トレック第2日目(3/18)Trek Day 2(3/18)

いよいよトレック第2日目が始まった.昨日は殆ど歩いていないので,まあ実質的に今日が初日と言ってもよかろうが.

シャブルベンシを出発start from Syabru Bensi (1,460m)

シャブルベンシを出発

シャブルベンシの町

ランタン入り口の町で川の両岸にかなりの個数の家が立ち並んでいる.その中で,特に川(ランタンコーラ)の手前側,バスの到着する側にはロッジや小さなショップがかなり多い.専門の両替屋こそなかったが,一つの雑貨店でUS$をルピーに交換することもできた.対岸にも建物があるが大半は農家のようである.ここの集落でもまた幾つかの住宅の壁にはマオイストのマークとスローガンらしき文言が書き記されていた.

ランタンコーラ(Langtang khola)と吊り橋

ランタンコーラ(Langtang khola)

著名なランタン谷を形成しているのがこのランタンコーラ(Langtang khola).ネパール語のkhola(コーラ)は川なので,ランタン川となろう.一般にkholaより小さな流れはkosi(コシ)とされるようであるが.....エベレスト街道のドゥードゥコシのように深く,それなりに大きい川もあると思う.

シャブルベンシのロッジを出て少し行くと道が分岐し,一般のトレッカーは右側に折れ,やがて政府軍管理下のチェックポストに至り,名前やトレッキングパーミットの番号を管理台帳に記した.その先に写真の吊り橋が架かり,ランタンコーラを越えた.

後に判ったことであるが,ポーターのJさんは最初の分岐で間違えたようで,左に進み,以降この日の夕刻遅くラマホテルのロッジに辿り着くまでガイドと私の二人に会うことがなかった.出だしからエライことになってしまったわけだが,Jさんはシェルパ族で勘が良さそうだが,このルートを歩くのは久しぶりで,それでドジってしまったようだ.

イラクサ摘み

イラクサ摘み

シャブルベンシから暫く歩くとイラクサの葉を摘んでいる女性がいた.写真のように葉の表面は細かい毛のような棘で覆われていて,見るからに恐ろしそうである.棘の基部にはアセチルコリンとヒスタミンと云う液体があり,触れて皮膚につくと強い痛みに襲われるそうだ.なのでイラクサ摘みの女性も大きなピンセットというか,ヤットコというか,そんなもので摘まんで採取している.我々も触れないように気を付けて通り過ぎる.幸いイラクサは2,00mに満たないこの辺りが生育限界のようで,も少し上に行くと見えなくなった.

ところで採取されたイラクサの葉は,おひたしのようにして食べるそうで,なかなか美味しいとのこと.


下は,シャブルベンシ辺りの写真

シャブルベンシ辺りの写真
シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真
シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真 シャブルベンシ辺りの写真

ドミンDoman(1,680m)

赤いシャクナゲ(石楠花)/ラリグラス(ネ:Laliguras/英:Rhododendon)

ラリグラス(ネ:Laliguras/英:Rhododendon)

赤いシャクナゲ(石楠花)はネパールの国花でラリグラス(Laliguras)と称されるそうだ.この頃,シャクナゲはちょうど咲き始めのようで,所々に真紅の花が見えた.もう少しすると満開になり,「山一面が赤くなる」と形容されるくらいになるのであろう.


ドミン(Doman)の茶屋

ドミン(Doman)の茶屋に到着

歩き初めて1時間半くらい経ったであろうか,ドミンの茶屋に着いた.チョータラ(荷物台)に荷を置き,ポーター達もお茶を啜っている.ここではミルクティーを頂戴した.これから先は,ず~っと,ミルクティーまたはブラックティー(紅茶)のブラック(?)を午前,午後のティータイム,および三食の度に飲むことになる.普段家では圧倒的にコーヒー(殆どMJB)の筆者であるが,ヒマラヤではお茶が無難だ.


下は,ドミン辺りの写真.ランタンコーラの音を聞きながら歩く.

