仏教寺院,ゴンパ,仏塔など(1)

このページでは既存ページから転載し,蘇州の寒山寺(中国),無錫の恵山寺(同),揚州の大明寺(同),鎮江の金山寺(同),杭州の六和塔(同),もう牛坪のゴンパ(中国雲南省),松賛林寺(同),東竹林寺(同),白馬雪山峠の迎賓塔(同),飛来寺(同),パンボチェのカンニ(ネパール),ボダナート(同),キジル千仏洞(新疆ウイグル),クズルガハ千仏洞(同),スバシ故城(同),ゼベクリク千仏洞(同),交河故城(同),西安の大雁塔(中国),タンボチェゴンパ(ネパール),パンボチェゴンパ(同),九寨溝のチョルテン(中国四川省),黄龍の中寺(同),黄龍古寺(同),イスルムニア精舎(スリランカ),スリマハ菩提寺(同),ルワンウェリサーヤ大塔(同),アバヤギリ大塔(同),仏舎利塔ジェータワナラーマヤ(同),クォードラングル(同),黄金仏塔(同),ガルヴィハーラ寺院(同),ダンブッラ石窟寺院(同),仏歯寺(同),ガンガラーマヤ寺院(同),コロンボ路傍の仏像(同),高尾山薬王院(日本),スワヤンブナート(ネパール),難民キャンプのゴンパ(同)の写真を載せました.

寒山寺

蘇州の寒山寺(Hanshan temple/Cold Mountain temple)

蘇州の寒山寺(Hanshan temple/Cold Mountain temple)

寒山寺は502年頃の建立,当初妙利普明塔院の名であったが,唐の時代,寒山と拾得がここで修行した所以で寒山寺に名を変たそうな.

以上江南の旅2007/蘇州のページから.

恵山寺

無錫の恵山寺鐘楼(Huishan temple bell tower)

無錫の恵山寺鐘楼(Huishan temple bell tower)

恵山寺は江南の名寺院で,南北朝に建てられたそうだ.清の乾隆皇帝が南下したとき,数回恵山寺を訪れ,肉筆で「恵山寺」の額を書いたそうである.

以上江南の旅2007/無錫のページから.

大明寺

揚州の大明寺山門(Daming temple gate in Yangzhou)

揚州の大明寺山門(Daming temple gate in Yangzhou)

鑑真和尚が日本へ渡る前に住職を勤めた大明寺は丘の上にある.お線香など並べた露店を広げた階段を上りきると,この山門に出合う.掲げられた篆書の文字は「精霊遺跡」のようであるがどういうことか? その内側の建物はいつもの黄色の壁で,入り口門上には大明寺と記されているのが見える.

以上江南の旅2007/揚州のページから.

金山寺

鎮江の金山寺(Jinshan temple in Zhenjiang)

鎮江の金山寺(Jinshan temple in Zhenjiang)

金山寺内部(inside Jinshan temple in Zhenjiang)

金山寺内部(inside Jinshan temple)

鎮江の街からもよく眺めることができる金山寺の塔だ.入り口ゲートをくぐり,少し歩くと本堂の後ろ辺りに位置している.文慈寿塔と称し,7層8角形で高さが30mであるそうだ.反り返った屋根と金の代用であろう黄色の壁が典型的中国様式を感じさせる.

金山寺の本堂や他のお堂には黄金色の仏像や羅漢像がたくさん並んでいた.やはり羅漢像の表情は変化が大きい.金山に寺が創建されたのは東晋代(420年ころ)だそうで,とても古い.以後歴代の皇帝が参拝のためこの地に足を運んだという.

以上江南の旅2007/鎮江のページから.

六和塔

杭州の六和塔(Liuhe Pagoda in Hangzhou)

杭州の六和塔(Liuhe Pagoda in Hangzhou)

銭塘江の辺に建っていた.ここに都を置いた呉越国皇帝は仏教の信者で,970年にこの六和塔を建立したそうである.銭塘江の高潮を鎮め,また灯台の役目があったそうな.

以上江南の旅2007/杭州のページから.

もう牛坪のゴンパ

もう牛坪のゴンパ(Gompa at Maoniuping)

もう牛坪のゴンパ(Gompa at Maoniuping)

リフトで標高3600mのもう牛坪に到着した.玉龍雪山が目の前にくっきり見える.少し歩くとチベット仏教の真っ白なチョルテン(仏塔)が青空に映えている.その背後にこのゴンパ(お寺)があった.

