バラドシト村village of Bald Sayt

このバラドシト村編では,2016年11月9日マスカットを出てビマへ行きランチ,その後バラドシト村とファラジシステムを見物し,この村を離れるときの写真を載せました.


バラドシト村5付近のGoogleマップ

マスカットのマトラ3から一旦グランドモスクに行き,その後西の山岳地帯にあるビマへ行き,そこから近いバラドシト村5に到着した.

右地形図のように山あいにあり,標高800~900mくらいに位置しているようだ.

マスカットからビマへgo to Bima

マスカットを離れる

マスカットを離れる

スルタンカブースグランドモスクを見物した後,ビマ(Bima)へと向かった.

途中,街道沿いの幾つかの町や村を通過するが,大まかに言うと殆どが荒れ地の中に位置しているように見える.写真はそんな小さな町の一つであるが,立派なモスクが建てられている.


街道は山あいに入っていく

街道は山あいに入っていく

暫く行くと街道は山あいを縫うようになる.道そのものは良く整備され,100km/hくらいで走れる.

この辺りの山はオマーン山脈(Oman Mountains)もしくはハジャール山脈(Hajjar Mountains)の一部となるようだ.ハジャールとは石のことだそうで,ハジャール山脈はつまりロッキー山脈(Rocky Mountains)と同意となろうか.ハジャール山脈は3,000万年前のプレート衝突により地殻が盛り上がってできたらしい.


オアシスの村のデーツの林

オアシスの村のデーツの林

道路沿いにデーツ(dete(s):ナツメヤシ)の木が茂っている.何らかの水,泉とか山から流れ出る小川....が得られるのであろう.水があるところには一滴も無駄にはせんと,必ずデーツの木が植えられている.しかも古来から続いていることなのであろう.


未舗装路に入る

未舗装路に入る

大分西に来た.この辺りは西ハジャール山脈エリアになるようだ.道路の素晴らしく整備されたオマーンであるが,これから訪れるビマやバラドシト村はあまりにも山奥過ぎて,さすがにまだ未舗装のようである.それでも崖っぷちを走るパキスタンやネパールの道路より少しましかな,いやところどころ崖近くはあるな.


道路脇の岩石

道路脇の岩石

道路脇にはこのような岩石が堆積している.今ここから見える岩山,前日ハイラン湾往復で眺めた岩山と同じ色あいなので同じ成分なのではないでしょうか.私には何という岩の種類か皆目解らないのだが,ハジャール山脈は上述のようにプレート衝突で,海洋や海底を作っていた岩石や地層が盛り上がったもので『オフィオライト』と称されるらしい.でもやはり岩の名は解らない....(涙)


ビマのレストランに到着した

ビマのレストランに到着した

やがてビマ(Bima)のレストランに到着した.レストランの名はない(あるのかも知れないが看板はない).写真左の石室がキッチンで,ネパール人コックが調理しているそうだ.後で話してみたらカトマンドゥから150km離れた村(遠い!)から出稼ぎで来ているという.なおここにはもう一人インド人も働いていた.

写真右の藁葺き屋根の下に客室があり,テーブル席と座敷(カーペット席)を備える.


ブーゲンビリア咲くテーブル席

ブーゲンビリア咲くテーブル席

砂利上のテーブル脇には赤いブーゲンビリアがきれいに咲いていた.藁葺き屋根と相まって南国ムード(実際南国だが)いっぱいだ.テーブルの左にはバフェスタイルの色々な料理鍋が並んでいた筈だ.


スタッフの皆さんはやはり座敷好み

スタッフの皆さんはやはり座敷好み

4人のドライバーの皆さんはやはり座敷好みと見えて,座敷(カーペット席)に座る.私自身の経験では飲み屋の座敷席などちっとも楽でないので,こうしたカーペット席で,果たしてゆったりできるのかな~と心配になるのだが.

それと食べるときはフォークやスプーンは使わず,右手(イスラムの掟の一つ)で摘んで口に運ぶ.つまりインドやネパールと同じ,私たちがお寿司やおにぎりを食べるときと同じ要領だ.


これがビマ料理だ

これがビマ料理だ

これが自分でよそったビマ料理.ピラフに生野菜に,ヤギかビーフの炒めたもの....まあ,これまでと大して変わってはいない.もちろんビールとかはご法度だ.


散水パイプを張り巡らせた家庭菜園

散水パイプを張り巡らせた家庭菜園

レストラン前には干からびかけた家庭菜園があった.散水パイプが張り巡らされ,水補給の大変さが偲ばれる.水源は山から流れ出る僅かな水路のようだ.


ビマレストランのヤギ

ビマレストランのヤギ

ビマレストランはヤギも飼っている.僅かな草を求めて脇の岩山を駆け上っている.まあ実に身軽なもんだ.綱がないのに良く逃げて行かないものだと感心するが....そうか,レストランの食材にされそうになった段階で逃げるのだな.


バラドシト村Bald Sayt

ビマ村からバラドシト村(Bald Sayt)に向かう

ビマ村からバラドシト村に向かう

ビマ村の食事を終えると,山道を辿りバラドシト村(Bald Sayt)に向かった.茶色い西ハジャール山脈の光景はいつまでも続く.


