このページでは既存他ページから転記して,四国霊場第54番 延命寺(愛媛県),第55番 南光坊(同),第56番 泰山寺(同),第57番 栄福寺(同),第58番 仙遊寺(同),第59番 国分寺(同),第60番 横峰寺(同),第61番 香園寺(同),第62番 宝寿寺(同),遍路協会の62番札所(同),第63番 吉祥寺(同),第64番 前神寺(同),別格12番 延命寺(同),第65番 三角寺(同),別格14番 常福寺(椿堂)(同),第66番 雲辺寺(香川県),第67番 大興寺(同),第68番 神恵院(同),第69番 観音寺(同),第70番 本山寺(同),第71番 弥谷寺(同),第72番 曼荼羅寺(同),第73番 出釈迦寺(同),第74番 甲山寺(同),第75番 善通寺(同),第76番 金倉寺(同),第77番 道隆寺(同),第78番 郷照寺(同),第79番 天皇寺(同),第80番 國分寺(同)第81番 白峯寺(同),第82番 根香寺(同),第83番 一宮寺(同),第84番 屋島寺(同),第85番 八栗寺(同),第86番 志度寺(同),第87番 長尾寺(同),第88番 大窪寺(同)の写真を載せました.
第54番 近見山 宝鐘院 延命寺本堂
山門をくぐり,手水場で手を清め延命寺本堂前に来る.八十八箇所霊場会の公式サイトによれば,延命寺は聖武天皇の勅願により,行基菩薩が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし,伽藍を建立し開創した,と載っている.
以上半四国遍路2018/遍路10日目のページから.
第55番 別宮山 金剛院 南光坊の増長天
第55番南光坊の山門には仁王像ではなく,東西南北方向に増長天など四体の『天』像が配されている.天は仏教では一番ランクの低い仏さまだが,東に持国天,南にこの写真の増長天,西に広目天,北に多聞天の四天王が据えられている.それぞれ甲冑を着け,邪鬼を踏み,武器を持ち,怖い顔でにらみを効かせ,高位の本尊(大通智勝如来)などを守っている
以上半四国遍路2018/遍路10日目のページから.
第56番 金輪山 勅王院 泰山寺本堂
比較的コンパクトな本堂は境内左端に位置している.弘法大師がこの地を訪れたころ,近くの川が梅雨の季節になると氾濫し,田畑や家屋を流し,人命を奪うため,人々は恐れ苦しんでいた.事情を知った大師は,村人たちと堤防を築いて,土砂加持の秘法(よく理解してないが祈祷のようなものか?)を修法したところ延命地蔵菩薩を空中に感得し,治水祈願が成就したという.そしてその延命地蔵菩薩を本尊として本泰山寺を建立したということだ.
以上半四国遍路2018/遍路11日目のページから.
第57番 府頭山 無量寿院 栄福寺本堂
石垣で囲まれた境内の階段を上ると正面に第57番栄福寺本堂があった.本寺は,弘法大師がこの地方を巡っている頃,近海では特に海難事故が絶えず,海陸安全,福寿増長の祈願し,阿弥陀如来を本尊とし,創建したことに遡るという.
以上半四国遍路2018/遍路11日目のページから.
第58番 作礼山 千光院 仙遊寺本堂
仙遊寺は,天智天皇(在位668〜71)の勅願で,伊予の国主が建立し,本尊は千手観音菩薩ということだ.現在の建物は1953年再建だそうで,まだ新しい.
仙遊寺境内の一画に,本堂から回廊で結ばれた宿坊が建てられている.そしてここで一泊させてもらった.
以上半四国遍路2018/遍路11日目のページから.
第59番 金光山 最勝院 国分寺本堂
4本石柱門を進むと大きな入母屋造りの本堂が正面にあった.また第59番国分寺には横に春日神社が併設されていた.大きな鳥居の背後に本殿が配されている.
以上半四国遍路2018/遍路12日目のページから.
第60番 石鈇山 福智院 横峰寺本堂
第60番横峰寺に到着した.本寺は標高750mに位置し,四国霊場の中で2番目の高地にあるそうだ.本堂はお寺では珍しい,神社風の権現造りという.当初,役行者小角が石鎚山の星ヶ森で修行中,蔵王権現が現れ,その姿を石楠花の木に彫り,小堂を建て安置したのが創建とされ,後に弘法大師がこの寺で大日如来坐像を彫り,本尊とし,厄除けと開運祈願を行ったという.
