このワヒバ砂漠編では,2016年11月11日ニズワから郊外に走り,野原でピクニックランチ.その後ワヒバ砂漠に至り,ワヒバの砂丘登りを楽しみ,常設テントに一泊し,11月12日ワヒバ砂漠の朝を迎え,そして去るときの写真を載せました.
先ずニズワ9を出て,途中野原に寄り,ワヒバ砂漠10に至った.
ワヒバ砂漠10は180km✕80kmの広さがあり,名はこの地域を拠点に暮らしたバニワヒバ族(Bani Wahiba tribe)に因むそうだ.
ニズワ見物を終えた私たちは,車で一路東へと向かった.この日はKさんの4号車なので,前方に3台のランクルが見える.
時速100km/hくらいのスピードで,幾つかの村を越えた.ランチの野原は近い筈だ.根拠はあくまで腹時計からの予測だが.
原っぱはいくらでも在るのだが,日陰がないと熱いので,木立のある野原を探していたのだ.そして大きな木の生えた原が見つかり,ここで駐車した.
乾いた土地の木は相当な年数になるようで,ねじ曲がった太い幹になっている.そして私たちはこの木陰に座り,スタッフの皆さんがサンドイッチの材料を刻んでくれた.
野菜が刻まれると,早速私たちはそれを薄いナンに挟んで食べた.ツナ缶もあったかな.専任のコックさんが付いていないので,まあこんなものかな~という評価が一般的だった.でもスタッフの皆さんご苦労さまでした.
ピクニックランチの後,南東へ向け再び走り始めた.そしていくつかの町を通過する.街は一週間後のナショナルデーに備えた国旗が道路脇を賑わせている.
さてワヒバ砂漠入り口の町に着いた.上のGoogleマップを見るとビデヤー(Bidiyah)の町であろうか.
車を一軒の整備工場に寄せ,全車両タイヤ空気圧調整(圧力を低く)した.普通の舗装道路では220kPaくらいらしいが,砂漠では通る場所にも依るが,最低圧では半分近くまでにするようだ.
タイヤ空気圧調整が済むと,程なくワヒバ砂漠に入っていった.轍を見ると路面は然程柔らかではなさそうで,空気圧もそう大きくは減らさなかったかも知れない.但し夕刻砂丘登りで,途中まで車で送ってもらった際はもっと柔らかな急坂を登ることになるのだが.
ラクダが放牧されている(車の左).そしてときどきラクダ囲いも見える.ラクダはベドウィンのものらしいが,ベドウィンのテントは見えない.実はこの辺りのベドウィンは先程のビデヤーの町に住み,時々車に水と餌を積み込んで,補給しにラクダ囲いに現れるのだそうだ.な~るほど.
砂漠を4,50分走り,デザートキャンプ(Desert Camp)に到着した.砂漠の中に2,30数戸の固定テント,いやバンガローかを備えたロッジだ.今夜はここで星を眺めながらの一泊だ.
キャンプ全敷地は一応柵で囲われ,ドアも付いている.その古めかしいドアにはバカに凝ったデザインのレリーフが刻まれている.キャンプに似つかわしくない,などと言うのはヤボであろう.
ドアを潜ると藁屋根小屋があり,そこにレセプションを備え,スタッフがチェックインしてくれた.そして私たちはデーツとお茶を頂戴した.デーツは大変美味しかった.
ベンチの子連れ伝統衣装の皆さんは地元オマーンどこかからのお客さんだ.多分砂漠が遊び場に見える都会の人たちであろう.
この六角形の小屋が,『固定テント』と聞いていた客室.ただどう見ても,外側はスノコの壁,藁葺き屋根,しっかりしたドアも付いているので,テントより立派,バンガローかな.
それより土地がいくらでもあるためだろう,小屋の間隔はバカに離れておりびっくりした.
客室は十分に広く,壁や天井はすべて布が貼られている.これがテントというか,中央アジアのユルト,モンゴルのゲル,などと似た雰囲気だ.床は板張りで,薄暗い明かりが灯っている.コンセントもあるが,気まぐれでたまにしか通電されない.
ちゃんとしたベッドに蚊帳が吊ってあるが,この空っからに乾いた土地に蚊が生存しているとはとても思えないし....まあそれなりのムード作り小道具か.
客室にはちゃんとバスルームが付いている.左寄りに見えるシャワーヘッドからはお湯は出ないが,若干配管の途中陽で温められた水,実際はやはり少し冷たい水が出る.手動シャワー付きトイレもあるし,立派なもんだ(この後砂漠や浜辺に何度かテント泊するが,トイレはないのだ)
バスルームはしっかりタイル壁で囲われているが,屋根はない.外に出ないでも星が楽しめるようになっているのだ.
レセプションの脇にサンドバギーがあり,子どもたちが遊んでいた,手前一番小さい子が尤もらしい正装姿でおかしいし,かわいい.