バラドシト村が見えてきた

バラドシト村が見えてきた

やがて小高い丘に貼り付くバラドシト村(Bald Sayt)が見えてきた.丘の周囲低地の畑やナツメヤシ林は有名なファラジ灌漑システム(Falaj=Aflaj Irrigation System)で用水が供給されているのだそうだ.

丘の右の一番高いところにある高い建物はバラドシトフォート(砦)だったと思う.こんな山奥の村でも砦が必要だったということに驚いたが,多分領土の範囲が狭く,村が結束し,外敵に立ち向かわないことには領地が守れなかったのではないか,所謂部族社会だったのであろうか....などと思うのだった.


バラドシト村入り口に来る

バラドシト村入り口に来る

ランクルでバラドシト村入り口に来た.丘の斜面の石畳の道脇にはやはり石造りの家々が建てられている.左側住宅には随分立派な彫刻が施されたドアが付けられている.脇の配電管はちょっと味を損ねているが.

隣は廃屋のようで,壁石の崩れ方を見ると元々セメントで固めておらず,泥で隙間を埋めていた構造かも知れない.オマーンもちゃんと地震があるそうだから,やはり泥埋めでは不十分であろう.


バラドシト村の新しい家の建築

新しい家の建築

新しい家の建築工事も行われていた.愛想よく手を振ってくれた大工さんたちはインドとかパキスタン辺りの出稼ぎ者であろうか.普通そうだと聞いているから.

工事中の壁を見ると,ここでは石をセメントで固めている.少なくとも最近の工法はこうなっているのだと思われる.


バラドシト村で私たちを遠眼鏡で監視する子

私たちを遠眼鏡で監視する子

世が世であればバラドシトフォート屋上で敵の動きを監視する歩哨をしていたであろうが,今は私たち観光客に愛嬌を振りまいている男の子.この日は他の観光客を見かけなかったが,比較的観光客の多い所のようだ.


バラドシト村は立派なモスクを備える

立派なモスクを備える

村のナツメヤシ畑の一画には,人口に見合う小規模なものではあるが立派なモスクを備えている.見るたびに感じるのだがこれほど高密度にモスクを有するイスラム国は初めてだ.多いと思うエジプトやイエメンの比ではないと思う.


バラドシト村のこれがファラジで灌漑される畑

これがファラジで灌漑される畑

目の当たりにするこれが正しくファラジで灌漑される畑だ.脇には現在乾いてはいるが水路が引いてあるので素人目にも明らかだ.畑が貴重な水を最大限効率的に活かすため細かく畦で区画分けされているのが印象的だ.


畑側から見たバラドシト村の家並み

畑側から見たバラドシト村の家並み

丘の斜面に貼り付く住居の様子がよく見える.雨が稀であるのであろう,皆陸屋根構造だ.尤もこれはこの後見ることになるオマーン全土でそうであることを知るのだが.


バラドシト村畑とナツメヤシ林のレイアウト

畑とナツメヤシ林のレイアウト

さてバラドシト村の耕作地を眺めると,畑は一段低く,ナツメヤシ林はその周囲の若干高い土地にレイアウトされている.水は常に豊富とは限らず,途切れる期間もあるのであろう.思うに,最も水が供給し易い畑には涸れ易い野菜畑を,比較的乾きに強い樹木林には水が途切れ易い少し高い土地を充てたのではなかろうか.


バラドシト村ファラジの水路

ファラジの水路

今水は流れてないが,これがファラジ(Falaj)水路の一部だ.ファラジの歴史は紀元前,石器時代まで遡るそうであるが,イラン(やウイグル)のカレーズ(Karez)の技術が伝えられたのではないかと見られるそうだ.

ファラジの水源は,添乗Yさんの資料を見ると

ということである.


バラドシト村ファラジ水路下の大きなワディ(Wadi)

ファラジ水路下の大きなワディ(Wadi)

ファラジ水路は立体的に構成され,今は完全に乾いた涸れ川=ワディ(Wadi)の上も這っている.水のない深いワディの上の狭いファラジ水路を歩いて渡るのは私には怖かった.


バラドシト村中の住宅群

バラドシト村中の住宅群

ファラジ水路を一周してバラドシト村の中にやって来た.ここも斜面に住宅が蜜に建てられている.石造りで茶色ではあるがセメントで固めた構造のように見える.窓は概して小さい.真夏の陽射しを避けるためではないだろうか.

屋根上の白いタンクは飲料など各戸の家庭用水であろう.多分ポンプなどでファラジ水路から汲み上げているのではなかろうか.


バラドシトを離れるleave Bald Sayt

バラドシト村を離れる

バラドシト村を離れる

こうしてバラドシト村を見物し,ランクルは村を離れた.そして村全体を見下ろす高台に至り,もう一度バラドシト村を眺めてみた.改めて山城の様相を認識する.乾いた土地故に堀の概念は浮かばないが,最上部に天守を,周りに守る家臣を配置し,通路は限定的に,といった一般的な兵法を思い浮かべた.


ミスファットアルアブリーンに向かう

ミスファットアルアブリーンに向かう

バラドシト村を離れた私たちのランクルは,次のミスファットアルアブリーン(Misfat al Abreyeen)に向かって進んだ.木立のない茶色一色の険しい西ハジャール山脈の光景が続き,オマーンって乾いているんだな~とやはり思うのであった.



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