このシュワイミヤ編では,2016年11月15日朝,マドラカ岬(ラスマドラカ)を発ち,買い出しのアルジャジールに寄り,次いでザカールでは給油に立ち寄り,シャリームに至りインド料理のランチを頂き,シュワイミヤ断崖を眺め,シュワイミヤの浜と町を見て,少し内陸のシュワイミヤのワディに着いて,ここでキャンプ,そして翌11月16日朝,キャンプ近隣のハイキングを楽しみ,サラーラに向け出発したときの写真を載せました.
マドラカ岬16を出て,アラビア海脇国道41号線伝いにシュワイミヤ17に至った.
マドラカ岬(ラスマドラカ)の浜からオフロードを経て,一旦国道32号線に入ると,これは直ぐに41号線と交わり,そちらに乗り換えた.
41号線はちょうど32号線を引き継ぐ形でアラビア海沿岸を通り,シュワイミヤまで続いている.
全く同じデザインの公営住宅が並んでいる.敷地面積が広く家の間隔も広い.ただ砂漠の中の家で樹木や緑の庭がないのはちょっとさみしい.まあ,オマーンではやむを得ないであろうが.
大分南に来た.植生がこれまでと違ったシーンにも出合う.写真はアフリカの木のような雰囲気だが,アカシアの仲間であろうか?
暫く走りアルジャジール(Al Jazir)の町に着いた.Al Jazirでググろうとすると,無理やりAl Jazira(中東の有名なTV,半島の意)ではないかとサジェストされるようなマイナーな町のようだ.まあ,実際そうではあろうが....
さてスタッフの皆さんはここで食料などの買い出しで,私たちはちょっとぶらついてみる.
アルジャジールから再び南下を継続すると,またも左手に大きな住宅団地が見えた.モスクも付属している.何でもクウェート国王から寄贈されたものだそうだ.いや~太っ腹ですな~確かにクウェートはオマーンに比べて産油量が大で,豊かなのであろう.
ザカール(Zakhr)の町に入った.ここも小規模な町で,このガソリンスタンドで給油し,お手洗いを借用する.
ザカールからさらに南下し,シャリーム(Shaleem)に入ってきた.この街は幹線路から内陸に向かう複数の中小路の集まる交通の要衝のようで,上2つと比べるとかなり大きい町だ.
Al Saja Hillsの看板を掲げたこのレストランでインド料理のランチを頂いた.カレーではなかったし,はてどんな料理だったかな~
シャリームでランチの後,駒を進めシュワイミヤのエリアに入った.最初眺めのいいシュワイミヤ断崖(Shuwamiyah Cliff)を見物した.
これは台地の上から見下ろしたショットなのだが....あまり迫力がない.実際は結構豪快な眺めだったように思う.やはり腕の問題だな.
シュワイミヤ断崖台地にはコブのように岩山が立つ.若いドライバさんは体力が余っており,ここに上って見せつけてくれた.
ここもこれまで見てきたアルハド岬の漁港やアルカールフ漁港と同じように,浅瀬の海岸で桟橋はなく,大型漁船は沖に停泊し,小型ボートがこれと浜を往復する形式だ.
停泊する2艘はやはりダウ船(を模した)デザインだ.伝統を重んじる民族と見た.
入江には,嘴の形からして多分フラミンゴが餌を探していた.でもフラミンゴならやはり,赤いとか,一本足立ちとか....らしくあって欲しいものだが...別の鳥か?
Yさんとスタッフは夕食材料を求めてシュワイミヤの町中を走った.写真は海岸に近い辺りで見かけたモスク.小規模だがドームの模様がとても美しい.
さて車で彷徨うも,多くのお店がシェスタで開いていない.困った.
そして魚の冷凍倉庫にやって来た.卸問屋さんで,ここから冷凍された魚をトラックで運び出し,小売店に配送するようだ.
私たちが物欲しそうな顔をしていたのであろう,写真の青年(卸問屋の従業員)が,『持って行きな』と,手にした冷凍魚一山を差し出してくれたのだった.
大変ありがたかった.これで今夜のメインディッシュ食材は確保出来た.
当初予定では今夜はシュワイミヤのビーチでテントを張る予定だった.ところが前日マドラカ岬のビーチキャンプで大群ハエのアタックに遭い,それが悪夢のように皆の脳裏に蘇るのだった.Yさん,Sさんはそんなことが再現せぬよう作戦を練り,ハエがいる筈なかろうという,ワディでキャンプすることにしてくれた.
