イシククル湖Issykkul

塩分濃度は0.6%程度と低いが塩水湖である美しいイシククル湖に行った.Issyk-kulのkulは湖という意味だそうで,イシククル湖と言うとイシク湖湖となる訳であるが,まあサハラ砂漠と同じようなもので,堅いことは言うまい.


イシククル湖付近のGoogleマップ

キルギス北部のイシククル湖(Issykkul)はマーカー5に位置している.

カザフスタン,キルギス,新疆ウイグル(中国)へ連なる広大な天山山脈の中に位置している.

岩絵野外博物館Issykkul historical state museum

東へと進む

東へと進む

バラサグンを発ち,さらに東に進んだ.道は空いており,通過する集落はポプラなどの並木が繁っている.ところで関東地方では,例えば植林された杉や檜の立派な林などはよく見ることができるが,ポプラの並木や林を見かけることは殆どないのは何故だろう?やはり気候風土が適さないのであろうか?


イシククル湖の岩絵野外博物館に到着

岩絵野外博物館に到着

やがてイシククル湖に差し掛かり,湖北側の道をさらに東へ進んだ.道の北側と,イシククル湖を挟んでさらに南側の双方に山脈が連なっている.写真は後者,南側の山脈だ.どちらも天山(アラトー)の支脈で北側はチョンゲィアラトー山脈,南側はテルスケイアラトー山脈と呼ばれているようだ.

やがて道路の左手,北側に大きな岩がごろごろ転がった写真の野原に到着した.南側には蒼い湖面のイシククル湖とその先に前述のテルスケイアラトー山脈が聳え,いい眺めだ.


岩絵野外博物館の看板

岩絵野外博物館の看板

これが岩絵野外博物館の看板だ.Issykkul historical state museumとかなり本格的な名前が付けられている.これを日本語で博物「館」としてしまうとちょっとピッタリしなくなるかも知れない.普通「館」には屋根があるが,ここのケースでは「野外」なので屋根はない....でも些細なことに拘ることはなかろう,ここには紀元前8世紀もの昔の岩絵が残されているのだ.


狩の場面

狩の場面

大きい鹿(若しくは類する種)とその前方(右側)に弓を引く男が描かれている.人に対してとても大きな動物として著しくデフォルメされた描写は,狩が命がけの大変な仕事であったことを偲ばせる.脇の表示板を見ると,紀元前8世紀~紀元5世紀の作品のようである.一つの大岩には時代を隔てて幾つもの図が描かれているのでこうした表示になっているようだ.それで,この鹿とハンターは一体いつの時代だったか?説明を聞いたように思うが,どうもはっきりとは思い出せない.

現在岩絵には刻まれた線だけが残るが,元々は岩に刻した線に,動物の血液などから採取した顔料で彩色してあったそうである.また描かれた時代は放射性炭素年代測定法で調べられているようである.


下は,岩絵野外博物館周辺の写真

岩絵野外博物館周辺の写真
岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真 岩絵野外博物館周辺の写真

イシククル湖畔Lake Issykkul

イシククル湖

イシククル湖

イシククル湖は標高は1,606mという高地に位置し,琵琶湖の9倍の面積,最大深度は668mだそうである.周囲から流れ込む川はあるが,ここから流出する河川は認められないそうだ.塩分濃度は0.6%程度で,透明度は20mを超えるという.環境保全のため漁業は認められないという.

標高が高いので冬季は厳寒の気候であるが,冬の水温は3度程度に収まり,塩分濃度が低いにも拘わらず凍ることがないそうだ.何故だかは不明なようである.


イシククル湖畔の牧草地

湖畔

湖畔には牧草地が広がり,また近くまでチョンゲィアラトー山脈が迫っている.夕刻になると牧舎に戻るのであろう牧草地を早足で横切る家畜の群れが見られた.

湖畔にはロッジが並び,隣国カザフスタンなどからの避暑客も多く訪れるそうである.その昔中国は唐の都から政略結婚で嫁いだお妃が,「キルギスはひどい田舎で退屈極まりないが,イシククル湖の美しさにだけは癒される」,と漏らしたという言い伝えがあるそうだ.多分これは真実であろう.


