サキャ(薩迦)Sakya(4,100m)

ツォーラから中尼公路を西に辿った後,左(南)に折れ,サキャに立ち寄った.

サキャへgo to Sakya(4,100m)

ここからサキャ(薩迦)県の歓迎ゲート

ここからサキャ(薩迦)県

通りには薩迦県歓迎のゲートがあった.ここからしばらく,25kmほど走るとサキャの中心部に至る筈だ.


畑に向かうヤク

畑に向かうヤク

飾り立てた2頭のヤクが畑へと歩んでいる.この辺りでは畑を耕すのにトラクタも使われるが,ヤクも健在だ.耕す作業には必ず顔を飾ったヤクが2頭ペアで鋤を引いている.他国で牛や水牛で鋤を引かせるときは1頭であることが多いように思うので2頭立ては異例か?また祭りでもないのに飾り付けるのは,ヤクに対する尊厳の念の現れか?


畑作業の一休み

一休み

畑作業の一休み.畑仕事に人力も欠かせない.なぜか鍬作業はあまり見ず,シャベルでの作業を頻繁に見かける.日本ではかんなや鋸は引いて使うが,外国では押して使うのと一緒か?


下は,サキャへの写真あれこれ

サキャ手前の写真
サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真
サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真 サキャ手前の写真

サキャ南寺the South Monastery of Sakya

サキャ南寺ラカンチェンモ(拉康大殿)

サキャ南寺ラカンチェンモ(拉康大殿)

さてサキャ南寺に到着した.工事中のようで槌音が響き,作業員が資材を運んでいる.サキャ南寺はチベット仏教四大宗派の一つサキャ派の総本山で,元朝の国師にもなったパスパという人が1268年にトゥム川の南岸に建立した寺だそうだ.寺は下に載せた堅固な城壁に囲まれ,その四隅には望楼が設置されている.寺院であると同時に,行政府の役目も果たしたようだ.サキャ派がモンゴルから譲られたチベットの覇権を握った時期があったそうだが,そのとき本山であると同時に政治の中心でもあったそうだ.

白と黒と赤銅色に塗り分けられた城壁

塗り分けられた城壁

サキャ南寺は赤銅色に塗られた城壁のような高い塀で囲まれている.白と黒と赤銅色に塗り分けられている.赤銅色が文殊菩薩,白が観音菩薩,黒が金剛手菩薩をそれぞれ表しているそうで,これがサキャ派の大きな特徴だそうである.この色はこの寺に限らず,この辺一帯の住宅の外壁にもたくさん見られ,説明を聞いて納得したものだ.


サキャ南寺本堂前

本堂前

お堂には釈迦像始め数体の仏像があり,貴重な経典を数多く収めた書庫もあった.経典棚の下をくぐり抜けると,その経典を読んだと同じ功徳があると言われ,欲に駆られて通り抜けてみた.シガチェ郊外のシャル寺で思い切り頭をぶつけたことがあったときの学習効果で今回は大丈夫だった.


丘の上のサキャ北寺跡

丘の上のサキャ北寺跡

サキャ北寺は,1073年,サキャ派の開祖によってトゥム河北岸に建立されたという.だからサキャ南寺より古いのであるが,文化大革命で完璧なまでに破壊され,廃墟になってしまったそうだ.当時の住職サキャリンポチェはインドに亡命してしまったそうだ.写真の白いチョルテンと右横の建物はそのサキャ北寺跡に建てられた最近のものだという.再建の進行に伴い巡礼者も増えつつあるようで,斜面に張り巡らされた巡礼道を歩く何人かの巡礼者の姿が小さく見えた.


下は,サキャ寺の写真あれこれ

サキャ寺の写真
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さてサキャ南寺を見た後は中尼公路に戻り,西進しカツォーラに向かった.



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