マスカットの街city of Muscat

このマスカットの街編では,2016年11月7日空港から都心のホテルに行き,一休み後夕陽のダウ船クルーズで巡り,その帰路マトラスーク散策し夕食後ホテルに戻る.明けて8日朝魚市場に行きBBQの食材を仕入れ,ハイラン湾へ向かう,そしてボートで小島に渡りシュノーケリングとBBQを楽しむ.小島から戻り,マスカット都心のスーパーを見物し,ホテルに帰る.さらに翌9日朝スルタンカブースグランドモスクを見物したときの写真を載せました.


マスカットの街付近のGoogleマップ

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マップで見るとマスカット(Muscat)の街は山が浜の近くまで迫っている様子が見て取れる.古代アラビア語で『良好な停泊地』,『谷間の美しいところ』,『山が海に落ちるところ』...と云った諸説あるらしいが,はっきりしないようだ.一方有名なブドウのマスカットも同じMuscatの綴りであるが,こちらは『麝香』のラテン語muscusに遡り,そのような芳香な果実ということだ.

空港から都心のホテルにgo to the hotel in the downtown of Muscat

マスカット国際空港から4WDで東に向かう

マスカット国際空港から4WDで東に向かう

マスカット国際空港(上マップでマーカーA)に到着した私たちは3人づつ4台の4WD(トヨタランドクルーザー,以下ランクル)に分乗し,東の都心に向かった.山がちなマスカットであるが空港周辺は平地が続いている.

着陸直前マスカット上空から眺めた景色や,現在少し先に見える木一本ない茶色一色の山と対比して見る道路脇の緑地はさぞかし大変な散水で維持されているのだろう,と先ずは思われた.苦労が偲ばれ,緑の美しさが一層際立つ.


空港から都心への道路事情

空港から都心への道路事情

先ず右側通行で,都心へはよく整備された高速道路だ.制限速度は120km/hが多いようだ.トールゲートはないので高速は無料のようだ.

道路照明灯(多分ナトリウム,いやLEDか?)が備えられているが,その間隔がバカに狭い.こんなにも必要なのかな~?と,今もちょっと不思議に思う.


スルタンカブースグランドモスク(Sultan Qaboos Grand Mosque)が見えてくる

スルタンカブースグランドモスクが見えてくる

右手にスルタンカブースグランドモスク(Sultan Qaboos Grand Mosque)が見えてきた.主ドームに比べて下の広い建屋の2段重ね形式(ここからそのように見えただけか)が他国ではあまり見たことのない造形だ.それと1本だけ高く,合わせて5本ミナレットの形式も珍しいと思う.

周囲の花壇も美しく,さすがオマーン一番のモスクと思う.この二日後に見物に訪れる予定だ.


ナショナルデーの飾り付け

ナショナルデーの飾り付け

道路にはオマーン国旗オマーンの国旗や各種デコレーション,イルミネーションが飾られている.来たる11月18日は46回目のナショナルデーのお祝いなのだそうだ.ナショナルデーは現カブースビンサイード国王が1970年建国した建国記念日なのだそうだ.建国日は1970年7月23日で,今年が46年目になるという.

ただ面白いことにナショナルデー当日はお休みにはならず,翌週の週末(水,木曜日辺り)が休みとなることが多く,今年も次週に学校や,役所,会社...等休みになるそうだ.


カブースビンサイード国王陛下の肖像画

カブースビンサイード国王陛下の肖像画

道路にはカブースビンサイード国王陛下の肖像画も飾られている.ところで建国日(カブースビンサイード国王即位の日)は1970年7月23日で,記念日が11月18日と違うのは,カブースビンサイード国王の誕生日1940年11月18に合わせたためという.

ところで建国記念日(サイード国王誕生日)の祝賀行事は5年毎に盛大に催し,昨年は45回目のそれに相当したそうだ.なので今年を含め,5で割り切れない4年間はささやかに祝うということだ.それでもこうしてマスカットには祝賀デコレーションは目立つが.


丘の道路から眺める『谷間の美しいところ』

丘の道路から眺める『谷間の美しいところ』

道路が丘の上になった.ここからマスカットの街を見下ろすと,諸説あるマスカットの語源の中で『谷間の美しいところ』が当てはまるのかな~と云う気がする.

住宅やショップ,オフィスの外装が概ね白やベージュなど明るい色に統一されているのは法令に従うものなのであろうか,多分そうであろう.


都心のマトラホテル(Mutra hotel)に到着

マトラホテルに到着

車はマトラホテル(Mutra hotel)(上マップでマーカーB)に到着した.エリア名マトラを冠したホテルだから歴史あるホテル....かな?

中に入ると改築や増築を重ねたような建築で,有り体に言えば古いが決して立派なホテルではなかろう.


マトラホテルのレセプション

マトラホテルのレセプション

ここがマトラホテルのレセプション.TOKYO時間の時計も掲げてある.部屋ではうまく繋がらないwifiも,ここでは使えた.

欧州系と思しきお客さんは幾組か見かけたが,東洋系の人は見なかった.そう言えばこの後廻ったオマーン各地(と言っても都市はここマスカットとサラーラ程度ではあるが)で,全く中華料理レストランを見ることがなかった.驚いた.世界中の都市にはほぼ確実に在る筈,お約束なのに.....


マトラホテルの部屋

マトラホテルの部屋

レセプションから老齢の私には迷路の如くややこしい別館の部屋に辿り着いた.途中の廊下が東京の真冬のように冷やしてあり,部屋も晩秋程度に寒い.部屋のエアコンは直ちにoffにした.これでいいのだ.

部屋は見ての通りだが,まあこんなもんだろう.それよりテレビ(写真右壁)は奮闘してみたが....映せなかった.リモコンが2つもあり,何が何だか判らない...(涙)


>マトラホテル前の眺め

マトラホテル前の眺め

マトラホテル前は左右分離帯で仕切られた大きな通りだ.その向こうには一階が店舗,二階以上が集合住宅になっているようだ.建物の間からは向こうに岩山が間近に迫っている様子が窺える.とてもマスカットらしい一コマだ.