ドミン(Doman)辺りの写真
ドミン(Doman)辺りの写真 ドミン(Doman)辺りの写真 ドミン(Doman)辺りの写真 ドミン(Doman)辺りの写真

ランドスライドLandslide(1,640m)

ドミンから小一時間歩くとランドスライド,つまり「土砂崩れ」に到着した.何年か前にランタンコーラの左岸(川上に向かって右の斜面)で土砂崩れが起こり,ここのロッジ1,2軒が押し潰されたことがあるそうだ.数名の犠牲者も出たそうで,それが地名として残ったようだ.現在も川に落下した大きな岩が散乱し,痛々しさを留めている.

ランドスライド辺りランドスライドの茶屋にて

ここでランチとするにはちょっと早過ぎたのでお茶だけにした.テーブルの隣の席には,ラマホテルから下って来たドイツからのグループが座った.今日はどこまで?と訊いたら,ゴサインクンドに向かう途中で,ダルサガン(Dursagang)までということだった.

バンブーBamboo(1,970m)

バンブーのバッティ(ロッジ)

バンブー(Bamboo)の地名の由来

ガイドのGさんによれば,昔ここには屋根や壁がバンブー(竹)でできた粗末なバッティ(ロッジ)が一軒あったそうだ.写真は現在のロッジの物置小屋であるが,まあこう云った感じのバッティであったのであろう.それが地名として残ったということだ.

近づいて見ると,竹は孟宗竹のように太いものではなく,釣竿をちょっと太くした程度の細い竹が材料だ.竹は1箇所を完全に割り,2箇所には内側から厚みの途中まで切り込みを入れて展開して板状にしてある.つまり3cmくらいの太さの竹は,π倍され,10cm幅くらいの板材に加工されて屋根や壁材に使われていると云う訳だ.

ここにはお昼近くに到着し,ガーリックスープにチョウメン(焼きそば)を食べてみた.味はまあこんなもんであろう.

ククリ(Kukuri)を携帯する男性

ククリ(Kukuri)

この辺りの男はよくククリ(Kukuri)と呼ばれるナイフを携えている.写真の男性も大刀と称することができそうな立派なククリを差している.農作業や放牧に伴う仕事で使用するのであろう.有名なグルカ兵は戦闘にも使用するそうだ.クーンブエリアとかではあまり見かけなかったが,ここではよく見かける.

部族の差異に因るものであろうか?クーンブエリアはシェルパ族が多くを占め,ガイドブックなどではこのエリアはタマン族が多いと書かれている.Gさんに尋ねると,シャブルベンシから上に棲む多くはチベット族だという.まあ,国としてチベット族が多いのを公にするのは国家の権威に関わり......というのが真相らしい.で,ククリの携帯については,いや~シェルパ族もよく携えていますよ~ということだ.


下は,バンブー付近の写真.最初の1枚はバンブー近くの道で,筆者と同じくらいの年代の日本人がガイドと下ってくるのに遭遇した.「今日は~」と声を掛かると,「今日は~」と応えてくれた.

バンブー付近の写真
バンブー付近の写真 バンブー付近の写真 バンブー付近の写真

バンブーのタルチョーは常に川上に向かってパタパタとはためいている.つまりこの谷の風はいつも川上に向かって吹いているようである.谷の風とは普遍的にそういうものなのか?

リムチェRimche(2,240m)

バンブー過ぎの比較的急な登り

比較的急な登りになる

さてバンブーで昼食の後,リムチェに向けて出発した.それまでと違って勾配が急となって,いっぱい汗をかいた.先を歩くポーターのグループもさすがたくさんの荷物で,休みやすみ歩いている.


リムチェの茶屋で一休み

リムチェの茶屋で一休み

先ほどのポーターグループと同じ茶屋で一休みした.ガイドのGさんは噛みタバコで一服だ.朝シャブルベンシを発って以来ポーターのJさんの姿がないが,彼も噛みタバコを嗜む.ネパールでは噛みタバコがよく用いられるのかも知れない.

ところで,ここで一緒になったポーターグループは,一日先行してロッジ泊でキャンジンゴンパに行っている筈の日本人4人パーティのための荷揚げだそうだ.キャンジンゴンパからテント1泊2日でヤラピーク(Yala peak:5,500m)を目指す際のテントや食料なのだそうだ.ヤラピークは日帰りは無理で,テント1泊2日となるそうなのだが,その際の荷物は結構多くなるものなのですね.


