トレック第12日目(3/28)Trek Day 12(3/28)

トレック第12日目はゴサインクンドからタレパティへと,今回のトレッキングで最も長い行程を歩く日だ.

ゴサインクンドを出発leave Gosainkund for Laurebinayak Pass

ゴサインクンドの小屋の朝

ゴサインクンドの小屋の朝

今日はこれまでで一番長く歩く予定で,早めに起きた.室温は-3℃とやはり低く,隙間風がビュービュー入り込むので寒い.荷物をまとめて,ダイニングルーム暖炉端に駆けつけた.他のトレッカーも早めに出発するのだろう,既に暖炉端に陣取っている.この日はこの暖炉で焼いたチャパティと目玉焼きにミルクティーとした.


ゴサインクンドを7時半に出発

7時半に出発

山陰に隠れ,まだ陽の当たらないゴサインクンドを右に見ながらラウルビナヤク峠に向け出発した.ゴサインクンドの辺にはヒンドゥーの神々の像など見られるが,仏教のタルチョーも掲げられている.つまり,ヒンドゥーだけではなく,仏教の聖湖でもあるのだろう.

途中,リュックに付けた温度計を見ると-10℃を示し,メチャ寒い.今回のトレッキングで遭遇した最低気温だ.なので,ときどき道が氷結しているところがあり,危険がいっぱい.慎重に進んだ.


下は,ゴサインクンド付近朝の眺め

ゴサインクンド付近朝の眺め
ゴサインクンド付近朝の眺め ゴサインクンド付近朝の眺め ゴサインクンド付近朝の眺め ゴサインクンド付近朝の眺め ゴサインクンド付近朝の眺め ゴサインクンド付近朝の眺め

ラウルビナヤク峠Laurebinayak Pass(4,610m)

背後にはゴサインクンドとガネッシュ

途中,背後にはゴサインクンドとガネッシュ

暫く登ると尾根近くになり陽が射すようになる.背後を振り返ると,半分陽の当たったゴサインクンドとガネッシュヒマールの頂が少し見えてきた.左はマナスルであるが,雲がかかり,その部分を想像で補って眺めてみる.


斜面を行く

斜面を行く

さらに登り,雪が残る斜面の道を行く.天気がいいので照り返しが結構ある.お気に入り資生堂のサンスクリーンは大いに役立ってくれる.


スルジェピーク(Surje Peak)

スルジェピーク(Surje Peak)

やがてこの黒い山,スルジェピーク(Surje Peak:5,145m)の脇を通過する.雪を被っていないせいか地味な印象で,ガイドGさんに教えてもらわなければ,そのまま通り過ぎてしまいそうだ.


スルジェクンド(Surjakund)

スルジェクンド(Surjakund)

これがおそらくスルジェクンド(Surjakund)だと思う.この手前,道の左側にもう1つ幾らか小ぶりの湖があって,多分ガネッシュクンド(Ganeshkund)ではないかと思う.今となっては記憶が曖昧になってしまったが.....


ラウルビナヤク(Laurebinayak Pass)に至る

ラウルビナヤク(Laurebinayak Pass)に至る

そのうち,黒い岩の上にはためくタルチョーが見えてくる.ラウルビナヤク峠(Laurebinayak Pass:4,610m)だ.今朝ゴサインクンドを発って,ここに来たトレッカーは数組いたが,皆一様にここで腰を下ろして一休みだ.さてここを過ぎれば後は下りに入る.

ところで,ゴサインクンドを挟んで北には,一泊したラウルビナヤクという地名があり,南にはこのラウルビナヤク峠があって,混乱してしまうが,地図には確かにそう記してある.ガイドGさんによれば,ラウルビナヤク(Laurebinayak)とは「杖なしで」と云う意味らしいが,さてどうしてそういった名称になったのかまでは聞かなかった.


下は,ラウルビナヤク峠までの写真

ラウルビナヤク峠までの写真
ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真
ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真 ラウルビナヤク峠手前の写真

フェディへ下るgo down the pass to Phedi(3,630m)

ラウルビナヤク峠も越えるとどんどん下り道

どんどん下る

ラウルビナヤク峠も越えるとどんどん下り道となる.途中珍しく登ってくるパーティに出会った.この逆方向からのコースは私たちの方向と比べるときついそうだ.

やがて9時頃になって,閉鎖された1軒の小屋脇を通過した.今閉まっているということは,夏のヤク放牧で上がって来た際に用いられるものか?

