このラルキャラ越え編では,2010年11月10日早朝ダラムサラを出発し,ラルキャラ(ラルキャパス,ラルキャ峠)を越えて,ビムタンに着き,翌11月11日ビムタンに滞在したときの写真と記事を掲載した.
この日は4時と云う早い時間に起きて,ダッフルバッグに荷物を詰め込む.次にダイニングに行くが,ドイツ衆でいっぱい,ちょっとビビリキッチンに向かい,ここでポーリッジにお茶の朝食とした.
食べ終えると丁度5時,出発予定時刻で,直ちに歩き始めた.別に申し合わせした訳ではないが,ここに宿泊の独衆,仏衆も同じ頃一斉に出発した.まあ,この時間が定番なのであろう.(後で結果からすると,も少し遅く,周りの景色が見えるようになってからのスタートがもっと良かったかとも思ったが)
で,ラルキャ氷河(Larkya Glacier)脇のモレーン上トレイルをゆっくり高度を上げながら行くのだが,暗くて周りはよく見えない.写真は1時間ほど歩いた辺りであるが,白い峰がほんのり見えてきた.どうやらラルキャピーク(Larkya Peak:6,219m)のようである.
さらに30分ほど登ると,凍った池を過ぎ,右手に朝日に輝く峰が見えてきた.山名は不明だが実に綺麗だ.
歩き始めて2時間あまり経った.陽は高くなり,トレイルを燦々と照らすようになった.こうなると暖かいし,眺めもよくなって実に快適に歩ける.写真はヤク追いの休憩所であろうか,或いは避難用であろうか,石室小屋があった.この辺りでちょっと腰を下ろし一休みした.
下は,ダラムサラを出て暫くの間の写真
ここは歩き始めて2時間半ばかり経ったところ.雪も少なく,風もあまりなく,天気は最高,どんどん登った.
ここは3時間程経過した位置.地元の女性たちはまあ簡素な身支度ですたこら登っている.普段から5,000m級のトレイルを歩きつけているのであろう.
9時少し前,スタートから4時間弱経過してラルキャラ(=ラルキャ峠Larkya La,ラルキャパスLarkya pass)に到着した.ここからはマナスルのような特段高い山は見えないが,チベット仏教の慣わしに従い大量のルンタやカタが掛けられている.ガイドPさんにありがとうと礼を言う.また全然いいこともしていないに拘らず天気は最高だった.好天の前借りだ,せめてこれからはいくらか善いことも....
なおポーターRさんは予め,多分頭が痛くなるので,先に下ってます,の言葉通り既に姿はなかった.後で聞くとビムタンには我々より1時間半くらい早く着いたようだった.
一緒の時間に歩き出した独隊,仏隊の皆さんも続々と到着した.Pさんは「ほらやっぱりドイツ人はビール飲んでる」と缶ビールを口にするトレッカーを見付け出した.ラルキャラにはトロンラとかと違ってまだ茶屋とかはない.缶ビールはちゃんと自分達で運んできたものだ.まあ,これもドイツ人魂と言うべきものであろう.
峠の一画には建設中に見える石室があった.避難小屋か?或いは茶屋か?1~2年すればオープンするのかも知れない.
下は,ラルキャラに至るまでの写真
Rさんが言うには,風が強くなる恐れがあるから早く下ろう,ということだ.なので程なく峠の反対側に下ることにした.下り初めの辺りにはいくらか雪の多い所もあったが,太陽光は背からであったし,歩くのは楽だ.むしろ雪のないところは小さな玉石をまぶしたようなトレイルで滑り易く,かなり困惑する場面も多かった.
下は,ラルキャラから下り初め辺りの写真
これが上で述べた玉石がまぶされたようなトレイル.転がり摩擦が滑り摩擦より大幅に小さいことが身を持って体験できる(したくはないのだが).
前方を流れるのはポンカル氷河(Pongkar Glacier)と思われる.氷河は土砂ですっかり覆われているが,それでも結構な河幅があり,なかなか雄大な景観だ.よく見るともう1つの氷河が合流しているようで,多分サルプダーラ氷河(Salpudanda Glacier)ではなかろうか?
ラルキャラから下るとき前方の山々を眺めながら歩くのがなかなかいい.
左(南)からアンナプルナⅡ峰(Annapurna II:7,939m),カングル(Kang Guru:6,991m),テリジェピーク(Tilje Peak:6,532m),ギャジカン(Gyajikang:7,038m),ネムジュン(Nemjung:7,140m)のようである.
この中でアンナプルナⅡ峰は2008年のアンナプルナ一周トレッキングの際,コト辺りで見た眺めと同じで見覚えがあった.
ネムジュンのさらに北側に聳えるのはチェオヒマール(Cheo Himal;6,820m),その下を流れるのはサルプダーラ氷河(Salpudanda Glacier)ではなかろうか?地図で確かめると,この氷河は上のポンカル氷河の手前に位置している.
ところで,朝発ったダラムサラから行き先のビムタンまで,バッティも茶屋も一切ない.ガイドPさんがチベッタンブレッドと(甘過ぎる)チョコレートの簡単なランチを持ってきてくれていたので,二人この辺りで腰を下ろし,広げて食べたのであった.
下は,ラルキャラから下るときの写真
上で2つの氷河,ポンカル氷河(Pongkar Glacier)とサルプダーラ氷河(Salpudanda Glacier)が交わっていると書いた.実はその少し下流でさらに西の一本が加わり,バームダン氷河(Bhamdang Glacier)と名を変えてビムタンの先まで流れているようだ.
