このルブアルハリ砂漠編では,2016年11月18日サラーラから北へ向かい,ウバール遺跡を見物し,アルサファオアシスに寄った後,キャンプサイトを探して確定,テントを張り,夕陽のハイキングに出掛け,戻って夕食後就寝.翌11月19日早朝,日の出を眺めにハイキング,戻って朝食後再び午前のハイキングに出かける.午後は,アルサファの露天風呂に出掛け,戻ってお茶,夕食後星空を眺めテントで二泊目を過ごす.次の11月20日朝,テント場を撤収し,ランクルドライブ途中ジオード水晶探しをし,乳香林の立ち寄ったときの写真を載せました.
サラーラ19から,ウバール遺跡22を経由して,ルブアルハリ砂漠23に行った.ルブアルハリ砂漠はサウジアラビアに跨って広がり,キャンプサイトはサウジ国境から遠くない場所に位置している.
それにしても北のサウジとの国境,それに西のイエメンとの国境,見事に直線ですね.
サラーラビーチのホテルで11月18日朝が来た.全体的には晴天だが,アラビア海地平線の上はかなり黒い雲だ.雨でもおかしくない黒さだが,これが決して雨にはならないのだろう.
Salalah beach villaホテルで朝食をとり,kさんの4号車に乗り,国道31号線,43号線で北,つまり内陸サウジアラビア方向に向かった.
途中写真のような小さな街や村を通過した.
街道は一層砂漠っぽいエリアを走るようになった.それでもこの辺りはしっかりした舗装道路で,脇には電柱が並んでいる.
さてこの破断された矢印の標識であるが,『前方に涸れ川(Wadi)あり』のサインだそうだ.前方と言っても直ぐそこ,道路両側に各3本のオレンジ杭が立てられている場所だ.今は正しく涸れ川で問題ないのだが,雨季になると,涸れ川が濁流に変わり,オレンジ杭の半分まで水が満たされ車が流される危険があるのだそうだ.砂漠で,しかも窪みがあるようには見えないのだが....実際は様変わりするようだ.稀にではなく,何箇所もこの標識はあった.驚いた.
道路からは判別し難いが,円形農場の散水用大型回転スプリンクラーがあった.飛行機から見下ろせば,丸い緑の畑が見える筈だ(以前ヨルダン上空で見た).
写真左外に散水アームのピボットがあり,そこには注水口もあるはずだ.注水口→散水ホース→ノズル,と散水されるが,重いのでアーム何箇所かは車輪が支えている.一般にピボット灌漑と称するようだ.
水は地下水のようで,Kさんに訊くと牧草栽培が多いようだ.このような砂漠で大規模な緑地を育てているのに感激した.
これは現代のウバールの街で,何でもない小さな街のようだ.私たちの目当ては『ウバール遺跡』であるが,ここから直ぐの場所のようだ.
ウバール遺跡発見より遥か昔,コーランやアラビアンナイトの中で語られる『ルブアルハリ砂漠の南にあるシスル』という古代都市があるそうだ.
一方このウバール遺跡は,1990年代初頭,NASAのリモートセンシング衛星,地中レーダー,ランドサッの画像データ...等々の調査により発見されたということだ.そしてこれは『シスル遺跡ではなかろうか』との考えに至り,以降オマーン考古学グループと南ミズリー大学合同で調査に当たったそうだ.
シスルは紀元前3世紀頃から人が住み,一方この発見された要塞は紀元前1世紀~イスラム初,中期だそうで,やはりシスルの跡と判断されたそうだ.
なお石積み構造物は新しく,明らかに近年復元したものだと思われる.
オマーン/米合同調査隊の調査によれば,3mの高さの壁と8つの高い塔に囲まれた八角形の砦があったようだ.ただ砦の多くはいつの間にか形成された大穴に沈んで壊れたということだ.穴形成要因は地盤沈下,地下水脈の変化,地震など考えられているそうだ.
そして写真に見える石灰岩洞窟は陥没によって生じたようだ.
洞窟の下には湧き水の水源がある.ただ更に崩壊が進むのを防ぐため,コンクリートで固め,階段を下ると観察できるようになっていた.
ところで添乗Yさんのお話では,繁栄を極めたウバール市民が,強欲で不道徳な生活を改めなかったので,アラーの怒りを買い,滅ぼされたという伝説があるそうだ.
ウバール遺跡近くには大きな木の生えた場所があり,ここにむしろを敷いてランチとなった.
これがそのときのランチ.ピラフにサラダ,魚のフレーク....かな.
ウバールを越えた辺りからは舗装がなくなり,思いっきりホコリの舞い上がるダートロードとなる.但し,まだ電柱は続いているので,この先に村があるのか,それともベドウィンの住まいがあるのか....
