サラーラの街city of Salalah

このサラーラの街編では,2016年11月15日朝,シュワイミヤワディキャンプを離れ,アラビア海沿岸の新しい街道49号線を南下し,汽水域入江に至り見物,さらに新街道途中で乳香の木を眺め,町に出るとサンドイッチのランチを頂き,やがてサラーラのビーチホテル到着し休憩.そして夕刻乳香スークを歩く.11月16日になるとサラーラの街を見て,翌17日夜はサラーラのオアシスクラブを訪れ食事,終わりに帰国日11月22日朝にアルバリード遺跡を訪れた.これらの写真を載せました.


サラーラの街付近のGoogleマップ

シュワイミヤ17から,国道49号線を通り,後日訪れるミルバット18を経由してサラーラ19に来た.サラーラではアルバリード遺跡27などを巡る.

アラビア海汽水域入江brackish inlet at the Arabian Sea

新しい国道49号線を南下

新しい国道49号線を南下

11月15日朝,シュワイミヤワディキャンプを離れた私たちは,ダート路からアラビア海沿岸沿いの新しい国道49号線に入った.

ここはこれまでと違って岩山を切り拓き,所謂切通しとなっており,工事は大変だったと思う.他は道があるのにこの区間だけは道がなかった,元を質せば海沿いの平地が無いので,切り通しで新設した,と云うことであろう


断崖ビューポイント

断崖ビューポイント

少し行くと断崖ビューポイントがあり,停車してくれた.またこうした場所に駐車スペースを設けてくれた国土交通省(相当の役所)の粋な計らいだ.


深く流れるワディを見下ろす

深く流れるワディを見下ろす

断崖を見下ろすと谷の底に深く流れる(とは言っても涸れてるが)ワディが望める.この地方はモンスーンがあるというから,その時はかなりの水位まで上がり,濁流となるのであろう.


49号線切通しは続く

49号線切通しは続く

岩山を削り通した49号線はまたカーブも多い.それにしてもこの辺りの岩山には一切樹木がなく,徹底して茶色一色だ.まあ,中東的だ.


汽水域のオアシス

汽水域のオアシス

しばし49号線を降り,脇に逸れた.ここには,湧き水であろうか,何らかの水が供給されるようで,ナツメヤシや各種小さな木や草が茂っている.

さらに奥に入るときれいな水の湖かもしくは川のようなものが見える.実はアラビア海の入江で,ここに陸の湧き水が流れ込み,汽水域(海水と淡水が混じるところ)となっているのだそうだ.


汽水域の丘に上り見渡してみる

汽水域の丘に上り見渡してみる

ナツメヤシ畑から下流に少し歩き,見晴らしの利く岩に上ってみた.

う~ん見える見える.


アラビア海汽水域入江はターコイズブルー

汽水域入江はターコイズブルー

この入江はとてもきれいなターコイズブルーに輝いていた.多分色合いの要因は汽水ということでなく,別の理由があるのだと思われるが,よく解らない.


新街道途中で乳香の木frankincense tree by the route 49

入江から戻り,49号線南下継続

入江から戻り,49号線南下継続

入江から戻り,また49号線南下を継続した.あまり車は通っておらず,快適に走る.


新街道途中で乳香の木

乳香の木の場所で停まる

この辺りに野生の乳香(frankincense)の木があるという.そしてうまい具合の,路肩に駐車スペースがあり,停める.


新街道途中で乳香の木

これが自然の乳香の木

自然に生えている乳香の木というのはあまりないようで,この一本はたまたまSさんが以前見つけていたものなのか.ガイドの情報網で知ったか...

木は停車したのとは反対車線側だが,上述のように交通量は疎らなので,渡るに問題はない.そして渡り,少し石の上に上がり間近に眺めてみた.比較的葉っぱが少なく,いかにも乾燥地帯の植物といった様相だ.

ドライバSyさんが幹のところまで降り,表面に滲み出て固まった乳白色の塊を幾つか集めてくれた.

