カトマンドゥへgo to Kathmandu

北京経由で四川省成都に飛び,一泊.翌日ラサ経由でカトマンドゥへと向かった.

成田からfly from Narita

成田空港出発便表示

朝早いCA422便

中国国際航空CA422便は朝が早い.2008/4/14,金曜であるがまだ早朝のため混み合ってはいない地下鉄で水天宮前に行き,TCATからリムジンで成田に行った.

そもそも,カトマンドゥに行くのに,何で成都で一泊しなければならない便にしたか?本来なら運行している筈の関空発カトマンドゥ行き直行便は未だ機体整備が終わらないらしく,運休のままであるし,バンコク経由のタイ航空便は売り切れだったためだ.出発3週間前とちょっと間際であったようだ.他にも,キャセイや中国南方航空,....と幾つかあるが,燃油サーチャージ,経由地宿泊費込みで安そう(かなり感覚的).....なのでCA便と相成った.

ところで成田の安全検査は一段と厳しさを増していたと思う.筆者の前の二人は歯磨きが150ml入りチューブであったがために,100mlを超えるので廃棄してください,と指示されていた.筆者はリュックのポケットの60ml入り液体サンスクリーンを,別のビニール袋に入れるよう指示された.ちなみに300mlのお茶の大半を飲み,残りを100ml以下にしてもどうやらだめのようである.....確かではないが....

CA422便はB757機内

CA422便はB757機で北京経由

CA422便はANAとのコードシェア便で,CAの機体B757が使用されている.クルーの殆ど,いや全部かな,もCA側であるようだ.ANAのマイレージカードは使える.....忘れなければ.....筆者の場合,よく忘れてしまうが.

さてCA422便は一旦北京に着陸し,トランジットのため全員が降ろされる.トランジットではあるがここで入国手続きを求められるので,いつものことだが結構時間が掛かる.

成都で一泊するspend one night in Chengdu

成都空港国際線出口辺り

成都に到着

夕方4時頃,ほぼ定刻,成都に到着した.既に北京で入国審査が済んでいるので,荷物を受け取って出口に向かった.税関では検査もなく,また何も訊かれなかった.逆に「この近くにホテルは在るか?どちらの方向か?」と税関職員に尋ねたら,「あっちへ歩いて10分」と写真の到着ロビーを出て右側を指して教えてくれた.


成都国際空港近くのホテル前

空港近くのホテルで一泊

国際線到着ロビーを出て右に行くと,重慶を含む四川省内各地への省内専用ターミナルがあった.以前は国際線も含めて全てがここで賄われていたし,筆者も以前ここへ着いたことがあった.

その省内専用ターミナルまで歩くと,ターミナル前には幾つかホテルが見えた.一番近そうで,多分値段も手頃であろうと思われる机場賓館(机場は簡体字で,機場に相当)に行ってみた.風呂付の部屋を見せてもらってから,まあこんなものかな,と思い一泊することに決めた.中国のホテルは受付に値段表を掲げていることが多く,判り易いのがいい.

ホテル近くには超市(=スーパーマーケット)の看板を掲げたコンビニや小さなレストランが多く並んでいる.多くはないが人力車が通るシーンも見られる.それにしても,こちらは中国語が分らないので日本語や英語でいくら断っても,タクシーなどの客引きが一歩も引かないでベラベラまくし立てる人が結構いる.いや~恐れ入りますな~

ラサを経由するvia Lhasa

ラサ国際空港を経由

成都を飛び立ちラサを経由する

成都で一泊した後,朝8:40発のCA407便カトマンドゥ行きに乗り込んだ.機体はA319で,前日のB757機同様シート配列が3-3で,同じクラスであろうか.成都のホテルで空港近くに拘ったのはこの早朝出発のためだったが,北京の西にあってまだ薄明かりのような成都で空港に向かうには,これがやはり正解だったと思う.

