アルマトイAlmaty

アルマトイはカザフスタン共和国南東部,キルギス近くにあって人口は120万人くらいのようだ.日本語では一般的にアルマトイと呼ばれることが多いようであるが,ガイドさんの発音ではアルマトゥに近く,これが普通のようである.1997年まで首都であったが,同年カザフスタン中部に位置するアスタナ (Astana,人口は60万人) に遷都したようである.


アルマトイ付近のGoogleマップ

カザフスタン共和国のアルマトイ(Almaty)はマーカー1の辺りになる.

広大な同国領土の南東端,新疆ウイグル近くに位置している.

タシケント経由アルマトイへFly to Almaty via Tashkent

タシケント空港トランジット待合室

タシケント空港トランジット待合室

カザフスタンのアルマトイから観光がスタートする.ちょうどいいフライトが確保できないのか,あるいは無いのか,ウズベキスタン航空で成田→関空→タシケント(ウズベキスタン)→アルマトイのコースとなった.写真のタシケント空港トランジット待合室は規模は小さいが,タックスフリーの売店があり,旧ソ連圏らしく,各種酒類の中ではウオッカがたくさん並んでいたのが印象的.

アルマトイ国際空港に到着

アルマトイ国際空港に到着

まあ観光客にはあまり関係ないが,アルマトイ国際空港(Almaty International Airport)はカザフスタンのフラッグキャリア,エアアスタナのハブ空港であるそうだ.到着前の機長のアナウンスで「現地は雨,18℃」とあったのでびっくりした.今回のツアーは高いところで45℃と聞いていたので18℃は想定外だ.到着してみると,事実雨が降り,少し肌寒く感じられたが,程なく適温に至り,午後には45℃とまでは行かないまでも相当高くなった.また翌日以降は高温の日々に突入するのであった.

ところでここの入国審査はとっても時間がかかる.途中で審査官が居なくなったりするから並んでいた列の長さが全然短くならず.....まあ,これから続々と体験する難儀な出入国の先駆けだったわけだ.

キリル文字(Cyrillic alphabet)の看板

キリル文字(Cyrillic alphabet)

アルマトイの街を歩くとキリル文字(若しくはロシア文字)の看板が目に入り,あ~ロシア文化圏に来たんだな~と実感する.ラテン文字とは似た形の文字が多いが,形が似ていても対応関係にない場合もあるようで,なかなか曲者だ.なまじ一部ラテン文字と共通であるので何とか読み取れないかと試みるが,歯が立たない.筆者にとってはアラビア文字同等の難しさだ.

アルマトイの通り

アルマトイの通り

露店の八百屋さんが開店準備をしていた.歩道は広いから警官からどうのこうのと立ち退かされる懸念はなさそうだ.(他の理由ではないとも限らないが).通りを行く人々を眺めていると先ず,人種が面白い,と思ってしまう.筆者の印象では,普通の中央アジア系の顔立ち,ロシア系の他に,日本人とかと同じような所謂純モンゴル系のような顔立ちの人が多いのに驚いた.中央アジアはチンギスハンが征服して以来,モンゴル族の血が混じっているであろうし,モンゴル系と称される場合もあると思う.実際見ると朝青龍や白鵬とは同根にして同類の顔立ちで違和感を覚えない.という訳でここでは純モンゴル系が多いのだ.

今回廻った五ヶ国中,ここカザフスタンとキルギスは純モンゴル系の顔立ちが目立ち,ウズベキスタン,トルクメニスタン,タジキスタンではそれほど目立たない,印象を受けた.

アルマトイの並木道

アルマトイの並木道

この街を歩くと立派な樹木の多さに驚かされる.殆ど名前は知らないが,プラタナスやポプラなど種類もいろいろあるようだ.車道脇の広い歩道の並木は,例によって下部が白い防虫ペイントで覆われているが,快適な散歩が楽しめそうだ.


オトラルホテルから南を眺めた光景,天山山脈

天山山脈

アルマトイで宿泊したオトラルホテルから,南を眺めた光景だ.ホテル前には後述のパンフィロフ戦士公園が広がり,中にゼンコフ教会が建てられている.その教会の屋根の向こうに天山山脈の北側の山々が屏風のように立ちはだかっている.中国とキルギスの国境辺りに7,439mのポベーダ山を有するという天山山脈は,ウルムチから,このカザフを経てパミール高原まで延々と連なっているわけだ.ここから見える峰々は天山山脈の支脈のようであるが,それでも5,000mを超えるようで,夏でも白く覆われている.

