西寧Xining(2,250m)

西寧は青海省の省都.人口205万人,青海省全人口518万人の40%に相当し,漢族,回族,チベット族,モンゴル族などの民族が入り混じり住むそうだ.青海省の領域の大半は,チベット人自身によるチベットの区分で,「アムド地方」に属するようである.農耕の適地のある東北部の一部を除き,人口の希薄な大部分の地域では遊牧を生業とするチベット人とモンゴル人が多くを占めるようである.

北京経由via Beijing

北京空港待合室

北京空港待合室

成田から中国国際航空(CA)で北京に到着し,長い待ち時間の末この待合室のある国内線ターミナル側に移動した.壁は色々な時代に造られた種々書体の漢字モザイクが嵌め込まれ美しい.貨幣や篆刻印を拡大複製したものもあって北京らしさを醸し出していよう.


下は,北京空港あちこち

北京空港
北京空港 北京空港 北京空港 北京空港 北京空港 北京空港 北京空港

西寧に到着arrive at Xining(2,250m)

北京で中国南方航空(CZ)に乗り,西寧(標高2,275m)に到着した.西寧空港は盆地にあって滑走路が一本(に見えた)のコンパクトな空港であるが,駐機数も少なく,離着陸も疎らそうなので,まあ大丈夫であろう.

バスで西寧市内に向かい,宿泊の建銀賓館は9時近くに到着した.ちなみに建銀賓館とは妙な名前と思ったが,ホテルと一体の大きなビルの一画には「中国建設銀行」の看板が掲げてあった.つまり,ホテルは中国建設銀行経営のようだ.資料を見ると同銀行は国のインフラ建設の資金管理,融資を目的に1954年「中国人民建設銀行」として設立され,国有商業銀行としては初の上場事例だそうだ.米バンカメも資本参加しているという.

西寧に飛ぶ建銀賓館に到着
建銀賓館に到着建銀賓館に到着

タール寺Ta’er Monastery

タール寺(塔爾寺/チベット名:クンブル寺)

タール寺(塔爾寺/チベット名:クンブル寺)

西寧市街から25kmほど西南に位置し,チベット仏教ゲルク派の創始者ツォンカパ(1357~1419)の生地を記念して1560年に建立されたそうである.中国名の塔爾寺はツォンカパを記念して建てられた本殿の大金瓦寺大銀塔にちなんで名付けられ,塔の中にはツォンカパの遺物が納められているそうである.本タール寺は,この後訪れるセラ寺,デブン寺などと並びゲルク派(黄帽派)の6大寺院のひとつであるそうだ.毎年旧暦の一月,四月,六月,九月に大法会が行われる.それ以外に小法会が二月と十月.法会とはラマ憎が法を説き,仏を供養するなどのために行われる行事であるが,タール寺ではそれに加え,仮面踊り,タンカ晒し,バター細工の展示などが行われ,多くの信徒を集める.

ゲルク派のお坊さん

ゲルク派のお坊さん

チベット仏教にはゲルク派,カギュー派,サキャ派,ニンマ派の4大宗派があるそうだ.この中でゲルク派は最大であり,黄帽派とも称されるようで,儀式などで名の通り写真のような黄色の帽子を用いる.


酥油花院(そゆかいん)

酥油花院(そゆかいん)

このお堂の中には彩色されたバター彫刻がたくさん納められていた.比較的涼しいとは言ってもやはりバターは溶け易いのでここだけは冷房してあるそうだ.バター彫刻はチベット仏教独自のもので,聖なる儀式の中で制作され,本尊への供物として飾られるそうである.なおタール寺の全ての建物内部は撮影禁止でバター彫刻も撮れなかった.


チベット犬

チベット犬

寺の庭で飼われていた.古くからチベットの牧畜民が牧羊犬や番犬として飼育しており,成犬は体重100kgにもなり,豹や熊と闘う頑健を備え,性格は沈着,であるそうだ.

中国で国家第二類保護動物に指定され,1匹10万元(約130万円)以上するが富裕層に人気が高いという.特に首の周りの毛がライオンの鬣のように見えるものが最高のようだ.まあ,そうであろう.


下は,タール寺あちこちの写真

タール寺の写真
タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真
タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真 タール寺の写真

タール寺の巡礼者

タール寺は湟中という人口5000人に満たない辺境の鎮であるようだが,毎年数多くの巡礼者と,国内外の観光客が訪れるそうだ.特にこの日は法会の催される日であったので我々のような観光客を含め人出が多かったようだ.

コルラ(skorla)するタール寺の巡礼者

コルラ(skorla)

コルラは写真のようなチョルテン(仏塔),や寺院など,聖地の周りを巡礼して歩く行為で,チベット仏教徒は右回り(CW)で回る.またマニ車を廻す方向も右回りである.

因みにチベット古来のボン教徒は,全て仏教徒とは反対で,左回り(CCW)に歩くのだそうである.単に,そんなのものか~と思うが,新たに仏教が伝来したとき,革新性をアピールするためそんな風になったのであろうか.....?

チベット族と土族

チベット族と土族

左はチベット族,右の華やかな衣装の女性は土族(トウゾク)だそうだ.このような虹色ファッションが土族の伝統だという.土族の先祖は,翌日訪れる青海湖近くに住むモンゴル系遊牧民族だったが,明代にチベット族との戦いに敗れ,近隣県の方に逃れてきたそうである.次第にその地に住み着き,土着農民と婚姻で混血し,一つの民族ができ,それが土族だとも言われるようだ.敗れた側がなぜ華やかなファッションを身に纏うようになったか判らないが,衣装や髪飾りだけでなく,靴下,枕カバー,カバンなどにもみな綺麗な刺繍が施されているそうだ.何でも土族の女性にとって刺繍は大事な嗜みの一つであるそうな.ふむふむ.