砂漠と言えばやはりラクダであろう.地元客のお兄さんたちはラクダを楽しんでいた.まあここであれば,エジプトやモロッコでよく商売しているちょっとたちの悪いラクダ引き,のような心配は要らないであろう.
夕方になり,デザートキャンプ近くの砂丘に行った.途中の高さまでランクルで上ってくれた.空気圧を低くしたランクルであるが,時々登れず喘ぎ,また時々横転しそうになる.登れないときは一旦下がり,思い切り吹かして加速し,ニュートンの第一運動法則(慣性の法則)を応用して駆け上がった.
お陰で私たちは楽できた.ありがとうございました.ということで,ここから歩き始める.
陽が低くなり,少し赤みが射してきた.なかなかきれいだ.風紋もよく描かれ,これまた美しい.
ただ風は相変わらず強く,かなり砂が舞い上がる.前を行く添乗Yさんのカメラは大型一眼レフだが多分レンズ込みで2.5kgくらいありそうだが,防塵型で砂の心配はないそうだ.こうした辺鄙なところへの添乗が多いYさんには必須だそうだ.解ります.
どこまで行っても同じような風景の繰り返しなので,適当な場所に留まり,陽の落ちるのを待つ.写真右手は私たちのデザートキャンプだ.ほんと砂漠の真っ只中にある.
夜に向かうに連れ風は弱まるのだとガイドさんの説明を聞いていたが,今のところまだ弱まる気配は感じられず,砂が絶えず舞い上がる.手持ちのカメラは何の備えも無いカメラなので,砂にやられないでくれ~と思う.以前別のカメラで押しボタンに入り動かなくなったことがあった.
さて大分陽は低くなった.今くらいが赤みと明るさの最適時点くらいかな.それなりに陰影がありきれいだ.
上写真のタイミングで太陽に露出を合わすと,このような位置にあった.もう少しすると向こうの丘に沈みそうである.
そしてこの後,またランクルまで歩き,いや下りなので駆け下り,ランクルに乗せてもらいデザートキャンプに戻った.
デザートキャンプでの夕食は,手持ちのビールを予めクーラーに冷やしておいてもらったのを飲んだ.バフェスタイルであったが,インド料理ではなく,ケバブなどがとても美味しかった.
明けて11月12日朝になった.砂丘の朝焼けは見えるかな~と少し期待していたが深い霧で何も見えなかった.少し陽が上ってもまだ写真のように霞んでいる.砂漠って水分が少なく,従って水蒸気も少なく....などと勝手に考えていたが,全くの無知というものであった.
霞は徐々に晴れ,朝食のためデザートキャンプのレストランに出かけた.窓こそ開放スノコ張りであるが,しっかりしたコンクリート構造のようだ.デザートキャンプで一番しっかりした建物であろう.
当然バフェスタイルの朝食だ.開放窓であるが,ハエとか全く心配なさそうだ.
トーストに玉子,チーズ,バナナ....まあ,ごく一般的な朝食だ.普通に美味しかった.
デザートキャンプの朝食を頂くと,荷物をまとめてチェックアウトし,ランクルに乗り込んだ.イケメンSyさんの3号車だ.Syさんはシガレットライター電源からUSB端子の充電ケーブルを持っており,頼むとスマホに充電してくれる.ありがとうさん.
少し行くとラクダの親子が歩いていた.この辺りはもちろんヒトコブラクダだが,乗るにはコブが邪魔そうだな~
砂漠は別としてヤギはやたらめったら見かけるほど多い.しかし羊は殆ど見ない.それが大変珍しいことに砂丘の上に見えるは羊じゃないか?この体型からしてきっとそうだと思う.
ランクルはワヒバ砂漠入り口の町ビデヤーに戻った.高い建物はなく,商店街やモスクのある,まあ一般的な町であろう.
砂漠は終わり,これからは普通の舗装道路だ.ということで往きで立ち寄った整備工場にまた寄り,全車両のタイヤ空気圧は通常値に戻してもらう.
この修理工場はワヒバ砂漠至近という地の利で,ひっきりなしにタイヤ空気圧調整の車が立ち寄っている.意外と砂漠を往来する車輌が多いものだと感心した.
空気圧調整の待ち時間隣のクリーニング店を眺めてみた.アラビア語と英語表記に加え,絵で業務内容が表示されている.確か他でも書いたが,これがオマーンの看板方式でとても分かり易い.
右の『至急仕上げ承ります』のような広告も興味深い.例えば旅でこの地に来ているのだが,持ち合わせが少なく,それが汚れてしまったので...のケースがあろうか.
なおこうしたランドリーではインド人出稼ぎ労働者が多いそうである.
ということで,次はキャニオニングのワディ(Wadi:涸れ谷)の村に向かう.