カンパラから中尼公路に戻った後,チベット第2の都市シガツェへと向かった.
この辺りは3,800m以上の標高があるが,山は茶色一色でも畑は緑豊かで美しい.小麦であろうか.樹木も結構青々と繁っている.富士山頂上くらいの標高なので,不思議な気もする.
とても大きな栗の木があり,ここでピクニックランチとなった.地元の女性と子供幾人かがその木陰で休んでいた.我々が弁当を広げると,女も子供も,袋を持って前に立ちはだかる.いくらか入れてあげるのだが,いくら入れても立ち退いてくれない.鬱陶しくて,ゆっくり味わうこともできないったらありゃしない.やっぱり,これじゃルール違反だし,チベット族ってかなり乞食根性で.....と評価下げると思う.
中尼公路はヤルツァンポ河の通る沢に沿って走っている.そのためこのような比較的深い谷状の地形を通過したり,道路の通し易さから,谷の反対側に移る個所も幾度かある.
ヤルツァンポ河脇の小さな町で休憩を取った.北からの道と合流する場所であるが,地名は判らなかった.小さな雑貨店や食堂が幾つか軒を並べ,鶏や牛,馬などの家畜が飼育されていた.
ヤルツァンポ河は,あのバルコルのレストランステージ背景にも描かれていた聖山カイラス近くに源を発し,ヒマラヤ山脈の北を真東に約1,600km流れ,チベット東部でUターンしてさらに1,300km流れてインドでプラマプトラ河に名を変えガンジス河と合流しベンガル湾に流入するのだそうだ.つまり,とてつもなく長い河で,とてもこの辺りで終わりとなる訳はないのだ.
下は,シガツェへの写真あれこれ
シガツェに到着し,先ずタシルンポ寺を見ることになった.タシルンポ寺はダライラマ5世の時代に阿弥陀如来の化身としてパンチェンラマが認められるようになってからパンチェンラマの本拠地になったそうだ.そして現在,中華人民共和国公認の第11世パンチェンラマ,ギャンツェンノルブが住むという.とは言っても,先代のパンチェンラマ10世と同じように普通は北京で過ごしているのであろうが.
強烈な太陽が降り注ぐ中,中国本土からの大勢の観光客と順番に山門をくぐる.中国や台湾のツアー客は大体グループ毎にお揃いの帽子を被っている場合が多い.はぐれ難いからいいかも.昔日本でもJALPACKのバッグを携えていたのも同じ理由か?
タシルンポ寺は,ツォンカパの末弟子にして後の第1世ダライラマ,ゲンドゥンドゥプが1447年に建立した寺だそうだ.写真は大弥勒殿で,高さ30mもあり,内部には高さ26.2mの弥勒菩薩坐像が祀られている.この弥勒像は第9世パンチェンラマによって1914年に作られ,12万kgの純度の高い銅の本体に,大量の金及び大小様々1,400個余りのダイヤモンド,真珠,琥珀その他の宝石が散りばめられているそうだ.
タシルンポ寺はこの他いくつかの建物,歴代のパンチェンラマ霊塔殿などがある.霊塔にはパンチェンラマのミイラが納められているが,多くは文化大革命のとき,破壊されたようである.中でも著名なパンチェンラマ4世のミイラは,紅衛兵が破棄し,どこかに捨てたそうで,未だに行方不明だそうだ.なおそのとき,ミイラの爪は1mにも伸びていたそうだ.当時,パンチェンラマはダライラマと違って,中華人民共和国側に付いたのに,やはり.....
タシルンポ寺の巡礼を終えて引き上げていく家族の姿だ.チベット族は,男性も女性もこのようにお下げのヘアスタイルが多い,日焼けと入浴なしの習慣で黒くなった顔が心なしか満足げに見える.男性が背負った男の子はお尻割れズボンだ.ズボンを下げるのにそれ程手間取るとは思われないが,チベットに限らず中国には,いや中国だけであるが,尻割れズボンが目立つ.
下は,タシルンポ寺の写真
下は,さらにタシルンポ寺
宿泊した山東大厦ホテルの部屋から眺めるとシガツェは山に囲まれた盆地状の土地にある.ヤルンツァンポ川とニャンチュ川(楚河)の合流地点に位置し,海抜4,300mで中国最高標高の都市.確かに空気は薄くなった.人口の多くはチベット族だそうで,中国語が通じないこともしばしばだそうである.ここでは2泊したが,朝目覚めると,向こうの山が真っ白に雪が被り,夕方には消えてしまう変化の早さには驚いてしまった.一日の寒暖差はかなり大きいのであろう.
タシルンポ寺は中華人民共和国お墨付きのためか,現在も僧侶が800人もいて,とても活気のある寺だそうだ.そのため巡礼者も多く,タシルンポ寺に連なる道にはたくさんの露店が並んでいた.数珠やマニ車,仏像といったものが多い.爪切りがないかな~と見渡したら,偶然日用品の露店があり,見つかった.ラッキー!しかも,たったの2元.品質は問うまい.
ホテル近くに市場があった.野菜,乾物,日用雑貨.....と並ぶ中で,生きた鶏や兎の店もあった.売れていく前に,男の子が兎に人参を与えていた.男の子にとって,商品というよりペットのような存在に感じられ,ちょっと複雑な気が.....
下は,シガツェ市内の写真いろいろ
古くからあるというシガツェのバザールを訪ねた.枝肉や大きな丸ごとの乾燥肉が並べられているあたりがバザールらしい.また仏具が並び,お坊さんがショッピングに現れるのもシガツェのバザールならではのことであろう.通りを挟んで向かい側には金属製品の加工店が並んでいた.若者が強力シロッコファンで風を送り,石油管七輪で低融点金属(多分)を融解していた.