このページでは既存他ページから引用して慶州(キョンジュ)の石窟庵(韓国),慶州の仏国寺(同),ダナンの海鮮料理店の仏壇(ベトナム),ホイアンの福建会館(同),フエのティエンムー寺(同),ハノイの一柱寺(同),チャカワイン僧院(ミャンマー),シュエモードパゴダ(同),シュエタリャウン寝釈迦仏(同),チャイプーン四面仏像(同),ファウンドーウーパゴダ(同),ガーペー僧院(同),マハーガンダーヨン僧院(同),マハムニ寺院(同),シュエナンドー僧院(同),クドードォパゴダ(同),サンダムニパゴダ(同),ポッパ山(同),タビニュ寺院(同),スラマニ寺院(同),ダマヤンジーパゴダ(同),シュエサンドーパゴダ(同),シュエジーゴンパゴダ(同),ティーローミンロー寺院(同),マヌーハ寺院(同),アーナンダー寺院(同),シュエダゴンパゴ(同),チャウターヂーパゴダ(同),スーレーパゴダ(同)の写真を載せました.
石窟庵(Seokguram Grotto)
1300年前新羅国宰相金大城により,下の仏国寺と一緒に建立されたが,新羅が衰え,儒教中心の朝鮮王朝が912年頃から始まると,仏教は弾圧され,ここ石窟庵も永らく放置されることになったそうだ.20世紀初頭郵便配達員が偶然洞窟内の仏像を発見,日本統治時代の1913年~1915年に大規模な修復工事が行われたということだ..
以上韓国の旅2012/慶州(キョンジュ)のページから.
仏国寺(Bulguksa Temple)
1300年前新羅国宰相金大城により,上の石窟庵と併せて建立されたそうである.山門には楽器を携えた守護神と思しき像があった.もう一方の一体は刃である.どちらも珍しいと思うが,特に楽器の方には意表を突かれた.
以上韓国の旅2012/慶州(キョンジュ)のページから.
ダナン(Da Nang)の海鮮料理店の仏壇
海鮮料理店に案内してもらった.料理とビールはもちろん美味しかったが,中華風デザインのインテリアに加えて大きく立派な仏壇が据えられていた.『孝祠堂』と名付けられ,観音像が置かれていた.レストランオーナーが先祖の霊を祀るための仏壇だそうである.中国系民族ではなく,普通のベトナム人だそうであるが,仏教や儒教的信仰心にはとても篤いようである.
以上ベトナム紀行2012/ミーソンのページから.
ホイアン(Hoi An)の福建会館
ホイアンの福建会館は福建省出身の華僑が集う集会所で,1757年に建設されたそうだ.航海や漁の守護神である媽祖(天后聖母)が祀られていた.仏教とは違うのかも知れないがお線香を供えるなど似た面もある.
以上ベトナム紀行2012/ホイアンのページから.
フエのティエンムー寺
ティエンムー寺は大乗仏教の臨済宗寺院で,1601年建立だそうだ.山門の階段を登ったところにこの七層八角形の高い塔が建っていた.レンガ造りで21mの高さがあるそうだ.ゴディンジエム政権の時代,政府高官や軍幹部全てはカトリック教徒で,人口の大半を占める仏教徒を迫害し,自分たちの権益だけを守ろうとしたそうだ.そんな1963年,ここティエンムー寺のお坊さんティッククアンドック師がサイゴンに行き,抗議の焼身自殺を遂げたことでも知られる.
以上ベトナム紀行2012/フエのページから.
ハノイの一柱寺
ホーチミン廟の直ぐ近くに,名の通り池の一本柱の上に建つお堂があった.階段を登り,本尊の観音様にお参りした.千手観音で,背後には漢字で『蓮花臺』と記されている.このお堂は,本来延祐寺という寺のなかの一つの建物ということだ.延祐寺の歴史は古く,リ(李)朝の第二代皇帝の時代,1049年に建立されたという.年表を眺めてみると,下のようになる.日本の平安後期の頃になるようだ.
以上ベトナム紀行2012/ハノイのページから.
チャカワイン僧院(Chakawwain Monastery)の回廊
1,000人ものお坊さんが修行しているそうだから,マンダレーで見てきたマハーガンダーヨン僧院のように大規模な僧院のようだ.色々な建物があるが,大きなキッチンや,ここで修行した歴代の高位僧のポートレートが掲げられた大講堂や,また回廊脇には珍しくブッダ像ではなく普通のお坊さんの托鉢姿像が並んでいた.
チャカワイン僧院の庭には仏教3聖木の一つサラソウジュ(沙羅双樹)の花が咲いていたのも印象に残る.
以上ミャンマー紀行2011/バゴーのページから.
