このページでは既存他ページから引用して,高野山奥の院弘法大師御廟(和歌山県),高野山天徳院(同),高野山金剛峯寺(同),高野山壇上伽藍(同),通りのミニパゴダ(バンコク),カグベニ村のカンニ(ネパール),カグチョデチュプテンゴンパ(同),タンベ村のサキャ派ゴンパ(同),タシチョリンゴンパのチョルテン(同),ガミの長いメンダン(同),ツァラン入り口の大チョルテン(同),ツァランゴンパの河口慧海師像(同),チョデゴンパ(同),ジャムパゴンパ(同),トゥプチェンゴンパ(同),ローゲカルゴンパ(同),チュングシ洞窟(同),ニャタポラ寺院(同),ダッタトラヤ寺院の戦士像(同),タントンギャルポの寺(ブータン),タシチョゾン(同),ドチュラのチョルテン(同),チェンデジのラカン(同),ヨトンラ峠(同),ロダクカルチュゴンパ(同),ジャカルゾン(同),クジェラカン(同),トンサゾン(同),プナカゾン(同),メモリアルチョルテン(同),ドゥプトプ尼僧院(同),ティンプー大仏(同),パロゾン(同),キチュラカン(同),タクツァン僧院(同),雲南トーアン族の寺(中国雲南省),雲南蔵族寺院(同),ジムサルの西大寺(中国新疆ウイグル),奎屯のチョルテンとオボ(同),ウルムチの大佛寺(同)の写真を載せました.
高野山奥の院弘法大師御廟
高野山御供所の先に御廟橋があり,ここを渡る.そして弘法大師御廟燈籠堂があり,ここでろうそくと線香を灯し,般若心経を読む.そして空白だった私の納経帳の第一ページに左の印と墨書きを頂く.
以上半四国遍路2017/遍路23日目のページから.
高野山天徳院山門
銅板屋根のスッキリ清楚なデザインの門だ.この日はここの宿坊をお願いした.宿泊客は私一人なのか,別の空き客室へとお坊さんに案内された.三の膳まで付いた本格精進料理で,もちろん本場高野豆腐料理は付いている.また精進料理だが,ビールは問題なく注文できありがたい.
以上半四国遍路2017/遍路23日目のページから.
高野山金剛峯寺主殿
金剛峯寺主殿は複雑な屋根を組み合わせたとても大きな建物だ.屋根は檜の皮を何枚(多分数十層)も重ね)た檜皮葺だそうで,重厚無比だ.また屋根上には天水桶が載っており,雨水を溜めておき,他所での火災時,屋根を湿らし,類焼を食い止める役目だという.まあ実質的には装飾の域を出ないであろうが.
以上半四国遍路2017/遍路24日目のページから.
高野山壇上伽藍金堂(左)と根本大塔
金堂は,壇上伽藍では一番大きな建物ではなかろうか.現在の建物は7度目の再建で,入母屋造りだが,耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で昭和7年(1932年)竣工したそうだ.白鐘楼の木造も驚いたが,金堂はそれ以上に意外なコンクリートとは驚く.でも外見はそのように見えない.大した設計だ.
正面は根本大塔で弘法大師と,次の真然大徳の二代で,真言密教の根本道場におけるシンボルとして完成したという.
以上半四国遍路2017/遍路25日目のページから.
通りのミニパゴダ(バンコク)
バンコクの通りやホテル,一般民家の庭にはこうしたミニパゴダが据えてある.デザインは普通の仏教寺院をそのまま小さくリサイズしたような形式だ.そして大抵はお供えの花や供物が添えられている.
以上ムスタン紀行2017/バンコクへのページから.
カグベニ村のカンニ(ネパール)
カグベニ村に入り少し行くと大きなカンニ(kani/仏塔門)が道の真中に立っていた.カンニは普通村の入り口に建てられるので,これより手前の家々は多分カンニより後の世に建てられたのではなかろうか.
