西寧からバスで日月山峠を越え,小北湖に立ち寄り青海湖に向かった.
西寧を過ぎて暫くは標高も3,000mくらいで豊かな畑が広がっている.幹線脇の高台に多巴国家高原体育訓練基地の大きな文字があった.オリンピック選手などの高所トレーニング施設だそうだ.最近は日本など諸外国からのトレーニング者も見られるそうだ.
やがて日月山の峠に至る.この山の南北に連なる稜線を境界として,東側は農耕の民,漢族の,即ち中原の世界,西側はチベット高原が広がる当時の吐蕃,つまりチベット文化圏の世界とされていたそうだ.
日月山峠には唐の時代に,チベット,つまり当時の吐蕃王国ソンチェンガンポへ嫁いだ唐の文成公主を祀った日亭という祠が建てられていた.つまり政略結婚だった訳だ.文成公主は,ここに着いたとき故郷を映すという不思議な鏡を携えており,眺めると唐の都が映し出された.涙が堰を切って溢れ,それがチベット側へ一筋の川となって流れ,青海湖へと注いだという.なので文成公主は己が運命はチベットに在りと悟り,唐ときっぱり決別してチベットに嫁いだそうな.
日亭には,文成公主に唐の都からチベットへ同行したという500人の人,召使いから詩人,仏教の僧侶までいたそうだが,や文物の様子を描いたタイル画が掲げてあった.
通りを挟んで反対側の峰には月亭と称されるお堂やタルチョー(darlcog:祈祷旗)のはためく塚があった.高いところにタルチョーを掲げるチベット仏教の慣わしに則ったものだ.盛大に舞うタルチョーは5色で,その順番は上から青(天を表現),白(風),赤(火),緑(水),黄(地)の順に決まっているそうである.
下は,日月山峠の写真あれこれ
日月山峠から暫く走ると小北湖が見えてきた.湖畔には羊やヤクが僅かな草を食み,健気にも小さな高山植物がいっぱい花を開いていた.
ところで小北湖とは,独立した湖なのか,或いはこれから行く青海湖の一部を指す言葉なのか.....聞き漏らしてしまった.
下は,小北湖周辺の写真.中央ピンクの花は「狼毒」と称し,野獣も家畜も猛毒があることを知っているとか.
海抜3,205mにあり,中国最大の湖で,琵琶湖の6倍の広さ,周囲が約300kmだそうだ.その名の通り,青く美しい.冬は-25℃にもなり,湖面は車が通行できるくらい厚く氷結するそうだ.ただ春先,それが融解するときはバリバリ音を立てて一日の内でバラバラになるという.
以前は多数の河川が湖に流入していたが,近年は流入する河口部の多くが干上がり,湖の水位が徐々に低下しているそうである.湖周辺には羊やヤク,ラクダなどが放牧されているが,その過剰放牧や土地の開拓なども湖の水位要因とされているようだ.
この遊覧船に乗り込んで遊覧した.空いていたので直ぐに乗船できた.別に急ぐ必要はないのだがかなり高速で走り,2,3箇所ではエンジンを止めてデッキで外を眺めた.
水面を眺めるとたくさんの小魚も見える.どの魚か見分けは付かないが,湟魚と呼ばれる魚は有名だそうだ.チベット族は魚を捕らないが,漢族はこれを食し,乱獲が祟って減少したそうである.湟魚は成長が遅く,育つのに10年も要するという.それ故現在は捕獲制限されているそうだ.
訪れた6月初旬はたくさんの露店に比べて観光客の数は多くない,いや寧ろ閑散としていると言ってもいいかも知れない.それが7月,8月となると国内の観光客がどっと押し寄せ混乱を極めるということだ.なにしろ近くに海は無いし,この広い湖は「中国の最も美しい湖」として人気があるそうだ.また東部の大都市からも押し寄せるそうである.
1962年中国人民解放軍が魚雷の発射実験を行った基地があった.今は観光資源として残されている.深度は忘れたが,この辺りは最も深く,実験の適地だったようだ.
下は,青海湖の写真あれこれ