店舗名は概ね上にアラビア語,下に英語が併記してある.これは初夏に訪れたブータンの上にゾンカ語,下に英語併記と同じ方式だ.きっと両国とも法的規制があるのであろう.


ダウ船クルーズsunset dhow cruise

マトラホテルで休憩後出かける

マトラホテルで休憩後出かける

マトラホテルで休憩後,ダウ船クルーズのために出かけた.目的地は上マップでマーカーC,カブース湾の港だ.縱橫に走る市内の道路は良く整備されているようだが,車の増加率が大きく,道路が混むようになったそうだ.写真のように普通の信号機の他にラウンドアバウト方式の交差点も見える.

なお日本大使館の資料を見ると,交通事故死亡率は日本の8倍にも達するそうで,世界最悪クラスらしい.各種要因があるが,特にスピード超過が大きいそうだ.


乗用車が多く,きれいだ

乗用車が多く,きれいだ

都内の車は圧倒的に乗用車で,トラックやバスは少ない.中古車も多く輸入されているが,古い年式のものは許可されないので概ね新しいのだと,ドライバKさんに聞いた.なおトラックは都市間街道等では多くなる.

そんな乗用車であるがXX運輸,XX株式会社....と云ったペインティングは殆どないことにびっくりする.パキスタン辺りと対極を成すが,日本と較べても圧倒的に少ない.商用車が少ないという他にやはり社名書き込みといった文化がないのではなかろうか.タクシーのペインティングも決められているということだし.


岩山を這う道路

岩山を這う道路

水がないので木が生えず,岩が剥き出しだ.そんな岩山を道路が這う.オマーンではカブースビンサイード国王が建国した1970年まで舗装道路はほぼ皆無だったのだそうだ.そして45年間でここまで整備されたというから驚きだ.

さてそうした道路などのインフラ整備の財源となっているのは1962年に発見された石油と,1990年代末から加わった天然ガスということだ.ただ石油の埋蔵量は近隣の産油国と比べると甚だ少なく,また現産油量を続けると2,30年で枯渇する可能性が高いようだ.それでも西の石油が出ないイエメンと比べれば圧倒的にラッキーではなかろうか.


デーツ並木の道を行く

デーツ並木の道を行く

カブース港に近づいて来た.道路脇の緑とデーツ(date(s):ナツメヤシ)並木がきれいだ.デーツの木は数十種あるそうで,オマーンの代表的な農産物になるという.またオマーンのデーツは他国のそれより美味しいそうで,ドライバーの一人Syさんはオマーン産以外のデーツは口にしない,とまで言っていた.私も以降幾度か食べる機会に恵まれたが確かに美味しいと思った.


カブース港(Mina Qaboos/Port Sultan Qaboos)に着いた

カブース港に着いた

車はカブース港(Mina Qaboos/Port Sultan Qaboos)に着いた.観光用ダウ船やクルーザーなどが停泊している.地図を見るとカブース港はカブース湾が形作る天然の良港のようだ.

ところで写真は撮り損ねたが大きな旅客船のようなものが道路脇から見えたのだが,カブース国王の船だそうだ.それにしても随分大きなものだ.まあドナルドトランプ氏のプライベートジェットがボーイング757型(最大客280人クラス)と聞けば然程驚くには当たらないか(なお船を見た時点ではまだトランプ氏当選は未定だったが)


カブース港の観光用ダウ船

カブース港の観光用ダウ船

桟橋には観光用ダウ船が繋がれていた.ダウ船(dhow)は古来ここオマーン湾,ペルシャ湾,アラビア海,また広くインド洋を航行した木造帆船.1~2本マストに三角帆で,釘でなく紐やタールで組み立てられていたそうだ.外板には耐水性の高いチーク材が,それらを結ぶのにココヤシ繊維で作った紐が用いられたそうだ.クルーは10人から400人クラスまで,種々サイズが造船されたようだ.

私たちはこの写真の真ん中のダウ船(もどき)に乗ることになった.ココヤシ繊維紐の代わりに鉄釘が,三角帆でなくディーゼルエンジンが使われている.


観光用ダウ船の外板

観光用ダウ船の外板

乗る前にダウ船の外板を眺めた.舳先には凝った彫刻が施されている.そして外板同士を繋ぐ孔とココヤシ繊維紐はなく,釘が使われている.釘は防錆性の高い18-8ステンレス鋼であろうか.ココヤシ繊維紐より遥かに造船が簡単で耐久性が高かろう.

伝統的ダウ船に関する添乗Yさんの見解では(1)当地で鉄釘の技術がなかった,あるいは海水に対する耐食性を確保できなかった.(2)座礁したとき縫合式は釘よりしなやかで,バラバラになり難かった,ということだ.


ダウ船はカブース港を出港した

ダウ船はカブース港を出港した

私たちの乗った船には既に多くの客が乗り込んでおり,1,2階デッキのベンチともほぼ満たされていた.

私たちが乗ると間もなくダウ船は難なくカブース港を出港した.セールではなくエンジンとラダーを備えるので簡単に出港できる.


猫島とディンギー

猫島とディンギー

カブース港を出ると猫の姿に見える猫島脇を通過した.その辺りでは幾艘かのディンギー,470クラスか,がセーリングを楽しんでいる.風はちょっと少ないであろう.


ダウ船クルーズで眺めたリゾートホテル

リゾートホテル

完全に周りから遮断されたリゾートホテルのようだ.岩山に囲まれアクセスはなかなか大変そうだ.海から入るのであろうか?


ダウ船クルーズで眺めた漁村の風景

漁村の風景

浜辺に多くの船が見えるので漁村のようだ.背後の岩山と前面のオマーン湾の間の狭い平地に家々が建てられている.家の構造は街や山の村と変わりなく明るい外壁の四角い形だ.

オマーンの人たちは魚を好んで食べるようで,この後幾度か魚市場や漁船のある風景を目にすることになる.


