ホワイトデザート浜White Desert beach

このホワイトデザート浜編では,2016年11月13日朝,アルハド岬(ラスアルハド)を出発し,ひたすらアラビア海沿いを南下,途中マフートでランチを頂き,漁村アルカールフへ行き夕食の魚仕入れとビーチ散歩,その後ホワイトデザートの浜辺に着き,テントを張り宿泊.翌14日浜辺の朝を迎え,ホワイトデザートのハイキングを楽しんだときの写真を載せました.


アルハド岬(ラスアルハド)14からホワイトデザート15辺りのGoogleマップ

この日はアルハド岬(ラスアルハド)14を出て,アラビア海沿いの道を南下し,ホワイトデザートの浜辺15に至った.

アラビア海沿いを南下go South along the Arabian Sea

アルハド岬の漁港

アルハド岬の漁港

アルハド岬のTurtle beach resortホテルを出発し,アラビア海沿いを南下し始めた.ここはまだアルハド岬のエリアであろう,静かな入江の漁港脇を通過した.漁船はダウ船のようなデザインだ.


アラビア海沿岸次の漁村を通過

次の漁村を通過

南下を継続していると大きな湾に面し,比較的多くの戸数の漁村を通った.アラビア海の色が爽やかだ.


アラビア海沿い小さな町を通過

小さな町を通過

この日の移動距離は長い.村や町を順次通過する.ここのそんな何でもない町の一つだ.概して道路は立派で混み合ってもいないので順調に走る.


アラビア海の海岸に近接する街道

海岸に近接する街道

街道(国道35号線)がアラビア海の海岸にごく近接する区間もある.少し白波が立っているが,砂地ではなく,岩底なのであろう,透明度が高く底の岩が見えている.深いところは青く澄んでいる.


アラビア海沿岸道路途中で給油

途中で給油

さてこの日の行程の1/3ほど走ったであろうか,ガソリンスタンドに立ち寄り給油した.ガソリン50.625lで9.264リアルと表示された.ということは0.1829926リアル/l≒US$0.481≒53円/lになろうか.産油国だけに日本より大分安いようだ.

また支払いのクレジットカードは磁気式ではなく,セキュリティの高い無線交信タイプ(スイカやpasmoタイプ)だ.日本政府も偽造されやすい磁気式から無線ICカードタイプへの変更を業界にプッシュしているところだと思う.


ガソリンスタンド併設のコンビニ

ガソリンスタンド併設のコンビニ

ガソリンスタンドにはほぼこのようなコンビニが併設されている.商品棚は商品の種類は少なく,かなり疎らな印象だ.大きなスーパーマーケットを見てきたが,それとは対照的だ.

私たちの狙い目はむしろお手洗いなのだが,こちらも付属している場合が多いようだ.ありがとうございました.


アラビア海沿岸道路途中でラクダが見える

ラクダが見える

街道途中の野原でラクダの姿が見えた.ラクダはベドウィンが飼い主だそうだが,そのテントは見当たらない.離れた場所にあるのか,それとも町に定住している人もあろう.

ドライバーKさんが言うに,ベドウィンの民はお金持ちが多いそうだ.オマーン内部では必ずしもラクダレースが多い訳ではないが,お隣のUAE(アラブ首長国連邦)辺りでは盛んで,そうした国のレースに所有するラクダを出走し,賞金を稼ぐのだそうだ.

なおイスラムでは賭けは許されないので,純粋にレースを楽しむだけか....それとも別の何かがあるのだろうか?少なくともベドウィンのラクダ主には大金の賞金を支払われるであろうし....

また以前は少年が騎手を務めるのが普通だったが,危険を伴うので,近年はロボット騎手が取って代わったということだ.


アラビア海沿いクルン(Qurun)を過ぎる

クルン(Qurun)を過ぎる

標識からクルン(Qurun)の町に入ったようだ.まだ行程の半分には達してないようだが結構進んだ.街道脇には次週のナショナルデーに備え,オマーン国旗が掲揚されている.