以上ムスタン紀行2017/カグベニへのページから.
カグチョデチュプテンゴンパ(ネパール)
カグベニ村にはカグチョデチュプテンゴンパ(Kag Chode Thupten Samphel Ling Monastery)という古いサキャ派のゴンパがある.建物正面に白黒赤の3色ストライプが描かれているのでサキャ派と判る.1426年,日本では室町時代,創建という長い歴史があるそうだ.
以上ムスタン紀行2017/カグベニへのページから.
タンベ村のサキャ派ゴンパとチョルテン群(ネパール)
タンベ村は緩やかな傾斜地に貼り付くように住居が建てられていた.斜面の路地をどんどん下ると,白赤黒ストライプに彩色されたサキャ派の小さなゴンパがあった.坊さんの常駐はない規模で,実際扉は閉じられていた.ゴンパの並びには多くのチョルテンもまた続いている.集落の規模にしては数が多い.
以上ムスタン紀行2017/ツェレへのページから.
タシチョリンゴンパのチョルテン(ネパール)
ギリン村にはタシチョリンゴンパがあり,そこに上り,下を望むと麓のギリン村,それにゴンパ入り口チョルテンが見える.
以上ムスタン紀行2017/ツァランへのページから.
ガミの長いメンダン(ネパール)
ガミコーラ左岸斜面を上ると地図にも『ムスタンで最も長いマニ壁(Longest Mani Wall in Mustang)』と記され,300mもあるという長いメンダン(Mendan,mani wall)に出合った.教伝来以前,この地ムスタンは強大な魔女に支配されていた.そこにかの有名なパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava,また別名グルリンポチェGuru rinpoche:8世紀後半頃)がここにやって来て,神通力で魔女をバラバラに打ち砕いたそうだ.そしてその腸はこの斜面に落ち,地中に埋まり,その上にこのメンダンを建てたという.この調伏でムスタンは仏教のパラダイスに変わったということだ.
以上ムスタン紀行2017/ツァランへのページから.
ツァラン入り口の大チョルテン(ネパール)
ツァラン入り口になった.入り口にはひときわ大きいチョルテンが建てられていた.屋根付きの基本構造や色合いは他のムスタン様式チョルテンと共通であるが,より細かな装飾が施されている.チョルテン下段壁にはガルーダなど幾つかの動物や架空動物のレリーフが埋め込まれてていた.
以上ムスタン紀行2017/ツァランへのページから.
ツァランゴンパの河口慧海師像(ネパール)
ツァランゴンパ(またはチェデゴンパ)は丘の上に聳えていた.14世紀ゴルチェワンガサンポ師の建立で,ムスタン最大のサキャ派ゴンパだそうだ.古いお堂を見せてもらい,狭い通路を伝って,背後の物置きのような小部屋に入った.すると大きな目を見開き,等身大あまり,戴帽した河口慧海師像が据えてあった.上述マルファ記念館や書籍に載っている写真と比べてふくよかなお顔立ちだ.なお像は彩色塑像製であろうか?また左の像は慧海師のお弟子さんをかたどったものだそうだ.
以上ムスタン紀行2017/ツァランへのページから.