ダウ船クルーズで見たジャラリフォートからミラニフォートまで

ジャラリフォートからミラニフォートまで

左からジャラリフォート(Al Jalali fort),ホテル?,アラム宮殿(Al Alam Palace),ミラニフォート(Al Mirani fort)のようだ.

ジャラリフォートは元々オマーン人の造った砦をベースに,かつて2度に渡ってオスマントルコによって略奪された港の防衛のため,1580年ポルトガル人が建設したそうである.そして後の1650年にはオマーン軍の手に落ちたそうだ.更に後の1718年と1747年の内戦の間は,イマームを援護するために招いたペルシャ人に占領されたこともあり,また砦は後に幾度も再建されたそうである.また時々,貧民収容所や王族の刑務所として,さらに20世紀になるとオマーンの主刑務所として供されたそうだ.しかしその機能は1970年代に終え,そして1983年に修復を終えるとジャラリフォートはオマーン文化歴史博物館として生まれ変わったということだ.大砲や火縄銃,地図や衣装など展示されているらしい.


ダウ船クルーズで眺めたミラニフォート(Al Mirani fort)

ミラニフォート(Al Mirani fort)

ズームアップしたミラニフォート(Al Mirani fort)は岩山の上に建ち,前は海,背後は岩山.攻め入るのが難しい砦,難攻不落の要塞に見える.

ミラニフォート(Al Mirani fort)もオマーン人によって造られた砦であったが,1552年オスマン帝国スレイマン1世に派遣されたピーリーレイース提督(Ahmet Muhiddin Piri)によって,ポルトガル進出牽制のためガリオン船,ガレー船,850人の兵で攻め,この砦は破壊され,マスカット全部が占領されたようだ.そしてその後侵攻してきたポルトガル軍により,現在の形に再建され,その後1610年まで幾度か増改築されたそうだ.


アラム宮殿(Al Alam Palace)

アラム宮殿(Al Alam Palace)

アラム宮殿をズームアップするとこんな風に見える.アラム宮殿は現スルタンカブース国王(Sultan Qaboos)の有する6つの王宮の一つであるそうだ.アラム(Al Alam)は『旗』の意味であるそうだから,主宮殿ということになろうか.宮殿の歴史は200年余り前,現国王から7代前のスルタン(Imam Sultan bin Ahmed)の時代に遡るという.

現宮殿は1972年に再建され,日没間際で鮮明ではないものの,金とブルーのファサードが見える.この宮殿は公的機能と,国賓級訪問者の迎賓館としても使われているそうだ.


乳香香炉の巨大オブジェ脇に沈む夕陽

乳香香炉の巨大オブジェ脇に沈む夕陽

オマーンと言えば,イエメンと並んで乳香で知られる.その乳香を焚く香炉をモチーフにした大きなオブジェが岩山に据えられている.

陽は落ちてきた.間もなく暗くなるであろう.ところで気温はあまり下がらないようでダウ船デッキ上で風を受けていても寒くない.


マトラスークMutrah Souq

夕刻マトラの海岸通り

夕刻マトラの海岸通り

夕刻私たちはマトラのカブース湾海岸通りにやってきた.沿道にはホテルや各種ショップ,カフェ,レストランが並び,駐車場やタクシー乗り場も備え,マスカットでは賑やかなところだ.


ゴールドとジュエリーのお店

ゴールドとジュエリーのお店

ゴールドとジュエリーのお店だがいかにも中東的香りを醸している.お店の奥にスルタンカブース国王の肖像画はこのお店特有ではなく,どのお店でも見ることができる.広く国民に尊敬されているのかな~と感じられる.もちろんそうでない人も居ようが.

なお右隣は仕立て屋さんで,一般にインド人出稼ぎ者が多く従事しているという.


夕刻の礼拝にモスクモスクを訪れる人達

夕刻の礼拝にモスクを訪れる人達

マトラの海岸通りには少し大きめなモスクがあった.高いミナレットは彩色タイルで覆われ美しい.礼拝室は2階のようで,夕刻の礼拝にモスクを訪れる人達が階段を上る.階段脇には『モズレム以外不可』の表示があった.

添乗Yさんの資料によれば,オマーンではスンニ派やシーア派ではなく,イバート派が多いと云うことだ.ただ後に訪れるサラーラの街はスンニ派が多いそうだ.イバート派は初めて聞く言葉だが,イスラムの異端,ハワーリジ派の穏健な一分派ということだ.ただしオマーンで宗派の話はタブーだそうで,無用な宗派対立を未然に避ける知恵ということらしい.


マトラの両替屋さん

両替屋さん

ところどころに両替屋さんがある.私たちもここで替えた.この日(11/7)のレートは....はっきり覚えてないが,頂戴したしおりのUS$1→0.38オマーンリアルくらいだったかな~


マトラのアルハビービカーペット店

アルハビービカーペット店

アルハビービカーペット店の看板が架かっている.これも中東的だ.大きな部屋用から,礼拝用の小さなものまで色々揃っている.オマーンの人は寝るのはベッドだが,食事はカーペットの上に座って摂るのも一般的なようで,レストランで普通のテーブル席以外にカーペット室を設けたケースを幾度か見かけた.


マトラスーク前の展望台

マトラスーク前の展望台

歩道上に建てられているので,1階部分は柱以外開放されている.階段の連なる2階の四方にはアーチ窓が設けられ,展望台となっており,マトラスーク入り口サインの役目のようだ.屋根ドームはとても美しい


マトラスーク入り口のシルバーショップ

マトラスーク入り口のシルバーショップ

マトラスーク入り口脇のシルバーショップだ.アンティーク,工芸品も併記してある.まあ,典型的お土産店で,スーク内部には同じようなお店があちこちに見える.

ところでマトラスークはオマーン最古のスークの一つだそうだ.


スカーフは黒に限定されず

スカーフは黒に限定されず

女性のアバヤはどうやら黒だけのようだ(と思ったが後で黒以外も見た)が,スカーフは写真のように黒に限定されず,有彩色や模様入り自由なようだ.