以上雲南省の旅2007/玉龍雪山のページから.

松賛林寺

シャングリラの松賛林寺(Songzanlinsi in Shangrila)

シャングリラの松賛林寺(Songzanlinsi in Shangrila)

本堂やたくさんの僧院が斜面に張り付く様は小ポタラ宮とも呼ばれるそうである.雲南で最大のチベット仏教寺院だそうだ.1679年,ゲルク派の偉大なダライラマ5世により創建されたそうである.

以上雲南省の旅2007/松賛林寺のページから.

東竹林寺

雲南省の東竹林寺(Dongzhulinsi in Yunnan)

雲南省の東竹林寺(Dongzhulinsi in Yunnan)

東竹林寺は,金沙江の谷の上部,陽当たりの良い斜面に在った.本堂や数多くの僧坊が見えている.多くの僧房の作りは修行僧の生活ぶりを物語るかのように質素だ.チベット仏教ゲルク派の寺院で,1667年に創建されたそうである.

以上雲南省の旅2007/東竹林寺のページから.

白馬雪山峠の迎賓塔

白馬雪山峠の迎賓塔(Guest Stupas at Baimang Xueshan Pass)

白馬雪山峠の迎賓塔(Guest Stupas at Baimang Xueshan Pass)

白馬雪山峠を越え暫く走ると,雲がかかりよく見えないが,多分梅里雪山を背景に,13もの仏塔(チョルテン)が並んでいる場所に至る.迎賓塔という場所らしい.

以上雲南省の旅2007/白馬雪山峠のページから.

飛来寺

飛来寺のチョルテン(Chortens of Feilai temple)

飛来寺のチョルテン(Chortens of Feilai temple)

ここは飛来寺地区にある展望台.飛来寺そのものはここから少し離れたことろにあるが梅里雪山の展望があまり開けない場所だ.一方,チベット仏教徒にとって聖山,梅里雪山の見晴らしの良いこの地には,たくさんのチョルテンが並び,巡礼者が引っ切り無しに香を焚き,また経文を印刷した魔除けと祈りの旗タルチョー(またはルンタ)が無数に奉納されている.

以上雲南省の旅2007/徳欽のページから.

パンボチェのカンニ

パンボチェのカンニ(仏塔門)(Kani at Pangboche)

パンボチェのカンニ(仏塔門)(Kani at Pangboche)

パンボチェ集落の入り口,出口では,他のチベット仏教の村と同様,関所のようにカンニ(仏塔門)が建てられていた.そのゲートの天上を見上げると一面に極彩色の曼荼羅が描かれていた.

以上エベレスト街道トレッキング2005/ターメへのページから.

ボダナート

カトマンドゥのボダナート(Boudhnath in Kathmandu)

カトマンドゥのボダナート(Boudhnath in Kathmandu)

高さが36mもあって,ネパール最大のチベット仏教のチョルテン(仏塔,ストゥーパ).世界のチベット仏教の中心とされ,ネパール各地,チベット.....あちこちからの巡礼者が多い.

以上エベレスト街道トレッキング2005/カトマンドゥのページから.

キジル千仏洞

クチャのキジル千仏洞(Kizila Thousand-Buddha Caves of Kucha)

クチャのキジル千仏洞(Kizila Thousand-Buddha Caves of Kucha)

クチャの西北75kmにあり,かなり時間がかかる.第17窟から,五弦琵琶の第8窟,音楽堂の第38窟など見た.仏陀の前世を語るという「本生物語」などの壁画で彩られている.ただ見た石窟の絵は,壁のも,天井のも,皆壊されていた.理由の1つは,偶像崇拝を禁じたイスラム教徒の世界になったこと.仏画の目がつぶされているのは主にこの理由のようだ.2つ目は歴史上数度行われた廃仏,つまり政府による仏教の非公認化,3つ目は文化大革命時の破壊,4つ目は,日本の大谷探検隊を含む外国の探検隊がはがして持ち帰ったため,とされる.

以上新疆ウイグルの旅2005/クチャのページから.