シュエモードパゴダ(Shwemawdaw Pagoda)
シュエモードパゴダは114mの高さがあってビルマで一番高いそうだ.ちなみにヤンゴンで見物したシュエダゴンパゴダ(99.4m),見たことがないがピイのシュエサンドーパゴダ(100.4mくらい?)と並んでビルマ3大パゴダの一つに数えられるそうだ.いずれもシュエ(Shwe)が冠せられているので金ピカの筈だ.
以上ミャンマー紀行2011/バゴーのページから.
シュエタリャウン寝釈迦仏(Shwethalyaung Boddha)
長さ(身長)55mもあるという寝釈迦仏.994年にモン族のミガディパ王によって建立されたというとても古い歴史を持つ.ただモン族王朝の滅亡でバゴーも衰え,そのうち密林に覆われていたが,近年鉄道工事のとき偶然発見された経緯があるそうだ.眺めるととても優しい顔立ちでほっとできる.
以上ミャンマー紀行2011/バゴーのページから.
チャイプーン四面仏像(Kyaik Pun Pagoda)
高さ30m仏坐像4体が背中合わせで,それぞれ東西南北を向いて座っている.1476年モン族ペグー王朝によって建立されたそうだ.東西南北は仏像で,どれも柔和な顔立ちだ.先ず北向き(入り口の方に向いている)の一体は2600年前くらいの私たちに馴染み深いゴータマブッダで,西南北の像はそれ以前に悟りを開き,人々に教えを説いた別のブッダだという.
以上ミャンマー紀行2011/バゴーのページから.
ファウンドーウーパゴダ(Phaungdawoo Pagoda)
インレー湖界隈で最大のパゴダ(いや寺院か?)で中に入ってお参りした.5体の仏像が祀られているが,貼り付けられた金箔で原型が失われ,お正月の2段重ねお供え餅のようになっている.つまり目鼻口,腕,....全てが識別できず,ダルマさん状態だ.10月最初の満月の日前後より,毎年お祭りが開催され,全国から,海外からも見物客が集まるそうだ.写真は伝説の鳥カラウェイ(船首のセサミストリートみたいな鳥.ちょっと違うか?)を象ったものだそうで,5体中4体の仏像を載せ,最初本ファウンドーウーパゴダに3日間留まった後,インレー湖の主要17集落を巡回するそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/インレー湖のページから.
ガーペー僧院(Nga Phe Kyaung Monastery)
本堂中央の大きな仏壇に,小さく区画された仏壇があり,そこに仏像が納められている.仏壇の装飾や仏像の光背はチーク材で,とても細やかに入り組んだ彫刻が施されたいる.金箔が貼られているがはげ落ちかけているところもある.これらの細やかさはこれまで見てきた中では抜きん出ており,かなり異なる.ガーペー僧院は250年前シャン族建立の僧院で,シャン様式と呼ばれるそうだ.
ガーペー僧院ではジャンピングキャットとして輪をくぐる猫が有名だそうで,私達もその技を見せて貰った.
以上ミャンマー紀行2011/インレー湖のページから.
マハーガンダーヨン僧院(Mahagandhayon Monastery)食事中のお坊さん
マハーガンダーヨン僧院は仏教の学校,修行の寺で,1914年に創設されたそうだ.ビルマで代表的な僧院の一つに数えられるそうで,人気が高く最大1,200人ものお坊さんが修行に励むそうだ.
お坊さんの食事は朝と昼の2回で,正午迄に完全に食べ終えないとならないそうだ.写真は昼食で,大量に装われたご飯と,ごちゃ混ぜおかずは『美味しい』とか『まずい』とか思ってはいけないそうで,心を無にして全部を平らげ,残してはならないそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/マンダレーのページから.
マハムニ寺院(Mahamuni Temple)の大仏さま
この大仏さまは非常に古く,お釈迦様自身が,絵で言えば自画像に相当する自分自身を象った像,ん~っやはり自画像か?であるそうだ.そしてそれは2500年前くらいから現バングラデシュのラカイン族(Rakhine)の町(隣接するミャンマーにもラカイン州があるそうだが)に存在していたそうだ.だがやがて後のコンバウン朝第6代ボードーパヤー王時代,この地を支配していたムラウウー王国に攻め入り勝利し,戦利品として奪い取ってきて,ここに安置したという.仏像のベースはブロンズだというが,金箔がどんどん貼られるのでマハムニの表面は凸凹になっている.最大凸部は40mmも膨らんでいるそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/マンダレーのページから.
シュエナンドー僧院(Shwenandaw Monestery)
総チーク材造りの僧院だ.シュエナンドーのシュエ(Shwe)はこれまでいくつかあったように金,ナンドー(nandaw)は宮殿だそうで,元々宮殿として別の場所に建てられ,コンバウン王朝最後のティーボー王の一つ前ミンドン王はこの宮殿内で亡くなられたということだ.その後ティーボー王の時代に入ると,同王が当時のある高僧に寄進を申し出て,一旦元の場所で解体され,現在のこの場所に移され,僧院として再構築されたという.名のように全てが金箔で覆われていたのだが,やはり下地が木材であるため長い年月の風雨で洗い流されたのだそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/マンダレーのページから.