また歩きスマホはこの国でも写真の通り同じようである.


マトラスークの乳香(frankincense)および関連商品店

乳香および関連商品店

乳香(frankincense)と言うと,先ずは2016年前,ベツレヘム地下の馬小屋(現聖誕教会)でイエスが誕生したとき,東方の三博士が祝福のためここを訪れ,黄金,乳香,没薬を捧げた,と云う話で有名だ.つまり当時から乳香はとても貴重なものだったようだ.

そしてその乳香はいかにもオマーン(とイエメン)の商品で,それを扱うお店は多い.乳香も色や香りでランク分けされ,値段の差も大きいそうだ.高位のものは食べることもできるようだ.

また乳香入り香水や香炉といった関連商品も揃えている.旅行客で買い求めた人もいるが,やはり主には地元の人々が日常的に使うために買い求めているように見えた.


マトラスークのネックレス専門店

ネックレス専門店

ショーケースを見るとネックレス専門店のようだ.お客さんがディシュダーシャ(白いワンピース)の男性であるところが興味深い.オマーン男性は奥さんや恋人に優しいのであろう.

ところでここの店員さん(いや店主か?)や,上の乳香店店員さんも伝統衣装でなく,普通の装束だ.こうした人はインド人やパキスタン人が多いそうである.最古の伝統あるスークにしてこう云うのも何だかな~....と感じるのは変かな?


ハンジャル(Khanjar)のお店

ハンジャルのお店

お隣のイエメンと同じように著しく(鞘の)先の曲がった半月刀はオマーンでも用いられるそうだ.ただ同じアラビア語なのであろうが,イエメンではジャンビア(Janbia)の呼称に対し,オマーンではハンジャル(Khanjar)と呼ばれるそうだ.

ガイドSさんが言うに,オマーンでは例えば結婚式などフォーマルな場でのみ着用されるという.しばらく前イエメンでは日常差している人を多く見かけたが....

この2つの国の半月刀文化は,その昔,シバの女王や乳香など共通要素があって培われたのであろうか?


マトラスークはあちこち分岐し,広がる

マトラスークはあちこち分岐し,広がる

マトラスークは横に,斜めにあちこち分岐しながら続いている.

お土産,アクセサリー,日用品,乾物類,衣料品,お菓子,シルバーやゴールド....と,まあスークによくある品揃えだ.

ここでちょっと行儀悪く二人の女性の衣装を見てみよう.するとアバヤの下にズボンを着用している.ググってみると,どうやらこれはオマーン独特のスタイルのようである.日本でも埴輪ルックとかあったと思うが,似た発想かな.


マトラスークでは腕や脚出し観光客多し

腕や脚出し観光客多し

イスラムのオマーンでは女性は勿論,男性も手足を露出しないのがマナーであろう.ただ外国人異教徒には硬いことは言わず,マトラスークを往来する外国人(ヨーロッパ系が多い)は皆Tシャツにショートパンツだ.


凝ったマトラスークの天井

凝ったマトラスークの天井

ただのスークであるが,そこは伝統あるマトラスークであるので,天井を見上げると屋根付きで,なかなか素敵なシャンデリアが掲げられている.さすが~


マトラスーク近くで夕食のレストラン

夕食のレストラン

マトラスーク見物(あるいはショッピング)を終えると,『シェフのカフェ』と看板の架かるこのオープンカフェの庭で夕食を頂戴した.


シェフのカフェでの出しもの

シェフのカフェでの出しもの

ナンにピラフ,ピーマンにトマト,チキンとビーフのケバブ,野菜炒め....あたりであろうか.

これがオマーン料理なのかどうか定かでないが,何となくインド料理的というか....以後もこれぞオマーン料理と言われるものを口にすることはなかったような.....


魚市場Muscat fish market

マトラホテルの廊下

マトラホテルの廊下

前述のように増改築したようなマトラホテルの廊下はややこしい.ここはその中の通路の一つ.こうしてみるとわりと特色あるデザインで,覚え易く見える.つまり単に私の記憶回路が悪かっただけのようだ.


マトラホテル廊下の一場面

マトラホテル廊下の一場面

現にマトラホテル廊下の一場面にはこんな気の利いた絵も掲げられている.


マトラホテルのレストラン

マトラホテルのレストラン

さてこうしてマトラホテルの廊下を伝い,朝食のレストランに来た.朝食はバフェスタイルで,内容は一般的なホテル朝食だ.ちょっとおかしい(?)のは夕食も内容は違うものの,やはりバフェスタイルであることだ.でもこれはどうやらオマーンの普通のホテルでは,普通の作法であるということが後に判明した.そしてイスラエルでもそんな風であったことを思い出した.


マトラホテルレストランの水槽

マトラホテルレストランの水槽

マトラホテルレストランには水槽があった.活き造りの魚を入れておくのではなく,純観賞用と理解した.この後,魚市場で魚を仕入れ,島でBBQとし,シュノーケリングで魚を見るための予備知識が得られるか,と眺めてみる.海の魚かな~と思うのだが,右上の赤いのは金魚のように見えるし....??海水魚と淡水魚は一緒に飼えるものなのかな....


4人のドライバさんがお迎えに

4人のドライバさんがお迎えに

朝食を済ませレセプションに行くと,4人のドライバさんがお迎えに来てくれていた.アッサラームアレイクム今日もよろしく願います.チーフガイドSさんは白だが,他の方は色付きのディシュダーシャですね.


4台のランクルに分乗

4台のランクルに分乗

ホテル前の駐車スペースに出る.今日もいい天気だ,まあ毎日こんなようではあるが.そして4台のランクルに分乗する.私は一番若いSyさんの3号車だ.


オリックスカフェラウンジ

オリックスカフェラウンジ

ホテル入口から右に少しずれた位置に『オリックスカフェラウンジ』なるドアがある.全く窓が見えずいかにも怪しげな雰囲気を醸している.だが少なくとも酒類は無いであろうから,覗いてみてもしようがないかな.