という訳で暫くはこのバームダン氷河脇を行くトレイルをどんどん下ることになった.途中ポケットに突っ込んでいた手袋の片側を落としてしまい,以前の帽子のように,誰か拾ってくれないかな~と待ってみたが,今度はだめだった.そしてやがて広いカルカのビムタン村に到着した.1:20PMだった.ビムタンはチベット族夏の村で,見渡すと10軒ほどの家があるようだ.
ビムタンからは写真のようにすっかり様相を変えたマナスル西面とプンギ(Phungi:6,528m)が綺麗に見えていた.またその反対側,西側には下る途中でも見えたテリジェピーク(Tilje Peak:6,532m),ネムジュン(Nemjung:7,140m)が多少形を変えて聳えていた.
母屋の裏手にある標記の名(New Tibetan Hotel)のロッジに泊まった.名の通りチベット族家族の経営で,ダイニングキッチンは母屋にあった.この時は写真のご主人とお嬢さんのディディ二人でロッジ運営しているようであった.
囲炉裏で小粒なジャガイモを焼き食べていたディディに訊くと,現在飼っているヤクは4頭(意外と少ないと思った)で,1~3月はここの住民全員がテリジェの冬の家に下り,過ごすそうである.なお,ここビムタンでは学校がないため子供と母親は居らず,1年を通してテリジェで暮らしているという.またPさんが後で解説を加えるには,テリジェではビムタン住民以外は全員タマン族(Pさんと同じ)ということだ.それと,テリジェのビムタン村民の住居は4軒だそうで,ここの戸数より少ない気がするが.....アパート形式で,一棟で数戸分備えているのかも知れない.
ビムタンに到着し少しすると劇的に霧がかかり曇ってきた.ここまで晴天の中を歩けたのは実に幸運だったと思う.
3時近くになると,どこかのグループのポーター二人が入ってきて,ディディがお酒の燗の用意を始めた.ポーターとしての今日の仕事は完了したのであろう.美味しそうだ.
下は,ビムタン到着までの写真
さて11月11日の朝がきた.昨日夕方から完全に曇っていたのだが,全く晴れていたので驚く.この日はビムタン滞在だし,結構結構!
朝6時半頃になると西の峰に朝日が当たり始めた.テリジェピーク(Tilje Peak:6,532m)とギャジカン(Gyajikang:7,038m),ネムジュン(Nemjung:7,140m),チェオヒマール(Cheo Himal;6,820m)が徐々に明るくなっていった.
ビムタン西のバームダン氷河(Bhamdang Glacier)モレーンの丘に登ってみた.氷河はすっかり岩石で覆われ,果たしてまだ下に氷が残っているのだろうか?と思われるほど白い部分は見えない.それでも結構迫力ある光景だ.
ここから広いビムタンの谷を見下ろすと,典型的な氷河のアブレーションバレーであることもよく判る.
次に反対の東側に目を転じると,こんな風に見える.バームダン氷河に氷河湖ができ,こうした湖の典型的色彩の水面を覗かせている.とてもきれいだ.
氷河の先に聳えるのはプンギ(Phungi:6,528m)で,なかなか険しそうな山だ.完全逆光なのがちょっと残念だ.
プンギの左(北側)はこの下の写真のマナスルとマナスル北峰へと続いている.
午後になり,マナスル北峰,マナスルに注ぐ光線の状態も良くなってくっきり見えてきた.
ここから眺めるマナスルのてっぺんは縁がペグで張られた平らな布のように見える.でもこの特徴から他と見間違うことは先ず起こりそうもないであろう.
それにしても北面とは随分,いや全く違う形で,改めて驚く.
午後2時半になった.ラルキャラから続々と下山し,ビムタンのカルカにはたくさんのテントが張られていった.仏18人,同4人,スペイン17人の大部隊に,1~2人のテントもあるようだ.今日は実に盛況だ.なお昨日も仏隊,独隊でかなりのテントがあった.こうして見るとマナスルのトレッカーは結構あるようだ.
下は,ビムタン滞在時の写真あれこれ
午後からは徐々に雲が湧き出てきた.プンギに架かる雲も陽に輝いてなかなかいい光景である.だがしかし雲はどんどん厚くなり,やがて全天を覆うに至った.どうやら本格的に天気は下り坂に入る様相だ.
そのうちに30歳くらいであろうか,若いカップルが到着,このロッジに投宿するそうだ.部屋の外で薄い板金を折り曲げて,何か作っている.挨拶がてら,何ですか?と訊ねると,ガスバーナーの囲いだそうだ.ドイツの人たちで,話すときも食事のときも,とてももの静かで優しそうな人たちだった.
夕方になると英のDsさんが下ってきて久しぶりに再会した.Dsさんもここに泊まることになった.母屋のキッチンで一緒にダルバートを食べ,話す.Dsさんはローで2泊したそうで,そこのロッジのご主人から貰った名刺の電話番号が何故かシンガポールの番号,ただそれは独身の頃ハンドクラフトの取引でしばしばそこを訪れていたからで,結婚した現在は奥さんが嫌がるので,最近はチベットとのヤク取引などに専念している.....等々,四方山話を延々と続けた.
ということで,今日のニューチベッタンホテルは大盛況,3部屋も客が入った.なおここのお手洗い小屋はNY辺りのオフィス並に鍵が掛かっており,使用時は一々キーを借りなければならない.ご主人が言うには「ネパリーには悪いのがいるから」だそうだ.まあ清潔が保たれるのであればこれも良かろう.
さて明日の天気は期待できないようだが,まあ今回の肝腎なところは全部見たからいいではないか.お休みなさ~い!