以上半四国遍路2018/遍路13日目のページから.
第61番 栴檀山 教王院 香園寺大聖堂の礼拝室
これまでの寺と違って,コンクリート造り,四角い建物,大聖堂に度肝を抜かれる.この近代建築は本堂と大師堂の機能を兼ね備えているという.大聖堂の右側階段を上ると広い礼拝室に至る.礼拝室はたくさんの椅子が並び,中央に大日如来像と弘法大師像が安置されている.カトリック教会の様式などと少し似た要素があると思う.
以上半四国遍路2018/遍路12日目のページから.
霊場会62番札所
『四国八十八箇所霊場会62番礼拝所』の旨告げる案内板があった.ただし『宝寿寺』の名はどこにも記していない.中に入ると,十一面観音像と弘法大師像が立ち,ろうそくを灯し,般若心経を唱える.
以上半四国遍路2018/遍路12日目のページから.
第62番 天養山 観音院 宝寿寺本堂
第62番宝寿寺に到着した.石の門柱の先に瓦屋根の本堂があった.聖武天皇(在位724〜749)の勅命で道慈律師が創建したの始まりで,後に弘法大師が十一面観世音菩薩像を彫り本尊としたということだ.
以上半四国遍路2018/遍路12日目のページから.
第63番 密教山 胎蔵院 吉祥寺のお迎え大師像とくぐり吉祥天女像
境内には『皆さんご苦労さんです.私も毎日修行しています』のお迎え大師像,それにくぐるトンネルに載った吉祥天女像があった.当寺は弘法大師の開基で,この地を巡教中一本の光を放つ檜を見つけ,毘沙聞天像を彫造し,本尊として祀ったという.毘沙聞天は四天王のうちの多聞天とも称され,よく帝釈天配下で武神,守護神として祀られるが,本上述のようにランクは低い方で,本尊としては珍しく,八十八霊場ではここだけだそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路13日目のページから.
第64番 石鈇山 金色院 前神寺の巨大な本堂
石段を上ると巨大な本堂が見えた.両側には回廊も連なっている.こんなに大きなお寺はこれまでに無かったと思う.この寺は上述の第60番横峰寺と同じように,役行者小角の創建で,修行中にを阿弥陀如来像を彫り,本尊として祀ったそうである.
以上半四国遍路2018/遍路13日目のページから.
別格12番 摩尼山 延命寺
平安前期,弘法大師がこの地に松を植え,そしてその後再度訪れた際,植えた松の木の下で足の不自由な人(いざり)を見た.そこで大師は千枚通し霊符(どのようなものか理解してないが)を創札し,霊符を一枚水に浮かべて飲ませると全快した,ということだ.
以上半四国遍路2018/遍路14日目のページから.
第65番 由霊山 慈尊院 三角寺本堂
三角寺本堂は二層屋根の豪華な造りだ.細かな彫刻が施された梁や,四方に広がる垂木の模様が美しい.当寺は,聖武天皇(在位724〜749)の勅願により,行基菩薩が弥勒浄土を模して具現するために開創されたそうだ.後に弘法大師が訪れ,本尊の十一面観音像を彫造し,安置し,三角の護摩壇を築いて21日間修法されたという.そしてその三角護摩壇が寺名の由来になっているのだそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路15日目のページから.
別格14番 邦治山 不動院 常福寺(別名 椿堂)の火伏不動尊像
本尊はこの椿堂の本尊地蔵菩薩(延命地蔵菩薩)と,常福寺としての本尊不動明王(火伏不動尊)の二尊が祀られているとのことだ.椿堂以外のもう一つの本堂(こちらが大きい)前には真っ赤な火伏不動尊像が立てられていた.その色彩は甚だ迫力がある.
以上半四国遍路2018/遍路15日目のページから.
第66番 巨鼇山 千手院 雲辺寺大師堂
第66番雲辺寺山門に着いた.地理的には徳島県三好市であるが,歴史的に香川県(観音寺市)の第1番札所とされているそうだ.但し県境はこの境内にあり,私は見なかったがそれを示すプレートが埋め込まれているという.またここの標高911mは八十八霊場で最も高いところになるそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路16日目のページから.