クズルガハ千仏洞

クチャのクズルガハ千仏洞(Kizilgaha Thousand-Buddha Caves of Kucha)

クチャのクズルガハ千仏洞(Kizilgaha Thousand-Buddha Caves of Kucha)

また千仏洞だ.漢代~唐代に開削されたというクズルガハ千仏洞.前述のキジル千仏洞より残っている壁画はぐっと少ないそうである.石窟には僧侶が修行した僧坊も多かったようだ.残念ながら壁画や仏像の顔が削られているのはキジル千仏洞と同様である.茶色い山肌に青空のコントラストがなかなかすばらしかった.

以上新疆ウイグルの旅2005/クチャのページから.

スバシ故城

クチャのスバシ故城(Ruins of Subashi temple at Kucha)

クチャのスバシ故城(Ruins of Subashi temple at Kucha)

スバシ故城は仏教寺院遺跡.亀茲国最大の寺院であったそうだ.スバシは水源地の意味だそうで,左写真で,手前に僧坊など西側遺跡があり,その先の平坦なところに実は川が流れている.クチャ川と言うそうだ.そして川の向こう側,山(チャールターグ山)の麓にさらに東側遺跡が残されている.建築構造は殆どが日干しレンガか,類似の土の構造体だ.ここは3世紀,後漢時代から晋時代ころの寺院と関連する街の跡だそうで,最盛期には3,000名もの僧侶が居たそうである.

以上新疆ウイグルの旅2005/クチャ(続)のページから.

高昌故城

トルファンの高昌故城(Gaochang ancient city at Turpan)

トルファンの高昌故城(Gaochang ancient city at Turpan)

高昌故城は紀元前1世紀~紀元後14世紀の間新彊における政治,経済の中心地の一つであったそうである.玄奘が経典を求めてインドへ向かう道中ここを通り,当時の高昌王,麹文泰に手厚く受け入れられ,ここに1ヶ月滞在.王に仏法の話をし,高昌王より金銀,衣類,荷馬数十頭など20年分相当の旅費を寄進されたそうな.10年の後,インドから帰途についた玄奘は約束通り,再びこの地へ足を運ぼうとしたが,高昌国はすでに唐によって滅ぼされていたそうである.建造物は,板枠を作り,土をその中に盛り,一層ずつ杵でつき固める版築工法や日干しレンガでできているようだ.壁が残された写真の仏塔の壁窪み上部には,かすかに仏画の痕跡が残っている.

以上新疆ウイグルの旅2005/トルファンのページから.

ゼベクリク千仏洞

トルファンのゼベクリク千仏洞(Bezeklik Thousand-Buddha caves at Turpan)

トルファンのゼベクリク千仏洞(Bezeklik Thousand-Buddha caves at Turpan)

ベゼクリクとはウイグル語で「美しく飾った場所」とか「 絵のある所 」という意味らしい.ここもまた火焔山の麓にあるが,ムルトウク河という渓谷が流れ,川辺は緑豊かだ.千仏洞はその渓谷の断崖途中に掘られている.石窟の中には壁画と仏像があるが,その大部分は破壊されている.破壊された理由は,クチャのキジル千仏洞やクズルガハ千仏洞と同じだ.特に,14世紀,イスラム化が進んだ頃の破壊は大きかったそうである.後世,ドイツの探検家ルコックは砂の中から千仏洞を掘出した際,見事な壁画を見て,これをイスラム教徒の手から守らなければならない,という大義名分の下,壁画を剥ぎ取り,本国に持ち帰った.しかし第二次世界大戦の戦火の中に焼けてしまい,ドイツには何も残っていないそうだ.ただ,現在千仏洞に僅かに残っている壁画は彩り鮮やかで,精巧な印象を受ける.なお,ここも写真は撮れない.

以上新疆ウイグルの旅2005/トルファンのページから.

交河故城

トルファン/交河故城の仏塔(City of joining rivers at Turpan)

トルファン/交河故城の仏塔(City of joining rivers at Turpan)

交河故城は東西を2つの河に挟まれた台地上にあり,天然の要塞となっている.大きさは,東西に33m,南北に1600mあるそうだ.漢代は,漢王朝の重要な屯田地として,また辺境防御の任務にあったそうである.現在の入り口側(南部)は一般居民の居住区,奥の方,北部には寺院や仏塔,最北部には墓が存在している.