クドードォパゴダ(Kuthodaw Pagoda)
コンバウン王朝時代,スリランカ,タイ,ラオス....等々関係国僧侶が一同に会し,少しずつ仏教の経典が変わっていくのを防ぎ,正しい経典を討議する上座部仏教国際会議が開かれていたそうだ(今も続いているかも知れない).ミンドン王のときミャンマーで第5回サミットが開催されたそうだ.王は経典の改変がされないよう,石版にこれが正しいと決議された経典の全文を刻み,パゴダを収めるようにと1957年建立したのがこのクドードォパゴダということだ.
以上ミャンマー紀行2011/マンダレーのページから.
サンダムニパゴダ(Sanda Muni Pagoda)
上記クドードォパゴダの石版経典はパーリ語で記され,そのままでは民衆が読めない.そこでこれをビルマ語に翻訳し,ビルマ文字で書き直そう,ということになったそうだ.その結果できたのがこのサンダムニパゴダだという.翻訳するとどうしても長くなり,確か石板は1000枚以上,同数の白いパゴダが建立されたそうだ.クドードォパゴダと比べて塔は細身のデザインになっている.
以上ミャンマー紀行2011/マンダレーのページから.
ポッパ山(Mt. Popa)の仏像とボーメンカム(Boe Min Khaung)像
ビルマでは古来から精霊ナッ(発音しにくい/Nat)という神様が信仰されているそうだ.その総本山がポッパ山だそうである.山門近くに大きなお堂があって,その奥に写真の各種精霊ナッ像が納めれていた.ただ膨大な数のお堂の多くにはやはり仏像と,近年ここで修行したというボーメンカム(Boe Min Khaung)とお云う方の像が祀られている.渡世人のような出で立ちが印象的なボーメンカムさんは,単に自ら悟りを開くためだけに修行を続けたのではなく,人々の幸福を願ってお釈迦様(ナッ神ではない!)に祈り続けたそうで,多大な信頼が寄せられているようだ.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
タビニュ寺院(Thatbinnyu Temple)
タビニュとは『全知全能』の意だそうで,その名のお陰もあってなかなか市民の人気も高いという.寺院は高さが61mでパガンで最も高い寺院だそうだ.パガン朝第4代王によって12世紀半ばに建立されたという.屋根上の尖塔部分だけが金箔で黄金色だ.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
スラマニ寺院(Sulamani Temple)
パガン朝第7代ナラパティシートゥー(Narapatisithu)国王によって12世紀末に建立されたそうだ.夕暮れで赤みが増した正面の眺めは綺麗だ.写真上部のアーチは山門.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
ダマヤンジーパゴダ(Dhamayan Gyi Pagoda)
ダマヤンジーパゴダはバガンで一番大きい,これまで一番高い,本堂床面積が最大....といったのは見てきたが,ここは総建坪が最大(そして多分容積も最大?)だそうである.バガン第5代国王が権威を知らしめんと圧倒的大きさのパゴダ建設を計画し,出来上がったのがこのダマヤンジーパゴダだそうだ.ダマヤンジーの意味はそのものズバリ『勝利の栄光』だそうだ.実は当初の設計図では現在の4倍の大きさだったそうだ.だがあまりに巨大で,第5代国王生存中には完成せず,後継者が施工途中の塔を適当に,いやうまくまとめて現在の形に仕上げたという.お釈迦さまの遺骨と歯が収められていると伝えられ,かなり大事なパゴダである筈だ.ただ第5代国王は親兄弟を殺害して王位に就いた経緯があるそうで,国民には不人気で,参拝者は多くないということだった.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
シュエサンドーパゴダ(Shwesandaw Temple)で望むバガン夕景
シュエサンドーパゴダの四方全てが野原でパゴダが点在している.写真は陽の沈む西の方角で向こうにエヤーワーディー川も見えている.この日は雲が厚めで夕景にはちょっと物足りない状況ではあったがHDRiにしてみた
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
シュエジーゴンパゴダ(Shwezigone Pagoda)
先ずピカピカ金色に輝く50m近くあるという大きな塔に驚く.周囲の添え物も金ピカが多い.バガン朝の開祖アノーヤター王(在位1044-1077年)が1057年モン族を征服.それで入手した仏舎利,及びスリランカキャンディの仏歯寺に伝わる仏歯のレプリカを納めるため1059年から建設を始めたのがこのシュエジーゴンパゴダだそうだ.ただ王の在位中にはまだ工事が終わらず,後のチャンスィッター王(在位1084-1113年)の頃に完成したそうである.
