このページでは,既存ページから転載し,アッパーピサンのゴンパ(ネパール),ギャルーのゴンパ(同),ブラガのゴンパ(同),タレゴンパ(同),ムクチナート(同),マルファのゴンパ(同),河口慧海修行の間(同),キャンジンゴンパ(同),トゥローシャブルのゴンパ(同),トンパゴンパ(チベット),バルヤンゴンパ(同),チェクゴンパ(同),ディラプクゴンパ(同),ズトゥルプクゴンパ(同),ティルタプリゴンパ(同),トリン寺(同),グゲ王国の仏教寺院(同),トンガ遺跡の石窟(同),ピヤン遺跡のゴンパ(同),メルブ遺跡の仏教寺院址(トルクメニスタン),タール寺(中国青海省),シャチュンゴンパ(同),ラサのポタラ紅宮(チベット),ラサのセラ寺(同),ラサのデプン寺(同),シガツェのタシルンポ寺(同),ギャンツェのパルコンチューデ(同),シャル寺(同),サキャ南寺(同),ロンボク寺(同)の写真を載せました.
アッパーピサンのゴンパ(Upper Pisang gompa)
10時半頃アッパーピサンの村に到着した.石造りの家々はあたかも擬態の如く背景に溶け込んでいるように見える.村を歩いていると長い塀があり,タルチョーが張り巡らされている.境内に入ってみると,建築後それほど経ていないゴンパ(寺)があった.しかしひっそりとしており,常駐の住職は居ない様子だった.
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D6:ギャルーへのページから.
ギャルーのゴンパ(Ghyaru gompa)
急坂をハアハアしながら登り,やがて標高3,670mのギャルーに到着した.ギャルーは素晴らしい眺めの村だ.ここの村人もまた敬虔なチベット仏教徒で,古いゴンパにはタルチョーがはためいていた.
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D6:ギャルーへのページから.
ブラガのゴンパ(Braga gompa)
ブラガのチョルテン(Braga chorten)
マルシャンディに沿う広々とした快適な道を行く.先方にはチュルが見えている.やがてカンニをくぐるとブラガ(Braga)の集落が現れ,右手に大きなゴンパが姿を見せた.路傍の屋根付きチョルテンもなかなかユニークだ.
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D7:マナンへのページから.
タレゴンパ(Tare Gompa)
タレゴンパ(標高3,930m)の屋根は金色に輝き,タルチョーが風になびいていた.ガイドGさんによれば,常駐の住職が一人居るそうである.カンサールの村からは相当離れているし,周囲に人家はない.専ら修行のためのゴンパであろうか?
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D8:シェリカルカへのページから.
ムクチナート(Muktinath)
ムクチナートは仏教,ヒンドゥー教両方の聖地であり,仏教寺院も建てられている.その寺院内地下でほんのりと怪しげな光を放つ場所を覗かせてもらった.多分天然ガスであろうが,信者にはありがたい光のようである.
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D11:ムクチナートへのページから.
マルファのゴンパ(Marpha gompa)
カリガンダキから右岸に上がるとマルファ(Marpha)の集落が見えた.赤と白の大きなゴンパが目立つ.ラサのポタラ宮のように白宮(手前)と紅宮(奥の建物)に分けられているようだが,ポタラ宮のように政治面と宗教面とで分けられていのかは不明だ.これだけ大きなゴンパであれば相当数の僧侶が居るのであろうか?
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D13:ラージュンへのページから.
河口慧海修行の間(Ekai Kawaduchi's Home)
マルファの街の終わり辺りに河口慧海記念館(Ekai Kawaduchi's Home)があった.そう,100年余り前,ダウラギリ辺りを越えて鎖国状態のチベットに密入国,ラサのセラ寺で修行し,多数の仏典を持ち帰った,あの河口慧海師が1年ばかり修行と準備のため過ごした家だ.
以上アンナプルナ一周トレッキング2008/D13:ラージュンへのページから.
キャンジンゴンパ(Kyangjin Gompa)
先にランシサ氷河が見える標高3,800mのロケーションにひっそり建つ小さなゴンパだった.近くまで行くと,若いお坊さんが声を掛けてくれた.たった一人でこのゴンパを守っているそうで,500年の歴史を有し,チベット仏教なのでご本尊はラマということだ.
以上ランタン/ヘランブートレッキング2008/トレック第6日目のページから.
