ.ガードにしては目立つ色柄ですね.

例年暑い中を登り降りするので大変なのだが,今年は一体全体どうなっているのか.....とスタッフの皆さんが思っているようだ.


撤収作業にかかる

撤収作業にかかる

食事も済んだことだし,お茶も頂いたことだし,というわけで撤収作業に入った.そしてラクダに積めば後は下るだけだ.


下山go down to the base camp

下り始めた

下り始めた

私達は見えはしなかったが登ってきたと同じトレイル下り始めた.そして直ぐに一頭のラクダが登ってくるのとすれ違った.きっと山頂近くのこの辺を散歩していて,これから荷積み場に行くのであろう.

トレイル周囲は固化した溶岩で概ね黒一色だ.


岩だらけの中の植物

岩だらけの中の植物

固化した溶岩だらけの中にも,このように白っぽい葉の根性有る植物が生えている.驚きだ.このような環境に適合するように進化して来たのでしょうか.他の植物との縄張り争いがないので,いまは幸せなのであろう.


少し雨脚が速くなる

少し雨脚が速くなる

少し雨脚が速くなってきた.傘やカッパを使う人も.でもそろそろ終盤というタイミングで幸いだった.

そしてこの辺りはご覧のように少なくとも4WDが通れるくらいの道幅に拡張整備されている.添乗Iさんによれば多分来年はBCがもっと上方に移動し,山頂までの距離が短縮されることでしょう,ということだ.なお昨年までのBCは現在位置よりかなり下方で,11kmの距離で登り時間は3~4時間掛かったそうである.年々楽になるわけだ.


BCに到着

BCに到着

11:00AMころBCに到着した.そして改めて眺めて見ると結構たくさんの石室があるのですね.ただ私達がこの辺りにいるとき,他のお客さんは疎らで,頂上で数人の欧風ハイカーに出会った程度だった.

そして次の行動が待っているので,若干早めのランチ(早飯)を頂戴する.


和風カレーライス

和風カレーライス

わ~い和風カレーライスだ,と思う.であれば添乗Iさんが日本のカレールーを持参して,作ってくれたのでしょう.当然美味しかった筈だ.ありがとうございます.


さらにピザか

さらにピザか

そして大好きなチーズがたっぷり載ったピザであろう.大した運動してないが,一応これまでの日程の中では一番歩いた日なので,全部食べて問題ない.美味しかった.


BC撤収にかかる

BC撤収にかかる

食事が終わり,撤収に取り掛かった.スタッフの皆さんは各種用具をワゴン車に,バッグ類は4WDの上に載せてくれた.

スタッフには地元の人も加わっており,またここBCサイトオーナーであろう人も立ち会っていたようだ.皆さん大変お世話になりました.


地元のカップル

地元のカップル

多分BCサイトオーナーの一人であろう地元のカップルがモデルになってくれた.ありがとうございます.

装束が似ている(ユニセックス装束かな?)ので,にわかには男女の区別が難しい.後ろや横姿では多分不可能だ.


アファール家族visit a Afar family

BCから少し南下する

BCから少し南下する

エルタアレBCを撤収し,再び4WDに乗り次のアフデラ塩湖方向に向け南下を始めた.


アファールの家族を訪問

遊牧アファール家族を訪問

BCからほんの少し行ったところに遊牧を生業とするアファール(Afar)族の家族が現時点暮らしているそうで,お邪魔することになった.アファール族はこれまで通過してきたバラハル村やアハメッドエラ村の住民もそうであったが,そちらは主に定住者が多かった.

ただここは溶岩地帯で,さてどういったやり方で生活を送っているのかとか見てみたいのだ.そしてこの方がご主人のムーサさん.巻きスカートでなく,都会風ですね.


奥さんと住宅

奥さんと住宅

こちらがムーサさんの奥さん.グリーンのスカーフでイスラムのようです.でも全体の服装はとても華やかです.

家は太目の木材と細い木を環状に並べ立て,ちょうど樽のタガのように細い木で周囲を縛り付け,また上部に梁を括り付けた構造になっている.屋根は可撓性あるビニルシート(或いはゴムシート)のようだ,移住に際して組み立て,バラシが容易な構造で,自ずと風通しのいい仕上がりとなる.この日のように寒い日向きではないが,普段暑いときが圧倒的に多いのでしょう.

ところで中央アジアやモンゴル,チベット,中東のベドウィンなどの遊牧民は大きなテント(ユルタ,ゲル,パオなど)を使い,組み立て,バラシがごく短時間で完了するそうだ.エチオピアの遊牧民はなぜ手のかかる(不揃いな)列柱やビニルシート或いは藁屋根といった構造にしたのでしょうか.一つはやはり風通しのいい構造で,また所謂ミニマリスト志向のシンプルライフを好むからでしょうか.


ムーサさんの息子さん

ムーサさんの息子さん

ムーサさんには7人のお子さんがいて,その中の一人の息子さん.今日はエチオピア暦の日曜日なので学校が休みなのであろう.ただ平日の通学は,多分学校は相当離れているので大変ではあろう.遊牧で移動したときは転校となるでしょうからそれも大変ですね.

ここで有名なランナーアベベ(数日前墓参りした),またそれ以外のエチオピアンランナーは皆子供の頃遠距離駆けて通学したそうだ.この少年も大変だろうが元気でいい身体になって欲しいものだ.頑張ってね.


ムーサ家の家畜

ムーサ家の家畜

ムーサさんはヤギとラクダで生計を立てているそうだ.そして写真はそのヤギの一部である.溶岩だらけの土地であるから草は疎らで飼育は容易ではなさそうだ.それに家族の分も含めて水の調達も大変そうだ.

ラクダは息子さんの一人が遠くの水場まで飲みに連れて行っているのであろうか.....