以上新疆ウイグルの旅2005/トルファン(続)のページから.

大雁塔

西安の大雁塔(Big Wild Goose pagoda in Xian)

西安の大雁塔(Big Wild Goose pagoda in Xian)

大雁塔のある寺は大慈恩寺といい,648年,唐の第3代皇帝高宗が母の文徳皇后を供養するために建立したそうである.また652年,玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために,高宗に申し出て建立した塔が大雁塔だということだ.境内にはインドの方向を向いた玄奘三蔵の像も立てられている.

以上新疆ウイグルの旅2005/西安(後半) のページから.

タンボチェゴンパ

タンボチェゴンパ(僧院)(Tengboche gompa)

タンボチェゴンパ(僧院/修道院)(Tengboche gompa)

タンボチェ修道院は1916年,ラマグルー(Lama Gulu)によって現在の場所に設置されたそうだ.この地域にはいくつかの古い寺院があったが,タンボチェが最 初の独身修道院であり,金剛仏教寺院ニリンゴンパ( Nyingmapa:チベットにあるようだ)の血筋を受け継いでいる.二度災害に遭い,再建されている.1934年には地震を,1989年には火災を蒙っている.大火のため貴重な古い経典,彫像,壁画などがことごとく失わ れたようである.

以上タンボチェトレッキング2004/6日目:2004年10月25日(月)のページから.

パンボチェゴンパ

パンボチェゴンパ(Pangboche gompa)

パンボチェゴンパ(Pangboche gompa)

パンボチェはタンボチェより標高が100mほど高く,3960mくらいだ.ここにもチベット仏教の僧院(ゴンパ)がある.ただ規模はタンボチェほどでないようで,建物もこぢんまりしている.僧院には寺守がいて,我々の内部見学のために門を開いてくれた.内部の壁や天井には曼荼羅であろうか絵が描かれていた.

以上タンボチェトレッキング2004/6日目:2004年10月25日(月)のページから.

九寨溝のチョルテン

九寨溝のチョルテン(仏塔,ストゥーパ )(chorten at Jiuzhaigou)

九寨溝チョルテン(仏塔,ストゥーパ )(chorten at Jiuzhaigou)

九寨溝の樹正郡海の近くにはチベット族の大きな集落,と言っても現在は土産物店など観光業を主な生業としているようである.また大きなチベット仏教寺院(ゴンパ)とそれに関連する仏塔(チョルテン)があり,タルチョー(祈願旗)が風に舞っている.

以上四川省の旅2004/九寨溝2のページから.

黄龍の中寺

黄龍の中寺(the Middle Temple of Huanglong)

黄龍の中寺(the Middle Temple of Huanglong)

明代に前寺,中寺,後寺と三つの寺が建てれらたそうである.やがて前寺はなくなり,写真の中寺,後寺の2つを総称して黄龍寺と呼ばれるようになったようだ.また雪山寺の別称も持つようである.

以上四川省の旅2004/黄龍のページから.

黄龍古寺

黄龍古寺(the Ancient Huanglong temple)

黄龍古寺(the Ancient Huanglong temple)

標高3430mに位置し,背後に雪宝頂が望める.日本語も併記された案内標識に依れば,黄龍古寺は歴代道教文化と宗教の発展及び変化の重要な場であり,古来大禹王が四川の北西高原までの治水成功を記録した場でもある,と記されている.チベット族,羌(チャン)族,回族,漢族共通の信仰を集めているそうである.

以上四川省の旅2004/黄龍のページから.

イスルムニア精舎

アヌラダプラのイスルムニア精舎(Isurumuniya Vihara rock temple in Anuradhapura)

アヌラダプラのイスルムニア精舎(Isurumuniya Vihara rock temple in Anuradhapura)

紀元前3世紀から建設が始まったそうであるからとても古い.イスルムニア精舎には正面に見える岩山に掘られた石窟の本堂と,左側に白い仏塔(ダーガバ:Dagoba),宝物殿などがあった.大きな涅槃仏は巨大で極彩色であることに先ず圧倒される.色の塗り替えでは上野の浅草寺の援助もあったと聞く.この写真のように足元から見るとしっかと目が開いているが, 顔の前まで来ると閉じて,眠っているように見える.

以上スリランカの旅2004/アヌラダプラのページから.