トゥローシャブルのゴンパ(Gompa at Thulo Syabru)
トゥローシャブルはとても大きな村で100世帯ほどあるそうだ.村は尾根の上に長く連なり,たくさんのロッジがあり,建て増し工事中の学校や,坊さんは非常駐らしいが写真のゴンパもあった.
以上ランタン/ヘランブートレッキング2008/トレック第8日目のページから.
ガラ山のゴンパ(Gompa near Galashan)
ここはサンサンの手前,ガラ山(4,670mくらい)の近く.パドマサンババ(Guru Padomasambhava)はグルリンボチュとも尊称され,ニンマ派/チベット密教の開祖で,8世紀にインドからやってきた高僧だそうだ.そのパドマサンババが写真の丘の上のゴンパで瞑想に打ち込んだという.ゴンパは大きくはないが,今も機能しているそうである.
以上カイラスの旅2007/サンサンのページから.
トンパゴンパ(Drongpa Gompa)
トンパの集落に達すると丘の上にゴンパが見えた.壁に引かれた白と赤のストライプが特徴のサキャ派のゴンパで,トンパゴンパと称するようだ.住職が出張中で不在であったが,担当の僧が内部を見せてくれた.他の寺同様,壁や柱はカラフルに彩色され,色々な仏やラマの像が並んでいた.
以上カイラスの旅2007/バルヤンのページから.
バルヤンゴンパ(Paryang Gompa)
バルヤンの狭い集落を歩いてみるとゴンパがあった.ゴンパの周りにはマニ車が設置され,廻しながら歩く人と寺の前でたむろする人でそれなりに賑わっている.集落の規模からすると相当の人数だと感じた.
以上カイラスの旅2007/バルヤンのページから.
チェクゴンパ(Chuku gompa)
坂を登り,4,860mのチェクゴンパにたどり着いた.川向かいにはカイラスを麓から望むことができ,なかなかいい眺めだ.チェクゴンパはカギュ派の寺院だそうで,現在数人の僧侶がいるようである.ここもやはり文化大革命の頃かなり徹底的に破壊された模様であるが,近年ようやく再建されたようである.僧の一人(若しくは寺男)が中を案内してくれた.薄明かりのお堂をバターランプが照らす光景が印象に残る.
以上カイラスの旅2007/トレック1日目のページから.
ディラプクゴンパ(Drira Phuk gompa)
ディラプクゴンパは標高は5,210mと相当高所に位置し,カギュ派の寺だそうだ.内部を見せてもらったが,ミラレパが瞑想したという洞窟が残っていた.100年前,河口慧海師はここの一番いい部屋に泊まり,中央のカンリンボチェ(カイラス)=観音菩薩,左の山=文殊菩薩,右の山=金剛仏,の三尊を拝んだとされる.
以上カイラスの旅2007/トレック2日目のページから.
ズトゥルプクゴンパ(Zutrul Phuk gompa)
住職の方が中を見せ,説明してくれた.ここもカギュ派の寺で,現在二人の僧がいるという.ここにもお堂の壁面にはミラレパの洞窟があり,観音像やミラレパの像が並んでいた.また横の壁面には多数のチベット大蔵経が分冊され,納められ,これまた多くのタンカが掲げられている.お堂の天井には明かり取りのガラス窓が設けられており,これまで見せてもらったチェクゴンパやディラプクゴンパの形式とよく似ている.5元で小型のバターランプを灯してくれた.
以上カイラスの旅2007/トレック4日目のページから.
ティルタプリゴンパ(Tirthapuri gompa)
色々な奇岩が立ち並ぶティルタプリの丘にゴンパやチョルテンが建てられている.ここはチベット仏教三大聖地の1つであって,カイラス(カンリンボチェ)をコルラした後にここを訪れないのは片手落ちになるそうだ.確かに何人かの巡礼者がマニ車を廻しながら歩く姿があった.
以上カイラスの旅2007/ツァンダ(札達)のページから.
トリン寺のチョルテン(Tholing monastery chorten in Zanda)
幾つかの建物から成り,最近建てられ一部は中国政府の肝いりといった趣の博物館になっている.本堂は多くの仏像やラマ像が並んでいるが,壁画も多く,歴史的にも重要なものが多いようだ.全国重点文化財になっている名刹のようで,堂内ではこの寺だけの立派な写真集が販売されていた.