マスカット魚市場に向かう

マスカット魚市場に向かう

車はカブース湾近くのマスカット魚市場,正しくは魚果実市場(Muscat fish and fruit market)に向かった.同じマトラエリアなので近く,直ぐに到着した.魚市場周辺は比較的古そうな建物が多いように見えた.そしてモスクももちろん建てられている.


先ずは野菜と果物の仕入れ

先ずは野菜と果物の仕入れ

野菜果物市場は通路両側に区切られたブースが並んでいる.ブースが一店舗で,大体一人で営業している.

私たちは歩きながら好きなことを言い,スタッフの皆さんがBBQ用野菜やザクロなどを仕入れてくれた.あまり畑を見ないオマーンでは,多分野菜や果物は輸入品が多いのではなかろうか.


次は魚市場へ

次は魚市場へ

野菜が済むと魚市場だ.魚市場は通路間に盛り上げたタイル棚が続く構造になっている.加工場には仕切りがあるが,売り場にはなく良く見渡すことができる.

写真はマグロ(いやカジキか)専門店で,新しい入荷品を運び入れているところだ.右側に女性客が見える.以前は女性が市場に立ち入ることはなかったが,最近しばしば訪れるようになったということだ.サウジのように絶対ダメと云ったイスラム国と比べれば女性に関する制限は緩やかだということだ.


マスカット魚市場で,シマアジかな~?

シマアジかな~?

これは何でしょう,シマアジかな~?何れにしても店舗毎に扱う魚の種類は限定された専門店方式になっている.その点,一店舗でいろいろ揃えた野菜果物市場とは違う.


魚市場金目鯛とマグロのお店

金目鯛とマグロのお店

立派な金目鯛とマグロが並んでいる.このお店で仕入れたかどうか定かではないが,添乗Yさんは金目鯛とマグロを仕入れてくれた.そして驚くべきことに,ハイラン島でマグロはお刺身に捌いて出してくれたのだった.


魚市場でカニの山

カニの山

カニもたくさん入荷していた.オマーンの人たちは魚が好きで,BBQは代表的オマーン料理とも言えるそうである.食肉はハラールに則って処理が必要など,いろいろ大変だが,魚類は血が出ないのでそうした気遣いが無用な点で気楽らしい.なお他のイスラム国ではカニなど甲殻類や,イカなど軟体類,鱗のない魚等食べないが,オマーンでは大丈夫ということだ.日本人の次に魚を食べる民族,という噂もあるらしい.


マスカット魚市場の魚加工処理担当者

魚加工処理担当者

市場の周囲に加工処理場がある.この担当者と話したら,パキスタンから出稼ぎで来ているということだった.こうした仕事はオマーン人は就かず,概ね出稼ぎ労働者に頼っているようだ.

ここに買い上げた魚を持ち込み,所定料金を払い加工してもらう.例えばマグロは,頭や腹わたを取り除き,3枚(または5枚)におろし,皮を剥いで,サク状に加工してくれる.小さな魚は頭と腹わたを取って,きれいにしてくれる.添乗Yさんは一部処理を頼み,サク状にしてもらってからクーラーボックスに入れハイラン島に運んでくれたのだと思う.


ハイラン湾へgo to Al Khiran bay

ハイラン湾に向け都心を離れる

ハイラン湾に向け都心を離れる

さてスタッフの皆さんのエビ,カジキ,金目鯛,そしてマグロという豪華な仕入れが終わり,ランクルに積み込むと遥か東のハイラン湾に向け出発した.


岩山を縫う道路と白い家

岩山を縫う道路と白い家

都心からハイラン湾に向かう道路は岩山を縫うように走っている.道路の造りは良く,混み合ってはいない.

所々に住宅やお店が見える.明るい色の外壁に逆U字型窓枠,エアコンコンプレサー(もしくは一体型エアコン)の収納箱など共通性が認められる.エアコンコンプレサーは,日本を含めて他国では単に載せる台やベランダに置くが,ここではしっかりと囲んでメカが見えないようにしている.きっとオマーン美学の一つなのであろう.熱交換機能の観点でからはかなり対流が妨げられそうで,効率低下しそうだが.....爺のくせに老婆心かな.


スクールバスも運行

スクールバスも運行

左に黄色い小型スクールバスが見えている.オマーンの教育制度は日本と同じ6-3-3-4(6)-院のようだ.大きな違いはイスラムなので小学校から男女別学で,また人口の40%が外国人(主に出稼ぎ労働者やその子弟)なので基本のアラビア語の他,英語での授業も多いそうだ.

46年前のスルタンカブース国王以前は教育に関し極めてプアであったが,即位以降急速に,しかも無料で普及させてきたそうだ.道路などのインフラも同様だそうだが.

なおチーフガイドSさんの奥さんは高校で地理学を教えているということだ.


政府機関

政府機関

オマーン国旗が掲げられており,建物デザインや色あいからすると,軍の施設か....不明だ.

なお軍は陸海軍三軍の他,国王親衛隊があるそうで,いかにもオマーン王国らしい.


オマーン国会議事堂(Parliament of Oman)

オマーン国会議事堂

次いでこのような立派な建物が見えた.オマーン国会議事堂(Parliament of Oman)ということだ.青々と茂る芝生は砂漠と岩山の国とは思えない別世界的素晴らしさだ.

さてオマーンはカブースビンサイード国王陛下の絶対君主制で,国王が首相,外相,財務相,国防相を兼任し,憲法もないと聞いていたが....それが1981年,国家諮問評議会が創設され,後に選挙制に移行したということだ.さらに1997年に勅撰の国家評議会が設置,二院制となり,2011年には国家基本法(憲法に準ずるもの)が改正され,両議会に立法権が与えられ,民主化に一歩踏み出したということだ.男女参政権があり,女性が認められないイスラム国もある中では先を行くようだ.


