このニズワの街編では,2016年11月9日一度ニズワのホテルへ行き宿泊.翌々日の11日再訪し,今度はニズワのスークを訪ね,金曜家畜市場,魚市場,野菜市場,お土産市場,ニズワ要塞など見て,そしてニズワの街を抜けながら離れるときの写真を載せました.
先ず一回目は11月9日夕ミスファットアルアブリーン村6からニズワ9のホテルに来て宿泊,次に11月11日朝再びミスファットアルアブリーン村6からニズワ9に各所見物に訪れた.
ミスファットアルアブリーン村のナツメヤシ果樹園ハイキングを楽しんだ後,ニズワに向かった.何でもこの日はどうしても同村の古民家ゲストハウスが確保できなかったためという.そうして夕刻ニズワの街に入ってきた.
Al Diyar Hotelには順調に到着し,写真のレセプションでチェックイン.部屋数は結構ありそうだ.
ホテルの部屋は十分広かった.フリーwifiも使えた.ただこのホテルに限らず,オマーンで泊まったホテルではどこも簡単ではない.つまりこの国も中国とかと同じように,接続できないURLがあったり,またルーティングに時間がかかったり,そのためにタイムアウトしたりするようだ.メール送信が上手くいかず困った.
バスルームの壁や床は大理石(もしくはそのように見える人造物)だ.それは別に関心事ではないのだが,手動式ながらシャワーホース(写真中ほど)付きトイレはうれしい.このホテルだけでなく,今回宿泊のホテルは皆備えていた.イスラム圏は紙を使わず,水で洗浄するという文化なので,概ねどこのイスラムの国のホテルでも手動シャワーがある.日本のウオシュレットとかにすればさらにいい筈だが,そのうち採用されるだろう.
Al Diyar Hotelのレストランはバフェスタイル(どうやらオマーンで並のレストランは皆こうだ)だ.お客さん,殆ど西洋人,で席はいっぱいだ.繁盛している.
ただこのレストランではビールを出してくれない.しかし持ち込んでもいいそうだ.ということで入国時買って持ち歩いているビールを持ってくる.あいにく部屋に冷蔵庫がなかったので,ぬるいが.
翌11月10日朝,朝食のため別棟の部屋からレセプション脇レストランに向かう.途中庭のプールを見下ろすと既に泳いでいる人がいる.
乾ききったオマーンで大量の水を使うスイミングプールとは,と思わない訳ではないが,まあ大丈夫なのであろう.
Al Diyar Hotelの壁に掲げられたカブースビンサイード国王陛下(Sultan Qaboos bin Said)の肖像画だ.肖像画は街や通りあちこちで見かけることができる.
現在76歳ということなので,この画は今より若い頃描かれたものと思われる.
カブースビンサイード国王,父サイード王,祖父タイムール王に関わるトピックをちょっと載せてみよう.
さてこの日ニズワ見物ではなく,先ずはアルハムラ村見物に出かける.
いつものようにホテル前のランクルに分乗し,出発だ.
11月11日朝,ミスファットアルアブリーン村の古民家宿を発って,ニズワ(Nizwa)の向かった.
ニズワは現在オマーン第2の都市で,人口は9万人くらいという.オマーンで最も古い都市の一つで,6世紀~7世紀頃にはオマーンの首都で,西ハジャール山脈の麓に在るゆえ交易,宗教,教育,芸術の都であり,グランドモスクがイスラム学の中心だったそうだ.
また1913年から1959年まではオマーンイマーム国(オマーンスルタン国とは別)としての首都であったそうだ.
この日はKさんの4号車だった.ニズワ手前で写真の町を通過したのだが,実はKさんはこの町にお住まいだそうで,勝手知ったる近道を行くのであった.土地は父から受け継いだという.オマーンでは土地は原則国有で,成年に達すると申し出て,一定の面積を無償で与えられるという.しかし得られるまで長い年数を要したり,また場所の希望が叶えられなかったりするので,相続や有償で得る道もあるそうだ.
