D8:サマゴーンへtrek to Samagaun

このサマゴーンへ編では2010年11月6日朝ローを出て,シャラを経由してサマゴーンに至り宿泊,翌11月7日はサマゴーンに滞在し,サマの丘など訪れたときの写真と記事を掲載した.

ローにてat Lho(3,150m)

ローで朝のマナスル

朝のマナスル

ローの朝早く,丘のゴンパに登ってみた.マナスルとマナスル北が輝いていた.6時半を過ぎており,ちょっと遅かったようだ.全体に光が廻り過ぎているが,それでも赤みはまだ残っているようで,まあ好しとするか.


ローゴンパ上から眺める

ローのゴンパはかなり大きく,周りに僧坊と思しき建物が取り囲んでいる.カラマツが朝日に輝き,北のチベット国境に聳えるクタンヒマール(Kutang Himal)が存在感を示していた.

ローゴンパ上の眺め上から眺めたローのゴンパ

ローを出発

ローを出発

前のページで記したように,ゴンパの散歩から戻ると急遽サマゴーンまで行くことになった.急ぎ荷物をまとめ,西へと向かった.先ず順光でくっきりのマナスルやピーク29に向かい,複数のチョルテンと長大なメンダンが連なる写真のトレイル左側を越えた.


下は,ローの写真いろいろ

ローでの眺め
ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め
ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め ローでの眺め

シャラを通るgo through Shyala(3,620m)

シャラの入り口カンニ

シャラの入り口カンニ

丘を登るとシャラの入り口で,カンニがあった.その先には直ぐシャラ(Shyala)の村が見えた.急に展望が開けるので驚いてしまう.


シャラのパノラマ展望

シャラのパノラマ展望

シャラの村は結構広い台地の中央を通るトレイルの両サイドに建てられた家々から成っていた.家は石造りで板の屋根だ.ただ村に人の気配はなく,ちょっとゴーストタウンのように感じられなくもない.殆ど全員ジャガイモの収穫で出払っているらしい.

人の気配はないが周囲の展望は素晴らしい.360度全てが山で,シムナンヒマール(Simnang Himal)ピーク29/ナディチュリ(Peak 29/Ngadi Chuli)マナスル(Manaslu)マナスル北(Manaslu North)クタンヒマール(Kutang Himal)ラプチュン(Lapuchun)などに取り囲こまれている.

このような素晴らしいところであるが,茶屋は一軒も見当たらない.村の終わり辺りでロッジの看板らしきを見かけたが,営業しているのかどうか定かでなかった.この後の通過点や宿泊地を含めて,ここは最も眺めの良い所に思われ,近い将来ここの誰かが茶屋やロッジのビジネスを始めるのではないかと思われた.


シャラ

可愛い顔のシャラ出口カンニ

カンニに描かれた目が可愛い.普通インド仏像の目の形でデザインされていることが多いが,このようにごく素朴な目の場合もある.色あいもなかなか清々しく,いい感じだ.


シャラ360°パノラマ

シャラは360°山に囲まれている.横スクロールのパノラマにしてみた.


下は,シャラとその辺りの写真

シャラとその辺りの眺め
シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め
シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め シャラとその辺りの眺め

サマゴーンに到着get to Samagaun(3,500m)

チベットに向かうキャラバン

チベットに向かうキャラバン

シャラを後にしサマゴーンへと向かった.途中チベットに向かうキャラバンと一緒になった.交易品はジャガイモなどであろうか?チベットから戻るときは衣料品や加工食品など豊富だそうである.ヤクなど家畜そのものもよく取引されるそうだ.

一行は今日サンドゥで一泊し,明日サンドゥからの北東トレイルを辿りチベット国境を越えるそうだ.国境でのパスポートコントロールなどは無いそうで,自由に行き来できるらしい.でも多分,この辺りに住むチベット族だけの特権で,例えば私たちが勝手に越えることはできないのではなかろうか.


