ラサは7世紀前半にチベットを統一した吐蕃王朝第33代ソンツェンガンポにより都と定められ,641年には唐の文成公主,先日日月山峠にあった像の女性だ,がチベット王の妃として迎えられた.また,ネパール王女も同時に妃に迎えられ,二人が持参した仏像を本尊として納めるため,トゥルナン寺,ラモチェ寺が建立され,ラサ市街形成の核となったそうだ.現在人口37万人,チベット族が87%を占めるそうである.
青蔵鉄道でラサ駅に到着した後このホテルにやってきた.ここには3泊し,ラサのあちこちを見物して回ることになった.
チベッタンアクセサリーや仏具の露天商,漢方薬店のヤク頭蓋骨看板,数珠を手に往来を行く人々,いずれもラサらしい光景だ.太陽の都ラサと称されるだけあって,陽射しは強い(ときどき天気雨は降るが).サンスクリーンは必須である.
下は,ラサ市内の写真あれこれ
ポタラ宮が本来の宮殿であるのに対して,こちらノルブリンカは,同じくラサにあるが離宮とその庭園.ダライラマ7世によって1755年より建設され,1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏の離宮として機能していたそうである.現在敷地全体が公園になっている.
右写真はインドへ亡命中の現ダライラマ14世の住居として1954年に建てられた「タクテンポタン」という建物で,内部には当時の家具やラジオ,72RPMレコードプレーヤーなどがそのまま展示されていた.ダライラマ14世が高校生くらいの年代の頃,2~3年間ここで過ごしたそうである.また,1959年3月17日,中華人民共和国人民解放軍がラサに入った際,ダライラマ14世が密かに脱出し,難を逃れたときの王宮がここだそうだ.館内の時計がその脱出時刻,午後9時を指したまま停止しているのが,僅かばかりの中華人民共和国に対する抵抗を表していた.ささやかであっても痛々しい歴史を喚起するに十分だ.
園内には歴代のダライラマが建造したという複数の建物があり,例えば内部を見物し,現在も使われている仏教寺院などもあった.見ることはできなかったが「チェンセルポタン(ダライラマ13世の離宮)」,13世の図書館,博物館,動物園などもあるようだ.なお,ノルブリンカとは,宝(ノルブ)の庭(リンカ)という意味だそうである.
下は,ノルブリンカ各所の写真
ノルブリンカを見た後,天海賓館のレストランで昼食となった.この辺では割と珍しくギョーザであった.
7世紀前半,チベットを統一したソンツェンガンポがラサに都をおいた後の世,ダライラマを主とするチベット政府,ガンデンポタンは,1642年チベットの中枢地帯の支持を受けて発足し,その拠点としてラサのこの丘に十数年をかけて建設されたのが本ポタラ宮殿の基礎であるそうだ.
たくさんの建物から成り立っているが,紅宮=宗教的なことを行うところと,白宮=政治的なことを行うところ,がメインである.写真は不可であるが,双方の建物内部を見ることができた.なお入場に際してパスポートの提示が求められるので,今も政治的規制が強いものと感じる.
ダライラマは観音の化身と見なされ,宗教的指導者であり,また同時に為政者でもある(あった)のが大きな特徴だ.なので,この後訪れるいろいろな寺の仏堂内部に色々な仏像と,かつてのダライラマ像が並んでいる場面に遭遇する.またここポタラ宮紅宮にはダライラマ6世を除く,5~13世ダライラマのミイラを納めた立派な霊塔,それは仏舎利塔に似る,があった.特に5世の塔は,黄金372kgにトルコ石,山サンゴで飾られ,高さが13mもあり,とにかくピカピカである.漢民族は財宝を墓に集めたが,チベット民族は紅宮を含めて寺に集中させたそうである.
ポタラ宮前の大通りでは五体投地でポタラ宮に向かってお祈りしている人が多く見られる.チベット仏教の僧侶や信徒は巡礼のため聖地に赴く時,五体を地面に投げ出し,尺取り虫のように大地に伏し,また立上がりながら進む.ポタラ宮はそのような代表的な聖地であろう,ここに辿りついた信徒が何度もなんども繰り返し伏しては,起き上がる祈りを続けている.
下は,ポタラ宮の写真あれこれ
セラ寺は,デプン寺,ガンデン寺と並ぶラサ三大寺のひとつで1419年にツォンカパの弟子サキャイェシェによって建立されたそうだ.最盛期には5500人もの僧がここに学んだそうである.明治から大正にかけて,当時鎖国のチベットに密入国し,言語や生活習慣を現地の人並みに訓練した上,河口慧海が修行のためやって来た寺としても知られる.
裏山には鳥葬場があるようだ.ガイドのソンさんは,ここでではないが一度鳥葬を見たことがあり,とてもきれいに片付くのでなかなかいい,と感想を漏らしていた.ただ最近は,ビデオカメラが持ち込まれるなどの問題があって,チベット族が鳥葬に立ち会うことを認めないようになったそうである.
ここは今でも全寮制の総合大学を果たしているそうで,庭には大勢の修行僧が問答に励んでいた.仏教,哲学,医薬,....等々のカリキュラムを学ぶそうで,それを確かなものにするために,こうして問う側,答える側に回って,毎日2時間づつ続けるのだそうである.
下は,セラ寺の写真あれこれ