このタプレジュンへ戻る編ではミトルンを出て,途中経路を経てタプレジュン到着まで,および翌日のタプレジュン滞在の写真と記事を掲載した.
11月15日(日):ミトルンの朝を迎えた.
ミトルンからタプレジュンはあまり距離がない.ただミトルンより標高が高いので全体的には上りが多めになろう.暑くなる前になるべく歩いてしまおうと云う訳で,7時少し前にスタートした.ミトルンの本村を歩いていると鼻にリングを付けた人をしばしば見かける.グルン族だった....かな?
下は,ミトルンを出るときの写真.最初はキャンプサイトのオーナー.
ネパールはどこに行っても棚田だが,まあ見事に作り上げたものである.ただ農機具の導入は困難であろう.ネパールの主食,ダルバート(ネパール式カレーライス)は日本での米と同じくらい,いやそれ以上に米が主体であるので,こうして苦労して稲を栽培している.
途中,買い物に出かけるという若い親子連れと暫し一緒に歩いた.何でも揃うスーパーマーケットに行くのだそうだ.といってもこの辺ではスーパーといってもごく小さなお店というのが相場だが.
抱っこした男の子は昨年8月生まれの1歳と2ヶ月.「ハロー」って言えるのよ,だけど祖父母を含めた家族に対してだけで,他の人にはまだだめなの,だそうだ.インド系というか,こういった部族の子は大きな目がクリッと可愛い.
下は,ミトルンとタプレジュン間,途中の眺め.大規模な崖崩れの跡があった.
10時過ぎ,早々にタプレジュンの入り口にやって来た.タプレジュンは,この辺りでは圧倒的に大きな町なので通りには色々なお店が並び,行き交う人やブラブラしている人が多い.
写真のように2階のバルコニーには花のプランターを並べたちょっと気の利いたお店も目立つ.質素であってもリアルな花はやはりいいと思う.
程なくタプレジュンのロッジ,Taplejung Guest Houseに到着した.到着するとスタッフがジュースに缶詰のフルーツを出してくれた.あ~美味しい!皆さんいろいろありがとうございました.
タプレジュンに到着するとポーターの皆さんは仕事が完了したことになる.ロッジの庭ではサーダーPさん,ポーター頭,ポーターが車座になって,喧々諤々報酬交渉が始まった.出発前の契約があるので本来すんなり一人ひとりにお金を払えばそれで済みそうなものだが,そこはいろいろ配慮すべき事情があるらしい.まあ,これは他国でもその実力が響き渡るネパールポーターの持ち味,恒例の交渉ということだ.相当の時間費やしてまとまり,対価の支払いが済むと,ニコニコ私たちと挨拶を交わし,散って行った.ご苦労さまでした.途中,カードゲームやおはじきビリヤードで無くさず,ちゃんとお家まで持ち帰ってね!
今回はグンサまでは標高が低かったが,慎重を期してビールは控えていた.この日夕食では久しぶりに飲んでみたが,やはり美味しかった.そして天気にも恵まれ,パンペマのベースキャンプまで順調に進み,主だった山の眺めを堪能できた,とニヤリ脳内で反芻した.
下は,タプレジュン到着までの写真
タプレジュンに戻った翌日,11月16日(月)の朝になった.当初計画より1日早く下山したため,この日は暇で,タプレジュン空港のある高台にヒマラヤ見物に出かけることになった.
タプレジュン空港はタプレジュンのロッジから500m程高く位置し,朝8時頃出発し,9時半頃到着した.雲が多めでヒマラヤは一部しか見えない.ツアリーダーのSさんに一応,エベレスト,ジャヌー,ラトン....と聞いたのだが,どれがどれやらはっきりしなくなった.ラトン(Rathong:6,679m)だけは右側写真一番右側の峰,だったように思うが.....
下は,タプレジュン空港に出かけたときの写真
タプレジュン空港からの帰り道,小学校の脇を通った.天気がいいので小さな校庭で授業を行っているクラスがあった.生徒は脇の通行人が気になり,顔を向ける.若い女の先生がこれを制止するのだが,一番手前の男の子がやはり気になるので,再び顔をこちらに向けた.先生が棒切れでピシリっと頭をたたいた.
男の子には気の毒なことをした.また体罰が云々とか言わず,ピシリっとやるのは,日本ではとかく問題にされがちだがやはり正解ではないかな~と思えた.
午後暇なのでタプレジュンの街をちょっと歩いてみた.日用品のお店,洋服のお店,豆や穀類のお店,....とまあネパールの普通の田舎町と言えようか.
11月16日(月):タプレジュンの夕方(朝忘れていたので)
下は,二日間で見た花の写真