このミスファットアルアブリーン村編では,2016年11月9日,途中オマーン最高峰など眺めつ,ミスファットアルアブリーンに向かう.到着すると同村ファラジを見物.その後一旦村を離れ,翌11月10日夕刻再びここを訪れ,古民家ゲストハウスに泊まる.そして次の朝ここを離れたときの写真を載せました.
先ず11月9日,バラドシト村5からミスファットアルアブリーン村6に進んだ.途中グリーンの山マークで示されるオマーン最高峰Jebel Shams(シャムス山)を望める.ミスファットアルアブリーン村6には翌日夕再訪することになる.
なおアルハムラ7,アルキタイム8については別のページに記した.
ハジャール山脈山中のオアシスだ.定石通りナツメヤシ畑が茂っている.その実デーツは旧約聖書やコーランにも記される中東では最も大事な食物だ.
添乗Yさんの資料を見ると,オマーンでは農作物の実に50%がデーツで占められ,800万本のナツメヤシの木があるそうだ.収穫されたデーツの2/3はドライ,もしくはそのまま生で食され,1/3は加工されて供されるという.例えば日本には『おたふくソース』があるそうで,これにはサウジ産らしいがデーツが含まれているそうだ.
険しいハジャール山脈を縫うように道は続いた.仔細に見ると写真中央辺りには白い家々の集落が見える.凄い山奥であるが,きっとここにも水があり,ナツメヤシ畑が茂っているに違いない.
ちょっとパッとしないショットだが,中央から右寄りの一段低い(ように写っている)峰がオマーン最高峰Jebel Shams(シャムス山)だそうである.モヤって霞んでしまった.Jebel Shamsとはアラビア語で太陽の山の意という.太陽に近いということか.
シャムス山のもちろんハジャール山脈に位置し,標高2,818m(3,028m説もあるそうだが)で,今はまだ然程寒くはないが,冬には氷点下にまで下がるそうだ.
Yさんの旅行社にはこのシャムス山登頂ツアーもあるそうだ.
やがてランクルはミスファットアルアブリーン村に入ってきた.この村は随分広く,山の部分から,その裾野の平野部分まで広大だ.私たちはファラジを見るためさらに丘の上に進む.
丘の上のミスファットアルアブリーンは凹凸ある狭い斜面に住宅や畑が作られている.そのため住宅は部分的に密集し,集落入り口はこのようになっている.
左右に曲がり,上下にうねり,要塞的雰囲気の通路だ.実際後に見張り塔らしきもの建物を見るのだが,集落全体を要塞化していたのかも知れない.
入り口の怪しい通路を抜けると,ファラジの貯水槽付き分水路があった.この時期は水量が少ないためであろうか,貯水槽は空であった.
ファラジは貴重な水を使うため,畑の所有者に公平に分配することが重要で,自治体(集落)毎にその分配法が定められ,実施管理されているということだ.日本でも水を取り合う争い,しかも生死をかけた水騒動が多かったことを思うと十分に納得できる.
ファラジの水でこの通りバナナとナツメヤシが茂っている.水のないところは茶色一色なのでその効果は一目瞭然だ.
ファラジの水路はコンクリートでU字型に固められている.両側はそこを歩ける幅があるが,岩が迫っている箇所や,崖際で怖い部分もある.
この時期,流れる水は思ったより少なく,その貴重さを改めて知る.
水路の途中にこのような塔があった.今は半ば壊れ,機能していないようだが,ファラジ監視用か,敵の侵入監視用か,....
大岩ゴロゴロ地帯になった.この岩を越えて行くと水源が見えるそうだ.ここはちょっと大変だ.ギブアップする人もいた.
水路U字溝には半分くらいの深さくらいまで開いた箇所がところどころにある.この人はそのU字溝開口部の下流に石と土嚢で堰き止めて,開口部から脇のナツメヤシ畑に水を引こうとしている最中だ.ファラジ配分の掟に従った作業であろう.
これが水源で,ここからU字溝が始まっている.別ページで記したAini:山の湧き水を水源とするタイプに相当しよう.
なおこの池やU字溝水路には小魚が泳いでいるので水は有機物を含んでいるのであろう.
水路を逆方向に歩き,集落に戻った.放棄された廃墟も見える.やはりすべて石造りだ.
集落の子どもたちが寄ってきて,モデルになってくれた.とても可愛い.皆姉妹であろうか?
ファラジ見物の翌日夕方になると,ミスファットアルアブリーンの古民家ゲストハウスに宿泊するため村を再訪した.
山の裾野エリアは既に陽が落ちて夕闇が迫っていた.前日を同じ駐車場で降り,例のミステリアスな通路入口に歩いた.
私たちの目指す山の方はまだ陽が残る
なお,左の黄色い車はスクールバスだ.多分この集落から麓平地の学校を往復するのであろう.
右の電柱に張られた配電ケーブルも面白い.つまりケーブルが縦に並列に張られている.この方式はオマーン各地で見かけたが,日本を含め他国では普通横に並列なので珍しいと思う.なお5本あるのはどうしてか?3相交流+単相交流,いや単相2系統+避雷アースか,...
かつて古民家,現在は看板のMisfah old houseゲストハウスに着いた.そして看板の先は直ぐレストランで歓迎のデーツとお茶を頂いた.デーツはとても美味しかった.
なお宿泊棟はここから右の坂道を下った先にあり,別棟のシャワー設備も備える.
私たちは割り当てられた部屋に荷物を入れ,シャワーを浴び,夕食のため再びレストランに集まった.夕食の内容は,まあこれまでと似たり寄ったりであったか.ただここはイスラムの戒律に大変シビアに従うそうで,ビールは出してもらえないし,そっと持ち込むのも厳禁だということだ.まあ,たまにアルコール抜きも身体にいいだろうと,皆従順に従った.
写真は翌朝目覚めたときに撮したものだ.全体は石造り,天井は木の梁に直交するすのこ状木材,そして見えないが屋根はセメントで固めているであろう.床は木の板張りである.
格子窓の外はナツメヤシ畑になっている.窓の奥行きからすると壁はかなり厚いようだ.またベッドはなく床に布団を敷き寝た.古い時代,オマーンもベッドは使わなかったのであろうか.
エアコンは洗濯物を乾かすために,送風で使った.温度は適温で冷暖房は必要なかった.
トイレとシャワーは別棟で,ちょっと不便だ.
朝食事に庭に出て,レストランに向かう.庭にはバナナとナツメヤシが茂り,牧草であろうか青い草が育っている.これもファラジの恩恵だ.
ところでナツメヤシがデーツの実を付けるのは6~8月くらいで,今はすべて収穫後なので見えない.あのすだれ状に大量に纏まってぶら下がる様子は壮観なものだが,ちょっと残念だ.
一方ザクロは今が旬のようで,古民家庭のザクロも実を付けている.この個体は若干早いようで,も少し待てば真っ赤になるであろう.
庭を抜けレストランに来た.開放された窓がやはり南国情緒だ.トーストに玉子,ヨーグルト,フルーツなど一般的な朝食だった.
ミスファットアルアブリーンの古民家宿泊を体験した私たちは村出口の駐車場に行った.そしてたまたま女性の運転する乗用車に出会った.驚き,また感心した.Kさんによれば,オマーンでは女性の自由度は,周辺国と比べて高いそうだ.
そして私たちのランクルは次のニズワ(Nizwa)の街に向け出発した.山側のミスファットアルアブリーンからは,その裾野の広大な平原部が展望できる.行政的範囲は不明だが相当大きな村,いや町か,に見える.