渡してもらい,鼻にかざすと香りが感じられた.な~るほど,これが乳香の香りか.


サンドイッチのランチsandwich lunch

やがて切通しを抜けてアラビア海見ゆ

やがて切通しを抜けてアラビア海見ゆ

そのうちにやがて切通しを抜けてアラビア海を望むエリアに入った.向こうに陸地が見えているから湾のようである.Googleマップを参照すると岩山を切り開いた終点のハシク(Hasik)かも知れない.


アラビア海沿いを進む

アラビア海沿いを進む

切通しを越えた後はしばらく沿岸を進んだ.アラビア海はあくまで青く,吸い込まれるような色合いだ.素晴らしい.


ラクダが悠々と進む

ラクダが悠々と進む

まあ空いた道路であるから構わないとは思うが,ラクダが堂々と行く.急発展するオマーンであろうが,旅行者にとってはやはりこうした光景こそ待ち望む場面なのだ.ベドウィンの皆さんにとっては遊びごとではなく生活そのもので,生き様というか,人生そのものというか欠かざるものの一つであろう.


サダー(Sadah)であったか

サダー(Sadah)であったか

海岸沿いを暫くいったところの町だ.サダー(Sadah)の町であったかも知れない.白っぽい建物の町並みはオマーン各地共通であるが,必ずしもあるとは限らない緑のナツメヤシが見えるのがいい.他国ではさして気にすることではないのだが,ここオマーンに限っては緑とか,木立とかは取り立てて特異なことなのだ.高々1,2週間居ただけでもそんな感覚に陥る.


インドレストランの店構え

インドレストランの店構え

ランチのためこのインドレストランに入った.入ったところにレセプションカウンタが在るのは普通であろうが,ぐりりと飲料などの冷却棚が並んでいる.私たちは写真手前の普通のテーブルに着いたのだが,椅子が全く少なく,表の玄関前から運びいれてくれた.なおお客さんは結構次から次へと訪れる.そして殆どはテイクアウトだ.

つまりこのレストランでは,ここで座って食事する客は少なく,殆どがテイクアウトなのだ.そう言えば以前食べたレストランでもそんな雰囲気だったな~ふ~んオマーンではこれが普通なんだ,と合点する(違うかも)


これが食べたサンドイッチ

これが食べたサンドイッチ

普通のサンドイッチにフライドポテトが添えてあった.紙のお皿でパッケージケチャップのようであるから,やはりテイクアウト用に最適化してあるようだ.


サラーラのビーチホテル到着arrived at the Beach hotel

火力発電所

火力発電所

ランチのサダー(Sadah)から進むと左手に黒い塊が見えた.オマーンでは見ることの少ないトーンだ.産する天然ガスを燃料とする火力発電所だそうである.送電ロス低減のため大消費地サラーラに近接してあるのだろう.


サラーラに入って来た

サラーラに入って来た

狭い間隔で並ぶ街路灯を挟み上下線分離された道に入った.道の両側には無数のナツメヤシが緑の大地に茂っている.やはりこの地方は水が豊富なのであろう.

でもなぜかオマーン国旗が掲げられていない.不思議だ.


サラーラのホテル近くの商店街になる

ホテル近くの商店街になる

ベージュなど明るい色の建物が立ち並ぶ商店街に入った.これは他の町や村と同じ感じだ.

ぱっと見,ランドリーが目立つ.ランドリーはインド人がよく働いているそうだ.他に傾向として,レストランはフィリピン人,お手伝いさんもフィリピン人,仕立て屋はインド人...などだそうだ.

なお町ごとの外国人居住傾向もあり,サラーラはバングラデシュ人,マスカットはインド人が....多いそうだ.


サラーラのビーチホテル(Salalah beach villa)にチェックイン

サラーラのビーチホテルにチェックイン

サラーラのビーチホテル(Salalah beach villa)に到着した.このホテルにはこの日から二日間,および帰国前日,合わせて3泊する予定だ.

ホテルマネジャーはサリーを着た女性で,またレセプションの係員を含め皆インド人運営のホテルのようだ.オマニゼーションの余地は随分ありそうだ.