そして内陸のワディへと貰った魚を積んでダートの道を進んだ.
暫く走り,はっきりワディが形態として判るわけではないが,Sさんの権利範囲と考えられる場所に到着した.周りが岩山で囲われ,いくらか緑の樹木も生えて,いい場所だ.
ここもまた広大な土地だ.日本の戦国時代より遥か昔(縄文時代か?)の国盗りのように,好き勝手に領土を決めてテントを張る.ここは風が無く楽だ.
どこで嗅ぎつけた(この言い方は悪いが)のであろうか,ベドウィン(?)の女性が旦那さんの車で駆けつけてきた.ここはやはり言葉(ベドウィン方言?かと勝手に判断)の通じるイケメンAさんが応じる.さてどんな商いにやって来られたのでしょう.よく分からなかったが互いに理解できたようで,穏やかな雰囲気で別れ,戻って行った.
何れにしてもニズワの金曜家畜スークで見かけたオマニーブルカ(Omani burqa)の女性を本場(?)で再見できたことに感激だ(いささか失礼な見解だが...)
シュワイミヤワディに日暮れが迫ってきた.もちろん特段やることも見当たらない私たちはむしろの食卓で早々と夕食の準備,いや練習か.
残り僅かなハイネケンをチビリチビリ(ビールであるに拘らず)始める.知恵ある人は湿らしたソックスなどの気化熱で冷やす心得もあって,実行している.さ~すが.でも不精な私には面倒で生暖かくてもそれでもいいやと,やたら不精を決め込む.
スタッフの皆さんが近所で薪を拾い,火起こししてくれた.浜ではあまり薪はないので,これはワディだけに見られる地の利であろう.
薪は燃えて炭になるが多分不足で,最初の町ザカール(Zakhr)辺りで仕入れた木炭を加えたかも知れない.
十分豊かな炭ができた段階で,町の冷凍倉庫で頂戴した魚を網に載せる.ここで主婦シェフYさんが炭と網の距離について鋭く指南する.Yさんは炭火の強さと魚のサイズ等を見て最適な焼き加減を心得られている専門家なのだ.今回のツアーでは全く不思議で,またありがたいことに和風魚料理を味わう機会を得たのだが,Yさんのご尽力に負うところが多い.もう一人,Mさんにもいろいろご苦労かけました.
さてこの魚であるが,イワシの仲間で,それを大きくしたような感じか.魚屋さんからたくさん頂戴したので,たくさん食べさせてもらった.幸せ~
写真網の下側バケットにはまだ生の魚も入っており,これもまた焼いて頂戴した.いや~満足した~
シュワイミヤワディで朝が明け,11月16日朝となった.東の空から強い陽が射し始めてきた.テントを畳み,朝食を頂戴し,北西の丘にハイキングに出ることにした.
丘は茶色い石で満たされているがトレイルらしき跡も見える.どうやらヤギなどの獣道なのかもしれない.まあヤギだけはどれほどガレていても平気で上っていく,大したもんだ.
既にキャンプサイトから見えていたのだが,鍾乳石の下がる大きな洞窟と,その前に展開される緑地を望む場所になった.水はこの背後の大きな岩山から染み出してくるのであろうか.
やがて洞窟に来た.洞窟は積層された岩の侵食され易さの差異で形成,つまり侵食され易い層が凹み洞窟になったのであろう.それは多分石灰石などの層で,洞窟開口部に下がる鍾乳石が現れた理由の一つではなかろうか.
それにしてもこうして朝日の当たる大岩盤は雄大だ.
少し前に盛りを過ぎたようだが,鍾乳石の下辺りに蘭の仲間があった.ちょっと惜しかった.
こちらは蘭の隣で咲いていた花.ありきたりの花なのであろうが私は知らない.サイズや色は少し忘れな草に似ているかな.
洞窟から下り,下側前方から改めて眺めてみた.鍾乳石がやはり気にかかる.そう言えば山の丘全体が白っぽいし,多くは石灰岩成分なのかも知れない.
また何某かの水分が補強されるのであろう,それなりの木や草,それに上で見た蘭などの花が育っているのには感心させられた.
さてこうしてハイキングが終わり,ランクルに乗って本道に戻る.目指すはいよいよサラーラだ.