成都からラサ間は雲が厚かったが,時々覗く下界には雪山が眩しく輝いていた.そうこうしているうちにラサに到着した.空港は閑散とし,トランジットに拘わらず厳重な検査が待ち受けていた.ベルトや靴など全て外された.どうして?とは思ったが,理由は判らなかった.カトマンドゥに到着し,宿でCNNを見て初めて「チベット問題」が起こったことを見て,あ~このためだったのか,と知るに至った.

カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)の脇を通過する

ラサを飛び立ち,暫くチベット上空を航行する.湖や雪山や荒れた大地が続く.やがてネパールに入ってくると,左手(東側)に大きな雪山が見えてくる.インド/ネパール国境に聳えるカンチェンジュンガ(Kangchenjunga)だ.標高8,586 mでエベレスト,K2に次いで世界第3位の高峰だそうだ.

カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)の脇を通過カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)の脇を通過

手前には幾重にも前座の山が連なっているし,近くまで行くのは見るからに大変そうだ.実際,カンチェンジュンガのトレッキングは容易ではない.つまり,途中宿泊できるロッジはないので,テントや食用,すなわちポーターやコックを引き連れて歩く,所謂オーガナイズドトレッキングになってしまう.ソロトレッキングではちょっと費用的に大変そうだ.

なおカンチェンジュンガを超えた後くらいから,右手(西側)にはエベレストやローツェが見えてきた.この日は雲が少なくなかなかいいフライトだった.

隣の席はイスラエルの青年だった.兵役で3年(義務),仕事で7ヶ月軍隊に居たそうで,「インテリジェンス」の仕事で,毎日12時間の厳しい勤務だったそうだ.まあそのおかげで稼げて,仕事だけの人生ではないので,辞めて旅に出た.既にベトナム,ラオス,雲南で4ヶ月過ごし,成都に少し居て,カトマンドゥに向かうところだそうだ.ところで「インテリジェンス」と聞けば,直ぐに「007のような」と連想するしかない筆者であるが,果たして「007のような仕事か?」と訊いてみたら,「いや~あれは映画だけの.....」と詳しくは話してくれなかった.持っていたパスポートの表紙には独特の文字が記されており,尋ねたらヘブライ文字で5000年の歴史があるそうだ.「では漢字より古いか?」と問えば,「それはそうだ」と誇らしげに答えてくれた.そうなんだ~.「最近の中国は何でも破壊して,古いものを無くしているのが好かない......マージャンとかは好きだが」とも.

カトマンドゥに到着arrived in kathmandu

カトマンドゥに到着

カトマンドゥに到着した

さてイスラエル青年と話を交わしているうちにカトマンドゥのトリブヴァン国際空港に到着した.中国でもそうであったが,CAは入国書類やビザ申請書類を機内で配ってくれない.かくして皆が書類を書き,入国審査カウンタに進むので一層混み合うのだ.ところでビザは尾山台のネパール大使館で申請すると4,000円で,到着時空港で申請するとUS$30だ.ネパール大使館で取るのは申請と受け取りで2回足を運ぶ必要があり,またUS$レートが下がっている現在さらに割高だ.でもこの長い列に並ばないで済むから......次はどうしようか?

入国審査を終え,外に出ると出迎えの人がいっぱいいる.筆者は出発前日,ネットからタメル(カトマンドゥの安宿や土産物屋が集まった街)の出迎え付き安宿を予約してあった.その辺に居る筈.....と見渡すと,すぐに見つかった.出迎えのワゴン車には成都からトリブヴァン大学の大学院に入学するという2人の中国人女子学生が既に乗っており,直ちに出発した.フィンランドの大学の環境科学プログラムの専攻で,最初トリブヴァン大学で6ヶ月過ごし,後にフィンランドの本校に進み勉強を続けるそうである.

チベットゲストハウスに到着

チベットゲストハウスに到着

トリブヴァン国際空港から埃だらけの道を辿り,予約してあったチベットゲストハウスに到着した.風呂も付いていてとっても安いので結構であろう.一週間泊まっても前回のハイアットリージェンシー一泊分より安く上がるのだから気に入った.

ここには,トレッキングの後,チトワンに行った後,と都合3回泊まることになるが,皆別の建物で,なかなか客室の多いゲストハウスだ.写真は受付のある主館.

