ブハラを発って次はアムルティムールのホームタウン,シャフリサブスに向かった.
ウズベキスタンのシャフリサブス(Shahrisabz)はマーカー15の場所に位置している.
ブハラからシャフリサブスに向かう途中,鹿の保護区と言われる地区を通過した.さてどのような鹿なのか?目を凝らしたが見つけることができなかった.まあ,それくらい少なくなっているので保護に乗り出したのかも知れないが.
ウズベキスタンの天然ガスは世界生産量の2.2%に達するそうでかなり豊富だ.ブハラ周辺のこの辺りで特に多く産するようだ.自国内には天然ガスを燃料とする発電プラントが稼動するなど大いに活用されているが,二重内陸国という地理的条件から周辺国以外,例えば日本などへの輸出の難しさも抱えているようだ.
ウズベキスタンの天然資源としては,ガス以外に世界シェア4.9%のウラン,世界第9位の金などがあるようだ.
1336年,日本では室町時代,アムルティムールが生まれた故郷,シャフリサブスに到着した.アクサライ宮殿の前の広場には大きなティムール立像があった.サマルカンドなど他の都市でもティムール像があるが,座像であるなどデザインが皆異なるところがおもしろい.なお以前はここにレーニン像があったらしい.
ウズベキスタンでは結婚を英雄や聖人に報告する慣わしがあるようで,ここでも数組のカップルがティムール像の前を歩く姿が見られた.正装で炎天下なのでかなり暑そうだ.親類縁者が集まって,記念写真やビデオを撮影しているとき,制止するに拘わらず無理やり画面に割り込み,金をせしめる不届き者の姿に遭遇し,驚いた.10代後半の少年であったが立ち直って欲しい.
広場には遊具や池で遊ぶたくさんの市民が繰り出していた.また周りではがんがん大音量の音楽が流れ,「うるさいですね~」と言ったら,ガイドが「ウズベク人はこれが好きなんです」と言っていた.
Ak=白い,Saray=宮殿で,アクサライは白い宮殿の意だそうだ.白は権力と尊厳を示していたとか.因みにシャフリサブスは緑の街という意味だそうだ.ティムールが残した最大の建造物がこのアクサライだそうで,確かに巨大だ.焼きレンガ製で,かなり剥げ落ちているがタイルで覆われている.
ティムール政権の本拠地はサマルカンドにあったが,地元縁者の支持基盤もまた重要であったためここに建設したようだ.15世紀ここを通ったスペインの旅行家ベクラリホという人は,3階建てで,100室余りの大きな宮殿と記していたそうである.その大きな宮殿の建築家が,門状建築物両側の柱に「(ティムール)王は神の影」と書こうとしたが,片側の柱がなぜかスペースが足りず,「神の」という文言が抜け,「王は影」と刻んでしまったという.そこで斬られてしまった,ということだ.まあそれは言いがかりで,このような大きな建築物が他でも作られないように,そのノウハウを有した建築家が犠牲になった,と云うのが真相らしい.タージマハルの建築家と同じような結末で,悲しい.
いくらかの入場料を払い,螺旋階段で屋上に登る.シャフリサブスの街が見渡せる.遠くにタジキスタンも見えると言うが....よく判らない.シャフリサブス=緑の街,があながち誇張ではないことも見て取れる.
今はないが,屋上にはプールもあり,宮殿の周囲には噴水がたくさんあったそうだ.噴水は密談や内緒話の音を掻き消すためだった,という説が残る......そうだ.
下は,アクサライの写真あれこれ
ドルサオダットと呼ばれるところを見た.下のようなところだ.
建物の名前はちょっと?であるが....一応このような建物があった.
コクグムバズモスクの内部はなかなかきれいな絵が描かれている.タイルではなく,プラスターの上に直接絵の具で描かれたものだ.