このアルケットへ編では10月31日朝カンチョクを発ち,アルガート(アルガートバザール)に至り昼食をとり,午後アルケットまで歩いたときの写真と記事を掲載した.
隣の部屋のミカンのバイヤー二人は朝早く出発した.その頃窓の外を眺めるとバスがエンジンを始動し,出発していったのでこれに乗ったのかも知れない.後で聞くとこのバスは今日歩く予定のアルガート行きだそうだ.
7時前,荷物をまとめ食事のため下に降りた.ポーターRさんは既に祖父母宅から戻り,下で待機してくれていた.朝食はエッグバーガーというか,2枚のパンで玉子焼きを挟んだものだった.パンがパサパサで,玉子焼きはこの辺りでは一般的な油でベタベタタイプなので,正直あまりお薦めできるものではない.
改めて表からこのバッティを眺めると,宿泊した部屋は水色側2階にあったのだが,3階にも部屋があるようだ.この下がキッチン兼ダイニング,その右隣が雑貨店舗になっている.
朝食の後,アルガートに向け歩き始めた.標高は概ね900m台と低く,気温は高めであるが,この日は雲が多く直射日光がなく楽だ.小一時間ほど歩くと,大きな菩提樹の下に簡易なチョータラがあったので休むことにした.この辺りは亜熱帯に属するのであろう,菩提樹やガジュマルの大きな樹木をしばしば見かける.
Rさんは祖父母に付けてもらったのであろう,額に赤いティカが記されていた.なお祖父母に会ったのは7~8年ぶりとも聞いた.
さらに行くと,アルガートに向かうバス通りに出て,斜面には広大な稲の畑が連なり,黄色い稲穂が収穫の頃を迎えていた.この辺りはカヤパニ(Kayapani)と呼ばれるヒンドゥーの村だそうだ.広い農地を擁しているので比較的豊かな村だそうである.
写真のようにバス通りはひどい状態だ.乾季の今でこの有様なので,夏の雨季にはさらに悪化し,通行不能に陥ることもしばしばだそうである.
カヤパニを過ぎさらに行き,アルガートの少し手前に至ると道端に質素な作りの茶屋があった.簡単な雑貨店舗も兼ねている.ここでお茶を入れてもらうことにした.毎日何人くらいの客がありますか?と訊いたら,まだ開店4日目で何とも...だそうだ.そう言われれば,作りは質素ながら柱もかまども新しいようだ.また意外なことに屋根の上の看板にyahoo.comのメールアドレスが記されている.丘の上の母屋にPCを備えているそうだ.メールで写真送りますからと,ご主人にお店の前に立ってもらいシャッターを押した.帰国後メールにアタッチし写真を送ったが,さてうまく受信してくれたかな~?
下は,カンチョクを出てカヤパニ,アルガート手前辺りまでの写真
茶屋を後にし少し歩くとブリガンダキ(Buri Gandaki)の大きな川が見えてきた.アルガートからラルキャラ(ラルキャパス)近くまで,マナスルサーキットの東半分はこの川沿いを歩くようになっており,その出合い自体期待感とある種の満足感をもたらしてくれる.
トレイルから川原に至る斜面の畑の稲は一部は既に刈り取られ,乾燥のため畑に横たえられている.
ブリガンダキが見えて少し行くとアルガートの町入り口になる.標高は565mと大分低くなった.上述のように必ずしも道の状態は良くないがここまでバスが通うことができ,実際1台停車していた.
アルガートはしばしばアルガートバザール(Arughat Bazar)と呼ばれるようにたくさんのお店が軒を並べた大きな町だ.交通の要衝にあって,ブリガンダキ流域では最大規模という.
町の一画には,土嚢を積み上げた背後に銃を持った係官の立つチェックポストがあり,ここでパーミットを提示し手書き帳簿に記す,いやガイドPさんが書いてくれた.今どきオンライン照会も何もできないこのシステムの有効性については甚だ疑問であるが,本来最低限2人のトレッカーという制約に関しては何のお咎めもなく通過させてくれるのはありがたい.
オフィサーに訊くと,この日11時過ぎの私は31番目の記帳者で,30人目までは朝記帳した大きな2つのグループのトレッカーということだ.バスがアルガートまで入るようになって,大半のトレッカーはここからスタートするようだ.
チェックポストを過ぎてなお小さなお店が続き,やがてそろそろ終わりかなという場所の食堂でランチとした.ダルバートであることに変わりないが,野菜カレーの具や辛さは少しずつ異なるとも言えようか.
アルガートはマガール族,タマン族,バーマ族,ネワール族など住むそうである.マガール族とガイドPさんと同じタマン族は多くが仏教徒(一部ヒンドゥー)で,文化や居住エリアも少し似た面があるそうだ.例えばこの後アルガート先の住宅軒先で「写真を写せ」と言ってくれた婦人の鼻ピアスやネックレスなど装身具の習慣は,この2つの部族で共通性が高いそうである.
この日は朝から雲が多かったが,北の方はかなり黒い空模様になってきた.雨になるかも知れないな~
下は,アルガート周辺の写真
アルガートから暫くは概ね北の方向に歩く.天気の日もこれでさほど顔が焼けないで済むであろう.昼食後差し当たり今日の宿泊地アルケット(Arkhet)に向け出発した.道は一見広く,「この先もバスが入れるの?」と思ったが,直ぐに岩だらけで,また橋のない小川が横切るような道に変わっていった.ただアルケットまたはその近くまでは4WDなら通行可能なようで,通り過ぎる車両があった.
暫く歩くと川に出合った.地図を開くとアデーリコーラ(Adheri Khola)のようである.橋はなく飛び石を渡るのだが,この時期はいいとして水かさの増える雨季はちょっと大変になりそうだ.川の先にはアルケットの街が見えている.
午後2時半頃アルケット(Arkhet)に着いた.雨にならなくて助かった.アルガートほど大きくはないが,ここもバザールと呼ばれることがあるそうで,色々なお店が並んでいた.宿の数はあまり多くはなさそうで,Pさんがバッティに当たったが,最初のは満室で,次のが何とか確保できた.早速2階の部屋に梯子で上り,荷物を運び入れた.窓から覗くと,どことなく時代劇の江戸の街を少し雑にしたような光景に感じられた.
お手洗いは道路を挟んだ反対側にあって,ポーターRさんが「恐ろしい!」の一言で的確に状況を伝えてくれた.確かにその通りで,まあ今回,これ以上の所は無かったので良かったかも....
バッティの一階はキッチン兼ダイニング兼小店舗になっており,奥さんが例によって多少甘すぎるお茶を入れてくれた.傍らでは1歳余りの可愛い男の子が揺りかごで愛嬌を振りまいていた.
下は,アルケットまでの写真あれこれ
午後6時,夕食のダルバートで2階から下に降りる.ガイドPさんがこの先なかなか食べられなくなるだろうと気を利かせ,チキンカレーの小皿2つも添えてくれた.ありがとう,美味しかった.
2階の部屋に戻るとバチンバチンと爆竹が鳴り始めた.ティハール祭りで子供たちが騒いでいるようだ,窓は開いているが,電灯がない(配線はあるが実際は点かない)ためかあまり虫は入ってこないようだ.暗いと眠くなるのも早い,お休み~また明日.