第67番 小松尾山 不動光院 大興寺の運慶作仁王像
霊場会の公式サイトによれば,迫力ある山門の仁王像(金剛力士像)は仏師として名高い運慶の作品ということだ.またその像高は314cmと大きく,八十八霊場中最大とされそうだ.運慶は平安末期から鎌倉初期に活動した仏師なので,大興寺創建のころからは大分下った時代になろう.
以上半四国遍路2018/遍路16日目のページから.
68番 七宝山 神恵院山門(第69番観音寺と共用)
第68番神恵院,第69番観音寺共通の山門に至った.第68番神恵院,第69番観音寺は敷地を共用し,山号も七宝山も同じで,山門も共用なのだ.(なお山号七宝山は,場所は隔てているが,さらに次の第70番本山寺も同じだ)
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第69番 七宝山 観音寺本堂
第68番 七宝山 神恵院と同じ敷地内にある第69番観音寺本堂で,寄棟造りの至って伝統的建築様式だ.カールした屋根瓦の織り成すストライプが美しい.また建材には古い部材が組み込まれ,重要文化財に指定されているそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第70番 七宝山 持宝院 本山寺本堂
山門から真っ直ぐつながる石畳の先に本堂が建てられている,一層寄棟造り瓦葺きで,どっしり堂々としている.1300年建立で,外観は京都風,内部は奈良風の造りなのだそうだが,これも判らないのは残念.国宝に指定されているそうだ.
左は補修工事中の五重塔で,とても大きい.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第71番 剣五山 千手院 弥谷寺大師堂
合わせて530段の階段を上ったのであろう弥谷寺本堂が,そしてその少し下に大師堂がある.背面岩壁に岩窟があり,獅子の岩屋と称されるそうだ.弘法大師が7歳の頃,この岩窟で学問に励んだとされているそうな.7
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第72番 我拝師山 延命院 曼荼羅寺鐘楼と大師堂
曼荼羅寺境内中ほど左手に,方形屋根の大師堂が建てられていた.見たところ新しいので近年の建築ではなかろうか.縁起によると,それ以前四国霊場で最も古い推古四年(596年)讃岐の領主の手で創建されたのが始まりだそうだ.弘法大師がここを訪れたのは唐から戻った翌年で,大分後世のことのようだ.そして大師は本尊に大日如来を祀り,唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し,寺名を曼荼羅寺に改めた,ということのようだ.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第73番 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺本堂
この本堂には弘法大師作の本尊釈迦如来,それに脇仏の不動明王,虚空蔵菩薩が安置されているそうだ.ということで弘法大師の開基による寺だが,宗派は真言宗善通派ではなく,真言宗御室派に属するという.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第74番 医王山 多宝院 甲山寺大師堂
第73番出釈迦寺から下り,曲がりくねりながら進んだ.そして,右に四国霊場第74番,左に医王山 多宝院 甲山寺の石柱が立つ第74番甲山寺にやって来た.弘法大師は次の善通寺の場所で生まれ,一つ前の出釈迦寺を齢7つにして建てる礎を作った.つまりここ甲山寺を含め,出釈迦寺~善通寺周辺は子供時分から親しい行動の場だったわけで,ここ甲山寺辺りにも一寺創建したいとの考えを持つに至り,実行したということだ.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第75番 五岳山 誕生院 善通寺金堂(本堂)
本寺は807年弘法大師が薬師如来を本尊として創建したときまで遡るそうだ.宗派は真言宗善通寺派と,寺名を冠しているように,同派の総本山という.道理で大規模なわけだ.
八十八霊場の中で,とにかく桁外れに大規模なお寺さんで,驚くばかりだ.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
第76番 鶏足山 宝幢院 金倉寺の金箔大黒天
金倉寺は名のように金や財にゆかり深いようだ.本堂前には金箔を貼られた大黒様が立っていた.貼られて一層膨よかになったのではないでしょうか.
以上半四国遍路2018/遍路19日目のページから.
第77番 桑多山 明王院 番道隆寺仁王門
第77番道隆寺仁王門に着いた.入母屋造りで,白い桑多山の山号額が架かり,両側には仁王像が祀られている.道隆寺仁王門から境内に入ると,石畳の左側にブロンズの観音像が並び,その奥に本堂が建てられている.
以上半四国遍路2018/遍路19日目のページから.