Salalah beach villaの部屋

Salalah beach villaの部屋

部屋は広くてバルコニーもついていた.サラーラは湿度が高いので洗濯物がなかなか乾きませんよ,とYさんに伺っていたが,エアコンの送風フィンを適度に向ければ良く乾いた.

wifiは部屋でも使えたが,メールサーバー側で何らかのプロテクションのためか送信がうまくいかない.


Salalah beach villaホテル前のビーチは人だかり

ホテル前のビーチは人だかり

私たちが到着したころ,ホテル前のビーチには人だかりがあった.小型トラックも集まっている.カモメまで舞っている.な,何なんだ,と野次馬に加わる.


大量のイワシが陸揚げされた

大量のイワシが陸揚げされた

漁船がイワシの大群に遭遇し,大漁となり,とりあえずこのビーチに陸揚げしたということだ.卸問屋さんや鮮魚店のトラックがそれを聞き駆けつけ,倉庫に運ぶ積み荷の最中だそうだ.

何しろ量が多く,寄ってきた近所の人たち誰にでも『好きなだけ持って行きな』と声を掛けている.

後で聞いたのだが,私たちグループのYさんとMさんが,皆のためにと数十匹のイワシを譲り受け,そしてガイドSさんからまな板とナイフを借りて,浜辺でお刺身に調理してくださった.頭を下ろし,腹を裂き,わたを取り除き,海水で注ぎ,そして3枚に下ろし,皮を剥ぎ,小骨を取り除いて,海水で洗って仕上げ,と大変な仕事だったと思う.


それでもビーチに残ったイワシ

それでもビーチに残ったイワシ

それでもイワシはビーチに残ってしまった.ここは漁港ではなくリゾートホテルのビーチだ.こんなところに陸揚げされたのも不思議だが,このままでは困ってしまう.

ということで,夜間のうちにごみ処理業者のトラックが来て,回収してくれたそうだ.翌朝はきれいになっていた.


これがYさん,Mさんのイワ刺し,最高だ

これがYさん,Mさんのイワ刺し,最高だ

さてホテルレストランで夕食になった.ホテルのバフェメニューに加え,主婦シェフYさん,Mさんのイワ刺しを出してもらった(写真右下).お醤油やワサビは添乗Yさんが用意してくれた.最高だ!

イワ刺しは並のチェーン店居酒屋辺りでは食べられない.オマーンで食べることができるとは想像も付かなかった.フォークとナイフでお刺身を食べたのも一風変わった作法で,これも印象に残る.Yさん,Mさんありがとうございました.

なおこのレストランではビールを出してくれるのがありがたい.他同様高めだが.


乳香スークを歩くfrankincense souq

サラーラの繁華街

サラーラの繁華街

11月15日夕刻,私たちはサラーラの繁華街をちょっと覗いて,乳香スークに行った.

写真はその繁華街の街並みだ.一階部分が店舗で上が住居となっている建物が多い.オマーンは車社会なので,やはり路上駐車で混み合っている.ここもなぜかナショナルデーの国旗が掲揚されてない.国王の生まれ故郷で,また宮殿もあるそうだが....


トラベルエージェント

トラベルエージェント

トラベルエージェントを覗き見してみた.オフィス内には国旗が掛かり,カブール国王の肖像画も架かっている.この方が安心できる.


乳香スークに来た

乳香スークに来た

ランクルは乳香スーク(frankincense souq)に到着した.Al-Husn Souqの名で呼ばれるようだ.

スークにはこれでもかとばかりにお店が並んでいる.もちろん乳香や乳香を含む香水,香炉といった乳香関連商品を商うお店が多いが,他のお土産品,日用品店も見られる.


コーヒーショップの男たち

コーヒーショップの男たち

スークの一画にはこうしたコーヒーショップがあり,男どもが集っている.一般に女性は居ない.イスラムの国では女性は同席できないのだ.別の場所に女性,ファミリーエリアが設けてあるかもしれない.

