アクベシムAk Beshim

アクベシム付近のGoogleマップ

キルギス北部のアクベシム(Ak Beshim)はマーカー3の辺りに位置している.

6~12世紀頃,中国では唐代の仏教寺院遺跡が発見された場所.


アクベシムはソグド人(イラン系民族)が6~7世紀頃,都を築いたところだそうだ.ソグド人は,入れ替わり現れるいろいろな王朝の支配下にあって特に交易で力を発揮し,また政治,文化面でも一定の役割を果たしていたそうである.ゾロアスター教を信じ,ソグド語を話し,独自のソグド文字(別の場所で見学することができた)を有していた.ソグド文字は後になって東方に伝わり,ウイグル,モンゴル文字の元となったと聞くが,少なくとも現在のウイグル文字はアラビア文字に近い印象を受けるので.....筆者にはよく判らない.

ところで玄奘三蔵が天竺(インド)への旅の途中,ウイグルのハミ(ハミウリで有名)にたどりついた時,高昌国王は三蔵法師を招待した.法師の講話に感激した国王が,法師に留まるよう乞うた.しかし法師のインド行きの意志は固く,高昌国王は資金援助や護衛者を与えてインド行きをサポートした.やがて三蔵法師は,当時砕葉城(=スイアブ城)と呼ばれたここアクベシム遺跡に辿り着いたそうだ.ゾロアスター教徒であったヤブグカガン王であったが,ここでもまた法師はインドに行かず留まるよう王に勧められた.でもやはり断わられたそうな.結局,王は通訳など支援者を付けトルキスタンへ送ってくれたそうである.やはり三蔵法師はスゴかった!そんな経緯があって三蔵法師はインドに到着し,ここで多くの仏典に学び,帰路もまた多くの苦労の末長安まで多くの経典を持ち帰ったのであった.

三蔵法師の足跡,従って仏教の影響はここアクベシムまで及んでいたことはある程度判っていたそうだ.それが第2次大戦後にこの辺りの発掘調査が始まり,最近になってスイアブ城の位置が確定され,ゾロアスター教の納骨器,キリスト教(の一派)の墓石,仏教関係の出土品が多く見つかるに至ったそうである.ただし出土品の多くは例によってエルミタージュ若しくはモスクワに取り上げられたということだ.


どこも家は平屋造り

ビシケクからいくつか町を越える

仏教遺跡アクベシを目指し,幾つかの町や村を越えた.どこも家は平屋造りである.やはり土地が広いのだな~と思う.キルギスは比較的雨が多いそうであるし,外壁を眺める限り日干しレンガには見えない.木造であろうか?


アクベシム遺跡の周囲

アクベシム遺跡の周囲

前日の激しい雨で道路状況が危ぶまれたが,ビシケクから2時間近くかかって無事目的地アクベシムに到着した.しかし周りはアラトー(天山山脈)に囲まれた普通の畑にしか見えない.立て看板も一切無い.....と思いきや,一応車のゲートらしきものがあった.まあ昔から,あるがままに維持(?)されているのであろう.ただ今も盗掘,いや宝捜しは結構自由に行われているようではあるが.....


発掘されたアクベシム遺跡

発掘されたアクベシム遺跡

仔細に見ると日干しレンガの構造物の痕跡が認められるようであるが,素人目には地面を一部掘り起こしたところ,くらいにしか見えない.多分掘り起こした段階ではいくらか判別できる痕跡があるのかも知れない.まあ,どの道想像力をフル回転させねばならないだろう.しかし元もとの知識がプアであるので,それもままならないのであったが.....


下は,アクベシムの写真あれこれ

アクベシム遺跡の写真
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