いよいよ道らしい道はなくなる.いやあちこちタイヤの踏み跡は見えることには見えた.
それにいつの間にか電柱がなくなっていた.いよいよルブアルハリ砂漠(Rub Al Khali)のエリアに入ったのかな.
そして砂漠の中に忽然とAl Saffa Oasisの標識が見える.ほんとに人里離れた一画で,大きな木や草が生えており,しかも鳥も飛んでいる.これにはほんとに驚いた.
どうやら湧き水はいくらでもあるというものではなく,普段は設置されたバルブが閉じられているようだ.ウバール辺りの住民が普段管理し,家畜連れで通過するときに飲ませたりするのであろうか.
ガイドSさんがバルブを開けてみると,勢い良く水が噴出した.
なお,水だけでなく,お湯も出すことができ,それを満たした浴槽,つまり露天風呂も備えている.これは私たちに大いに目を付けられ,翌日この温泉に来ることになった.
4台のランクルは最適キャンプ地を求めて探し回った.この辺りだけで,ガイドSさんが利用権利を持つサイトが4箇所あるそうだ.で,あーでもないこーでもないとばかりに探し回る.
砂漠の王者ラクダだが,道に迷ったか,水や食料が尽きたか,病気になったか,ケガをしたか.....ここで行き倒れたようだ.白骨になっているので相当前であろう.
強力なランクルで,もちろん砂漠に入る前に空気圧を下げていたが,スタックされる場面があった.ここではさらに少し空気を抜いて,切り抜けた.
Yさんと,私たちの代表2人が適地選定のため,巡り,そして戻ってきた.ハイキングに良さそうな場所で決めてきたという.
そして4台の車全部がそこに向かうことになった.
キャンプサイトに着いた.なかなかいい眺めの場所だ.そして先ずは思い思いの場所にテントを張った.砂なのでペグは軽く入る,つまり抜け易い訳でもあるが,大して風はないので心配なさそうだ.
広々している.反面お手洗いの場所探しは...どこまで行けばいいのか....大変そうだ.特に夜間は.
なおこのサイトはSさん専用で,他のグループが入ってくる心配はまったくないそうだ.
テント張りが終わり,準備が整い,夕陽ハイキングに出かけた.砂の斜面は上る度に,その半分くらいはずり落ちる.急なところではもっと落ちる.いやはやなかなか上りがいがあると言うものだ.
私はこの日靴で上ったが,裸足の方が楽ですよ,と実際裸足の人もいた.明日は試して見よう.→朝のうちはあまり問題ない.裸足が少し楽かも.ただ小さな枯れ木があったり,昼近くだど砂が熱い問題あり.
陽が沈むまで十分時間があった.なかなかいい眺めだ.更に高く行く人や寝そべる人も.ただ風は強くはないが無風とはいかず,顔を低くすると砂を被りやすい.
さてこのルブアルハリ砂漠(Rub Al Khali)であるが,長さ1000km,幅500kmの大きさでアラビア半島南部3分の1,つまりここオマーン,西のイエメン,サウジアラビア南部,北のUAE(アラブ首長国連邦)の4カ国に跨り,世界最大級の砂の砂漠(俗に言う土漠に非ず)ということだ.アラビア語の原意は『何も無い場所』ということらしい.
広いルブアルハリ砂漠だけに環境は場所に依存するが,夏の昼間は55℃,夜は氷点下に達するところもあるようだ.私たちのテントサイトは大したことなく,夜間もさほど冷えることはなかった.ただサソリが入る危険があるのでテントのファスナーは閉じるのが無難とアドバイスされた.
やがて夕陽ハイキングで陽が沈んできた.まあどこも夕陽を逆光で眺めれば,山は一面黒いシルエットで,別に変わり映えするものではないが,まあ,赤い太陽もこれはこれでいいだろう.
さてテントで一夜明け,11/19(土)になった.朝食前に前日と同じようなルートを上ってみる.そして今度は日の昇るのを待ってみる.
やはり上る山はシャドウで黒い塊だ.ただ一筋の雲がオレンジに輝いている.
順光の砂丘は赤く染まって美しい.やはりこうでなくては.
日は少し高くなった.それでもまだ結構赤く,陰影コントラストが強い.いい光景だ.
日の出ハイキングから戻り,朝食を頂いた.トーストとかであったか.
そして食事が終わると,前日および今朝の方向とは逆の砂丘方面に行ってみた.
丘の縁の方からは,午後楽しみにしている露天風呂のあるアルサファオアシスの木立も遠くに望めた.
朝ハイキングを終えて戻ると,スタッフの皆さんが白いテントを張ってくれていた.何しろ好天の砂漠は暑いからテントの日陰はありがたい.
太陽の位置によって,陰の位置もずれるので,時々むしろを移動した.