スリマハ菩提寺

ヌラダプラのスリマハ菩提寺(Sri Maha bodhiya in Anuradhapura)

ヌラダプラのスリマハ菩提寺(Sri Maha bodhiya in Anuradhapura)

釈迦はブッダガヤ(インド)の菩提樹の下で悟りと伝えられるが,その菩提樹の分け木がここで2300年生き続けている.紀元前3世紀,インドのアショカ王の王女サンガミッタが運び,当時のシンハラ王朝デーワーナンビヤティッサ王が植樹したとされているそうである.この辺に多いガジュマルの大木のような大きさを想像していたが,2300年という年月の割にはそれほど大きくはないという印象を受けた.スリランカ国民にとって,後で訪れる仏歯寺の仏歯に次いで大事なものであるそうだ.

以上スリランカの旅2004/アヌラダプラのページから.

ルワンウェリサーヤ大塔

ヌラダプラのルワンウェリサーヤ大塔(Ruwanweli Seya Dagoba in Anuradhapura)

ヌラダプラのルワンウェリサーヤ大塔(Ruwanweli Seya Dagoba in Anuradhapura)

紀元前2世紀から建設が始まり,修復が繰り返され今に続くそうだ.現在55mの高さで十分巨大であるが,当初はさらにその倍もあったようである.塔の基部には多くの仏像が並び,また塔のテラス外周部にはたくさんの象のレリーフが嵌め込まれていた.

以上スリランカの旅2004/アヌラダプラのページから.

アバヤギリ大塔

ヌラダプラのアバヤギリ大塔(Abhayagiri Dagoba in Anuradhapura)

ヌラダプラのアバヤギリ大塔(Abhayagiri Dagoba in Anuradhapura)

今はなき,かつてスリランカの大乗仏教の大本山だったアバヤギリ大塔.木や草が生え放題であることが,この国での大乗仏教の歴史を物語っていよう.しかし上部に修復工事用の足場が組まれているところを見ると,この先きれいになってしまうのであろうか?それはそれでちょっと残念なような....

以上スリランカの旅2004/ヌラダプラのページから.

仏舎利塔ジェータワナラーマヤ

ヌラダプラの仏舎利塔ジェータワナラーマヤ(Jatavana Ramaya in Anuradhapura)

ラダプラの仏舎利塔ジェータワナラーマヤ(Jatavana Ramaya in Anuradhapura)

紀元3世紀,マハーセーナ王の命により建立され,当時高さ122mで,さらにその上に水晶の柱が立っていたそうだ.現在の高さは70mで,一番上の傘蓋が破損してしまったため低くなったようである.訪問時,地べたにはレンガがたくさん用意され,足場が組まれ,修復作業が行われている最中だった.

以上スリランカの旅2004/ヌラダプラのページから.

クォードラングル

ポロンナルワのクォードラングル(Quadrangle in Polonaruwa)

ポロンナルワのクォードラングル(Quadrangle in Polonaruwa)

クォードラングルは四辺形のことで,城壁に囲まれていろいろな仏教遺跡の建物があって,ポロンナルワ遺跡の中心地でもある.写真はその一つ,トゥーパーラーマ(Thuparama)と呼ばれる仏堂であって内部の見学が許されている.玄関で靴を脱いで中に入った.多くの仏像が並んでいた.入り口付近ではヒンドゥー様式も見られた.他にラターマンダパヤ(Lata Mandapaya),アタダーゲ(Atadage),ハタダーゲ(Hatadage)といった建造物が残されていた.

以上スリランカの旅2004/ポロンナルワのページから.

黄金仏塔

ポロンナルワの黄金仏塔(Rankot Vehera Stupa in Polonaruwa)

ポロンナルワの黄金仏塔(Rankot Vehera Stupa in Polonaruwa)

ランコトゥヴィハーラ(黄金仏塔)は,高さ,直径ともに55mでポロンナルワ最大というダーガバ(仏塔).ランコトゥは黄金の意だそうで,往時は尖塔部分が金で覆われていたという.現在はレンガであろうか,下地のままである.

以上スリランカの旅2004/ポロンナルワのページから.