Kさんは4人の中では一番年配で,16歳の高校生を頭に4人の息子さん,まだ2ヶ月という生まれて間もない娘さんがいるという.子どもたちには伝統文化を重んじた育て方で臨み,例えば伝統のディシュダーシャを着せているという.ちなみに奥さんは一人だという.
ディシュダーシャと言えば,4人のドライバーさん皆が着用しているが,これでないと,多くのケース,特に地方,例えば以前訪れたアルキタイム峡谷の村のカフェ辺りで,ちゃんと尊敬を持って迎い入れてもらえないそうである.
Kさんの町からニズワには直ぐだった.Kさんはニズワが地元なので大変詳しく,ニズワだけはチーフガイドSさんに代わって案内して下さるそうだ.
そしてKさんについて再び.Kさんはお昼近くになるとカーラジオのスイッチを入れ,コーランの 詠誦番組にチューニングする.専用の局があるのかどうか,必ずコーランが聞こえてくる.そしてアラビア語の後に,節くらい毎の区切りで英語に翻訳された音声が流れる.私たちに聞かせようと意識しているのだ.なかなか親切な方です.
ランクルはニズワの大駐車場に到着した.街の中心部,市場の直ぐ脇で便利なところだ.
今日は金曜家畜市場の日で,ヤギや牛など取引の家畜も駐車場に集まってくる.
ニズワスークはニズワ城壁の中にあるようで,城壁の門に向かう.ニズワ城は本丸を囲み,その外にモスクや家来の屋敷,その外にスークや町民.....といった構造になっていたのかな~と想像してみる.
ニズワ城壁門を入ると直ぐスーク,しかもとても有名というニズワ金曜家畜市場(スーク)のエリアだった
やはり朝方が一番活気があるそうで,売る人,買う人,それに観光客が大勢集まっている.
なお競りの家畜は,ヤギ,羊(少ないが),牛の順のようだ.馬やラクダはいなかったかな?
家畜市場は買い手(と観光客)の立つ円形マウンドの周りを,売られる家畜の通るトラック,さらに外側に買い手(と観光客)が取り囲むエリアの同心円状になっている.別にトラックと外周に白線が引かれているわけではない.
強い陽射しを避けるため,マウンド上は屋根で覆われている.
売りに出されるヤギは飼い主に連れられトラックを反時計回り(左回り)に廻る.ヤギは毛の長いタイプが多く,結構せっかちに廻る.
売り手は時々買い手の客に声を掛けたり,とても忙しい.買い手もあっと言う間に通り過ぎるヤギを買うかどうか,買うとすればいくらにしようか,素早い判断が必要だ.
買い手が興味を示すと,売り手は(多分)売値を提示し,買い手がこれに応える.写真のように離れた同士では手でサインを送ることもある.いすれにしても廻りながらの忙しない行動だ.
ニズワで一番有名な観光名所がこの金曜家畜市場だと言われるほど観光客が多い.私たちもその一員だが,そんな野次馬に対して『邪魔だから向こうに行ってくれ』などと言われることはなく,とても温かい.尤も私たちも一定の節度を持って見守るは当然であるが.
Kさんによると昔は女性が家畜市場の競りに来ることがなかったが,最近は写真の女性のように参加するようになったということだ.こうした点オマーンは他イスラム国に先んじているという.
ところでこの二人の婦人が顔に付けている黒いマスク,私は実物は初めて見た.既婚女性が着用し,ブルカ(Burqa)の一種で,ベドウィンの女性がよく着用するとか,オマニーブルカ(Omani burqa)と呼ばれる,と記しているサイトもあった.
金曜家畜市場の脇では,トラック荷台にスイカをたくさん載せて売っていた.スイカに関しては多少当たり外れがあるだろう(これまで食べた経験から).
やはり家畜市場の脇に,ドライデーツを並べたおじさんが商売していた.確かにあちこちで出されたオマニーデーツは美味しい.ヨーロッパの方,ここで買うべし.