それにしても非イスラム国であれば,こうした場面に酒は付き物だが,ここではそれなくして甘いもので和気あいあいだ.それとタバコを吸う人はあまり見かけない.もちろんそれがいいと思うが.


路地の乳香店の店番

路地の乳香店の店番

スークの入り組んだ路地にもショップが並ぶ.商品は路地にはみ出して並び,店長は客引きを兼ねて路地に座る.客が寄り付くまではスマホで暇つぶしだ.便利な時代になった.


大型乳香店

大型乳香店

大型乳香店には種々グレードの乳香が取り揃えてある.いろいろ説明してくれた.概して白っぽい色の薄いものが高級品のようだ.また高品質のタイプには食べることのできるものも含まれる.

この大型店には,お土産用パッケージ品や香炉など各種取り揃えてあった.


縄文土器風香炉を見せる女性店長

縄文土器風香炉を見せる女性店長

スークには女性一人で商う小店舗も幾つかあった.このお店では香炉も扱っており,通りかかるお客さんに,こんなのいかがでしょう,と推めていた.上部はちょっと縄文土器の雰囲気だ.

なお,香炉に用いる炭も併せて販売している.


外国人観光客も多い

外国人観光客も多い

ショップも多いが,ここは外国人観光客も多く訪れている.

写真のカップルは,あんなのどうかしら?と品定めしているシーンか(想像だが)


乳香スークで交渉

そして交渉

目星が付いたようで,売買交渉に入ったようだ.こちらの女性店長も目だけで,一体どういう顔なのか謎めいている.


乳香スークからホテルに引き上げると暗くなっていた

ホテルに引き上げると暗くなっていた

乳香スーク見物からホテルに引き上げると既に暗くなっていた.バルコニーから隣のホテルを眺めるとネオンが点灯している.ここも庭木のナツメヤシがなかなか立派だ.


サラーラの街city of Salalah

サラーラのあちこちを眺めてみよう.

宿泊のSalalah beach villaホテル

宿泊のSalalah beach villaホテル

前日大漁のイワシを水揚げした浜辺から,ホテルを見た.砂浜で,藁葺き屋根の東屋が数戸並んでいる.


サラーラの広大なナツメヤシやバナナの畑

広大なナツメヤシやバナナの畑

とにかくサラーラにはナツメヤシやバナナの木が多い.これまで通ってきた首都マスカット,ハジャール山地,アラビア海沿岸の村....等々と比べものにならないくらい茂っている.野菜や果物も多いようだ.

実際オレンジ,レモン,梨,イチゴ....等々さまざま実るそうである.


サラーラで並ぶ野菜果物の露店

並ぶ野菜果物の露店

ちょっと見では東南アジアの田舎の光景を思わせる.実はここはホテル近く,半ばサラーラ郊外の通り.まだ早い時間で開店前だが,昼には野菜や果物を取り揃えた露店として営業する.これだけ並んでいても商売できるだけ,サラーラでは収穫があるのであろう.


アルサーダスタジアム(Al-Saada Stadium)

サラーラのアルサーダスタジアム

道路脇に大きなスタジアムが見える.政府所有の多目的スタジアムでアルサーダスタジアム(Al-Saada Stadium)と呼ばれるようだ.この地方のサッカーチームDhofarおよびAl-Nasrのホームスタジアムとなっているようだ.現在収容人員9000人程度だが,2万人まで拡張するべく工事が継続中のようだ.


サラーラの緑の大通り

緑の大通り

ここは北からサラーサに入るときに通った立派な道.ほれぼれするほどいい通りだ.


サラーラの緑の大通りは時速120km/h

緑の大通りは時速120km/h

この通りは時速120km/hだ.トラックも100km/hが可能だ.とても空いているし,すばらしい.


サラーラから内陸に向かう道は茶色一色

内陸に向かう道は茶色一色

緑の大通りがある一方,内陸に向かう道はこれまで殆どの道がそうであったように茶色一色だ.まあ余程手を加えない限りやはり茶色なのだ.