下は,リムチェ前後の写真あれこれ

リムチェ前後の写真
リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真 リムチェ前後の写真

ラマホテルに到着get to Lama Hotel(2,340m)

ラマホテルに到着

ラマホテルに到着

リムチェを出ると雨になってきた.ただまだそう強くはなっていない.3:30PM,ラマホテル(地名)に到着した.地名からして,この辺りにゴンパがあるのか尋ねてみたが,ここには無いそうだ.例えば,この先向かうキャンジンゴンパのラマ(お坊さん)がかつて宿泊したことがある地なのかも知れない.

ラマホテルではジャングルビュー(Hotel Jungle View)というロッジに泊まることになった.ジャングルの名を冠しているように,この辺りはまだ標高が低く,大きな木が茂り,ジャングルになっている場所も多い.写真左側がジャングルビューの客室のある建物で,2階右端の部屋だった.

ジャングルビューのオーナー夫妻

ジャングルビューのオーナー夫妻

ご主人のグランドグランドファーザー,つまり曾おじいさんかな?,がチベットからこの地に来たという.この宿に限らずここの集落の住人は皆チベット人のようである.なので,ネパール語や英語だけでなくチベット語も話すようだ.子供が3人いて,一番上の子はカトマンドゥの高校で,もう直ぐ大学だということだ.


ジャングルビューのダイニングルーム

ジャングルビューのダイニングルーム

さて,今日の行程は終わったのでロッジのダイニングルームでゆっくりお茶を飲む.しかし,ポーターのJさんは待てど暮らせど到着しない.ガイドのGさんが迎えに行くことになった.雨で急坂の多いところだが仕方ない.どれ程たったであろうか,暗くなる少し前になってJさんが到着した.上述の如く,出だしで道を間違えて大廻りして北側のルートを辿ってきたそうだ.まあ,到着して一安心......だが,やがて日が暮れて,雨も強くなったが,今度は迎えに出たGさんがまだ戻ってない.....Jさんが濡れた衣類をストーブの脇にかざし,筆者は夕食を食べだした頃,ようやく戻ってきた.今度こそこれで安心だ.

ストーブの燃料は乾燥ヤク糞ではなく薪だ.標高が低く,前述の如く樹木が多く,クーンブ地方とか比べてまだ樹木の枯渇を心配する必要があまりないためであろうか.

この日,この宿の客は筆者らとチェコのプラハから来たという父子の二人組みだった.二人とも立派な体格で,大きなリュックを担ぎ,ガイド/ポーターなしだ.大したもんだ.父親は60歳を超えたが,チェコも年金事情は厳しく,支給開始が65歳まで引き上げ中で完全にリタイアできないという.でも休暇はよく取り,今回も1ヶ月とって,出かけてきたという.

チェコでも山の好きな人は多いそうだ.去年,プラハ副市長,40歳くらいと若いそうだが,がチベット側からエベレストに登る計画を中国政府に申請したそうである.しかしダライラマと一緒に映った写真が見つかったとかで,中国政府の許可が下りなかったそうだ.そこでやむなくネパール側から登ることになったそうである.

ジャングルビューのオーナーは敬虔な仏教徒で,朝早く香を焚き,それをダイニングルームの仏壇や屋外のいろいろな場所に経を読みながら分配する姿が見られた.この仏壇には弥勒菩薩像などと並んでダライラマの写真が掲げてある.もちろんチベットではご法度,持っているだけで即逮捕は免れないであろうから,その点でネパールはまだ信教の自由があると言えよう.


下は,ラマホテル辺りの写真

ラマホテル辺りの写真
ラマホテル辺りの写真 ラマホテル辺りの写真 ラマホテル辺りの写真 ラマホテル辺りの写真 ラマホテル辺りの写真

やがて夜になると雷があり,大雨になってきた.別棟の寝室で休むことにした.部屋には,昼間太陽電池の発電を蓄えた鉛電池から供給される電力で微かに点灯する明かりがあった.バルブに目を凝らすと,10個余りのLEDが内部に配置され,3Wと記されていた.筆者の単一3WLED内蔵ペツルMio Xpヘッドランプよりかなり暗かった.午後から雨になり,日照が少なかったためであろう.何れにしても,必要性から生まれたことであろうが,現在発光効率の最も高いLED照明が,失礼ながらこのような辺鄙な所で既に実用に供されていることに感銘を覚えた.

さて明日は晴れるかな?



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