前を行くリーダーの1号車屋根には16枚のマットが畳まれ,積まれている.テント内に敷き,また食事のときにベンチとして積むためだ.搭載する役目の荷物はこのように決まっており,例えば2号車は食料であったか.


アラビア海沿いクルン市庁舎か

クルン市庁舎か

オマーン国旗を掲げた立派な建物が見える.アラビア語表記だけでよく判らないが,国旗があるので公的機関だ.


アラビア海沿い道路工事の飯場か

道路工事の飯場か

この辺りにはバラック建築群が2,3箇所見えた.さて道路工事の飯場か,それとも難民キャンプか,.....ペルーの首都リマ周辺にはやはりこのような,いやも少し粗末な光景を見かけたものだが,地方から仕事を求めて出てきた人たちと聞いたのを思い出した.


マフートでランチlunch at Mahut

マフート(Mahut)辺りになる

マフート(Mahut)辺りになる

全行程の3/4ほどまで進み,マフート(Mahut)辺りになった.そしてオマーン国旗を掲げた立派な建物が見えた.やはりアラビア語表記だけだが公的機関であろう.

面白いのは左側円筒状砦もしくは見張り台のような建物だ.今は必要ないのだろうが,村や町ごとに砦を築いて自衛した部族社会の伝統を残すために建てたように思える.


マフート(Mahut)先の商店街

マフート先の商店街

行政的にはマフートなのか,或いは別の町なのかよく判らないが,マフート中心から直ぐ先の商店街だ.小さなお店やレストランが並んでいる.集合住宅やモスクも揃っている.


マフートのお店の看板

マフートのお店の看板

既製服,化粧品,香水,日用品,飾り物といった文言に加え,子供服や靴,遊具,USBメモリやiフォン,充電器などの絵があるのが特徴だ.


今日はマフートのイエメン料理店でランチ

今日はマフートのイエメン料理店でランチ

町の『イエメン,アラブ料理』の看板を掲げたお店でランチを頂くことになった.さてどんなのが出てくるでしょう.


マフートのイエメン料理店の大将とお嬢さん

イエメン料理店の大将とお嬢さん

お店の前に座っているので,この店の大将とお嬢さんと勝手に判断する.お店のオーナーではあるが,調理は専らインド人,パキスタン人などに任せているのでしょう......何しろ,これまでそれがオマーンでは普通のことだと聞いてきたので.

ところでオマーン人口442万人中,オマーン人は250万人くらい,外国人200万人くらいと,外国人労働者にかなり頼った国家運営になっている.ただ近年,これではいかん,石油が枯渇したら国が潰れてしまう,オマーン人の雇用比率を高めよう,と云うオマーン化政策,オマニゼーション(Omanization)が採られ始めたそうだ.

例えばタクシードライバはオマーン国籍人に限定,観光産業で外国人を一人雇う度にオマーン人3人雇用の義務あり,....等々あるそうだ.

なおどうしてこうも外国人労働者に依存する社会になったのか?添乗Yさんのお話などからすると,1970年から始まった現カブースビンサイード国王治世以前は,道路は未整備,学校や病院は殆どなく,何よりも仕事がなく,オマーン人が隣国バーレーンなどに出稼ぎに行っていたそうだ.だがカブースビンサイード国王に変わった後は道路網や病院,教育システム等急速に整備され,逆に医師,教師,エンジニア,工事労働者...など不足,外国から招く政策が推められた,ということだ.

まあそれが石油資源に限りある今,オマニゼーションが必要,と見直される段階に至ったという訳だ.(なお医療や教育等はタダというから羨ましい)


イエメン料理のランチ

イエメン料理のランチ

レストランでは個室のオマニースタイル,カーペットに座り頂く.但し純オマニースタイルの右手つまみは難しいので,スタッフ持参のスプーンを添えてもらう(このレストランではスプーンやフォークはないそうだ).

