ゴルムド駅から,天空列車とも称される青蔵鉄道に乗り,14時間余りかけてラサに向かった.
朝,ゴルムド駅7:33発の列車に乗り込む.この列車の始発駅はどこか判らないが,我々がゴルムドで乗り込んだ状態で満席のようだった.乗った車両は6人用の狭いコンパートメントだった.とは言っても,以前から乗りたいと思っていた列車だけに,14時間乗車でさてどんな風景が見えるか,期待が膨らむ.
下は,ゴルムド駅の様子
ゴルムド駅の時刻表は,ゴルムド駅で乗り降りできる列車に限定されているのであろうが,双方向合わせても8本とバカに少ないようだ.15車両編成(だったかな?)+2両連結機関車で満席だ.単線ではあるが,もっと列車数を増やせばいいのに.....と思ってしまう.
列車は定刻の7:33AM,音もなく滑り出した.日本の五月蝿いほどの発車ベルや案内放送に相当するものがなく,なかなかいい.ただし車内の中国人同士の会話は,肉声なのにスピーカー並みの大音量で交わされるのには閉口したが.
発車して1時間半ほどすると崑崙山脈が見えてくる.そして崑崙山脈の主峰,玉珠峰(ぎょくしゅほう:6,178m)の名を冠した玉珠峰駅を通過する.玉珠峰は進行方向右手に在った筈であるが,写真のように左側窓ばかり眺めていたため見逃したようだ.それでも十分美しかったが.
下は,崑崙山脈の写真あれこれ
崑崙山脈は長さ約3,000km,パミール高原から,東のチベット北の境界に沿って聳える.6,000m以上の高峰が200以上もあるそうで,コングール山(7,649m),ムズターグアタ山(7,546m)などは特に有名.2年前,カシュガルからバスで上ったカラクリ湖から天気が良ければ見えた筈が,雲で覆われ見えなかった残念な思い出がある.
やがて自然保護区に差し掛かる.ここには野生動物が線路の両側を自由に行き来できるように総延長11.7kmという清水河特大大橋が設けられている.中国政府の本鉄道建設のアピール点の1つであるようで,英語の車内放送でも触れられていた.車内放送と言えば,音楽はまあいいとして,漫才のようなものも時々流れていたのには驚いた.中国語なので筆者にはチンプンカンプンであったが.
ゴルムドを発って少しすると標高は4,000mに達し,この辺りになると概ね4,500m以上だ.青海/チベット高原でこの辺りはきわめて寒いが,野生動物のパラダイスで,野生動物が230余種も生息しているそうだ.写真のような野生動物が車窓からしばしば目撃できる.皆で「チベットカモシカ」と呼んでいたが,もしそうであれば中国特有の種で,国家1級保護動物に指定されている保護動物のようである.
下は,自然保護区辺りの眺め
3段ベッドが両側に付いたコンパートメントはかなり狭い.一番上のベッドに這い上がるのは半ば命がけのように見える.ゴルムドで乗り込んだとき,既に席は殆どいっぱいで,向かいには回族の男二人が座っていた.年配の男性が話し掛けてきてくれた.言語は中国語のようであるが,それでも筆者が理解できないことに変わりない.僅かに,「日本人か?」「ラサに行くのか?」くらい言っている様子が単語から窺えた.逆に漢字で「回族か?」と書いて問えば,「そうだ,ナクチェまで行く」と答えてくれた.二人はいかにも回族らしく,白いキャップを被り,骨付き羊肉をかじり,素早く野生動物や家畜を見つけると私たちに指差して教えてくれる温かな人たちだった.その方向にレンズを向け,「謝々」と言うと,ニコニコして何度も教えてくれた.
車内は予圧され,またベッド毎に酸素マスク用のチューブコネクタが設けてあった.概ね4,000m以上の場所を走行したが予圧されているため,周りで高度障害を起こした人は見かけなかった.
コンパートメント横の通路には小さなテーブルと椅子が設けてあった.ベッドの2,3段目の客は寝ている時以外はこの椅子で過ごすしかない.そう長くも寝ていられないので,廊下の椅子は常にほぼ満席状態である.
お昼,食堂車に行くとき通過した椅子席の普通車両はこんな様子だった.通路の両側に対面式3列と2列の席で,コンパートメントより一層窮屈そうだった.
お昼はこの食堂車で食べた.予圧しているとは言っても1気圧には満たないので,沸点が下がるため調理には工夫が凝らされているとテレビで見たことがあった.客の数に対して席は限られているので料理の種類も限られているようであるが,なかなか美味しい中華料理であった.皿のスイカが10元,缶ビールが5元とこれまたリーズナブルプライスだ.ただここに限らないが,ビールが常温なのはちと惜しいと思う.
なお食堂車だけではとても賄えないので,弁当の車内販売が巡回している.夕食で食べた弁当は一種類で,誰もが同じものを食べていた.日本のように幕の内弁当始め,たくさんの種類ある訳ではないので,まあ簡単と言えば簡単か.