以上カイラスの旅2007/ツァンダのページから.
グゲ王国の仏教寺院(Gompa of Guge Kingdom)
グゲ王国の遺跡は山の上にあった.上方に宮殿,中間部には仏教施設,主に下方の洞窟などに一般市民が住んでいたようである.グゲ王は荒廃した仏教再興のため,隣国のカシミールへの留学僧派遣や,カシミール様式の寺院建築,壁画の導入などに力を入れたそうである.
以上カイラスの旅2007/グゲ(古格)王国遺跡 のページから.
トンガ遺跡の石窟(caves at the ruins of Dungkar)
トンガ遺跡には11世紀から14世紀ころ描かれたと推定される石窟壁画が残されていた.壁画はこれまで見たところ,例えば前日のグゲ遺跡の寺院の壁画と比べて青が目立つように思う.そのため素人目にはウイグルの壁画と似た印象を受ける.青は貴重であったラピスラズリといわれる顔料か?
以上カイラスの旅2007/トンガ/ピヤン遺跡のページから.
ピヤン遺跡のゴンパ(gompa at the ruins of Piyang)
ピヤン遺跡は標高4,200mくらいに位置し,岩山の斜面に仏教寺院や夥しい数の石窟が掘られている.寺院と石窟を案内してもらう.石窟はかなり荒らされているが,なかなか見事な壁画が残っている.ウイグルはイスラム,独や日本の探検隊,文革など破壊要因が多くあったが,ここは文革以外は破壊要因が比較的少ないため,例えば顔などもよく残っていると思った.
以上カイラスの旅2007/トンガ/ピヤン遺跡のページから.
メルブ遺跡の仏教寺院址(the site of a buddhist temple at the ruins of Merv)
ここは日干しレンガの欠片さえなく,盛り土のようなものがあるだけだ.しかしここには図のような仏塔と寺院があったとされる場所だそうだ.今回の旅行で十分な想像力が不可欠な場面が多いが,多分ここがその中でも一番であろう.1962年,旧ソ連科学アカデミー調査団が,8.5cmの仏の座像と土器に入った経文を発見したそうである.経文は白樺樹皮にサンスクリット語で書かれていたそうだ.これらの遺物から,メルブには紀元後1世紀頃に仏教が入ってきたようで,当時は仏塔や僧院があったとされるそうだ.ここが世界最西端の仏教遺跡であるそうだ.
以上中央アジアの旅2007/メルブ遺跡のページから.
西寧/タール寺(塔爾寺)(Ta'er Monastery in Xining)
チベット名はクンブル寺で,チベット仏教ゲルク派の創始者ツォンカパ(1357~1419)の生地を記念して1560年に建立されたそうである.中国名の塔爾寺はツォンカパを記念して建てられた本殿の大金瓦寺大銀塔にちなんで名付けられ,塔の中にはツォンカパの遺物が納められているそうである.本タール寺は,この後訪れるセラ寺,デブン寺などと並びゲルク派(黄帽派)の6大寺院のひとつであるそうだ.
以上チベットの旅2007/西寧のページから.
西寧/シャチュンゴンパ(Shyachung gompa in Xining)
14世紀に建立された名刹で,1359年ゲルク派の開祖ツォンカパ(Tsong-kha-pa :1357-1419年)が3歳のとき修行を始めた寺としても有名だそうだ.3歳とはまたすごいものだ.
以上チベットの旅2007/西寧のページから.
ラサのポタラ紅宮(Potala monastery in Lhasa)
7世紀前半,チベットを統一したソンツェンガンポがラサに都をおいた後の世,ダライラマを主とするチベット政府,ガンデンポタンは,1642年チベットの中枢地帯の支持を受けて発足し,その拠点としてラサのこの丘に十数年をかけて建設されたのが本ポタラ宮殿の基礎であるそうだ.たくさんの建物から成り立っているが,紅宮=宗教的なことを行うところ,となっているそうだ.一方,白宮=政治的なことを行うところ.
以上チベットの旅2007/ラサのページから.
ラサのセラ寺(色拉寺)(Sera monastery in Lhasa)
セラ寺の問答(Debating at Sera monastery)
セラ寺は,デプン寺,ガンデン寺と並ぶラサ三大寺のひとつで1419年にツォンカパの弟子サキャイェシェによって建立されたそうだ.100余前,当時鎖国のチベットに密入国し,言語や生活習慣を現地の人並みに訓練した上,河口慧海師が修行のためやって来た寺としても知られる.
