このペワへ編では11月3日朝ジャガットを出て,ガータコーラを経てフィリムに来て昼食,午後エクレバッティを経てペワに至り宿泊したときの写真と記事を掲載した.
快晴であるが,谷あいのジャガットには陽は射さず,写真の色彩はイマイチだ.6:45AMロッジ軒先でパンケーキの朝食を食べる.仏7人隊も既に食事中だった.
少しして英Dsさんが現れ,「何食べた?」「パンケーキ」で同じ物を注文.ここマナスルではメニューはなく,あったとしてもどの道調理できないのだ,とも付け加えた.Dsさんが水道水に浄化薬品を加えて,飲料水を準備しだした.「3年前くらいまではヨウ素(iodine)があって,単に数滴垂らせば済んだ.それが今では全ヨーロッパで販売禁止になり,こうして先ずA希釈液を作り,10分後にB液を加えて出来上がり.面倒でたまらん」と.「どうして禁止に?」と問えば,「役人が仕事を作るためだろう」という解釈をしているそうだ.
さてこうして朝食を済ますと皆一斉に北に向かって歩き出した.
ジャガットを抜け,暫くはブリガンダキ川原のトレイルを進む.やがて巻き道となり,小さな集落を越え,高巻きに入り...と結構変化がある.
写真の辺りは岩を削った巻き道で,住民が長年の歳月をかけて作ってきたのだと思われる.今はロバや馬が通るにも十分な幅があって,しかも岩なので崩れる恐れは比較的少ないであろう.
暫く歩くと向かう北の方角にスリンギヒマール(Sringi Himal)がよく見えてきた.スリンギには幾つかの峰があるのだと思われるが,地図で見ると一番高い峰は7,187mのようである.果たしてこれが一番高い峰かどうかは定かでないが.....
下は,ジャガットを出て暫くの光景
やがてブリガンダキの高巻き道はブリガンダキを離れ,少し台地状地形に向かっていく.そしてシルディバス(Sirdibas)の標識を掲げた村に入っていった.村の入口では素朴な石積みのチョルテンが築かれ,農家の軒先ではニワトリが遊ぶ典型的ネパール山村だ.
シルディバスから少し行くと今度はガータコーラ(Ghattakhola)の村だった.色あせたタルチョーやルンタを掲げた石積み2階建て住宅の1階部分は家畜の飼料置き場などになっているようだ.
ところでガータコーラとは多分近くを流れる小川のことであろう.この小川の辺りには粉挽き水車小屋があり,ちょっと覗かせてもらった,いや無断で立ち入ってみた.ただ小屋は無人で,臼は廻っていなかった.
ガータコーラの外れ,ブリガンダキ左岸に渡る吊り橋の袂にはチェックポストがあり,Pさんに記帳してもらう.ここでは「もう一人は?」と一応訊ねられたそうであるが,「一人は先に行ってしまった」とかで丸め込んだそうである.
下は,ガータコーラ辺りの写真いろいろ
ガータコーラのチェックポストを通ると直ぐにフィリム(Philim:1,560m)に渡る長い吊り橋に差し掛かる.この辺りのブリガンダキ流れが緩やかで幅が広く,橋は長くなる.渡った先は登り斜面になっており,フィリムはその丘の上に位置していた.この長い登りは飯前の運動に十分な量を与えてくれた.
坂を登りフィリムに到着した.一軒のバッティの軒先,いやオープンカフェで落ち着くことにした.先ずは無条件でダルバートを発注し,辺りを見渡す.お向かいのおはじきビリヤードは強い陽射しの下で一層熱くプレーされている様子だった.
ベンチに座っていると,ある人がつかつかとやって来て,語ってくれた.彼は10人くらいの仏隊メンバーの一人で,ゴルカから通常ルートの内側を走るルートで,2つのパスを超えてここまでやって来た.この後,東のツムバレー(Tsum Valley)を5日間かけて往復し,このルートに戻るという.内側2パスルートは小さな地図では載っていないし,ツムバレーも最近注目され始めているがまだ訪れるトレッカーは少ないようだ.
最後に,「今日会う人の80%はフランス人だ」と嬉しそうに語り去っていった.実際この日は仏人が多いし,この後も多かったのは確かだ.