ニズワスークの魚市場にやってきた.商品は床から一段高い台の上に並ぶ.買い物客から商品を間近に観察できるようになっている.
ただなぜか,売り子さんもこの棚の上にあぐら姿で座っているのが面白い.テーブルと椅子で食事より,カーペットに座って食事が好まれるお国柄だけに,こうしてあぐらが楽なのでしょうか.
立派なカジキ(左)とマグロ(右)のようだ.皮は剥がずに,冷温ケースに入れて展示販売すればお刺身にできるのに....勿体ないな~という気が....
野菜売り場は売り手も買い手も男性が多い
並んでいる野菜はマスカットのスークで並んでいたものと同じように一般的なものが多い.やはり輸入品が多いのであろう.そして売り手も買い手も男性が多い.特に売り手の女性は全く見なかったかな.
市場内部店舗は権利者が決まっていて,簡単に商売できないが,こうして軒下であれば可能なのであろう.左はザクロ,右はニンニク専門店のようだ.随分広々店を構えている.
こちらは穀類,ナッツ,ドライフルーツ,豆類,スパイス....そういった類が揃っている.オマーンではお米をよく食べるが....手前左がそうか?まだ精米されていないように見えるが....
お土産店がかたまったエリアもあって,このお店の場合陶器を主に扱っている.素焼きの素朴なものが多く,水入れ,フラワーポット,香炉,花瓶.....色々揃えている.中でもコインの差込口だけ開き,後は閉じた大きな壺,そう100万円くらいは楽に入る貯金箱があり,笑ってしまった.
男性のフォーマルな装いには欠かせないというハンジャル(khanjar)専門店もあった.こうして見ると鞘や柄は銀が多く使われているようだ.また鞘の部分に腰に結ぶための部材が一体的に設けてある.その点,ほぼ同じようなイエメンのジャンビア(Janbia)は,腰結び部材は特段付属せず,若干異なるようだ.
なおオマーンの国旗旗竿側の
紋章は,国章でもあり,ハンジャルと太刀を組み合わせたものだそうだ.
うん,ここでもちゃんと腰結び部材が描かれてますね.
添乗Yさんによれば,ハルワ(Halva)はバングラデシュからモロッコにかけて広く食べられているお菓子だそうだ.形態や味は国ごとに異なり,ニズワではこのお店が評判で,いつも客で混み合っているそうだ.
私たちもここで作られたものを食べさせてもらった.チョコレート色でナッツが混じり,ういろうをさらに柔らかくしたような,いやプディングに近いか,の食感だ.初めての味で,評価は控えよう.
オマーン紋章で描かれるハンジャルと太刀,さらにライフル銃も揃えて販売している.ハンジャルと太刀は他でも見かけたが,どうやらライフルも自由に販売できるようだ.多分犯罪に使われることが少ないのであろう.
そう言えば,昔訪れたお隣のイエメンでもジャンビアは勿論,路端でライフルが売られてた.今は大変な事態になっているが....
私たちはニズワ要塞にやって来た.Nizwa Fortの看板を掲げた入り口脇には,それを象徴する如く大砲が据えてある.
広くは見て廻ったスークなども城の範囲であるが,この要塞は城の本丸といったところであろう.
砦は1668年アルヤルービ朝(Sultan Bin Saif Al Yarubi)時代に同地方の防衛を目的として建てられたそうで,スルタンの住居が置かれ,城として機能したということだ.
スルタンビンサイフ(Sultan Bin Saif)はイマームオマーンのアルヤルービ朝二代目で,1650年ポルトガル軍をマスカットを含むオマーンから追い払った実績があるという.つまりオマーン全土統一も図ったわけだ.そして在位中オマーン海軍力を増強し,ポルトガルのインドや東アフリカでの力に対抗し,平和と繁栄を維持したということだ.
ちょっと怪しいのが入らないか監視している目に見えるが....まあ,それも職務のうちだし,こうした顔なのかもしれない.