チョデゴンパ(ネパール)
本ゴンパは初代ロー王アメパル(Ame Pal)の13世紀建立と云う大変歴史あるサキャ派の主要ゴンパだ.歴代高僧の居住地で,宗教行事中心地だったそうだ.本尊釈迦牟尼像,その左手にマカハーラ,白ターラ,さらに五仏の壁画があり,左手には緑ターラ像があったようだった.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
ジャムパゴンパ(ネパール)
ジャムパゴンパはローマンタン城壁の内部にあって古く,14世紀初頭,有名なアンゴンサンポ王(King Angon Sangpo)統治時代に建立されたそうだ.建物壁は土(日干しレンガ)で1.6mの厚さがあり,中庭のある三階建て構造だ.本尊は大きな弥勒菩薩で,周囲には大小さまざまな108の曼荼羅がゴールドやシルバーを含めて描かれ,ターコイズやサンゴ,宝石など散りばめられているようだ.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
トゥプチェンゴンパ(ネパール)
トゥプチェンゴンパ(Thupchen Gompa)はロー王国第三代タシゴン王(King Tashi Gon)時代,15世紀終わり頃建立されたそうだ.トゥプチェンゴンパはローマンタンにおける宗教行事の中心の一つという.見事な装飾の入り口には等身大(人と比べて)以上の4守護神面が四方を向き,据えられている.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
ローゲカルゴンパ(ネパール)
ローゲカルゴンパはこの赤い色から判るようにサキャ派ゴンパで,ガミの長~いメンダンの元,パドマサンバヴァがやっつけた魔女の腸と関連が深い,いや全く同根で,同じコンセプトで建立されている.つまり,この地には腸ではなく,魔女の心臓が落下し,その上に建立されたということだ.
以上ムスタン紀行2017/ガミへのページから.
ダチュングシ洞窟(Chungsi Cave)(ネパール)
シャンボチェコーラ谷から階段を上ると終わりにチュングシ洞窟(Chungsi Cave)があった.山の切り立った崖に自然の風化でできたものだそうだ.洞窟前に立ち,中を見ると右側にどっしりした鍾乳石(石筍)が座っている.これは『自ら生じた仏塔=ランチョンチョルテン(Ranchung chorten)』とされ,洞窟の御本尊として祀られているのだそうだ.現在ここには管理人を兼ねたたった一人のお坊さんが常駐し,修行しているそうだ.
以上ムスタン紀行2017/サマルへのページから.
ニャタポラ寺院(ネパール)
バクタプルのトゥマディー広場のニャタポラ寺院は五重の塔で,1702年プパティンドラマッラ王により建立され,当時カトマンドゥ盆地では一番高い30mの高さがあったそうだ.石階段両側には,下から順に伝説の戦士ジャヤマッラとパッタマッラ(下に載せたダッタトラヤ寺院にもあり),象,獅子,グリフィン,女神の石像が守護神として1対ずつ置かれている.石階段は結構急だ.
以上ムスタン紀行2017/バクタプルのページから.
ダッタトラヤ寺院の戦士像(ネパール)
ダッタトラヤ寺院は1427年,ヤクシャマッラ王の統治時代に建立され,1458年にビシュワマッラ王により改築されたそうだ.さらに1958年の改築で増築され,3層になった寺院はヒンドゥーの三位一体神を表しているそうだ.その前に立つ像は,伝説の戦士ジャヤマッラとパッタマッラであり,二人はブッダの従兄弟であるとされるため,仏教徒にとっても意義深く,ヒンドゥー,仏教の両教徒が参拝するという.
以上ムスタン紀行2017/バクタプルのページから.
パロ(Paro)のタントンギャルポ(Thangtong Gyelpo)の寺
パロ空港から走り出すと直ぐにブータン仏教寺院があった.実は民家も仏教寺院と似たようなデザイン,つまり緩い傾斜のトタン屋根,白と褐色の壁,格子の入った窓枠若しくは窓枠模様の壁.....など共通だ.これは法的規制があり,建築許可を得るための前提となるそうだ.このお寺はブータンに鉄製品を持ち込んだと言われるタントンギャルポ師(Thangtong Gyelpo)が建てたと言われているそうだ.
以上ブータン紀行2016/ブータンへのページから.
首都ティンプー(Thimphu)のタシチョゾン(Tashichho dzong)
首都の都庁兼寺院ゾン,タシチョゾン(Tashichho dzong).国教であるチベット仏教ドゥルック派の総本山を兼ねるそうだ.
以上ブータン紀行2016/ウォンディポダンのページから.