サラーラの高速道は整備継続中

サラーラの高速道は整備継続中

サラーラの高速道は整備継続中のようだ.工事に携わっている人はバングラデシュやパキスタンの人が多いようだ.それと工事中区間には安全監視者に加え,警官風出で立ちのカカシもよく見かける.確かに遠目では注意喚起しそうだ.


サラーラの街ラウンドアバウトの時計塔

ラウンドアバウトの時計塔

サラーサでは,マスカットと同じように交差点に英式ラウンドアバウトを採り入れている箇所がある.ここはバージュアルナーダのラウンドアバウト(Burj Al Nahda roundabout)の名が付いているという.

で,その中心にこの時計塔が据えてあり,ルネッサンスタワー(Renaissance Tower)と呼ばれるようだ.なぜそのように呼ばれるのか解らないのだが....


サラーラの市街地は比較的疎ら

サラーラの市街地は比較的疎ら

市街地はあまり高層建築はなく,比較的疎らに建てられている.建物は明るい色で,窓は伝統的アーチ形デザインも多く採用されている.


サラーラの広いルルスーパーマーケット駐車場

広いルルスーパーマーケット駐車場

ここはサラーラのルルスーパーマーケット(Lulu Hypermarket).やはり車社会のオマーンには広い駐車場が必要で,ここもそれを備えている.


サラーラのところどころにモスク

ところどころにモスク

サラーラは大きな街なので,ところどころにモスクが建てられている.ここは結構大きなモスクだと思うが,平日の町内会レベルのモスクかな....


サラーラのオアシスクラブSalalah oasis club

サラーラ港のオアシスクラブ

サラーラ港のオアシスクラブ

11/17(木)ビールのあるレストランという触れ込みで,宿泊していたSalalah beach villaホテルのインド人マネジャー(つまりヒンドゥーで非イスラムであろう,多分)の紹介でやってきた.この情報は当初『Oasis』ではなく『OSS』と取り違えられて伝わり,添乗Yさんも,ガイドSさんも初めての場所であるため,あっちに行ったり,こっちに来たりと大変だった.途中地元のタクシードライバーから聞き出して,ようやく到着した.

この会員制レストランはちゃんとした桟橋があり,軍用船も着岸できる設備を持つサラーラ港の一画にあった.


オアシスクラブはビリヤードや映写設備など備える

ビリヤードや映写設備など備える

主に外国海軍兵や商用船舶の乗組員,あるいは外国人居住者のためのレストランのようで,ビリヤードや映写設備など,スポーツバー的装いが見られる.


サラーラのオアシスクラブ屋外のテーブルに着く

オアシスクラブ屋外のテーブルに着く

屋外の庭にも食卓が並び,私たちもそこに座る.サラーラではこの季節それが一番自然かも知れない.


サラーラのオアシスクラブでシーフードの夕食

シーフードの夕食

オアシスクラブではシーフードを頂いた.それとやっとの思いでYさんが探し当てた『ビールの飲めるレストラン』なのでビールを飲む.美味しかった.


サラーラのオアシスクラブ会員各国の船舶

オアシスクラブ会員各国の船舶

広い部屋内部には立ち寄る船舶の写真を掲げた壁があった.護衛艦せとぎりなど日本の船舶も見える.

せとぎりは1988年進水,海上自衛隊の3,500トン型護衛艦だそうで,このアラビア海には2010年ソマリア沖アデン湾に向け出航し,28回の船団護衛を実施したそうである.このオアシスクラブにはその任務を終えて帰国する途中立ち寄ったのでしょうか.


サラーラのオアシスクラブ護衛艦ゆうぎり飛行科皆さんの写真

護衛艦ゆうぎり飛行科皆さんの写真

護衛艦ゆうぎり飛行科皆さんの写真も掲げてあった.ゆうぎりはやはり海上自衛隊の3,500トン型護衛艦でせとぎりより若干早い進水のようだ.せとぎりと同様,2010年アデン湾で34回の船団護衛を実施したという.