下は,イシククル湖畔の眺めあれこれ

イシククル湖畔の眺め
イシククル湖畔の眺め イシククル湖畔の眺め イシククル湖畔の眺め イシククル湖畔の眺め イシククル湖畔の眺め

街道沿いalong the Highway

干物

イシククル湖の近くでは魚の干物を並べた露店があちこちで客を呼んでいた.アジのヒラキなど日本と全く同じ製法ではないかと思われるような形態だ.よく見るとニシンのような鱗であるが,この辺りの養殖場で育てられた魚だということだからまさかニシンではあるまい.仮にそうであれば身欠きニシンと同じような味になるであろうが....まさか~...

魚の干物魚の干物

ハチミツ

街道沿いにはハチミツの露店も多く見られた.この辺りは右の写真のようにラベンダーや高山植物系の野草も多く,蜂が集める蜜も特徴あるものに仕上がるようである.こうして逆光で見ると容器毎に色が異なり,多分味もそれぞれ異なるであろうことが想像される.ただし筆者にとって猫に小判であることは論を待たないが.

ハチミツラベンダー

クルートゥ

イシククル湖からの帰路途中ボーム渓谷を通った.この辺りでは,子供のおやつとしてよく供されるというクルートゥと呼ばれる団子,いや乾いたチーズ...のような白く硬い団子状の食べ物を食した.塩分の強いチーズで,ラップするのを忘れて数日冷蔵庫に放っておいた.....ような感じの食べ物だった.筆者にはちょっと酸っぱいのでちょっと.....であるが,それが大丈夫な人にはいいかも知れない.

クルートゥ街道沿いの露店

下は,街道沿いのいろいろな写真.最初のモスクは金属色の屋根が特徴的だ.少なくとも中東や東アジアでは見ることができないと思う.

街道沿いの写真
イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真 イシククル湖街道沿いの写真

再びカザフへgo back to Kazakhstan

以下のような場所を通過しながら再びカザフスタン国境へと向かった.

ウイグルレストラン

ウイグルレストラン

さて一旦ビシュケクに戻り,ウイグルレストランで昼食となった.ウイグル人は一般に料理が得意だそうでレストランを営む人が多いそうである.ここもイスラムであろうウイグル人のレストランであっても,ごく普通にビールなどアルコール類が供されるのがありがたい.


キルギスの鉄道

キルギスの鉄道

一日に何本も通らないであろう列車にたまたま遭遇した.貨車であるし,特に変哲もないのであるが,踏切には常設の有人信号小屋があり,信号手,たまたま女性信号手であった,が手旗でGo信号を送っていた光景がやはり印象に残る.


馬で行く男性

カッコい~!!この人は大きな道で馬に乗っていたが,所謂カウボーイとして野原で牛を追っている姿をみることができる.見つけたときには既に遠くでなかなかカメラで捕らえることができないが.

ここの場所からほんのちょっと進んでキルギス/カザフスタン国境に至り,また長い国境越え審査の末,カザフスタンに入った.さらにカザフスタン入国後,暫く走り,暗くなってタラスの宿に到着した.


下は,再びカザフへ戻るときの写真.この国では珍しい豚の搬送などにも出合った.

再びカザフへ戻るときの写真
再びカザフへ戻るときの写真 再びカザフへ戻るときの写真 再びカザフへ戻るときの写真 再びカザフへ戻るときの写真 再びカザフへ戻るときの写真 再びカザフへ戻るときの写真

キルギスの花嫁泥棒

ガイドがキルギスでの結婚の話題を一つ話してくれた.キルギスでは古くから「花嫁泥棒」という習慣があるそうだ.若い女性が無理やり連れ去られ,家に入れられ,白いスカーフを巻かれる.すると,「その家の嫁になった」と見なされる.逃げられない訳ではないが,逃げると「悪女」のレッテルが貼られるので,やむを得ず受け入れてしまう女性が多いそうである.例えば高校の卒業式で盗まれるケースなどが多いそうだ.本来,親から結婚の許可が得られないために,最終的手段として行使されるものであったが,最近は勝手な解釈で,男が一方的にさらう事件が増えたそうだ.なので後に離婚に至るケースも増えているそうで.....まあ当然であろうが.

結納には伝統的に羊,牛,馬などの家畜が用いられるそうである.やはり遊牧民らしい伝統ですね~でも最近は現金が増えているそうだ.まあ時代の流れでしょう.



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