サマルカンドから,日帰りでタジキスタンのペンジケントを訪れた.
タジキスタンのペンジケント(Penjikent)はマーカー17の場所に位置している.ウズベキスタン国境から比較的近くである.
サマルカンドを朝出てタジキスタン国境に向かった.国境は長閑な田園地帯にあり,出入国は割とスムーズに済んだ.
入国後,小型車でペンジケントに向かう.周囲にはパミール高原から続くというザラフシャン山系とトルキスタン山脈の峰が見え,麓で畑と家畜の放牧を営む風景が広がっている.
タジキスタンは,紀元前2000年から紀元前1000年にかけて,イラン系諸部族が移住して礎を創り上げたようだ.大まかに言うと,タジキスタンの文化はウズベキスタンの文化と同根であるそうだ.確かに,通りを行く人の服装などはウズベキスタンとあまり変わらないような印象を受ける.それとイラン系民族であるそうだが,少なくともペンジケントの人はウズベク人と筆者には区別が付かない.尤も,サマルカンドの人口の半分はタジク人だというから,ややこしい.例えばサマルカンド在住のガイド,ガイラットさんは,国籍はもちろんウズベク人だが民族的にはタジク人だという.筆者には区別できないが,地元の人はウズベク人,タジク人は区別できるそうだ.タジキスタン国民の多くはムスリムであり,スンナ派が大半を占めるそうだ.歴史的にシーア派のイランとの結び付きが強いがそこは違いがでているようだ.言語はこれまで廻った4ヶ国のチュルク語系とは異なり,ペルシャ語系だそうである.
ルソグド人の古代都市の遺跡であるペンジケント遺跡から発掘された色鮮やかな壁画が展示されている.壁画の他に,この辺りで棲息する(した)動物の剥製,石器,土器や陶器,骨壺などの古い時代のもの,タジキスタンの民族用品,ルダーキ氏関連資料,肖像画(下参照)なども展示されていた.我々が見学中,タジキスタン国営放送の取材班が日本人の見学者はそう多くはないからとテレビカメラを回していた.またインタビューには,たまたま同行者の中に元NHK職員という人がいて対応していた.
ルダーキはタジキスタンでは大変有名な歴史的な人物だそうだ.サーマーン朝時代に活躍し,イラン古典文学の父とされるそうだ.タジキスタンでは歴史上偉大な人物の名を冠した施設や通りが多いそうで,このルダーキ記念博物館もそのケースになるわけだ.こうした例は米国などにも多く見られ,JFK空港とか,ロナルドレーガン空港とか,....枚挙に暇ない.
タジキスタンでは壁画が多く描かれていたという.宮廷や寺院にはもちろん,個人の住宅でもしばしば壁画があったそうな.写真の壁画はソグド人の時代だったか?多分そうであったと思うが,確信はない.タジキスタンで発掘された壁画の多くは保存のため剥がされ,エルミタージュやモスクワに持ち去られているという.なので,ここの博物館の多くもレプリカということになる.
下は,ルダーキ記念博物館の写真あれこれ
ペンジケント遺跡は,5世紀~8世紀の間,シルクロードの交易商人として活躍したソグド人が住んでいた古代都市の遺跡だそうだ.8世紀にアラブ人の襲撃に遭い,住民はペンジケントを放棄し,他所へ逃げたそうだ.その後,この地にはだれも立ち入らなかったため,ソグド人の古代遺跡として原形を留めた状態で最近まで保存されたようである.
1933年,ある牧夫がゾクド語で書かれた書類を発見したのがきっかけで,この古代ゾグド人都市遺跡が見つけ出されたそうだ.そこで1950年代からロシアの研究者が発掘調査を始め,いろいろ重要な発見がなされたそうだ.ただ建物は日干しレンガで作られていたので,多くは殆ど痕跡を留めていない.そんな中で写真の個所は,建物の壁が比較的多く残り,住居が立ち並んだエリアとされているところのようだった.
ここも建物の跡であるが,さて何だったか?ロシア研究者の調査結果では,遺跡は住居地区,商業地区,宮廷,ネクロポリス(墓地),ゾロアスター教寺院のエリアに分かれ,5000人ほどが暮らしていたとされるようだ.
タジク民族であるガイドのガイラット氏は久しぶりにタジキスタンに来てガイドするのを楽しみにしていたそうである.しかしこの日までタジクのビザが取れなかったそうだ.何でもウズベク/タジク往来時の税負担協定に関わり,うまくいかなかったらしい.代わりにイラン民族という写真のマジーナさんが通訳として,同行し,タジク人ガイドの説明を日本語に通訳してくれた.彼女もタジキスタンは3年ぶりくらいだと話していた.彼女はウズベク語(と多分チュルク語系の他言語),ロシア語,ペルシャ語,タジク語,日本語...といっぱい話すそうだ.
ペンジケント遺跡は丘の上にあって,向こうにはザラフシャン山脈が聳え,下を見ると金の川を意味するというザラシャン川が流れ,現代のペンジケントの町が広がっている様子が見える.町の人口は約6万,東西に5kmほどあるようだ.豊かな緑の中,トタン屋根の住宅が目立つ.また町を外れるとたんぼが見られる.米はソグド人の時代から作られていたようだ.
反対側にはトルケスタン山脈が聳え,ペンジケントは2つの山脈に囲まれた谷あいにあることが判る.
ペンジケントバザールで見かける人の顔立ちや衣装はサマルカンドで見る人とあまり区別できない.赤いのより黄色い人参が多いのもサマルカンドでも同じだったような.....丸い大きなパンも同じだし.....男性の帽子はいろいろバラエティに富んでいるかな?
僅か垣間見たに過ぎないが,バザール以外はひっそりとした静かな町だ.特に,ペンジケント遺跡から眺めたときの緑の多さには,周りが干上がっているだけに感心してしまう.
下は,ペンジケントで見かけた光景
ペンジケントを見た後は再びサマルカンドに戻り,タシケントに向かう.