これが出されたイエメン料理.ピラフにチキン,生野菜....のようだ.お米の一粒の長いことには毎度びっくりする.

以前イエメンを訪れたとき,とても美味しかった薄く巨大なナン=ムルワが出てくるか期待iしたが,なくてちょっとがっかりした.


漁村アルカールフへa fishing village of Al Khaluf

ギュバットハシシュ湾(Ghubbat Hashish)に至る

ギュバットハシシュ湾に至る

マフートを後にギュバットハシシュ湾(Ghubbat Hashish)の海岸に来た.沖合にはダウ船の形をした漁船が幾艘も停泊している.浅瀬の渚まで来れないのであろう.

カモメは肉食で,岸辺の魚やカニを見つけようと群れを成して飛んでいる.


アルカールフ(Al Khaluf)の漁村に着く

アルカールフの漁村に着く

ランクルは岸辺を走り,アルカールフ(Al Khaluf)の漁村に着いた.漁村とは言っても漁師の住む家の多くは岸から離れているようで,岸辺のここは疎らだ.

そして村の小型ボートが,沖の大型漁船まで捕りたての魚を引き取りに近づく.写真はボートが近接している場面だ.


引き取った魚を魚売り場に運ぶ

引き取った魚を魚売り場に運ぶ

大型漁船から小型ボートに移され,そして岸に戻ったケースの魚は掘っ建て小屋の魚売り場に運ばれる.重そうだ.


ここがアルカールフで掘っ建て小屋の魚屋さん(魚売り場)

ここがアルカールフで掘っ建て小屋の魚屋さん(魚売り場)

上ケースに入った魚は,この2軒の掘っ建て小屋の魚屋さん(魚売り場)の店頭に並べられる.Yさんが今夜のBBQ用に注意深く観察し,品定めしてくれている.

手前は岸に上げられている小型ボートで,船外機は皆ヤマハだ.この後何箇所かの漁村でボートを見るのだが,船外機は尽くヤマハブランドで,シェアは殆ど100%のようで感心させられた.


漁村アルカールフの小屋の魚屋さんに並べきらない魚

小屋の魚屋さんに並べきらない魚

小屋の魚屋さんに並べきらない魚はこうして陸のボートに載せて展示される.ここでもYさんが真剣な眼差しで選定してくれる.

この展示は強い陽射しで,保冷手段もない(尤も小屋の魚売り場も大差ないが)ので傷みは早いと思う.客はあまり居ないが,多分ここは小売はついでの商売,メインは卸し市場,街や村の魚屋さんが車で買い付けに訪れるのであろう.


アルカールフ浜の散歩

アルカールフ浜の散歩

アルカールフの浜を散歩した.浜は砂の部分と岩の部分があり,後者はもちろん凸凹だが歩き易い面が広がり,凹みにはつぶ貝が貼り付いたり,小さなカニが大急ぎで石の下に逃げ込む様子が愉快だ.


ホワイトデザートでキャンプcamp at the White Desert beach

浜辺を走りホワイトデザートビーチ(White Desert beach/白い砂漠)に到着

浜辺を走りホワイトデザートビーチに到着

Aさんのランクルは渚を駆ける.そして暫く行くと目指すホワイトデザートビーチ(White Desert beach/白い砂漠浜)に到着した.

小さなマップでは地名が記されないが,やはりギュバットハシシュ湾(Ghubbat Hashish)の内側に面した場所のようだ.


ホワイトデザートでテント張りのレクチャーを受ける

テント張りのレクチャーを受ける

この日初めて一人ひとりのテントを張る.そのため皆集まって,Yさんから張り方のレクチャーを聴いている場面だ.渡されたテントはとても小さくて驚いた.パキスタンやネパールなどで使う前室付きテントの前室よりやや広い程度だと思う.

