このタルへ編では2010年11月13日朝テリジェを出て,マナスル保護区(MCAP地区)を抜けると同時にアンナプルナ保護区(ACAP地区)のダラパニに入り,そこからタルまで下ったときの写真と記事を掲載した.
さて11月13日朝テリジェのロッジを順調に発ち,程なく同村の古い出口カンニにやって来た.昨夜馬方がここで宿泊したのであろうか,馬(いやロバか?)が並んで待っていた.こうした馬のいるシーンにはにグルカ以来これまで幾度となく遭遇しているのだが,普段競馬場か時代劇か...滅多なことでお目に掛からないだけにやはり興味深く思えてくる.
下は,テリジェと出て暫くの写真.最初はテリジェのロッジの子
テリジェからドゥードコーラ(Dudh Khola)脇を進むとダラパニに着いた.そのちょっとだけ手前にマナンとラルキャラの分岐標識があって,まだ先があるのだが,マナスルトレックもこれで終ったのかな~と云った印象が微かに浮かんだ.一方,こうしてアンナプルナエリアを再び歩くのもまた興味深いな~とも思った.
チェックポストではPさんが記帳してくれた.外に待つ間,たまたまミネソタから来たという婦人と立ち話をする.そんな中でミネソタと言えばやはり3Mですよね~と云うのが,直ぐ解りあえてやはり話しのきっかけとしていいように思えた,
さて,ダラパニのチェックポストを過ごし,まだ雨は大丈夫かな~とか思いながら下っていった.ダラパニ以降はそれまでのマナスルエリアと違って急激に通行量が増えるが,アジア系,ヨーロッパ系,アラブ系....一応すれ違う人を眺め,適宜挨拶の言葉を選んでいる....つもりだった.
で,あるすれ違い様,「あれ~」と,久しぶりの日本語で声を掛けられる.びっくりして眺めると,1年前カンチェンジュンガでご一緒し,お世話になったMさんだった.さらに周りを見渡すと,な,何と,驚くことにガイドSさん含め,ことごとくあの時同行の皆さんではないか!ごく僅かな時間ながら,再会を喜び,眺めの素晴らしい丘を済ませ,トロンパスに向かう途中と云う現在進行状況をお聞きし,お互いの方向へとお別れした.う~ん,こんなこともあるんだね,と改めて旅の醍醐味を味わう.無事パス越えし,ガリガンダキを歩き,ポカラに戻られたことであろう.
下は,ダラパニに行く時の写真
ダラパニの先,タルの手前,最初サマゴーンでお話しし,前日ソーキコーラでちょっとだけお会いしたポーランド4女性隊の方々とまたお会いした.筆者が疲れた顔をしていたのか,「ヒマラヤンXXXとか」いうゲジゲジや芋虫のような妙な形のゼリー菓子を薦めてくれた.ありがたく,しかし目をつぶって口に放り込んで頂戴した.
さて彼女たちはここから2日間位の短期間で下山する予定だと言うが,多分それが正解のように思う.
マルシャンディコーラが広くなった場所を見下ろす巻き道に来た.その先にはタルの集落が見えている.タル(Tal)は湖のことであるが,この辺りに湖は無いという.雨季にはここの中洲も冠水し,あたかも湖のような景観を呈するのがその由来ではなかろうか.Pさんんに訊くと,彼もそうだろうと言うし.
まだ11時であったがタルのロッジ(パラダイスホテル)に到着してしまった.霧雨程度あるがちょうど降り出したことだし,まあいいか.でもたくさん歩くポーランド隊もちょっとうらやましい.タルの標高は1,710mと低くなり,庭にはマリーゴールドなどの花が咲き乱れていた.
荷物を部屋に置き,先ずはダイニングルームに行った.ちゃんとしたメニューもあるのだが,すっかりネパリー化した身体はダルバートしか許容しなくなっていた(うそ).ディディが来ると,反射的に「ダルバートを」と発してしまった.ダルバートは僅か15分後に運ばれてきた.松屋やすき家とまでは言えなくも圧倒的に早い.少なくともご飯は注文してから炊くのではなく,予め用意してあるのであろう.何れにしてマナスルエリアとは顕著な差がある.少しして4人の中高年トレッカーが隣に座り,挨拶を交わす.トロンパスに向かう仏の人達で,仏の人は多いですね~と話すと,そう,仏にはアルプスもあるし,山に行くのが大好きな人とても多いのよ,と話してくれた.
昼食後はMP3で音楽を聴きながら部屋からマルシャンディコーラを眺める.若干雨脚が強まったのか道行くトレッカーやポーターの合羽姿が多くなった.
下は,タルに至るまでの写真
夕方になり,またダイニングルームに行った.何人かが座りお茶を飲んでいた.中の一人はネパール人ビジネスマンで,ネパール唯一のプロフットボール(サッカー)チーム「マナンマルシャンディ」の会長さんだそうだ.ネパールでサッカーグランドを作るのは容易でないであろうが,一番人気のスポーツのようだ.会長さんは忙しく,今回も含めてヘリであちこち飛び回っているそうだ.空港もごく限られ,車が入れない土地が多いネパールでは,徒歩からいきなりヘリになるが,これもネパールではごく限られた人たちだけであろう.
少しするとDsさんが地図を携えて現れた.午後到着したらしい.この辺りロッジは幾つかありそうだが,やはりここが良さそうと感じたのであろう.地図を広げて,筆者同様時間が余っており「さてどう歩こうかな~」と思案するが,さして変わった解が得られる訳ではなく,「う~ん,明日はこの辺りまでかな~」と常識的な線に落ち着くのであった.Dsさんの地図は筆者のとは異なるが,「使用前,予め裏からテープを貼っておいたのに」と,破けた折り目を見せる.一見紙なんてさほど違いはなかろうと思われるが,見ても判らない違いがあるようだ.
明日はゲルムまで下る予定だ.確かマルシャンディ左岸にあって,対岸に水力発電所が見える辺りだったように思う.