ハイラン湾途中の金色オブジェ

金色のオブジェ

金色の瓢箪のようなものがあった.何であるのか聞き漏らした.やはり瓢箪かな~


ハイラン湾(Al Khiran bay)に到着

ハイラン湾に到着

ハイラン湾(Al Khiran bay)に到着した.岩山が海岸まで迫るリアス式海岸のような景観だ.それと碧々とした海の色が何とも美しい.砂が少なく岩の海岸だからであろうか.


荷物を下ろし,渡し船を待つ

荷物を下ろし,渡し船を待つ

車からBBQの食材や炭を下ろし,ライフジャケットを身に着けた.近くの漁村から漁船が小島への渡し船として来てくれるのを待つ.


シュノーケリングとBBQsnorkeling and BBQ at an island

渡し船が来る

渡し船が来る

少ししてハイラン湾小島への渡し船が来てくれた.勿論ダウ船ではなく,普段漁に使っているであろう船外機付きFRP製だ.


第一陣出航

第一陣出航

第一陣が渡し船に乗り込み出航した.とてもきれいな水だ.

いや~それにしても海に来るのは実に久しぶりだ.シュノーケリングなど実に何十年振りだ.溺れないようにしなくては.


次いで第二陣出航

次いで第二陣出航

渡し船が空荷で戻り,次いで私たち第二陣が出航した.いや~ボートもなかなか楽しいね~


小島の湾に到着

小島の湾に到着

小島までは大した距離があるわけではなく,ものの数分か十分くらで到着したと思う.ここは小島の湾になっており,浜の間近が抉られた洞窟状になっている.つまり湾内は岩の底で水が澄み,また流れが少ないのでシュノーケリングに好適.また岸辺の洞窟は日陰で休憩し,またBBQに好都合な訳である.


シュノーケリングに出る

シュノーケリングに出る

浜に着くとシュノーケルとマスクのセットを貸してもらった.そしてシュノーケルの先(水の吐き出し側)が真っ直ぐではなく頭の内側方向に曲がっているのにちょっと驚いた.シュノーケリングやスクーバダイビングに詳しい同行のKさんに訊いたら,大分以前からこうした形になっているそうだ.いや~遅れてしまってるな~

さてこうして海に入り,顔を沈め,たまにほんの少しだけ潜って泳いでみる.きれいな小魚が泳いでいたり,黒っぽい小魚がものすごい数で群れて,水族館で見たことのあるように一斉に同期して泳ぐ様が見える.数回だが大きな魚が単独で泳ぐのにも出合った.またナマコの系統のニョロっとした姿も底に見える.

さてこうして久しぶりにシュノーケルを着けたわけだが,潜ったときに入る水を吐き出す肺の力が弱くなったのであろう,残ってしまう.するとガロガロっと絶えず音を立てる.情けない.


野菜と魚をBBQに

野菜と魚をBBQに

私たちが岸に戻ると,スタッフの皆さんが野菜や魚を炭火で焼いてくれていた.ありがとうございます.目論見通りこの洞窟は日陰を作り,また風防にもなりBBQには持って来いだ.


BBQどんどん食べる

どんどん食べる

育ち盛り(過ぎ)の私たちはどんどん食べる.そしてどんどん焼いて出してくれる.美味し~い.

惜しむらくはイスラム国なのでビールがないことだ.これだけは誰もが思い,口にもした.まあ,打つ手はないが.


マグロ刺しを出してもらう

マグロ刺しを出してもらう

さてここで添乗Yさんが真打ち『マグロの刺身』を出してくれた.勿論お醤油にワサビも添えてだ.いや~これは実に美味しい.他のナス,玉ねぎ,生野菜,エビ,カジキ,金目鯛....といっぱい頂戴したが,マグロ刺しはさらに別腹で頂いてしまった.

さらに衝撃的な感動話が加わる.実はマグロをここで捌いたYさんは,生肉は大好きなのだが,魚の刺身は苦手,全く食べないのだそうだ.それでも懸命に作って下さったという訳で,ありがとうございました.


食後再び海に入る人も

食後再び海に入る人も

お腹がくちくなった.もちろん時間も十分にある.潮が満ちてくるようで,水位が少し上がってきた.そして一部の人は再び海に繰り出した.私はもういいかな,と怠惰を決め込んだ.

この浜は私たち以外誰もいないし,自然のままだ.つまりシャワー設備やお手洗いのないので,とてもワイルドな行動となる.ちょっとミネラルウオーターを頭に注ぐなど可能だが,限りがある.まあ,今回のオマーンツアーは全般にそんな感じの旅になる.


ハイラン湾に戻る

ハイラン湾に戻る

十分泳ぎ,そして食べて,また渡し船でハイラン湾に戻った.

戻る途中浜辺でテントを張っているグループが見えた.ちょっとここに逗留するプランがあるのであろう.まあ,夏の湘南海岸などと比較にならないくらい疎らなので,それも一つの手であろう.


ハイラン湾浜から街道に上る

ハイラン湾浜から街道に上る

ハイラン湾の浜からまたランクルに乗り,未舗装の急坂を街道に向けて駆け上がる.これは4WDでない限り登れないであろう.


再びハイラン湾を見下ろす

再びハイラン湾を見下ろす

街道に出て都心への帰路に就いた.そして再びハイラン湾も見下ろした.入り組んだ入江の奥のためか波のない水面はターコイズブルーに染まっている.


スーパーの見物supermarket

がけ崩れ防止

がけ崩れ防止

さて私たちはハイラン湾から,往きと逆方向を辿りマスカット都心に向かった.岩山を拓き整備された道路を順調に進む.なかなか迫力ある眺めだ.道路はしばしば岩山に沿っているが,やはりそのままではがけ崩れの可能性ある箇所もあろう.写真中央の小山斜面は段々状に刻まれているが,がけ崩れ防止のためではなかろうか.


マスカット都心に入ってきた

マスカット都心に入ってきた

ランクルはマスカット都心に入ってきた.街道にはオマーン国旗が並べられている.