フェディでお茶

フェディでお茶

10時少し前,フェディに到着した.フェディ(Phedi)はネパール語で麓の意だそうで,あちこちにこの地名がある.谷を挟んで手前側のここと,渡った先とに2軒の茶屋があるようだ.ここではいつものようにミルクティーを頂いた.

背景の山は,1992年7月カトマンドゥ行きタイ航空エアバス機が悪天候のため激突,多数の犠牲者が出たところだそうだ.激突場所はちょうどこの写真の山の背面になるようだ.傍らには慰霊のためのチョルテンが築かれ,これをコルラして冥福を祈りながら下った.


下は,フェディ辺りまでの風景

フェディ辺りまでの風景
ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景
ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景 ラウルビナヤク峠フェディ辺りまでの風景

ゴプテを越えるgo beyond Ghpte(3,430m)

木立が現れる

木立が現れる

フェディから少しすると木立が現れてくる.道端にはピンクのかわいい花も盛んに咲いている.大分標高が低くなったのであろう.

この辺りで,ガイドGさんがケータイが使えるか試していたが,残念ながらまだダメのようだった.

フェディからはまたアップダウンの多いトレイルの始まりでもある.あの峰に登れば,行き先のゴプテが見えるかな~?などと思いながら辿り着くと,次の峰が待っている,まあ,そんな感じだ.


アップダウン

このアップダウンだ

左側に見えるはシャクナゲの木であるが,この辺りでは花の時期はまだのようである.アップダウンの多い道には雪が残り,滑らないように飛び石を探して歩く.

こんな道を暫く行くと,孤立した一軒の粗末な茶屋に至る.12時頃であった.茶屋のかまど脇でミルクティーとビスケットを頂戴した.ネパールのビスケットだけは美味しく,無難というか,お奨めできる.


ゴプテの茶屋では小さな姉妹がお手伝い

小さな姉妹がお手伝い

また暫く歩いてゴプテに到着した.1時近くだった.ゴプテには2~3軒のロッジがあったであろうか.何れも質素な佇まいだ.小さな姉妹がドッコでミネラルウォーターを運んでいた.ちょうど今学校が春休みで,麓の家から,父親が営んでいるこの小屋まで手伝いに来ているのだそうだ.

ここではマッシュルームスープにインスタントラーメンの昼食を食べてみた.マッシュルームはこの辺りで採取したものを乾燥したもので,まずまずの味だった.


下は,ゴプテに至るまでの写真

ゴプテに至るまでの写真
ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真 ゴプテに至るまでの写真

ゴプテの茶屋で食事を済ませ,さて頃合をみて出発しようかと言っていた矢先,雪がぱらついてきた.これはぐずぐずしないで下った方が良さそうだ.

タレパティに到着get to Tarepati(3,510m)

山を越え,谷を越え

山を越え,谷を越え

相変わらずアップダウンが続く.天気が悪くなったせいもあり,これまでで一番難儀な所,という印象だ.そのうち雪が結構激しくなり,カメラはリュックに片付けたため,ゴプテ~タレパティ間の写真が撮れなかった.


タレパティのロッジに到着,暖炉へ

タレパティのロッジに到着,暖炉へ

タレパティには4軒のロッジがあった.その中の1つ,ホテルゴサインクンダ(Hotel Gosainkunda)に泊まることになった.部屋はバカ広いツインルームだが,隙間風がビュービュー吹き抜け,まあ野趣に富むという印象だった.尤も,3:40PM,ロッジに到着した後,雪は雷と風を伴い激しさを増し,就寝のころまで続いたため,それが印象を強めたようではある.

ガイドGさんが,「夕食には水牛肉のモモ(チベット餃子)を頼んでおきました」と言ってくれた.やった~,今回のトレッキングで,肉が食べれるのはこれが最初だった.クーンブ地方は時々食べれたが,ここランタン/ヘランブーエリアはなかなか食材が手に入らないようだ.硬めだが美味しく頂戴した.

ところでこの辺りは既にランタンエリアを過ぎ,ヘランブーエリアに属するそうだ.住んでいる人たちもチベット族ではなくタマン族に代わったようである.

このロッジでトレッカーは筆者のみであったが,食事が終わり,夕刻遅く降りしきる雪の中,地元民二人連れが立ち寄り泊まることになった.Gさんによれば,4月上旬の選挙の運動ではないかという.この人たちも水牛のモモにしていた.さてはこのロッジの名物かな?



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