サマゴーン手前の広い平原

サマゴーン手前の広い平原

やがて随分広々とした場所にやってきた.今は枯れ草だけであるが牧草地やジャガイモ畑になっているようだ.その先に見えてきたサマゴーンの人たちの主要な農地のようである.また村からは遠そうであるが小学校と思われる青い屋根の大きな建物も見えていた.数日後ビムタン(Bimtang)で出会ったバッティのディディはサマゴーンで教職に就いていると話していたが,多分ここの学校ではなかろうか.


サマゴーンに入る

サマゴーンに入る

平原を過ぎるとサマゴーンの村に入った.入り口にはここも優しい顔の素朴なチョルテンが立ち,少し先にゴンパが見えた.チョルテンの周囲には夥しい数のマニ石が積まれていた.

村の先にはナイケピーク(Naike Peak:6,416m)とその左にシャンチャ氷河(Syancha Glacier)が麓からよく見える.氷河はかなり近くまで迫っているように見える.ただし,上の写真のようにその左隣の山は無名峰ながら寧ろ存在感大きく座っているように感じられなくもない.

なおナイケピーク(Naike Peak:6,416m)はネパール政府認定トレッキングピーク対象として結構大勢が登山に挑むそうである.Pさんも途中のキャンプまで行ったことがあるそうだ.


サマゴーンのロッジに到着

サマゴーンのロッジに到着

サマゴーンの本村を越えて行くと,チェックポストや比較的新しいロッジや小さな雑貨店のあるエリアとなった.12時前であったがこの辺りに至り,Hotel Norbu Sama Gorkaと長い名のロッジに泊まることになった.ロッジは4部屋あり,あまり広くないが母屋とロッジの間の庭をキャンプサイトとしても提供していた.

ロッジ客は筆者一人だったが,庭には既に一張りのテントがあった.前日到着し,この日も宿泊するというオランダの比較的若いカップルのトレッカーだった.随行のポーターなど9人のスタッフは母屋のダイニングルームなどで休むようである.


下は,サマゴーンまでの写真

サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め
サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め
サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め サマゴーンまでの風景とサマゴーンの眺め

サマゴーンの古い村を歩く

サマゴーンの古い村を歩く

ロッジで昼食の後サマゴーンの古い村を歩いてみた.村には西から東へと向かう2本の小川が流れ,その脇に家々が並んでいる.家は石造りの二階建てで,概ね一階は家畜の飼料置き場や物置になっているようだ.家の前の庭は家畜囲いになっており,放牧場から戻ったヤクや馬がねぐらとしているようだ.

村の中をほっつき歩いていると「こちらに来て」と,2度ほど声を掛けられた.何れも身につけている装飾品を買わないか,というセールスだった.これがお店の店員とかではなく,軒先で家事をやっているような普通の主婦と云った感じの人からなので,驚いてしまう.やはりチベット族の人々は生来の商売人なのかな~と改めて感心する.ただこう云った品々の商品価値を解しないカナジーでは相手が悪かったと思う.早々に引き上げてしまい,すみません.

ところでサマゴーンのゴーン(gaun)は単に「村」のことだそうで,サマ(Sama)だけでも同じことだそうだ.この村は標高3,500mに位置し,真冬はもっと下の,今朝発ったローまで下って過ごすのだそうだ.当然家畜も連れて,また学校も閉鎖され....いろいろ大変であろうが,長年そうした営みを続けているようである.


下は,さらにサマゴーンの写真いろいろ

サマゴーンの眺め
サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め
サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め サマゴーンの眺め

サマゴーンのロッジに戻りロッジの部屋でポケーと一休みした.まだ陽のある表に出てみると,軒下には何故かLEDやFLでなく裸電球が煌々と灯っていた.電力が豊富なようだ.またテントが一張り増えていたが,主は仏のDqさんだった.「ローにもう一日居ると言っていたのに!」と先ずは咎められる.「いや~ガイドの気変わりで....」と,主従逆のような弁明に呆れられる.で,Dqさんからは,プンゲエンゴンパでの眺め,ピーク29やマナスルが極めて間近で素晴らしかったとの話を聞く.

Dqさんはこれまでエベレストエリアやインド側からのカンチェンジュンガトレック経験があるという.この先は大変なマカルー,ムスタン,ドルポなど行ってみたいと言う.ムスタン以外は何れもバッティがなく,大勢のポーターを引き連れて行く必要があろう.ムスタンは最近バッティトレックも可能になったと聞くので,私も行ってみたいものだと思ったりした.