ガルヴィハーラ寺院

ポロンナルワのガルヴィハーラ寺院(Gal Viharaya in Polonaruwa)

ポロンナルワのガルヴィハーラ寺院(Gal Viharaya in Polonaruwa)

ガルヴィハーラ寺院には大きな岩に彫られた坐像(工事中),立像,涅槃像三体の仏像があった.岩の層状の縞模様がそのまま仏像の表面にマッピングされたようになっているのが印象的だ.

以上スリランカの旅2004/ポロンナルワのページから.

ダンブッラ石窟寺院

ダンブッラ石窟寺院(Dambulla Cave Temple)

ダンブッラ石窟寺院(Dambulla Cave Temple)

石窟には古くから仏教僧が居住していたそうである.それを,紀元一世紀ワラガムバーフ王が壮大な寺に仕立てたのが本寺院の始まりであるそうな.寺院は5つの石窟から成り立っており,百体以上もの仏像や無数の壁画で埋め尽くされている,という印象を受けた.

以上スリランカの旅2004/ダンブッラのページから.

仏歯寺

キャンディの仏歯寺(Dalada Maligava(Temple of the Tooth))

キャンディの仏歯寺(Dalada Maligava(Temple of the Tooth))

スリランカで仏歯は最も大切なものであるそうだ.ガイドのニハルさんからそのように聞いたとき,改めて信仰心の篤さに感心したものだ.また信仰の対象のみならず,王権者の象徴であり仏歯のある場所が都のおかれる所とされてきたのだそうで,これはこれで興味深い.

以上スリランカの旅2004/キャンディのページから.

ガンガラーマヤ寺院

コロンボのガンガラーマヤ寺院(Gangaramaya Temple in Colombo)

コロンボのガンガラーマヤ寺院(Gangaramaya Temple in Colombo)

ベイラ湖という湖の上に立っている.しかして回りは広々として,場所的には一等地であろう.本堂に渡る橋にいきなりリラックスして横になっている仏様の像があるのが興味深い.女性のように見えるし,目はしっかと開いているので涅槃仏ではなさそうだ.

以上スリランカの旅2004/コロンボのページから.

コロンボ路傍の仏像

コロンボ路傍の仏像(a wayside statue of Buddha in Colombo)

コロンボ路傍の仏像(a wayside statue of Buddha in Colombo)

道の脇に仏像が安置されているところが敬虔な仏教国らしい.だが仏教だけではない.写真は撮り損ねたが,マリア像もこのような形態で道の脇に納められていたのでキリスト教徒もやはり熱心なのであろう.

以上スリランカの旅2004/コロンボのページから.

高尾山薬王院

高尾山薬王院

高尾山薬王院

同寺院の公式サイトから転載すると,真言宗智山派大本山である高尾山薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)は,成田山新勝寺,川崎大師平間寺と共に,関東の三大本山の一角を占める名刹(めいさつ). 1250年余前,奈良時代,)聖武天皇の勅願により薬師如来の尊像を安置して東国鎮護の霊場として開基された,ということだ.

以上高尾山2002年/のページから.

スワヤンブナート

カトマンドゥ/スワヤンブナート(Swayambhnath)

カトマンドゥ/スワヤンブナート(Swayambhnath)

伝説では大日如来がこの地カトマンドゥ盆地に立ち寄ったのを機会に奉納された寺院がスワヤンブナートということだ.ネパールの他の仏教寺院同様に,大きな目の付いたストゥーパがいくつかあり,この中央のストゥーパは巨大である.なお目玉はネパール/チベット系仏教寺院の特徴の1つで,世界をよく見渡すということらしい.

以上ネパールの旅2002/カトマンドゥのページから.

難民キャンプのゴンパ

ポカラ/チベット難民キャンプのゴンパ(Gompa at Tibetan refugee camp gompa in Pokhara)

ポカラ/チベット難民キャンプのゴンパ(Gompa at Tibetan refugee camp gompa in Pokhara)

ポカラにはマニ車を備えた写真のゴンパ(チベット仏教寺院),学校,病院などが揃った難民キャンプがある.坊さんや青年たちがサッカーに興じていた.1959年中国軍がチベットに侵攻した動乱時に作られた避難キャンプの1つだという.ただ一般のネパールの人からみると,チベット人は商売根性が旺盛で,必ず何かを売りつけようとするし,結構蓄えもあり,「何が難民だ!」と云う感情もあるらしい.

以上ネパールの旅2002/ポカラのページから.


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