以上ミャンマー紀行2011/バガンのページから.
ティーローミンロー寺院(Htilominlo Temple)
レンガ造りでちょっと見でゴシック様式キリスト教会のような印象を受けた.天辺の四角錐はヒンドゥー寺院のような趣きも感じられる.高さが47mもあるそうで相当高い.1218年に建立されたようだ.バガン朝第8代ティーローミンロー王(在位1211-1234年)が,自らが5人兄弟の中から日傘の占い(公平といえば公平かな?)で選ばれ,就任したことを記念して建立したという.
以上ミャンマー紀行2011/バガンのページから.
マヌーハ寺院(Manuha Temple)の窮屈な大仏さま
マヌーハ寺院はシュエジーゴンパゴダの項で記したバガン朝の開祖アノーヤター王(在位1044-1077年)によって捕らえられたモン族の王マヌーハに由来するそうだ.捕らえられたマヌーハは幸い殺されず,幽閉に留められ,さらに後には解放されたということだ.寺には寝釈迦仏を含めて3体の大仏像があるが,写真のようにいずれも狭い空間に閉じ込められたように安置されている.頭は殆ど天井につっかえそうである.これは,モン族マヌーハ王がビルマ族アノーヤター王に対する恨みを後世モン族に伝え,モン族国家再興を願って自ら閉じ込められた姿を重ねて表現したものだそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/バガンのページから.
アーナンダー寺院(Ananda Temple)
ヒンドゥー的香りを感じた.特に若干剥がれかかっているように見える四角錐の尖塔部はヒンドゥー寺院のようだ.本堂は一辺53mの正方形で,バガンで最大級広い建坪だそうだ.11世紀末パガン朝第三代国王チャンスィッターの建立で,アーナンダーはブッダのお弟子さんの名に因むという.
以上ミャンマー紀行2011/バガンのページから.
シュエダゴンパゴ(Shwedagon Pagoda)
ビルマ仏教の総本山というべき立派なパゴダ.その金ピカに輝く様は実に見事で,圧倒される.
言い伝えに依ればシュエダゴンパゴダの歴史は紀元前588年まで遡るという.あるビルマ一地方の商人兄弟がお釈迦様(ゴータマブッダ)に会い,世界最初の仏教徒となったそうだ.そしてお釈迦様から8本の髪の毛を譲り受け,ビルマに持ち帰り(このルートがビルマへの仏教の道),モン族の王(Okkalapa)に渡したそうだ.モン族の王はそれ以前既にゴータマブッダ以前三人のブッダの遺品を本シングッダヤの丘に祀るなどした信心深い人物で,紀元前588年に兄弟から受け取ったお釈迦様(ゴータマブッダ)の聖髪を合わせて祀ったのがシュエダゴンパゴダの始まり,ということだ.お釈迦様が亡くなったのは紀元前543年とされるので,それより古いのは,上述のように直接生前のお釈迦様から聖髪を受け取ったからで,パゴダはビルマでも世界でも最も古いものになるという.
シュエダゴンパゴダの主塔の周長433mという周りには,無数の小さな塔や仏像と共に小さな守り神の動物(架空のものも含めて)概ね等間隔で8種類が配置されている.生まれた曜日のこれら守護神だそうで,月/虎,火/獅子,水午前/牙のある象,水午後/牙のない象,木/鼠,金/もぐら,土/龍,日/ガルーダで,自分の誕生日に従ってお参りする.
以上ミャンマー紀行2011/ヤンゴンのページから.
チャウターヂーパゴダ(Chauk Htat Gyi Pagoda)
シュエダゴンパゴダの寝釈迦像は全長(身長)70mととても大きい.涅槃ではなく,寝転がっている寝釈迦なので足の裏には仏教世界の全てを表現すると云う文様が描かれている.指紋も描かれているが綺麗に揃っていて,並の人の指紋はこうはいかないそうだ.最も驚いたのはこの寝釈迦像と,数十年前撮影された寝釈迦像写真を見比べたときだ.昔は枕もなく,上半身がほぼ直立するくらい立っているが,現在の姿は普通の肘枕だ.ビルマの人々はどんどん寄進して,より立派なものに作り変えていくのが幸せ,という思想であることを改めて認識した.
以上ミャンマー紀行2011/ヤンゴンのページから.
スーレーパゴダ(Sule Pagoda)
スーレーパゴダは英国式ロータリー交差点の中心にある.変な所にあるように思えるが,2000年も昔から,シュエダゴンパゴダと同じようにお釈迦様の聖髪を納めるために存在したそうだ.これまたシュエダゴンパゴダ同様八曜日の守護神がパゴダの周りに祀られている
以上ミャンマー紀行2011/ヤンゴンのページから.