ところでその以前話したことであるが,Dqさんは旅行が大好きで日本には既に6回も来たことがあるという.サルコジ氏など日本嫌いな仏人が多い中で,日本は東アジアでは一番好きな国だそうで,次の3月にまた行く計画だそうだ.まあ,嫌われるより好まれる方が何ぼかいいですね.


サマゴーン朝のマナスル

サマゴーン朝のマナスル

さて明けて11月7日の朝を迎えた.幸い今日も快晴のようだ.何より山では天気が一番なので,これ程嬉しいことはない.

ロッジからは頂部しか見えないので,道の反対側放牧場辺りに行ってカメラを構えた.やがて6時半頃になると東の稜線から陽が当たり輝き始めた.そしてほんの3,4分位であろうか全体が明るく輝くに至った.今回はさほど赤くなることはなかったが,この間の推移は何時眺めてもエキサイトするに値する.

マナスルの名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味するManasaから付けられているそうで,標高8,163mは世界8位となるようだ.また初登頂は1956年5月9日槙有恒氏ら12人の日本山岳会隊の今西壽雄氏,ギャルツェンノルブ氏だそうだ.

サマの丘Sama Hill(3,600m?)

サマのゴンパ

サマのゴンパ

サマの丘に登るには先ずサマゴーンの北外れ高台にあるゴンパを通ることになる.ゴンパはそう大きくないが,周囲には幾つかの僧坊が建ち,歴史を感じさせる.

ゴンパの先,林の丘に入る手前は暫く開放的なカルカが広がっていた.この辺りは標高が高くなったため放牧されているのは専らヤクだ.


サマの丘に登りビレンドラ湖を望む

サマの丘に登りビレンドラ湖を望む

Pさんの案内で木立の中のなかなか分かり難い狭いトレイルを登った.特に赤い葉のトゲトゲの木にはいささか閉口する.小一時間登ったであろうか,やがてルンタの掛かった頂に達した.

頂から登ってきた反対側を見るとエメラルドグリーンの湖があった.ビレンドラ湖(Birendra Tal)と呼ばれるようだ.ビレンドラは2001年まで王位にあり,殺害された先代国王の名前と同じだが,両者関係あるかどうかは不明だ.


マナスルの麓

マナスルの麓

丘からはマナスル麓がよく見える.直ぐ傍はマナスル氷河(Manaslu Glacier)で,圧倒的な氷の量だ.地図でマナスル登山ルートを見ると,氷河対岸のベースキャンプから氷河の源辺りまで登り,氷河をこちら側まで渡り,以降上に向かうように記されている.


下は,サマの丘登り過程での眺め

サマの丘登り過程での眺め
サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め
サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め サマの丘登り過程での眺め

サマゴーンを行くキャラバン

サマゴーンを行くキャラバン

サマの丘から戻るとこの日は後は何もない.通りを眺めていると,幾度となくロバや馬が荷物を背に過ぎて行った.サンドゥまでか?チベットまでか?

午後3時半頃散歩からロッジに戻ると,テント3つが新たに張られていた.朝オランダカップルは出ていったので,Dqさんの分と合わせて4つになった訳だ.

夕方ダイニングルームに行くと,新しいテントのメンバー,30前後であろうか4人の女性+ネパリーガイド1人が座っていた.話し声の雰囲気から,ロシアからですか?と訊ねると,「ポーランドからよ,ロシア語とは同じスラブ系言語で,文法も似ているのよ」と教えてくれた.朗らかで楽しいこの人達とは後にまた再会することになる.

そのうちダルバートが出来上がり,食べていると,Dqさんが傍に来て,またダルバート?と呆れられ,また半ば同情してくれる.そこへロッジのおかみさんが鍋とお玉を持って,「お替りどう?」とジャガカレーを勧めてくれる.とても温かく親切な人で,つい,お願いします!と皿を差し出した.結局ジャガの分ご飯が残ってしまったが.

こうして11月7日は過ぎて行った.明日はサンドゥだ.



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