このミトルンへ下る編では,チルワを出てタワを過ぎ,川原で昼食をとり,午後シワン辺りを経てミトルンに着くまでの経過に関する写真と記事とを載せた.
11月14日(土):チルワの朝を迎えた.
前日と同様,朝になったら晴れていた.チルワのキャンプサイトは盆地状の田んぼの中にあり,畦道伝いに7時半頃出発した.少し歩くとチルワの本村に入り,村人を眺めつ,また眺められながら通過する.
チルワの先には“Thank you for your visit in to KCA”と記されたゲート(下の右端写真)があった.これで一応カンチェンジュンガエリアを抜けることになる.
下は,チルワを出た辺りの写真
チルワを抜けた後,往きのときとは別のルート,タムールコーラにそのまま沿って下るトレイルに入った.チルワ辺りからは徐々に民家が増えてきて,山から里へ変わっていく兆しが見える,暫く歩くとタワと呼ばれるエリアになるようだ.ただ民家が密集している訳ではないので,果たしてどこから始まりどこまでが範囲かは判らない.
この辺りの屋根はトタンもあるが藁葺きが多く,赤と白に塗り分けられた壁と相まってネパールの伝統様式であろうと思わせる風情がある.
下は,タワ辺りの眺め
タワを過ぎてからタムールコーラ川原に向かった.向かった先に原っぱがあり,水も確保できるという.周りは田んぼで,牛の飼料にするのであろうか,大きな藁塚が点在している.
ここでうどんのランチを食べていると,とても仲良しの男の子二人が寄って来てくれた(下右端の写真).あまりにも仲良しなので,「兄弟か?」とも思ったがあまり似てないし......
下は,川原の写真あれこれ
民家が多くなったので人も多くなる.子供が遊んでいるのは普通だが,ブラブラしているように見える青年も結構いる.多分失業中の人も多いのではなかろうか.ところでこの辺りは地図で見るとSiwanまたはSinwaと載っている.この2つは文字の並びがほんのちょっと異なるだけであるが,発音は全く異なるように思えるのだが.....さて?
集落を抜けると田んぼが広がっていた.ナマステと声を掛けると,稲刈り作業中の若い娘さん二人が手を休めて愛想を振り撒いてくれた.この辺りでは稲刈りは機械ではなく,殆ど手作業で大変そうである.
下は,シワン辺りの風景
シワンを過ぎ,大きな坂を登り,また下り,そのうちタムールコーラ縁を暫く歩く.途中まで進むと,死んだ牛を前にして,「この上の崖から落ちて死んでしまった」と嘆く人たちに出会った.牛も落ちることがあるんだ.....と,ちょっと驚きその場を後にした.
暫く行くと,誰とはなしに「あの牛,手に入れて食べたいな~」と云う声が上がった.ネパールの人は宗教的立場から一般に牛肉を食べないと言われる.シェルパ族など高地系民族は場所によっては食すとも聞くが,先ほどの人たちは風貌からして多分ヒンドゥーなので食べることはまずあり得ないだろう.ツアリーダーのSさんは,以前遠征のとき,隊で一頭買い取ってたらふく食べた経験があるそうだから,現実性は結構あろう.
2時半頃ミトルンのキャンプサイトに到着した.写真左上の農家の所有地で,傍らに水を引いた調理場も用意されている.到着すると,ご主人と奥さんがビールやソフトドリンクを持って現れた.ご主人は,テント場と家の間の田んぼも自分の所有地だし,家には客室が数部屋あって,時々トレッカーや登山者を泊めるよ,と説明してくれた.
写真でテントを張るKさんは今回パーソナルポーターガイドとして加わっている.若いがシェルパとして相当実力者のようで,エベレスト登頂2回(ネパール女性隊,三浦雄一郎隊),マナスル1回(バングラデシュ隊)の実績があるそうだ.
本人も27歳と若いが,2年前一緒になった奥さんは20歳とメチャ若で,1歳の息子さんと暮らしているそうだ.一回トレッキングに同行しても3週間,遠征ならもっと長期間留守にするこの仕事も大変ですね.すみません,引っ張り出して.
下は,ミトルンに着くまでの光景あれこれ
この日の花も時々立ち止まって撮ってみた