クフナウルゲンチKunya Urgench

ヒワから国境を越え,トルクメニスタンに入国した.ここではクフナウルゲンチの遺跡を見る.


クフナウルゲンチ付近のGoogleマップ

トルクメニスタンのクフナウルゲンチ(Kunya Urgench)はウズベキスタンとの国境近くにあって,マーカー9の辺りに位置している.ウズベキスタンのウルゲンチと名前が殆ど同じであるが,ウルゲンチに対して『ウルゲンチ』に相当するようである.今は別の国だが,昔は同じ国だった訳だ.

タシャウズTashauz

タシャウズて先ず昼食

越えて先ず昼食

国境を越えるのは一仕事だ.ウズベキスタンから国境を越えるとタシャウズの町に到着する.先ずこのラディナレストランで昼食をいただくことになった.これまでもそうであったが,イスラム圏のレストランであるがバーが付いており,殆ど自由にビールやワインを注文することができるのがいい.料理は,トマトとキュウリ,にんじんなどのサラダ,牛肉の煮込みであったかな.

ベルディムハメドフ大統領肖像画

大統領肖像画

入国すると早速トルクメニスタン名物,大統領の肖像画,この場合は現ベルディムハメドフ大統領の肖像画,があちこちで目に入るようになる.2006年12月ニヤゾフ元大統領死去に伴う選挙で得票率89.23%を得て第2代大統領になった.彼が先代と同じように独裁政治を行うのか,あるいは民主主義に向かうのか,まだ不明であるとされているようだ.


下は,タシャウズの写真あれこれ

タシャウズの写真
タシャウズの写真 タシャウズの写真 タシャウズの写真 タシャウズの写真 タシャウズの写真

クフナウルゲンチKunya Urgench

クフナウルゲンチは古代ホレズム王国の都があったところだそうだ.13世紀にはモンゴル軍に徹底的に破壊されたことがあったが,それでも10世紀~14世紀の間ペルシャに通じる大交易都市として栄えたそうである.ところがアムルティムールによってもまた徹底的に破壊され,17世紀になるとアムダリア川の流れが変わり,水の利が絶たれたため街も衰退し,首都はヒワに移されたそうである.またヒワの近郊には新ウルゲンチ,通って来た現在ウズベクのウルゲンチが再建されたようだ.クフナがどういう意味か定かでないが,きっと新しいウルゲンチと区別するために付けられたのではなかろうか.(←追記:クフナは『旧』の意のようである.)

トレベクハニム廟(Turabek Khanym Mausoleum)

1370年に建立されたそうでかなり古い.クフナウルゲンチの遺跡の中で,最大で,また保存状態も良いようだ.このドームは12の倍数の窓で月を表し,また白線で365個に分割するなど,全体的に暦を表現しているという.クトルグティムールの夫人トレベクハニムの墓廟であるが,当初夫人が健在中,普通の迎賓館として建設され,夫人の没後廟に転用された,とガイドのアタジャンさんに聞いた.

トレベクハニム廟(Turabek Khanym Mausoleum)トレベクハニム廟(Turabek Khanym Mausoleum)

クトルグティムールミナレット(Kutlug Timur Minaret)

14世紀にジョチウルスのホラズム総督クトルグティムールによって建設されたミナレットだという.なのでアムルティムールとは全く関係ないそうだ.中央アジア最長の67mの高さを誇るミナレットとなるようだ.

クトルグティムールミナレット(Kutlug Timur Minaret)クトルグティムールミナレット(Kutlug Timur Minaret)

クルクモッラーの丘

12世紀の神学校があったという丘.当時4000人の学生が学び,偉大な医学者も生まれたという.丘に登ると辺り一帯がよく見渡せる.途中で引っかからないで一気に転がり落ちれば願いが叶うと云う斜面があった.多分国内の団体であろう,10人あまりのグループがあって,4人が転落メンバーに選任された.斜面は岩ごろごろで固く,転がるだけで痛そうだ.皆躊躇していたが,程なく開始した.最初は10代の少年で,途中少し引っかかったが無事下まで転がり落ちた.二人目は若い女性で,途中回転が2,3回止まり,痛みに耐えられなかったのか途中でリタイア.3人目も若い女性で,途中止まることなく一気に転がり落ちた.4人目は,どうだったか...?

傍らには子宝に恵まれない人がお祈りを捧げる場所があった(右写真).小さな揺りかごや木馬が備えられ,少しもの悲しい雰囲気を醸し出している.他に,神社のお御籤を彷彿させる紙切れを巻きつける棒などがあって,なかなか興味深かった.

クルクモッラーの丘クルクモッラーの丘で転がる女性クルクモッラーの丘

イルアルスラン廟(Il Arslan Mausoleum)

1172年に建てられたホラズム朝スルタンテケシュの父親,イルアルスランの廟だそうである.12角形のトンガリ屋根のタイルのシアン成分が多い青がなかなかきれいだ. イルアルスラン(1156~72)はウルゲンチの治水工事を行い,ホラサン (イラン東部) を征服し,南の方に領地を拡大した人物のようだ.

イルアルスラン廟(Il Arslan Mausoleum)

下は,クフナウルゲンチの写真あれこれ

クフナウルゲンチの写真
クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真
クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真 クフナウルゲンチの写真

アシハバードへFly to Ashgabat

タシャウズ空港

タシャウズ空港

クフナウルゲンチの観光を済ませ,タシャウズ空港からアシハバードに飛ぶことになった.タシャウズ空港の搭乗ゲートは屋外で,暑い夏場は涼みながら待つにちょうどいい.ちょっと暗いので,蛍でも飛んでいればもっといいのにな~などと思いながら23:05発のフライトの搭乗を待つ.


B717機シャトル便

B717機のシャトル便

国営トルクメニスタン航空の機体は真新しいB717機だ.タシャウズ/アシハバード間を一日5往復,フルに飛ばしているようだ.料金が激安で,一般客はUS$3,我々のような外国人はUS$25だそうである.同じ区間を路線バスで行くとUS$30かかるそうで,当然人気は高く何時も満席だそうである.US$25なんて東京からこだまで熱海に行くより安いのだからスゴイ!

なおB717は,マクダネルダグラス社が開発した短中距離旅客機MD-95の流れを汲む標準座席数100くらいの小型旅客機.ボーイング社に吸収されてから同機の名称をB717へ変更したようだ.



Cannergy'sホームへ