でもこれを10数張り東京から運んできたYさんの苦労を思うと申し訳ない.何でも,当初予定していた現地旅行会社が倒産し,こうした装備やスタッフがチャラになったのだとか....


ホワイトデザートで,仕入れた魚をさばくスタッフの皆さん

仕入れた魚をさばくスタッフの皆さん

アルカールフの魚屋さんで仕入れた魚を浜辺で捌いてくれている.腹わたをとり,塩水できれいに洗い流してくれている.


ホワイトデザートキャンプは日暮れてきた

ホワイトデザートキャンプは日暮れてきた

ホワイトデザートキャンプは土地がふんだんにあるため,皆思うまま陣取り,テントを張った.ただこの日は風が強く張るのは大変で,私は一人で張れず手伝ってもらった.普段一軒家の生活ではないだけに,こんな時とばかりに,十分広い敷地を確保した.全然意味をなさないが....

そして陽は傾き,砂の陰影コントラストが強くなった.間もなく暗くなろう.この分では,いや何も考えなくとも,明日もいい天気だ.


ホワイトデザートキャンプ炭火で魚はBBQに

炭火で魚はBBQに

暗くなり,スタッフの皆さんが炭火を興し,捌いた魚を焼いてくれている.10数匹焼くのでなかなか手間がかかる.ご苦労様です.

写真はスローシャッターでブレ,二重に写っている.そのため動感が出た(←うそ,単に下手なだけ)


ホワイトデザートキャンプでは車座になり夕食を頂く

車座になり夕食を頂く

一号車搭載のむしろを砂の上に敷き,周囲にマットレスを二重に置く.そして皆が車座になって座った.

気温はちょうどいいくらいであったか,快適だったと思う.


ホワイトデザートキャンプ焼けた魚と混ぜご飯

焼けた魚と混ぜご飯

これが焼き上がった魚とYさん特製混ぜご飯.魚は鯛の仲間か,太骨の白身.美味しい.生暖かいが大事に運んでいるハイネケンもそれなりに美味しい.

こうしてお腹がいっぱになり,テントに引き上げ,入り口から星空を眺めながら眠りに就くのだった.


浜辺の朝in the morning at the White Desert beach

ホワイトデザートキャンプに朝が来た

ホワイトデザートキャンプに朝が来た

アラビア海の東向こうから陽が昇り,ホワイトデザートキャンプに朝が来た.旅に出て9日目,11/14(月)となった.そして今日もやはりいい天気だ.


浜辺の朝テントを畳み,朝食

テントを畳み,朝食

起きると直ぐにテントを畳みにかかった.私は不慣れでまごまごし,手伝ってもらった.すみません.

そして敷いてあったマットを持ち寄り,むしろの上に置き,そこで朝食を頂く.

写真は食事が終わり,マットをまとめて1号車の屋根に積み上げる場面だ.


ホワイトデザートハイクWhite Desert Hiking

ホワイトデザート(White Desert)を歩く

ホワイトデザートを歩く

食事も終わり,近くのホワイトデザート(White Desert)の砂丘に行き,歩いた.名のように白っぽい砂の丘はなかなか美しい.夕べ強かった風も弱まってハイキング日和だ.


砂がなぜ丘や風紋を造るのでしょう

さらさらの砂がなぜ丘や風紋を造るのでしょう

ここに限らず砂丘どこでも思うのだが,さらさらの砂がなぜ丘や風紋を造るのでしょうか?大まかには地形や大気の温度分布によって定まる風の方向,強さで砂が運ばれてできるのでしょうか....

まあ,よく判らないが砂丘の形はいろいろあって面白いし,美しい.


ホワイトデザートのあちこちいろいろ

砂丘を歩くと,皆異なる光景が連続的に目の前に現れる.

ホワイトデザートでの眺め1ホワイトデザートでの眺め2
ホワイトデザートでの眺め3ホワイトデザートでの眺め4

さてこうしてホワイトデザートハイキングが終わり,またアラビア海沿岸南下の継続だ.


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