このタプレジュン編では10月26日(月)ペディムに行く行程,27日(火)バンダ(ゼネスト)のためペディム滞在,28日タプレジュンまでの行程の写真と記事を掲載した.
旅行3日目の10月26日(月)朝,ペディムを目指しビンテージ物の小型バスでビラトナガールを出発した.ビラトナガールも人が多いが,しばらく平野部であり,その間はず~っと民家が途切れることなく続くように見えた.平野部は概ね耕地であるが,一部林となっていたり,また広い河川も目立つ.
バスは他国基準では廃車,ネパールではごく標準的なガタガタ車で,実際この先走行中にサスペンション部品が外れたりもした.しかしドライバと助手が異音に気付くとすぐさまジャッキで持ち上げて修理してしまった.お見事!
我々の車ではないが,リーフスプリングが一枚折れて,交換しているバスにも出合った.交換部品はそれ以前に折れたものを溶接した代物で,さすがこれを見たときはバネ鋼としての特性は完全に損なわれているであろうと驚いてしまった.まあ破損で横転とかの大事故になるよりはマシということであろう.また我々のバスを追い抜いた別の小型車であるが,抜いた直後に右側後輪が車軸と共に脱落したのを目撃したのにも驚いた.これは直すのに結構時間が掛かったであろう.
道がひどいネパールでは車の痛み方は尋常ではなく,壊れたときに直し易いシンプルな構造の車でないとならないようだ.ということで,インドのタタ辺りがやはり相応しいとなるそうである.
腕のいいドライバと助手であるが時々窓からつばを吐くのには閉口させられる.ネパール人一般の最も感心しないマナーであるが,何とかならないものかね~
やがて平野部が終わり山間部に入る.段々畑が多くなるが,バナナややしの木が熱帯らしい様相を見せている.
なおも進むとやがてお茶で知られるイラム(Ilam)地方に入る.斜面にはお茶畑が広がっている.野菜や稲の畑と違って地面は段々ではなく斜面のままだ.イラムの東はインドのダージリン地方であり,銘茶を産するための気象環境は双方似ているのだそうである.つまり,昼間は太陽が照りつけ,夜は霜が降りるほど冷え込む.....など.
何度か休憩し,地元の食堂でダルバート+チキンカレー(オプション)の昼食を食べた.ネパール標準食であるし,一般にバス休憩所などではたったこれだけのメニューであることも稀ではないようだ.食事の後は再び北上を続けた.
そのうち,“明日はこの辺り一帯でバンダ(ネパール式ゼネスト)が行われる”旨確定したとの知らせが入る.バンダでは道路も実質的に封鎖されるそうで,ドライバはこの日夜通し走り,バンダ突入前にその区間を越えたいと主張したようだ.しかし,ドライバは朝から既にぶっ通しで走っており,ペディムの先は舗装が無くなり,狭いくねくね道の夜間走行は危険過ぎるようだ.ということで,ペディムで丸一日過ごし,予定外の一泊を加え,都合二泊とすることになった.まあ仕方なかろう.
そうこうしているうち,そのペディムに到着した.ペディムでは当初テントの予定であったが,バンダで投石などの危険や水の確保の問題があるということで,Hotel Seemaというロッジに入ることになった.ロッジの部屋は広く電灯もあり,なかなか良かった.
下は,ペディムまでの写真いろいろ
10月27日(火)ペディムで晴天の朝を迎えた.バンダでお店は閉じ,道行く車は全くなく,町外れの空き地ではスピーカーからアジ演説のような音声が流れていた.だが集っている人はあまり見かけない.整然としたデモ行進も見られるが,写真のように大きな子ならまだしも,動員されているのは小学生や中学生が多数だ.どういった政治的意図なのか.....不思議だ.
聞けば,王政が廃止された後も,乱立する少数政党が自分たちだけの権益のために争うと云う構図は何ら変化がないということだ.つまりバンダも全然少なくはなっていないということだ.
バンダで休業の若者はデモに加わるわけでなし,暇を持て余しオハジキを玉突きのようにして遊ぶゲームに勤しむ.玉突きに比べて狭いテーブルにガラスのオハジキがあればいいので,あちこちで開帳されている.ネパール人気質としてギャンブルには大変熱くなりやすいそうで,確かにこれを見れば....判るわかる.
ロッジ近くを散歩していると新築中の家があった.2階建てであるが,柱は1/2階別々で,通しではないところが興味深い.日本では建築関連法で通しの柱が義務付けられているそうだが,ここでは違うようだ.山地であるので長い材木の搬送ができないので,こうした伝統工法が育ったのであろうか?
下は,ペディム滞在時の写真
10月28日早朝バスはペディムを出発した.ペディムから先は舗装のない曲がりくねった狭い道となる.アップダウンが大きいし,対向車が来るとすれ違う場所を求めて後退する場面にもしばしば遭遇する.片側が断崖の場所も多いのでなかなか緊張を強いられる.それでも前日バンダがあったためか,この日の交通量は少なめだった模様で,対向車が比較的少なく,また追い越ししたり,されたりすることも疎らで,まあ助かった.
ところでバスは我々とシェルパやキッチンスタッフなどサポートメンバーのためのチャーターバスの筈であるが2~3人普通の人が始発点から乗っている.不思議なことだが,ネパールのバスドライバは自分の裁量,いや権利か?でチャーター契約者以外も乗せることができるようだ.やはり変だと思うが....それが掟では仕方なかろうか.
途中これから向かうジャヌーとカンチェンジュンガを望む場所があった.ジャヌーはアマダブラムのように海坊主的風貌で判り易い.カンチェンジュンガは写真左の峰からヤルンカン,主峰,中央峰,南峰だそうである.
カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)とはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味だそうであるが,「5つの」に相当するのはヤルンカン,主峰,中央峰,南峰にジャヌーを加えた峰のことだそうである.なお,目指すカンチェンジュンガ北BCからはヤルンカン,主峰は見えるが中央峰,南峰は見えないそうで,ここでしっかりと見ておかねば.
途中幾つかの集落を越えタプレジュンに到着した.皆一様に「疲れた~」の言葉を発する.実際今回の旅行で最も大変だったのがこの“ペディム-タプレジュン間のバス”(往き/帰りとも)だったかも知れない.途中道端からは「乗せろ乗せろ!」のコールが引きも切らない.上述のように既に始発時点で数人乗っているし,これ以上狭くなっては困るから殆どは断ってもらったのは言うまでもない.それでも開放されたドアから乗り込んで来る輩はいるのだが.
タプレジュンは大きな町で,小さな商店やロッジなどが並んでいる.ただロッジは主に地元民相手のようで,トレッカーや登山客用の宿は必ずしも揃ってはいないようだ.
私たちの泊まることになったTaplejung Guest Houseは割と設備の整ったゲストハウスであったが,あてがわれた部屋は屋上のバラック部屋で,多摩川の橋の下のような雰囲気(?)を味わえた,とも言えよう.
下は,タプレジュンまでの写真
さて明日10月29日からはいよいよ歩き始める,楽しみだ.