以上チベットの旅2007/ラサのページから.
ラサのデプン寺(哲蚌寺)(Dreprung monastery in Lhasa)
デプン寺は既述のセラ寺と並びチベット仏教ゲルク派の3大寺院の1つ.チベットの寺で最大で,最盛期には世界中のどの宗教の寺院,僧院よりも大きかったそうだ.なにしろ1959年,中華人民共和国のチベット侵攻以前には,15,000人もの修行僧がいたというからすごい.
以上チベットの旅2007/ラサ(続)のページから.
ラサのジョカン寺(大昭寺)(Johkang temple in Lhasa)
平地にあるチベット密教の総本山.正門の前に,香を作る作業場のような建物があって,そこから手前は大きな広場になっている.市民から巡礼者,観光客がいっぱい行き交っている.7世紀中ごろ,吐蕃国王ソンツェンガンポが,641年に統一を果たした後,唐王朝の文成公主を妻にめとった.彼女がチベットに来て,持参した釈迦像をどこに祀ろうかと指輪を投げてみたら,湖に入った.そこでその湖をヤギの手助けで埋め立てて,廟を建てたのが本ジョカン寺の始まりだと言われるそうだ.
以上チベットの旅2007/ラサ(続)のページから.
シガツェのタシルンポ寺(扎実倫布寺)(Tashilunpo monastery in Shigatse)
タシルンポ寺はダライラマ5世の時代に阿弥陀如来の化身としてパンチェンラマが認められるようになってからパンチェンラマの本拠地になったそうだ.そして現在,中華人民共和国公認の第11世パンチェンラマ,ギャンツェンノルブが住むという.とは言っても,先代のパンチェンラマ10世と同じように普通は北京で過ごしているのであろうが.
以上チベットの旅2007/シガツェのページから.
ギャンツェのパルコンチューデ(白居寺)(Palkhor monastery in Gyantse)
パルコンチューデの本尊(the principal image of Palkhor monastery)
パルコンチューデは1418年の創建.当初サキャ(薩迦)派の寺院であったが,後シャル(葛当)派,ゲルク(格魯)派が相次いで入り,現在は各派共存の寺になっているそうだ.写真右が大集会堂と呼ばれる本堂で,左がパンコルチョルテンと言われる仏塔だ.本尊は三世仏で,弥勒仏,釈迦牟尼仏,燃灯仏だという.故パンチェンラマ10世,その下に現パンチェンラマ11世のポートレートが掲げてあったのが印象的だ.
以上チベットの旅2007/ギャンツェのページから.
ギャンツェ近くのシャル寺(夏魯寺)(Shalu monastery near Gyantse)
シャル寺はゲルク派起源の地で,11世紀建立されたというから,とても古い.14世紀に仏教の大学者プトゥン(Buston Rinchen Drub:1290-1364)が住職をしていたことで有名だそうだ.プトゥンはチベット中から経典を集め,チベット大蔵経の編集作業を行ったり,仏典の解説書を著したそうである.なおプトゥンの門下生はシャル派と呼ばれ,それが寺の名になったようだ.
以上チベットの旅2007/ギャンツェのページから.
サキャ南寺(the South monastery of Sakya)
サキャ南寺はチベット仏教四大宗派の一つサキャ派の総本山で,元朝の国師にもなったパスパという人が1268年にトゥム川の南岸に建立した寺だそうだ.サキャ南寺は赤銅色に塗られた城壁のような高い塀で囲まれている.白と黒と赤銅色に塗り分けられている.赤銅色が文殊菩薩,白が観音菩薩,黒が金剛手菩薩をそれぞれ表しているそうで,これがサキャ派の大きな特徴だそうである.
以上チベットの旅2007/サキャのページから.
チベットのロンボク寺(Rongbuk monastery in Tibet)
標高5,000mのロンボクに到着した.酪農を営むチベット族の家が集落を形成し,ロンボク寺がある.丘の斜面の白いチョルテンにはタルチョーやカタが空を泳いでいる.こここそがチョモランマ見物の名所で,幸いなことにそれが実によく見えた.
以上チベットの旅2007/ヒマラヤのページから.