スカーフは黒でなく,柄物だ.イランなどのように黒一色より安心できる気がする.
No smokingの表示が見えるが,まあこれは当然であろうし,そう言えばタバコを吸う人はあまり見ないな~
ニズワ要塞はほぼ石造りで床や天井など水平部には木材が用いられている.壁の表面が土色なので泥壁のように見えるが,多分このような色のセメントなのではなかろうか.
比較的小型の大砲(とは言わないか?)があった.砲身にレリーフが刻まれているのが面白い.単なる兵器ではなく,アートを兵器として用いたような....スウェーデン製だったようだ.
これは階段の途中で上を見上げたところ.攻め入ってくる敵に,上から熱湯や煮えたぎった油を注ぐ穴だそうだ.
階段にはこの他落とし穴や,隠し扉など忍者屋敷のような仕掛けが施されている.
直径36m,高さ30mという位置まで築かれた砦で,120°間隔に,3箇所階段が設けてある.上からは,ニズワの城内から市内全容を見渡すことができ,ポルトガル軍の動きを監視できたのであろう.
円筒砦の屋上には大きな銃眼が設けられ,大型大砲が据えられている.この大砲は英国製であったか.
これならかなり遠くの敵軍まで届いたであろう.
こちら側は豊かなナツメヤシ畑が広がっている.ナツメヤシの果実デーツは私たちのよく味わう半ばドライにした食べ方以外に,そのまま生で,はたまた発酵させて酒や酢に醸造しても用いられるらしい.しかし皮肉なことにデーツの産地は主にイスラムの国であるし醸造しても飲めない.....どうすんだろう?
こちらはつい先程スークに入る前にランクルを停めた駐車場方面だ.すぐ近くまで西ハジャール山脈が迫っている.こちら側も水が確保できるのであろう,木立が豊かだ.その合間の白い建物も調和している.
こちらは金曜モスクのある市街地方面になろう.白く統一された建物群が並び,背後はまたもナツメヤシ林が茂っている.ハンムラビ法典や天使ガブリエルの時代から最も大切な食べ物だったと聞くデーツであるが,今の時代も大事にされていることが改めて感じられる.
ニズワ要塞の屋上からは金曜モスクをよく望むことができる.これを見たとき,大きくまた立派なのでニズワのグランドモスクかと思ったが,それは別の場所にあるそうだ.
このモスクの主ドーム,ミナレットのドームはネギ坊主型でちょっと変わっている.そして下地と同系色の網目模様はシックで美しい.
ニズワ要塞のこの部屋はイマームの部屋と説明を受けた.イマームの部屋には専用のバスルームや通路もあり,見せてもらった.何しろこの要塞はイマームオマーン国の城であったのだから最も大事な人物であった筈だ.なお今のオマーン王国もイマームが居られ,大事な人物であることはマスカットで聞いてきたことであるが.
基本的に縦方向は石組み,横方向は木材を渡し,木製スノコを貼り,その上にセメント固め,かな?建立したという1668年と言えば,江戸時代初期であろうから,傷みが少なくよく持っていると思う.
ニズワ要塞は博物館で当時の道具や衣装など各種展示されているが,この部屋には婦人用アクセサリーが展示されていた.銀製でなかなか重そうに見えるものもある.首が痛くならなければいいが.
ニズワ要塞の見物が終わり,私たちはここから引き上げた.
出口近くにはニズワ要塞直営か,陶器ショップが陶器をたくさんぶら下げている.
通りのオープンカフェには,多分欧州の観光客でいっぱいだ.日本人など東アジア人は殆ど見かけないが,ヨーロッパの人には人気スポットのようだ.
駐車場に戻った.そこの縁にはカーペットが下げてある.どれも繰り返し模様のタイプはなく,中心を軸とする対称絵柄だ.つなぎ合わせには使わず,このままのサイズで使用するのだろう.
さてこうしてランクルに分乗し,郊外のピクニックランチ場を目指し発進した.