最初に男衆が全員車でアルサファオアシスを訪れた.このオアシスにはこのような露天風呂が備えてある.実に気が利いている.ただ到着して,入ったときは少しぬるく,ガイドSさんにバルブを開け,湯を注いでもらった.
まあ,砂漠の露天風呂など思いもよらなかっただけに,些か長湯の末戻った.
実は私たちがアルサファオアシスを訪れたとき,オアシス前の東屋ベンチにはヨーロッパからのツーリストの皆さんが陣取り,食事していた.ただ皆さんはここでテントを張るとかの素振りはなく,また露天風呂にも関心はないようだった.
私たちは東屋と風呂の間にランクルを停めてもらい,一応気を遣った(?)つもりだった.
露天風呂から戻り,ゆっくりお茶して,夕食を頂戴し,夜になる.星はいっぱいだ.暇なことだし,写してみるか,と撮ったのがこれ.でもいかにも芸のない一枚に終わってしまった.あといくらかでも星らしく撮れればいいものを....
明けて11/20(日)朝になった.今朝はルブアルハリ砂漠キャンプを離れる.今日はAさんの2号車だ.Aさんは赤い巻ものでキメている.
ランクルはルブアルハリ砂漠を抜けるまで暫く砂漠を走る.まだ陽が低い位置にあるので砂漠の陰影がとてもきれいだ.ところどころ白い石(岩)が見えるのは,比較的比重の小さい石灰石とかであろうか.
暫くして車を停めた.この辺りは水晶のジオード(geode)が多いのだそうだ.これまであまり知らなかったのだが,ジオードとは鉱物,多くは石灰岩の中空球状体で,内側は石英など覆われることが多いそうだ.石英ではなく,もっと立派そうな宝石が内部に在るタイプは見たことがあるが....
ということで,車を降り,丸い石を探して歩いた.
ジオードは砂や普通の石と同じ色の外観であるが,著しく丸い形態で歩いていると識別しやすい.見つかったものを大きな石で叩いて割ってみるとこんな風に白い水晶の内側が見える.ただ水晶と言っても結晶が大きく発達しておらず,特段興味を引くものではないと思うが,それにしても外側は着色されているに拘らず内部のピュアな白さは感動ものだ.
それと結晶化が進んでいないため,微細な結晶の集合(もしくは多結晶体)なので,あちこち勝手に向いた微細な鏡面があり,それがピカピカ目の位置に応じて輝くのだ.もし顕微鏡型プラネタリウムと云うのが存在すれば,こんな感じに見えるのではなかろうか.
やがて道路に出て,また暫く行くと立派な国道43号線となった.そしてコンビニを併設したガソリンスタンドで給油した.
また,ここであったか,少し手前であったか,タイヤ空気圧も通常値に補充したと思う.
ガソリンスタンド横には,普通の反動回転式スプリンクラーをマトリックス状にたくさん並べた畑があった.ここも水源は地下水であろうか.砂漠の中の苦労が目に見えて感じられる光景だ.
少し進み,またピボット灌漑の畑があった.目を凝らすと,ここは散水アームを支える脚の白い踏み跡と,アーム先つまり緑の切れた先の白さ(土色)がよく見えるので再掲した.面白い.
暫く走りサラーラ近くになったと思う.ここには乳香の木公園の看板があった.看板にはユネスコ世界遺産のマークも記されている.
これまで訪れたホールルーリ遺跡,アルバリード遺跡と並んでこの『ワジダウカの乳香公園』もユネスコの世界遺産『乳香の土地』登録物件の一つなのだそうだ.
多分近年整備されたのであろうが,乳香の木が立ち並んでいる.乳香の木は少なくとも見かけが立派といった趣きはまるでなく,むしろみすぼらしい雰囲気だ.ただ風雪(ちょっと違うが)に耐える砂漠の木で,何よりも乳香を産する貴重な木なのだ.
実際この公園の木の幹には,少しベージュがかったヤニのような乳香がくっついている.
枝の先にはこのような小さな花も付けている.樹木と同じように全然華やかさに欠き,貧相な印象さえ受ける.乳香の華々しさ(特に古代の)に対比すると気の毒なように感じさえする.まあ,そういう問題ではなかろうが.
さてルブアルハリ砂漠は上述のように,巨大な砂漠で,ベドウィンと言えども,その辺縁を移動するにすぎないという.ただ大昔から砂漠だったというわけではなく,ここ1,000年間で大きく進行したのだという.
現に3世紀頃までは乳香交易キャラバンがこのエリアを行き交っていたのだが,砂漠化進行に伴い横断が困難,やがて不可能になったということだ.上述の失われた都市ウバル (Lost City of Ubar) もこのような乳香交易で栄えていたが,やがて衰退に至った理由だそうだ.
さてこうしてルブアルハリ砂漠の旅は終わり,次はさらに西に向かう.