そうこうしているうちに朝ジャガットで朝食を共にしたDsさんがやって来た.同じようにダルバートを頼むが,ちょっとやそっとの時間ではできてこないので茶飲み話になる.
Dsさんはロンドン近くで競走馬のトレーニング会社をやっており,ご自身はマネジメントが主で,奥さんは実際のトレーニング担当だそうだ.毎年今頃のヒマラヤ旅に集中させるため,普段の週末費やす休みをプールしておくのだそうだ.ただ奥さんはそれでも都合がつかず,漸くこの2週間後カトマンドゥに来て合流し,ランタン方面のトレッキングに向かう計画だという.いや~奥さん働き者ですね.
下は,フィリムでの写真
フィリムで昼食の後また北へと向かった.ブリガンダキ高巻きの気持ちいいトレイルを暫く行くと,逆方向から来る7~8人の一行とすれ違う.「ラルキャラからですか?」と訊くと,「オールモースト,越えるため4,800mくらいまで進んだのだけど,雪がこんだけ積り,越えるのが不可能で引き上げたのよ」と,両手を2,30cm開けて見せてくれた.実にお気の毒であるが,それは残念でしたね,と返す他なかった.
多分10月30日の晩に積もった雪だと思われるが,時にこのような不運に見舞われることは避けがたいようだ.Pさんの話では10月中は積雪で越えられないケースは極めて稀で,11月は時々あるそうだ.12月になると寒過ぎて一般向きではないとも話してる.
エクレバッティは「一軒のバッティ」の意味だそうだが,現在は数軒のバッティが見られる.アンナプルナサーキットにも同名の場所があるが,やはり4軒ほど並んでいた.ネパールは現在も確実に人口は増えているのであろう.
ブリガンダキ左岸の高巻き道は続く.晴天も続き実に快適だ.対岸に目を移し仔細に眺めると,ポツリポツリと家が見える.目を凝らすと漸く見える程度の細道で結ばれており,まあ日常生活が大変そうだな~と思ってしまう.多分滅多なことでは他所への行き来は出来なさそうな.......
下は,エクレバッティ辺りの写真
エクレバッティを過ぎて暫く歩くと松の木が多い地帯に入った.岩の上に松の眺めはちょっと山水画のようであって,中国のどこかの風景はこんななのかな~?と思ったりもする.
そして程なくブリガンダキに架かる橋を渡り,右岸に入る.この辺りのブリガンダキは深く速い峡谷となっており,幅は狭くなっている.
東の方からブリガンダキに流れこむ川,地図を見るとサヤールコーラ(Syar Khola)のようである.深く流れる清流で上述のツムバレー(Tsum Valley)は丁度この上流流域になるようだ.Pさんの話ではツムバレー一帯もまたチベット色の濃いところだという.
改めてTsum Valleyを検索してみると,ネパールのトレッキング会社のプランが多数載っている.多くはフィリムからツムバレーに入り,数日で往復しまた普通のマナスルサーキットに戻り,ラルキャパスを越えるプランが示されている.
この後一旦左岸に渡り,また戻るのであるが2つの橋は結構老朽化しており,下が深い谷だけにちょっと緊張する.
やがて午後3時過ぎ,ペワのカンニ(仏塔門)をくぐり,程なくバッティに到着した.ペワの集落はごく小規模で地図にも載っていない.経験あるガイドのみ知っている,という雰囲気の村だ.ただバッティは道端にあるので,通りすがりで泊まる人も多かろうとは思う.現に暫くして,英Dsさんが到着し,泊まることになった.ポーター同士の情報交換でこの辺りに見当を付けていたのかも知れぬが.
夕方になると調理場ではガイドPさん(右)とDsさんのポーター(左)がダルバートの支度に掛かってくれた.この日はロバ隊一行も泊まりで,バッティのおかみさんが忙しいため応援しているみたいだ.出来上がった夕食は結構いける味だった,としておこう.
ところでこのバッティの造りは長屋風で,部屋の上部は仕切りがなく,どの部屋も調理場の天井と繋がっている.なので部屋には煙や匂いが充満してっくるのだ.いや~いろいろなことがあるものだ.
下は,ペワ周辺の写真あれこれ
こうして一日が終わった.今日のトレイルからの眺めは,特にエクレバッティ辺りの広々した光景,その後の松林,サヤールコーラなど素晴らしかった.明日も晴れそうだし期待しよう.