メルブ遺跡Merv

メルブ遺跡はカラクム砂漠の中にあって中央アジア最大の遺跡.シルクロードのオアシス都市として栄え,最盛期の11~12世紀には人口は100万人に達したといわれるそうだ.1999年,トルクメニスタン初の世界遺産(文化遺産)に登録されている.


メルブ遺跡付近のGoogleマップ

トルクメニスタンのメルブ遺跡(Merv)は大都市マリィ近く,マーカー12の場所に位置している.

スルタンサンジャール廟Mausoleum of Sultan Sanjar

メルブ遺跡の周囲

メルブ遺跡の周囲

農家などが普通に集落や町を形成している.照りつく陽射しにひまわりさえぐったりするような光景は,まあこの辺りではありきたりの眺めと言っていいのではなかろうか.


スルタンサンジャール廟前景

スルタンサンジャール廟前景

12世紀に建造されたスルタン(イスラム王朝の君主)であったサンジャールの廟.サンジャールはセルジュク朝の最盛期を築いたそうである.スルタンカラ(Sultan Kalah)と呼ばれる区画の中央に位置し,高さは38mでとても大きく,砂漠では一際目立つのでキャラバンの道標になっていたそうである.堅牢な造りで,後のモンゴル軍の破壊や地震にも奇跡的に耐えたそうだ.しかしタイルの剥離等傷んだ部分は多く,トルコ政府の援助で修復が進められたそうで,傍らにはトルコとトルクメニスタン双方の国旗入り碑が立っていた.

スルタンサンジャール廟にお参りの人々

お参りの人々

古ぼけたバスでお参りに来た団体と一緒になった.比較的高齢な人から子供まで多様な構成で,和気藹々としている.どういった集団かつい詮索してみたくなる.


スルタンサンジャール廟でお祈り

お祈り

ドームの内部に入るとお供えをし,中央の棺(遺体は実際は地下に埋葬されているそうだが)の周りに腰を下ろし,順番に周囲を回っていた.お祈りが済むと,棺に背を向けないよう,後ろ向きに出口まで歩いて行く.皆敬虔なイスラム教徒なのだ.なお,一日の終わりに来た人は,他人の供えた品を貰って帰っていいのだそうだ.

ドーム天井や壁は白いアラバスター(雪花石膏)と青いタイルできれいに装飾されている.比較的シンプルであっさりしたデザインが特徴だと思う.


下は,スルタンサンジャール廟での写真

スルタンサンジャール廟での写真
スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真 スルタンサンジャール廟での写真

エルクカラErk Kalah

ここに紀元前6世紀から,アケメネス朝ペルシャの支配下にある一オアシス都市として繁栄した都市があったそうだ.当時,都市は日干レンガの城壁で囲まれ,これがエルクカラとして知られたそうだ.現地には殆ど何も残っておらず,僅か崩れた城壁が残っているだけだ.こういう場所では登るくらいしかなかろう,と登ってみた.日干レンガ構造が間近に見え,また周りは平らなので遠くまで見渡せた.

エルクカラエルクカラ
エルクカラエルクカラ

グヤウルカラGiaur Kalah

エルクカラの後,紀元前2世紀~紀元後3世紀のパルティア時代に,エルクカラの横に,一辺が2km弱の方形に近いグヤウルカラ(若しくはギャウルカラ)が築かれたそうだ.さらにその外側にも楕円に近い形の城壁がめぐらされ,総面積は60平方kmに及んだという.

ここもやはり日干しレンガでできているのであるが,横の面でなく,上面でもレンガ積みの跡がちゃんと見える(右下写真)のには少し驚かされた.雨水の浸食や足で削られる量や色がレンガだった部分とそれを接合する泥の部分で異なるのだ.子供たちの遊び場になっているし,我々観光客もどんどん足を踏み入れるので,これから先がどうなるか少し気がかりではある.

グヤウルカラグヤウルカラ
グヤウルカラグヤウルカラ

仏教寺院址the site of a buddhist temple

ここは日干しレンガの欠片さえなく,盛り土のようなものがあるだけだ.しかしここには図のような仏塔と寺院があったとされる場所だそうだ.今回の旅行で十分な想像力が不可欠な場面が多いが,多分ここがその中でも一番であろう.

1962年,旧ソ連科学アカデミー調査団が,8.5cmの仏の座像と土器に入った経文を発見したそうである.経文は白樺樹皮にサンスクリット語で書かれていたそうだ.これらの遺物から,メルブには紀元後1世紀頃に仏教が入ってきたようで,当時は仏塔や僧院があったとされるそうだ.ここが世界最西端の仏教遺跡であるそうだ.なお,メルブには仏教だけでなく,ゾロアスター教,キリスト教などがより早期に,また後はイスラムと,いくつもの世界宗教が入り込んでいたそうである.

仏教寺院址仏教寺院址

大キズカラGrand Kyz Kala

大キズカラ全景

大キズカラ全景

キズカラは7世紀頃,ササン朝ペルシャ末期の豪族の居城だそうだ.語源はトルコ語のキズカレ=乙女の城,からきているそうだ.なので,40人の女性を囲ったハーレムのようなものとか,女性の社交場だったとか,刺繍等のお稽古事を習うところとか,諸説あるようだ.キズカラは左写真の大キズカラと下の小キズカラの2つが残っている.

大キズカラは現在は壁しか残っていないが,日干しレンガ製で当時は2階建てで,高さは20m,屋根が付いていたという.現在見えている壁の途中に2階の床があったのではなく,現在皆が歩いている部分が実は2階の床で,1階部分は砂に埋もれているのだそうだ.

かなり巨大であることと,壁が円柱を連ねたような凹凸になっているところがユニークだ.


下は,大キズカラの写真あれこれ

大キズカラの写真
大キズカラの写真 大キズカラの写真 大キズカラの写真 大キズカラの写真 大キズカラの写真

小キズカラSmall Kyz Kala

小キズカラは大キズカラの背後にあった.牛飼いの家族が強い陽射しを避けるためここで休んでいた.写真いいですか?と訊いたら,OKしてくれた.世界遺産も現代の生活にちゃんと溶け込んでいるようだ.

小キズカラ小キズカラで休憩中の牛飼いの家族
小キズカラ小キズカラで休憩中の牛飼いの家族


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