ドチュラ(Dochu La)のチョルテン
標高3,115mのドチュラ峠(Dochu La)に到着した.少し肌寒い.広場の小山にはたくさん,108基あるそうだ,のチョルテンが建てられている.2004年南ブータンで,反インド政府インド人ゲリラ集団鎮圧のため,ときの第4代(つまり先代)ブータン国王(ジグミワンゲワンチュク国王)は戦地に赴いた.そして4人のお妃様の一番上の方が王と国民の安全を祈願して建立したのがこれらチョルテンだそうだ.
以上ブータン紀行2016/ウォンディポダンのページから.
チェンデジ(Chendebiji)のラカン
東西横断道カーブと勾配の多い区間を行くと数基のチョルテンとラカン(寺)があった.チェンデジ(Chendebiji)だと思われる.目玉のあるネパール式チョルテンはかなり大型だ.
以上ブータン紀行2016/東西横断道のページから.
ヨトンラ峠(Yutong La pass:3425m)
峠なのでチベット仏教の慣わしに従い,夥しい数のダルシンやタルチョーが掲げられている.
以上ブータン紀行2016/東西横断道のページから.
ジャカル(Jakar)のロダクカルチュゴンパ(Lhodrakharchu Gonpa)
たまたま年に一度の15日間法会の5日目に訪ねた.当寺院には500人もの修行僧を収容する僧坊があると記されている.他に高位ラマや教師の居住室,教室,図書館,オフィス,僧のホステル,キッチン,お店にダイニングルーム,そして筆者の泊まっているMipham Guest Houseを備えているとある.
以上ブータン紀行2016/ブムタン谷のページから.
ブムタン谷(Bumthang valley)のジャカルゾン(Jakar Dzong)
ブムタン県の政教一体庁舎.写真は中庭で,先は高い箇所があるので仏教エリアだったかな....
以上ブータン紀行2016/ブムタン谷のページから.
ブムタン谷(Bumthang valley)のクジェラカン(Kujey Lhakhang)
クジェラカン(Kujey Lhakhang)は三つのお堂があり,右(写真手前側)が1652年創建で最古のお堂.ご本尊はもちろんパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava,別名グルリンポチ)であり,その大きな像の背後にバドマサンババが瞑想したという石窟がある.
以上ブータン紀行2016/ブムタン谷のページから.
トンサ(Trongsa)のトンサゾン
トンサ県の政教一体庁舎トンサゾンで,写真は仏教エリア.
以上ブータン紀行2016/トンサのページから.
プナカ(Punakha)のプナカゾン
創建は相当古く1616年,チベットからブータンにやって来て,国家の礎を造ったシャブドンガワンナムゲル(Zhabdrung Nawnag Namgyal)がこのお堂でプナカゾン構想を練り,棟梁に伝え,ゾン建設が始まったということだ.プナカは1955年にティンプーが『通年首都』になるまでの約300年間,少なくともブータンの『冬季首都』だったそうだ.なので初代国王の戴冠式や現第5代ワンチュク国王の結婚式もここで執り行われたということだ.
以上ブータン紀行2016/プナカのページから.
ティンプー(Thimphu)のメモリアルチョルテン(Memorial Chorten)
第三代ジグミドルジワンチュック国王が功徳を積むため発願し,1972年没した(ナイロビで客死という)が,第四代目ジグミシンゲウォンチュク国王が遺志を継ぎ,国家事業として建立したということだ.ということで国立で,またメモリアルの呼称は第三代国王記念ということから付けられたそうだ.訪れたときはソールデブ師(Guru Soeldeb)の朗唱という特別な法要の最中だった.
以上ブータン紀行2016/ティンプーのページから.
ティンプー(Thimphu)のドゥプトプ尼僧院(Drubthob Gompa)
比較的こぢんまりした建物だ.マニ車のある前室に続く,本堂に入ると,あの鉄の鎖で橋を建設したタントンギャルポ(Thangtong Gyelpo:1361-1485?)師の大きな座像が鎮座していた.
