このプルンバ編ではタプレジュンを出て,マニバンジャンを経て,プルンバまでの行程,この日見た花の写真と記事を掲載した.
10月29日(木):タプレジュンの朝は以下のようだった.
さて今日から歩き始める.タプレジュンのロッジ前には地元のポーターの皆さんが集まり,荷物の割り振りとカバー掛けの出発準備が始められた.
今回の現地スタッフは サーダー(シェルパ頭)1人,シェルパ(ガイド)4人,プライベートポーターガイド2人,コック(シェフ)1人,キッチンボーイ3人,ポーター26人の総計37人でスタートした.ポーター26人のうち1人はポーター頭,10人は,大半の食料荷揚げが済むグンサでお役御免となる予定だそうだ.
なおサーダー以下,シェルパ,プライベートポーターガイド,シェフとキッチンボーイはカトマンドゥ近くの村々から来てくれた人たちだそうである.
荷物の割り振りはサーダー(とポーター頭)の手で持った感触で決められていた.バネ秤で分配するパキスタン方式とは大きく異なり,興味深い.後々,トレック最後日,報酬を巡ってなかなか面倒な(ように見える)事態になるのだが,幾らかはこの計量方式に起因しているのではなかろうか.
トレイルの周囲は山(低い山)で囲われており,数日は高山を目にすることができない.専ら歩くこと自体を楽しむことになろう.それでも頭が少し白い峰は所々で見える.4,000mくらいであろうか?
この地方の民家は前ページ建築中の家のように木造一階の上に二階が載った構造で,屋根はトタンか藁葺きが多いようだ.そして二階には白やブルーでペイントされた斜め格子のバルコニーがちょっとしゃれた感じの家が目立つ.こうしたバルコニーはクーンブやアンナプルナ方面ではあまり目にせず,少し驚く.住んでいる民族の違いに因るものだろうか?比較的標高の低いこの地方はライ,リンブー,グルン族などが比較的多いそうである.なお標高の高いフェレ辺りからはシェルパ族が殆どを占めるようである.
暫く歩くとマニバンジャンといわれる辺りに着いた.10時少し前で早い時刻ではあるが,ここなら調理用水が確保できるそうで,ここで昼食となった.
タプレジュンから私たちとたまたま前後して歩いてきた写真の男性もここで一休みだ.腰掛けているのはチベット仏教のマニ石を長く積み上げたメンダンだ.また地名のマニバンジャン(Manibanjung)のbanjungは積み上げ,並べられた塚を意味するようで,メンダンと同意のようである.仏教徒なら腰掛けたりしないであろうからこの人は異教徒,多分ヒンドゥーであろう.この辺りは色々な部族が生活しているようである.
下は,マニバンジャン辺りでの写真いろいろ
マニバンジャンで昼食の後北に向けて再び歩き始めた.山間の道脇には狭い田畑と農家が点在し,のどかな風景が展開する.亜熱帯なのでバナナも育つようだ.モンキーバナナのように小さなものや中サイズくらいのタイプが多いようだ.青くとも熟しているものは美味しいが,熟していないものが混じっている場合があり,知らずに食べると渋が口中に充満しエライことになる.まあ甘柿に混じる渋柿と同じで,肉眼では判別困難,口にして初めて判るリスクを伴う.コツはいきなりがぶりといかず,チョビっとだけかじってみる.....そんなバナナの食べ方味気ないか?
午後2時頃プルンバに到着した.プルンバは白と茶色の壁にトタンや藁葺き屋根の農家が点在する傾斜地の眺めがなかなか見事だ.先には確かパシパラ(3,775m)と呼ばれるチベット仏教の聖山が見えている.ここからは見えないが頂上にはタルチョーが舞っているのであろう.
プルンバでは小学校脇のキャンプサイトでテントが張られた.時々牛を連れた住民が通りかかったり,子供たちが我々の様子を覗き込みに来てくれる.我々は周辺の様子を興味津々と窺い,まあお互い様だ.
今日は一日中晴れて快適に歩けた.明日も晴れるといいな~
下は,プルンバまでの眺め
秋も深まり,そろそろ花も無くなる頃であろうが,それでもいろいろ咲いており楽しませてくれた.