第78番 仏光山 広徳院 郷照寺本堂
坂道や階段を上り,郷照寺本堂前になった.標高25mの高台となるようだ.本寺は八十八霊場で唯一時宗の寺で,神亀2年(725年)行基菩薩が55cmほどの阿弥陀如来像を彫り,これを本尊として開創されたそうだ.なお時宗は鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派というから,725年創建以降に宗旨替えされたと云うことであろうか.
以上半四国遍路2018/遍路19日目のページから.
第79番 金華山 高照院 天皇寺本堂
天皇寺は天平年間に金山の中腹に行基菩薩によって開創されたのだが,やがて荒廃.後に弘法大師によって荒れた堂舎が再興されたということだ.その際霊木で本尊十一面観音,そして脇侍阿弥陀如来と愛染明王の三尊像を刻造して安置したということだ.寺号『天皇』は,保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国に流され,やがて死去したことに因むという.
以上半四国遍路2018/遍路19日目のページから.
第80番 白牛山 千手院 國分寺本堂
山門から真っ直ぐ先に國分寺本堂が建てられていた.入母屋造り瓦屋根のシンプルだが重厚な建築だ.本寺は十一面千手観世音菩薩を本尊とし,行基菩薩の開基になり,真言宗御室派に属すそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路19日目のページから.
第81番 綾松山 洞林院 白峯寺大師堂
白峯寺本堂は一般的な入母屋造りだが,前室が設けられ,燭台や香炉が設けられ,雨の日はありがたい.
以上半四国遍路2018/遍路20日目のページから.
第82番 青峰山 千手院 根香寺本堂周囲の万体観音廻廊
弘法大師,智証大師二人の開基で,千手観世音菩薩をご本尊とするという.本堂に連なる廻廊には万体観音が祀られた廻廊が巡せてある.実は万体どころか,全国の信者から奉納された三万三千体の観音像並んでいるとのことだ.
以上半四国遍路2018/遍路20日目のページから.
第83番 神毫山 大宝院 一宮寺本堂
一宮寺本堂は瓦屋根入母屋造りだ.当寺はとても古く,仏教伝来から160年後,701年ころまで遡り,義淵僧正という方が創設したという.そして後に行基菩薩らを輩出.さらに後弘法大師が訪れ 聖観世音菩薩を彫造しこれをご本尊とし,真言宗に改宗したということだ.
以上半四国遍路2018/遍路20日目のページから.
第84番 南面山 千光院 屋島寺山門
54年,唐の学僧鑑真和上が朝廷に招かれ奈良に向かう途中屋島北嶺に創建,後に空海がここ南嶺に移したと伝えられるそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路21日目のページから.
第85番 五剣山 観自在院 八栗寺本堂
山門から真っ直ぐ続く石畳の突き当りに,銅板入母屋造りの本堂が建てられている.背面が鬱蒼と茂る山で何とも言えぬ美しさだ.また左側の重厚な建物は聖天堂で,とても壮大で,また檜皮などであろうか,植物系の分厚い滑らかな曲面で成る屋根は実に見応えがある.
以上半四国遍路2018/遍路21日目のページから.
第86番 補陀洛山 志度寺本堂(左)と大師堂(右)
さて山門を潜り志渡寺境内に入る.境内は樹木や草花が自然に,ありのまま生えており,また未舗装の道に水溜りが多い.自然派と言うか,手入れ不届きというか,これまでのお寺とはかなり違う印象だ.そして志度寺と大師堂は並んで建てられていた.
以上半四国遍路2018/遍路21日目のページから.
第87番 補陀落山 観音院 長尾寺本堂(中央)と大師堂(右)
山門を潜り,第87番長尾寺境内に入る.境内は平地で,樹木の少ない明るい空間だ.本長尾寺は,天平11年(739年)行基菩薩が聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置したことに始まるそうだ.また現在天台宗に属するそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路22日目のページから.
第88番 医王山 遍照光院 大窪寺本堂
本寺は行基菩薩が草庵を建て修行をしたことに始まり,後に唐から帰国した弘法大師が薬師如来を本尊に祀り,修行し,宗派は真言宗という.唐から帰国した弘法大師が薬師如来を本尊に祀り,修行したのだが,ここを大窪寺と名づけ,また結願の地と定めたのも弘法大師ということだ.
以上半四国遍路2018/遍路22日目のページから.