以上ブータン紀行2016/ティンプーのページから.
ティンプー(Thimphu)の大仏(Buddha Dordenma at Kuenselphodrang)
ティンプー大仏は51.5mもの高さがあるそうだ.奈良の大仏さまは15mほど,鎌倉の大仏さまは若干それより小さいというから,ざっと三倍以上大きいようだ.主にシンガポールの大富豪,台湾や香港,本土の中国人からの資金で建設中(内部を含めかなり出来上がっている)であるようだ.どこもかしこも金ピカなのに驚かされる.
以上ブータン紀行2016/ティンプーのページから.
パロ(Paro)のパロゾン
映画『リトルブッダ』の撮影に使われたらしい.パロゾンは17世紀前半,建国の父シャブドンガワンナムゲル(Zhabdrung Nawnag Namgyal)が創建したのが始まりとされているそうだ.つまり前日見てきたプナカゾン(Punakha Dzong)と同じということだ.機能もチベット軍に対する防衛とドゥク派布教の拠点を兼ねた点は同じであると思う.
以上ブータン紀行2016/パロのページから.
パロ(Paro)のキチュラカン(Kyichu Lhakhang)
キチュラカンは,チベット(吐蕃)を最初に統一したソンツェンガンポ(Songzain Gambo:581-650年)が7世紀に創建したという.パドマサンバヴァ(グルリンポチェ)より100年あまり前に布教活動したことになろう.
以上ブータン紀行2016/パロのページから.
タクツァン僧院(Taktsang Lhakhang)
タクツァン僧院はブータン一の聖人パドマサンバヴァが虎の背中に乗ってここに現れ(これが別名虎の巣(Tiger's Nest)の由来でもあるが),この洞窟で瞑想したということだ.なお私もこの後,その洞窟前で一応瞑想(の真似ごと)を行う羽目になり,20分あまり座ったのだった.
以上ブータン紀行2016/タクツァン僧院のページから.
雲南民族村(Yunnan Nationalities Village)トーアン族の寺
トーアン族は南西部辺境で最も長い歴史をもつ少数民族の1つで,写真のような寺院を建てる上座部仏教だそうだ.雲南のトーアン族は僅か2万人足らずだが,ミャンマーには30万人ほど住まうそうだ.
以上春の雲南紀行2016/昆明見物のページから.
雲南民族村(Yunnan Nationalities Village)雲南チベット仏教寺院
ここの寺院はかなり大きく,実際に使われており,内部は撮影禁止だ.前述のアチャン族やトーアン族は上座部仏教だが,こちらは大乗仏教である点が大きな違いで,お堂内には仏像やラマ像など種々祀られている.
以上春の雲南紀行2016/昆明見物のページから.
ジムサル(Jimisar)の西大寺
『北庭高昌回鶻佛寺遺址博物館』内部にこのような小山があった.小山全体がお寺で,元代末から明代初めに建立されたそうだ.山の少なくと正面と右面には幾つかの窟が掘られ,仏像や壁画が据えられている.
以上天山北路を行く2013/ジムサル(吉木薩爾)のページから.
奎屯(Kuytun)のチョルテンとオボ
奎屯とウースーの先にチョルテンとオボが並んで建てられているのだ.どちらもチベット仏教世界であろうが,私の認識ではチョルテンはチベット的,オボはモンゴル的と映っていた.それが同じ場所で併設とはどういうことか?
以上天山北路を行く2013/カラマイ(克拉瑪依)のページから.
ウルムチ(Urumqi)の大佛寺
ウルムチ市で最も高い(934m)場所という紅山公園にやってきた.なかなか立派なお寺がある.Wさんによれば,大きなお寺だがお坊さんが常駐しているのではなく,法事か何かで使われるらしい.
以上天山北路を行く2013/ウルムチ(烏魯木斎)後半のページから.