アルバリード遺跡Al Baleed

アルバリード遺跡ラグーンの名残り

アルバリード遺跡ラグーンの名残り

ここアルバリード遺跡は大分日の離れた11/22(火)訪れた.アルバリード遺跡は別ページに記すホールルーリのサンフラム遺跡と同じように乳香の積み出し港として栄えた街だったそうだ.

写真のお堀は当時アラビア海と繋がったラグーンの一部で,当時は三方囲んでいたようだ.手前の石灰岩の石積み囲いは監視塔であったのだろうか.


アルバリード遺跡の堀は現在淡水渦海

堀は現在淡水湖

三方囲んでいた堀は,現在この一方向残すのみで,しかも海と遮断されたようだ.ただ下から湧き水があり,淡水湖になっているという.写真のように魚も多く泳いでいる.


アルバリード遺跡てここは宮殿入り口だったか?

さてここは宮殿入り口だったか?

ここは中世の頃の行政の中心でしょうか.実はアルバリードは紀元前遥か昔,旧約聖書エルサレムのソロモン王と同時期,紀元前10世紀頃のシバの女王の時代からあり,栄えていたと伝えられるようだ.シバ王国はエイメンやオマーン南のこのサラーサ辺りが支配下ではなかったかとする説があるそうだ.なおシバの女王がソロモン王に献上したとされる貢物の中には2トンにも及ぶ乳香も含まれていたそうだ.

そしてその後も発展を続け,4世紀BC頃には,この都市は中世の世界貿易において重要な役割を果たし,乳香貿易が盛んだった中国,インド,東アフリカ,イエメン,イラク,ヨーロッパに拡大されたという.

さてこの石積み建造物はそれより遥か時代が下り,イスラムに移行したよりまた遥か後世,中世アルダファ(AL Dhofar)の頃の宮殿かとも見られるようだ.


アルバリード遺跡の発掘現場

アルバリード遺跡の発掘現場

アルバリード遺跡は完全に発掘調査を終えたのではなく,現在もそれが続けられている状態だ.遺跡は当初1952年頃のアメリカ考古学グループにより発掘され,その後1977年からオマーンの考古学隊が発掘を継続しているそうだ.

写真は石の周りの砂やホコリを取り除き,オリジナルの構造物を浮かび上がらせて,何であるか観察しているステージであろう.私たちにはTVや映画でしばしば目にする,最も理解しやすい考古学的一場面だと思う.そしてさてこれは一体何でしょうね.


アルバリード遺跡調査イタリアの考古学者も加わっている

イタリアの考古学者も加わっている

上の発掘調査を指揮しているというイタリアの考古学者という方.これもインディジョーンズ的ではないまでも,映画の一場面のようだ.


アルバリード遺跡こちらは修復作業現場

こちらは修復作業現場

アルバリード遺跡はまだ明らかではない部分の発掘調査に並行して,既に発掘調査を終え,傷んだところの修復作業を並行して行っているそうだ.写真はその修復作業のエリアで,崩れた石を組み直すなどの作業を行っている.


グランドモスク跡

グランドモスク跡

グランドモスクの元のレイアウトは幅40m,長さ48.5mの明確な四角い構造で,メッカの方向に向く半円形のミフラーブ(写真中央)があることからモスクと推定される.外側には洗面エリアと考えられる部分も付属している.

何だかバカに幅があるが,7世紀~13世紀ADに建設され,11世紀~17世紀ADに使用されていたとする説があるそうだ.


アルバリード遺跡列柱の間跡

列柱の間跡

これは重要な建造物跡の筈で説明を聞いたはずだが....う~ん,思い出せない.ただこうして巨大な建造物であるからやはり支配者の権威を示すものであったかな.....


アルバリード遺跡横に建設された乳香博物館

アルバリード遺跡横に建設された乳香博物館

アルバリード遺跡入り口脇にこの乳香博物館が建てられていた.さて見学したのであろうが....よく思い出せない.

前庭には乳香の木が栽培され,担当者が水をやっていたのは思い出すのだが....



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