アルマトイは建設ラッシュ

アルマトイは建設ラッシュ

特に街の周辺部や郊外は建設ラッシュのようで,あちこちでクレーンが乱立している.何しろカザフスタン共和国は原油,ウラン,石炭などのエネルギー資源やクロムなど鉱物資源など,採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在するのだそうだ.なので経済成長が著しく,オフィスや住宅需要が旺盛なのだ,とキルギス人ガイドのアイザーダさんの弁.

ナザルバーエフ現大統領が,旧ソ連邦カザフ社会主義共和国共産党第一書記,大統領時代から引き続き,独立後もそのままカザフスタン共和国大統領に就任し,強力なリーダーシップを発揮し,一貫した経済政策を敷いているのが経済発展の源,とこれまたガイドのアイザーダさんが解説.

今回カザフスタンとキルギスは,キルギスのバス会社が担当で,ガイドは前述のアイザーダさん(日本語)とレギーナさん(英語).アイザーダのアイは月,ザーダは子に相当するそうで,言わば月子さんのようなものらしい.アイザーダさんの話す様子からは,カザフ大統領が政権交代がないことなどに対する批判めいたことは一切無く,専ら経済成長に関する指導力発揮を褒め称える言葉が多く発せられたことが印象に残る.他国(キルギス)の人間が言うのだから本当なのかも知れない.

アルマトイのバザールZelyony Bazaar

アルマトイのバザールは市の中心部にあった.屋根付きの大きな建物の中で,食料品が中心に並べられている.遊牧民の街らしく,肉類売り場はかなりのスペースがあり,野菜売り場がごく僅かなスペースであるところがおもしろい.腸詰などは店頭で製造し,即販売している様子を,ふ~んと感心しながら暫く眺めてみた.これなら買い手に中身が判るので,どこぞの国のミートホープ社のようなごまかしは少なかろう.また海が無いので魚は少ないが,乾燥物も含め果物は豊富だ.ここもウズベク同様朝鮮系民族が多いのであろうか,キムチなど並べたブースがあったのも印象に残る.

アルマトイのバザール前アルマトイのバザール前
アルマトイのバザールアルマトイのバザール

このバザール前の通りを含め,アルマトイでは,写真右上のようなトロリーバスがとても多く走っている.普通の乗用車は新しく,また高級車も多いが,なぜかトロリーバスはビンテージ物が多い.バスドライバに女性が多いのに少し驚いたが,この国では多分女性の就業率が高いのであろう.

パンフィロフ戦士公園Panfilov Heroes Park

第二次世界大戦時,カザフ共和国から出征しモスクワを防御したパンフィロフ将軍率いる28人の部隊を弔うために造られた公園だそうである.とても広く,大きな樹が繁っていた.

パンフィロフ戦士公園戦勝記念碑

戦勝記念碑

大きなブロンズ像があった.これぞ当カザフのパンフィロフ将軍の率いる28人の戦士の戦勝記念碑だ.1941年,戦った相手はナチスドイツであったそうだ.


パンフィロフ戦士公園永遠の火

永遠の火

上記著名な英雄以外にもたくさんの戦死者が出た.その中には多くの戦争での例に漏れず,身元の特定できない戦死者も多いようで,無名戦士の墓として祀られていた.手前には永遠の火が灯り,花が添えられていた.


カザフ民族楽器博物館

カザフ民族楽器博物館

公園の東端にカザフ民族楽器博物館が建っていた.木造で,確か建物自体がカザフ伝統の造りで,その保存のために博物館になった.....?中は覗いてないが,他所で見た楽器から類推すると比較的小型の弦楽器やタンバリンのような打楽器は少なくとも展示されているであろう.


下は,パンフィロフ戦士公園の写真あれこれ

パンフィロフ戦士公園の写真
パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真 パンフィロフ戦士公園の写真

ゼンコフ教会Zenkov Cathedral

このカラフルな教会は上述のパンフィロフ公園の内側にあって,ロシア正教の教会だ.木造で,日本の伝統的寺社建築と同様釘を使っていないという.それでいて2度の大地震に耐えた強度があるそうだ.