ルルスーパー(Ruru supermarket)に寄る

ルルスーパー(Lulu hyper market)に寄る

私たちはスーパーマーケットに寄ってみた.ここはホテルにも近いマトラエリアにあるルルスーパーマーケット(Lulu hyper market)だそうだ.ルルスーパーは湾岸諸国で大手の一つだという.

さてここは入り口であるが,白いディシュダーシャ男性が買い物を済ませ,カートにたくさん乗せ駐車場に運ぶシーンだ.オマーンでは買い物はかなり男性の役割のように見える.

男性の背後,リボンの掛けられた乗用車.これは多分お買い物くじ引きの景品であろう.乗用車の景品は中東らしいと思う.以前ブドヴァ(モンテネグロ)で似たような景品を見かけたことがあったが,そちらはカジノの景品だったかな.


スーパーに入り口にはATM

スーパー入り口にはATM

スーパー入り口にはATMが並んでいる.イトーヨーカドー辺りだとセブン銀行一社だが,ここでは数行のATMが揃っている(他のスーパーを覗いたときもそうだった).

そしてその辺りは時計やスマホなどの専門店が並んでいる.


一階は食料品や日用品

一階は食料品や日用品

一階は食料品や日用品が並び,二階には家具や家電など大型商品,レストランなど揃っている.

一階の商品並びが,縦に飲料や乾き物,日用品,台所用品...の棚が並び,周囲の壁際に肉類,魚類,果物...が並んでいる.日本のスーパーと同じ形式と思う.


スーパーのシーフードコーナー

シーフードコーナー

ここには各種魚類など揃っている.この日も前日も漁村や漁船を見てきたことから,オマーン産が多いのかな~と想像した.


スーパーのケニア産ラム

ケニア産ラム

こちらは食肉売り場.写真はケニア産ラムで,3.09オマーンリアル(US$8.13)/kgのようだ.確かにこの先羊は殆ど見ないし,ドライバーKさんに訊くと隣のUAEとかからの輸入が多いと言っていた.値段そのものは1000円/kgくらいで,安いように思える.


スーパーのパキスタンビーフ

パキスタンビーフ

こちらはパキスタンビーフ.南部で牛の放牧は多く見かけたが,やはり足りないので輸入しているのであろう.3.29オマーンリアル(US$8.65)/kgで,やはり1000円強/kgくらいか.随分安いようだが,計算間違っているかな....

ケニア産もパキスタン産も,もちろんちゃんとハラール認定されたものであろう.


スーパーのホットフードコーナー

ホットフードコーナー

ホットフード(Hot food)と記してあった.Hot foodというと普通辛い料理が多かろうが....この場合多分熱い出来たての料理,お惣菜コーナーに相当かな....ちゃんと見ていなかった.

二人の女性の服装が結構非伝統的な点が興味深い.


スーパーの野菜と果物コーナー

野菜と果物コーナー

リンゴは勿論,野菜と果物の大半は輸入であろう.


スーパーのレジの列

レジの列

レジが並んでいる.レジ打ちはスカーフ姿の女性が多い.レジ袋は無料で,今のところエコとかあまり気にしていないようだ.なお当然であろうがクレジットカードは普通に使える.支払いはその時の為替レートが適用されるのではなかろうか.


夜のホテル前

夜のホテル前

さてスーパー見物が済み,そこから程近いマトラホテルに引き上げた.ホテルでゆっくりし,そのレストランでバフェの夕食を頂く.ここではビールを出してくれる(US$7くらい).それとデザートのアイスクリームが美味しかった.

夕食の後,庭に出て道路の反対側を見ると昼間は目立たないショップがネオンで浮かび上がっていた.

そして部屋に引き上げ,マトラホテル二夜目を送った.


スルタンカブースグランドモスクSultan Qaboos Grand Mosque

マスカット3日目朝西に行く

マスカット3日目朝西に行く

マスカット3日目の朝11月9日となった.朝食でマトラホテルレストランのテーブルに着くと,BBCテレビが『トランプ候補優勢』と伝え,全米マップ州毎の赤青色分け,各々の獲得選挙人数を記していた.どうやらトランプ大統領に決まりそうだ.

そして食事を終え,マトラホテルをチェックアウトし,スルタンカブースグランドモスク見物のため西に向かった.この日はAさんの2号車だった.


高速道に乗り西へ

高速道に乗り西へ

スルタンカブースグランドモスクはマスカット国際空港へのルート途中にある.そのため先ずは空港に続く高速道路に入る.なかなか快適な道路にはオマーン国旗にナショナルデーの花飾りが掲げられている.


高速道を降りる

高速道を降りる

グランドモスク近くになり,高速道を降りた.この辺りは集合住宅が多い.チーフガイドSさんは首都近郷に持ち家があるが,高校教師の奥さんと共にマスカット勤務の通勤時間を省くため,こうしたアパート(場所は聞かなかった)を借り,平日はそこで暮らすそうだ.そうした人は多いためマスカットにはアパートが多いそうだ.


スルタンカブースグランドモスク(ultan Qaboos Grand Mosque)に着いた

スルタンカブースグランドモスクに着いた

ランクルはスルタンカブースグランドモスクに到着した.早速入り口に向かい,ピカピカ大理石の床に建つ砂岩であろうか,ベージュ色のゲートから主礼拝堂のドームを覗いてみる.ドームもまた同系統の色あいで,メッシュが刻まれているように見えた.

さてこのグランドモスクであるが,1995年スルタンカブース国王が私財(とは言っても絶対君主制国王なので...)を投じてに着工し,2001年に竣工したそうである.もちろんオマーン最大のモスクで,投じた費用は明らかでないものの,相当の額であろうと推定されるそうだ.


スルタンカブースグランドモスク入り口のガイド女性

入り口のガイド女性

グランドモスクは,金曜礼拝の日を除く午前中,私たち異教徒にも見物を許しており,所定の条件を満たせば自由に,また専門のガイド(学芸員)の解説付きで巡ることができる.ただやたら肌を露出してはいけない,など当然一定のドレスコードやマナーは守る必要がある.そうしたアドバイスをくれるのであろう,入り口には模範的アバヤとスカーフ装束のガイドさんが,案内,と監視しているようだ.