下は,タール寺で見かけた巡礼者

タール寺で見かけた巡礼者
タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者 タール寺で見かけた巡礼者

タール寺の法会(ほうえ)

タール寺では年四回の法会が催されるそうである.法会は仏法を説き,仏を供養するなどのために行われる行事だそうで,この日もその中の一日に相当し,我々のツアーも当然それを当てにしてきた訳だ.タール寺の法会はタンカの開帳と仮面舞踏が有名だそうである.雨が降りそうな空模様のため,残念ながらタンカの開帳は見送られたが,以下写真のように仮面舞踏は楽しめた.

タール寺九間殿前広場の仮面舞踏

九間殿前広場

ツォンカパ生誕地に,息子を恋しがる生母が塔を建てたという九間殿の前の広場で仮面舞踏(マスクダンス)は繰り広げられた.舞うのはここのお坊さんである.信徒も,観光客も,非番のお坊さん(?)も周りを取り囲んで眺める.しばしば日本からの写真ツアーの連中が,制止されるに拘わらず舞いの近くに寄り,無礼を働く.同朋として甚だ情けない行為に思う.


大威徳金剛護法舞

大威徳金剛護法舞

正式にはこのように「大威徳金剛護法舞」と称するようである.基本的には妖魔や悪霊を追い払ったり,退治するための舞だそうだ.写真のように恐ろしい形相の仮面が多い.ただ伴奏の音楽も,踊る動作も極めてゆったりしていて,若干間が抜けた感がしないでもない.


人間くさい仮面

人間くさい仮面

中にはこのようなリアルな人物風マスクをつけた役者もいて,この方たち長老風の顔立ちに拘わらず,いやそれだからか?会場整理のような雑務をこなしていた.

背後には打楽器を中心とした坊さんのバンドが,緩やかなメロディーを奏でている.音痴なので正確には判らないが,日本でも極めて異質な印象を受けるあの雅楽と若干共通性があるかな~....?


下は,タール寺仮面舞踏の写真あれこれ

タール寺仮面舞踏の写真
タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真
タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真 タール寺仮面舞踏の写真

シャチュンゴンパShyachung Gompa

山を登る

山を登る

シャチュンゴンパは峡群寺森林公園と呼ばれるなかなか眺めのよい場所にあった.バスを降り,標高2,700mの坂道を歩くと点在する集落や段々畑が眼下に見える.


崖に貼り付くシャチュンゴンパ

崖に貼り付くシャチュンゴンパ

やがてシャチュンゴンパが見えてきた.シャチュンゴンパは14世紀に建立された名刹で,1359年ゲルク派の開祖ツォンカパ(Tsong-kha-pa :1357-1419年)が3歳のとき修行を始めた寺としても有名だそうだ.3歳とはまたすごいものだ.同氏はチベット仏教最大の学僧であり,またダライラマの属するゲルク派の開祖.「菩提道次第論」,「秘密道次第」など著作も数多く残しているそうである.


シャチュンゴンパの渡り通路

渡り通路

崖には幾つかのお堂があり,手摺り付きの通路で結ばれていた.ここも文化大革命で相当破壊されたようであるが,幸いなことに建立当時からの壁画(仏画)が一部残されていた.


太陽熱反射炉

太陽熱反射炉

やかんを載せたパラボラ反射炉が境内に置かれていた.ここ青海省やこの先のチベットでは盛んに使われているようで,あちこちで見かけた.陽が射しているとき手をかざすと,当然のことながらかなり熱い.日本では,江戸時代島津藩が製鉄用に建設したと聞いたことがあるが,日常生活の用途例はあまり聞こえてこない.場所も取るし,天気任せなので,まあ日本のライフスタイルにはしっくりこないのであろう.


下は,シャチュンゴンパの写真あれこれ

シャチュンゴンパの写真
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シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真 シャチュンゴンパの写真

近くの民家と子供たち

山門から本堂,断崖のお堂まで,シャチュンゴンパはどう見ても中国建築様式である.元々そうであるのか文革後の改修でそのようになったのかは不明である.ゴンパ近くの民家も中国様式が多い.どうやらこの辺りは漢民族が相当多いようである.

シャチュンゴンパ近くの民家シャチュンゴンパ近くの子供たち

青海省博物館Qinghai Provincial Museum

青海省博物館は熱水墓群遺跡出土品の展示で知られるようであるが,改装工事中で残念ながらそれらを見ることはできなかった.遊牧民の世界では,絨毯はどこも長い歴史を有しているが,この博物館でもチベット系民族の絨毯と織り具が展示されていた(ただし写真は禁止).なお博物館入り口には,館建設に多大な貢献を行ったという日本企業の会長,小林氏と云う方の像が据えられていた.同氏はまた当地の学校教育も支援されているそうだ.

訪れた6月1日は中国で子供の日だそうだ.西寧で一番広いと言われる博物館前の広場では色々なグループの子がマスゲームを披露していた.子供たちが皆綺麗に化粧を施しているのが印象深かった.

青海省博物館青海省博物館
青海省博物館前広場青海省博物館前の広場でマスゲーム

西寧市街City of Xining

西寧市街朝の太極拳

朝の太極拳

宿泊した建銀賓館は市の中心部で,目の前には大きな広場や体育館があった.朝散歩してみると,中国の他の都市と同様,写真のような太極拳やジャズダンス風のリズミカルな体操を楽しむ風景があった.グループ毎にCDプレーヤーを持ち込んで思い思いに好きなジャンルのグループに属しているようだった.全部で数百人になろう.なお,老齢者を除いてこの運動の後会社等に出勤するようである.


下は,西寧市街の写真

西寧市街の写真
西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真
西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真 西寧市街の写真


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