1900年代初頭の建立であるが,間もなく突入したソ連時代に信教の自由は無く,この教会もまた封鎖されたか倉庫か何かの用途に供されたようである.現在,カザフスタンにおける人口の30%はロシア人だそうで,その大半は正教徒であろうからかなり多い.なお,我々異教徒にも中を覗かせてくれる.外観もピカピカであるが,内部もまたいかにも正教会らしく,壁にはフレスコが描かれ,柱には多くのイコンが掲げられていた.

ゼンコフ教会ゼンコフ教会
ゼンコフ教会ゼンコフ教会

国立博物館National museum

国立博物館の外観は写真のように青と白のカザフスタンのシンボルカラーに彩られている.カザフ遊牧民のユルタ(yurt)と称されるテントやそこでの生活用具,石人と呼ばれる石像から,カザフスタンのシンボルとなっているという「ゴールドマン」のレプリカが展示してあった.ゴールドマンは文字通り金の衣装をまとって発見されたそうで,オリジナルはエルミタージュに持っていかれたようである.以前は許可されていたというが,訪れたとき撮影禁止で残念だった.

アルマトイ国立博物館アルマトイ国立博物館

ユルタレストランyurt restaurant

アルマトイ郊外

アルマトイ郊外

夕食のため郊外,高台にあるレストランに向かった.途中郊外の高級住宅街を通る.広い土地に,立派な住宅が建ち,また建設中のところも多い.確か数十万USドルの費用がかかるそうであるが,独立後金持ちも増えたそうで,高級住宅の需要はいくらでもあるそうだ.


夕暮れの天山山脈

夕暮れの天山山脈

標高1,800mくらいまで上がった.天山山脈が一層間近に見えて,なかなか眺めが良く涼しい.近くにスキー場があり,冬は賑わうようだ.


ユルタのレストラン

ユルタのレストラン

本物のユルタであるが,その上には普通の建物の屋根があった.つまり2重になっており,ユルタの雰囲気は維持しつつ,さらに風雨に対して堅固にしている訳だ.

ここでは珍しいものを食した.一つは馬肉のソーセージで,もう一つは馬乳酒と,どちらもカザフ遊牧民らしい食材だ.馬肉ソーセージは高級な食べ物であるそうだが,不慣れなせいかちょっと硬くて,まあちょっと変わった味だ....程度に感じられた.馬乳酒はとても酸っぱい.酒ではあるがアルコール分は少ないようである.色々な病気,特に肺の病に効くそうで,ヨーロッパ各地から訪れ,療養のために当地に滞在し,馬乳酒を飲む人も多いと聞いた.

馬乳酒を含め乳製品は,一般に遊牧民の生活において,貴重なビタミンやミネラルの補給源で,大量に飲まれているそうだ.最近は定住化が進んでいる影響もあろうが,野菜も摂るようになっているという.このレストランでもメインの肉饅頭に添えてちゃんとトマトやきゅうりなどの生野菜が出された.


下は,ユルタレストランまでの眺めあれこれ

アルマトイ郊外の眺め
アルマトイ郊外の眺め アルマトイ郊外の眺め アルマトイ郊外の眺め アルマトイ郊外の眺め アルマトイ郊外の眺め

Others

オトラルホテルのレストラン

オトラルホテルのレストラン

丸い広いレストランの壁にはイランの細密画を彷彿させるような伝統的絵画(多分)が描かれていた.これらの絵を眺める限り,遊牧生活はかなり楽しそうである.


カザフカラーのモスク

カザフカラーのモスク

郊外で見かけたモスクの色はカザフの色,青と白で彩られていた.ただ中東などと比べるとモスク自体はあまり目に付かない.ソ連時代の宗教禁止が大きく尾を引いているそうであるが,現在イスラム復活に向けあちこちでモスク再建がされているようだ.アルマトイでも中心部に大きなモスクが建設中であった.

ただ,例えばスカーフの女性は殆ど見かけないし,アザーンは一度も聞こえてこなかったし,一般的には厳格なイスラムではないようだ,今のところ.

両替店

通貨と為替レート

キルギスに向かうためアルマトイから国境の町コルダイにやって来た.場所柄両替店が多い.カザフ通貨はテンゲ(Tenge)であるが,写真の看板を眺めると,US$に対して売りが121.5テンゲ,買いが123テンゲ,ユーロに対してはそれぞれ166/172ユーロと,偶然にも円のレートにとても近い.それにしてもこのところのユーロ高騰には驚くばかりだ.



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