スルタンカブースグランドモスクに入ると左右対称のイスラム庭園

入ると左右対称のイスラム庭園

ゲートを潜ると,噴水から続く水路を軸とする左右対称の石床通路,木立や芝生が配されている.日本庭園の非対称型とは対極を成すイスラム式対称庭園だ.なかなか美しい.


スルタンカブースグランドモスク91.5mのミナレット

91.5mの中央ミナレット

中心から少し右手に配されたのは91.5mの高さというミナレット.色あいからすると砂岩構造であろうか.砂岩は白砂岩,赤砂岩2種あり,すべてインドから輸入されたという.岩山だらけのオマーン産岩石は使えないのでしょうか?もう遅いがちゃんと聞いておくべきだった.

ところでミナレットはこの大ミナレットの他に,小サイズが4本あり,合計5本と云うちょっと変わった形式に見える.そしてこの5本はイスラムの5行(信仰告白,1日5回の礼拝,喜捨(ザカート),ラマダン,メッカ巡礼(ハッジ))を表しているのだそうだ.


グランドモスク>靴を脱ぎ靴入れに

靴を脱ぎ靴箱に

私たちは先ず女性用礼拝室を見せてもらった.入る前にここで靴を脱ぎ,靴箱に入れる.まあ当然であろう.諸国の仏教寺院でも脱ぐのが当たり前だ.

ただ仏教と違ってイスラムの礼拝は,ここのように男女別々の礼拝堂で行うのが普通だと思う.なおイスタンブールのブルーモスクのように同じ礼拝堂で男性はミフラーブに近い前の方に,女性は後ろに陣取る形式も間々見られるとは思う.


グランドモスク女性用礼拝堂の扉

女性用礼拝堂の扉

チーク材のような重厚な木材に,所謂アラベスクであろうか細かな彫刻が施されている.内側は後で見る主礼拝堂(男性用)と比べてかなり狭い.

さてこのように男女別々の礼拝堂だと,主礼拝堂で説教するイマームのお話が聞こえないのでは?と疑問が出たが,スピーカーで同じ音声がこの礼拝堂にも流されるのだそうだ.いやそれどころか,金曜礼拝の模様はラジオやテレビで全国津々浦々に放送されるということだ.

なお現在イマームの方は4人居られて,すべてスルタンカブースビンサイード国王の任命によるものだと学芸員の方に聞いたと思う.まあスルタンであるからして,政教全権掌握しているという分かり易いケースと思う.


グランドモスク外の庭

外の庭

礼拝堂と外廊の間はピカピカの大理石を敷き詰めた庭になっている.2万人が同時に礼拝に参加できると聞いたが,2つの礼拝堂と,この庭の収容人数合わせて数かな~.....ここは滅多に雨は降らないようだし,ここでの礼拝も問題ないであろう.ただ夏は酷暑らしいので無理であろう.それにしても2万人とは凄い数だ.


グランドモスク庭に木と花と

庭に木と花と

すべて石造りのモスクに,こうして瑞々しさを与える木と花もまた素晴らしい.


グランドモスクのアーチ型造形を組み合わせた外廊

アーチ型造形を組み合わせた外廊

外廊の砂岩の本体に大理石の床構造のようである.通路定間隔に置かれたゲート,壁の飾り窪みは典型的イスラム様式だ.飾り窪みのアラベスクはとても凝った模様で,各々が別のデザインで嵌め込まれている.


グランドモスク主礼拝堂内部

主礼拝堂内部

入ると先ずその巨大さに驚かされる.横70m✖縦60mの広さがあるそうだ.そしてその床全面に敷き詰めるはペルシャ絨毯で,600人のイラン女性が草木染めの繊維を4年費やして織り上げたという.

そして柱や壁は前述の白砂岩と赤砂岩30万トン(見当付きにくいが)で,大理石も使われているそうである.

天井は大理石を交えたモザイクが形作られ,床の絨毯と共通性あるデザインで構成されているようだ.


グランドモスク見物主礼拝堂で礼拝の人

主礼拝堂で礼拝の人

金曜礼拝など定例の日や時刻ではないが,こうして礼拝しておられる人も見える.


グランドモスク見物の案内者(学芸員)

グランドモスクの案内者(学芸員)

この方がグランドモスクを案内して下さった.言わば学芸員のような人だ.


グランドモスクドーム下の巨大シャンデリア

ドーム下の巨大シャンデリア

ドーム中央には1,112個の光源(白熱球か?)を有し,長さ14mというオーストリア産クリスタルを用い,スワロフスキー社(Swarovski)で製造されたというシャンデリアが下げられている.内部には8人同時に入るスペースがあるそうだ.メンテナンスで入る必要があるのだろう.


グランドモスクのミフラーブ

グランドモスクのミフラーブ

幾何学模様やアラビア文字の象嵌された壁,鍾乳模様が形成されたペルシャ風天井,なかなか見事なミフラーブだ.皆この方向,メッカに向かいお祈りする訳だ.

確か右側の壁にイマームの出入りするドア(ちょと忍者屋敷風の)があったような....いや別のモスクだったかな~....それとミフラーブ右に説教台があった筈だ.また女性用礼拝堂や,国内地方に放送するためのテレビカメラ2基を備えているそうだ.


グランドモスクミフラーブの象嵌文字

ミフラーブの象嵌文字

上のミフラーブ金文字をズームアップするとこんな風になっている.アラビア文字カリグラフィーを象嵌したようである.さて何と書いてあるのやら.


マスカットを離れビマー(Bimma)経由でバラドシト村(Bald Sayt)向かう

マスカットを離れビマー(Bimma)経由でバラドシト村向かう

グランドモスクの見物を終え,マスカットを離れることになった.次は山奥のビマー(Bimma)経由でバラドシト村(Bald Sayt)を目指す.



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