このサンドゥへ編では2010年11月8日朝サマゴーンを出てサンドゥに至り,同日午後サンドゥの丘に登ったときの写真と記事を掲載した.
サマゴーンで2回目の朝が来た.先ずはトレイルの反対側に行きマナスルの日の出を撮影し,戻る.写真の4部屋の小ぢんまりしたロッジ左端の部屋に私が,右端の部屋にガイドPさんとポーターRさんが泊まっていた.昨日お腹をこわし心配だったPさんであったが,今朝は回復したそうでホッとする.庭のポーランド女性グループと仏Dqさんのテントには朝日が当たり始め,長い影を投影した.ポーランド隊は高度順応のため今夕もここに泊まり,Dqさんはマナスルベースキャンプに向かい,そこで一泊した後サンドゥに入るそうだ.
私たちは朝食の後,皆さんにお暇し,サンドゥへと向かった.
サマゴーンを出て暫くはブリガンダキ脇の高台,若しくはアブレーションバレーのような地形のトレイルを歩いた.所々流れる小川には氷が張り,トレイル脇には疎らにブッシュのような小さな木が主に生えている.
1時間ほど歩くとマナスル氷河から立ち上がるマナスル全容を見渡す場所に至った.実に雄大な眺めだ.
やがてマナスルが隠れ,広い谷底の道は緩やかな登りが続いた.所々にチョルテンや長大なメンダンが見られるのはこれまでと同様だ.
後ろを振り向くとナイフエッジ状稜線を持つシムナンヒマール(Simnang Himal)と,その背後にはラニピーク(Rani Peak)ではないかと思われる峰や周辺の山が望めた.
そこからさらに進むと白い木肌の比較的大きな木の生える地帯に入った.何の木であろう?そしてそこから遙か遠くにサンドゥのカンニが見えてきた.
下は,サマゴーンを出てサンドゥに向かうときの写真
サマゴーンからサンドゥまでトレイルは良好で,距離も短い.そんな訳でブリガンダキを越えると,程なく10:00AMに到着した.サンドゥの風景は全体が茶色がかって見えるような印象だ.3,900mに達し,緑が少なくなったためであろう.
サンドゥでは入り口にあったヤクホテル(Yak Hotel)というロッジに泊まることになった.早速昼食を注文し,1時間ばかりして出来上がったダルバートをダイニンルームで頂戴した.
私たちより少し後に,数日前タトパニで一緒になったことのあるドイツ16人大パーティが到着し,お向かいのキャンプサイトでテントの準備を始めていた.
下は,サンドゥへ行く途中とそこでの写真
サンドゥの集落は広く平らなカルカと背後の丘の立ち上がる境界に集中した家々から成っていた.集落にはゴンパもあって,ちょうど通りかかったとき読経の声が聞こえてきた.
さてそのサンドゥの集落の背後に来ると,東の正面に聳えるパンポチェ(Panpoche:6,620m)の麓から頂上まで見渡すことができて好都合だ.
この山はつい最近,2009年10月に日本山岳会学生部パンポチェ登山隊の蔵本悠介氏らが挑戦し,残念ながら頂上には至らなかったようだが,頂近くまで達したそうである.
サンドゥの集落背後の丘を登り,朝歩いてきた南の方向に目を転じると,鋭い稜線のシムナンヒマール(Simnang Himal)と周辺の峰々が.あたかも剣山のように林立している.
左背後はラニピーク(Pani Peak)かな~?と思われるが,あまり自信がない.
そして右背後,逆光であるが,高いのがヒマールチュリ(Himalchuli)のようである.
丘をさらに高く登ってみた.南西はマナスルの方向なのだが,逆光でどうもはっきりしない....と言い訳してみる.一番高く見えているところがそうかな~?
ヤクはこの辺でも僅かな枯れ草を食んでいたが,夕刻になると一部は自主的に,一部は登ってきた村人に追われながら下っていった.あまり近くを通過されるとその巨体に慄いてしまった.いや~迫力だ.
ヤクが戻ると同じ頃ロッジに戻った.夕食時,少し寒いのでキッチンのかまど前に座らせてもらった.この日は馬の隊商一行も宿泊したため,かまど前は満員盛況で,宿の奥さんは大忙しだ.こんな場合,隊商の人たちも,ガイドPさんも,ここらの慣例に従い調理を手伝っている.
かまどの上には燻製にするヤク肉がたくさん下げられていた.美味しそうに見えたが,Pさんによれば相当堅いそうで,自分の歯ではちょっと無理かな~と諦めた.
下は,サンドゥの丘に登ったときの写真
さて,こうして11月8日は終わろうとしていた.翌日も時間調整(予定より早く来ているため)でここサンドゥに留まる予定であった.だが,ちょっと風邪をひいたのと,天気の崩れないうちにラルキャラを越えてしまった方が無難ではなかろうか?とPさん,Rさんに相談してみた.すると二人とも同意したので,翌日はダラムサラに行くことにした.多分明日も晴れてくれるだろう.