到着後電話で,ガイドGさんに連絡し,翌日ここでトレッキングの打ち合わせを行うことにした.

マオイストが練り歩く

マオイスト

表に出てみるとゴチャゴチャした街の様子に何ら変わりがない.以前は首都カトマンドゥにまでは及んでいなかったネパール共産党マオイスト(毛沢東主義者)派の勢力がついにここまで来たようで,鎌とハンマーの旗で練り歩く様子が見られた.4月10日に選挙があるそうで,その選挙運動のようだ.他の政党のデモも見られるがやはり,マオイストが派手にやっている様子だ.

チベットゲストハウスのロビー

チベットゲストハウスのロビー

このゲストハウスのロビーには,写真のようにネパール国王の肖像画などと共にダライラマ14世の肖像画も掲げられていた.仏像もあり,線香が白い煙を上げ,庭にはタルチョーが掲げられている.経営者もしくは創業者は多分チベット人なのであろう.チベットでダライラマ14世の写真を掲げたら,いや持っているだけで逮捕であろうから,ネパールはまだ現在自由があるというものだ.しかし,もしマオイストが勢力を強めたら......

さて到着した翌日3/16(日)ガイドGさんとロビーで久しぶりに再会した.Gさんは以前とあまり変わりない様子であった.筆者に対しては,少し痩せたようですね,と言った.

早速こちらの希望トレックルートと15日間の日程案を示した.Gさんが,概ねそれでいいでしょうと云うことで,費用を提示して貰い,直ぐに支払った.可能であれば,次の日からスタートしたいと云う筆者の要望に応え,早速Gさんがバスの切符とポーターの手配に向かった.成否については後で電話してもらうことにした.

一番早いバスの切符を入手し,カトマンドゥから連れて行くポーターをアサインした旨連絡があった.ポーターは従来は大体現地で探していたが,最近ランタン入り口辺りの村ではマオイストの支配下に置かれ,上納金があるため料金が高めで,選挙運動のため確保自体が難しいそうである.そのためカトマンドゥから同行することになった訳だ.ポーターはガイドGさんと同じシェルパ族で同郷,現在カトマンドゥ在住のJさんという人だそうだ.

さて,バスとポーターの手配が順調に進んだので,早速翌3/17から3/31まで,15日間の日程でトレッキングを行うことになった.先ずは順調なスタートだ.

この日は一日中近所からドラムやシンバルの音が鳴り響いており,いつもこんなに騒々しいのか?とゲストハウスの案内係に訊いたら,「お隣さんで法要があり坊さんが来ているためで,今日だけです」ということだった.なら,いいかとトレッキングから戻る3/31の予約をしたのだった.それ程混んでいるように見えなかったので,わざわざ予約は要らないかな~とも思ったが,実はこの予約は大いに役立った.なぜなら,3/31トレッキングから戻り,受付の前に立つと,いきなり「部屋はありません」と言われたのだ.「予約がありますよ」と返したら,確認して直ぐに部屋を用意してくれたのだった.

チベットゲストハウスにはインターネットルームがあって,6~7台のPCを備えている.1時間Rs30(30ルピー)でリーズナブル料金だ.計画が固まって,明日から歩き始める旨家族にメールすることにした.ただOSに日本語が組み込まれていないので,結構大変だ.つまり,自分のアカウントのサイトを開くと,日本語でメールが読めず,書けないのは仕方ないが,日本語のメニューやボタンが訳の分らない文字に化けたり,四角形で表示されるので,どれが新規メール作成だとか送信だとかがさっぱり判らない.配置の順番とかのかすかな記憶を頼りに半ば手探りで試行錯誤しながらようやく送信できた.

英語版OS下でも日本語表示できるツールとかないものだろうか.....?どなたかご存知の方に教えていただきたいものだ.

MSのHotmailやGoogleのGmailをアカウントを日本語のサイトでなく,英語のサイトで確保しておけば少なくとも文字化け問題だけは解消しそうだが.....



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