下は,車内の写真あれこれ
ちょうど食堂車でお昼ご飯を食べている正午過ぎ,沱沱河駅に到着した.1~分であったが,乗車してから初めて停車した駅だ.そこからほどなく長江源流のトト河が見えてきた.トトとはチベット語で女の子のおさげのことだと言うが,幾筋もの流れが絡み合う様相がそのような名になったものと納得させられる.
この辺りは5,000m近い高地であるが,遊牧民がテントを設営し,ヤクや羊などの家畜を連れて来て放牧している.また川の辺りには集落も見られた.川を覆う氷は融けかけているが,融けたところには氷柱も見える.つまりまだ明け方などは氷点下になるようである.よくもまあこんな寒いところに.....と驚いてしまう.
標高5,068mに位置し,世界一高いところにある駅だそうだ.前年この青蔵鉄道が開通するまでは,ペルーにある駅が最も高い標高にあったようだ.ただし停車せず通り抜けるだけだ.ちょっと降りてみたい気になった.なおこの駅だけでなく,青蔵鉄道に設けられた駅の多くは通過するだけだ.単線であるのですれ違い場所の確保,メンテナンス,はたまた将来の観光開発.....などのために各所に駅が設けられているのであろうか.
青蔵鉄道のかなりは部分は凍土の上に建設されている.夏場に地盤が緩む危険を回避するため,あちこちに棒状のヒートパイプが埋め込まれている.また,砂防のためと聞くが,あちこちにフェンスや網目状の敷石なども見られる.高所で難工事だったと聞くが,維持も相当大変そうである.
背後にはタングラ山脈(Tanggula Range)が見えている.これが青海省とチベット(西蔵)との境界になっているようである.標高5,500m~6,000mで,最高峰は各拉丹冬雪山の6,621m,次が唐古拉山が6,099mだそうだ.唐古拉山はタングラ駅近くで見えたのだが,写した写真ではどれだったか判らなくなってしまった.
下は,タングラ辺りの写真あれこれ
アムド はチベットを構成するエリアのひとつで,チベット東北部に相当する.中華人民共和国の行政区分では,青海省の全域および四川省のガパ蔵族自治州,甘粛省の甘南蔵族自治州を合わせた領域にほぼ相当するというからものすごく広い訳だ.アムド駅はその広いアムド地方の中心にあるのであろうか.
アムド駅近くの高原では緩やかな傾斜地が丈の短い草で覆われ,あちこちに川が流れていた.たくさんのヤクや羊が草を食み,所々に長い角の,多分チベットカモシカの姿も見られた.
やがてアムド(安多)駅に入り,対向列車とすれ違うために待ち合わせ停車した.駅では線路工事のため作業員がシャベルを肩にして作業現場に向かっていた.
下は,アムド付近の写真あれこれ.右端はヤクの首を餌にしている犬.....驚いた.
アムド駅から進み,4:45PM頃ツォナ(措那)湖駅に達したとき,時間調整のため少し停車した.傍らのツォナ湖は海抜4,650mに位置し,湖面はあくまで青く,とても美しい.琵琶湖の3分の2ほどの大きさだそうで,数日前に眺めた青海湖と比べても圧倒的に澄み切った青だ.地元の人々には「聖なる湖」と呼ばれているそうだ.
下は,ツォナ湖周辺の写真あれこれ
6:00PM,標高4,512mのナクチェ駅に到着した.この駅では6~7分停車する.そこで初めて列車からホームに降り立ってみた.駅の向こうに,ゴルムド以来初めて町が見える.多分それがナクチェの町であろう.ここで降りた同室の回族二人連れはあの町に向かうのであろうか?そう言えばカメラ付きケータイを持っていたので,少なくとも原野ではないであろう.
ナクチェ駅を過ぎると,徐々に標高を下げながら列車は進む.少しすると進行方向右側(北側)に雪山が見え始めた.ニンチェンタングラ山脈(Nyainqentanglha Mountains)と呼ばれるそうだ.写真はその中の主峰であるニンチェンタングラ山(7,162m)だそうだ.
さらに高度を下げ,やがて4,200m地点くらいに達すると,ポプラであろうか,木が目に入り,集落も目立つようになる.どうやらこの高度辺りが森林限界のようだ.既に午後9時を回っているが,まだ結構明るく,また車内の情報パネルでは「外気温度13℃」と表示されていた.なお車内情報パネルでは,外気温度の他に,時刻,通過点の標高,速度などが中国語,チベット語,英語で繰り返し表示される.速度は概ね100kmほどであった.
下は,ナクチェとその付近の写真あれこれ
やがて陽が落ち,ニンチェンタングラに架かる雲が赤くなり,この辺りに多いチベット族のL字型住宅に灯りが点り始めた.9:30PM頃のことだった.
日が暮れてから1時間半くらい経ち,定刻の9:50PMラサ駅に到着した.14時間17分の乗車だった.乗車時間の殆どは明るい時間帯で,しかも天候に恵まれ,雄大な景色を満喫できた.殆どの乗客はここ終点のラサ駅にどっと降り立った.客のかなり多くは国内外の観光客で,駅前駐車場にずらり並んだバスにそれぞれ乗り込んで,夜更けのラサ市街へと向かうのであった.