アシハバードはトルクメニスタンの首都で人口は約50万人程度.コペトダグ山脈沿いにあり,主要産業はガラス製造,ぶどう酒醸造,綿織物業などだそうだ.この辺り一帯で最も美しい街と言われていると聞いた.
トルクメニスタンの首都アシハバード(Ashgabat)はイランとの国境近くにあって,マーカー10に位置している.
タルクチカバザールはアシハバードで一番大きいバザールのようだ.この日は風が強く,横から砂が吹き付ける大変な空模様だった.このような強風は滅多にはないことだという.まあ,雨よりいいか.
ちゃんとした屋根付きの店舗スペースがあるのだが,店の数が多過ぎてとてもじゃないが間に合わない.かくして駐車場まで露店がいっぱい並んでいる.このお店ではトマトに,たまねぎに,ジャガイモに....まあありきたりの野菜だ.
大小さまざま,床や竿にカーペットがたくさん展示されていた.いかにもシルクロードの街らしい光景だ.写真のようなワンポイントの図柄は比較的珍しいように思う.
スカーフを着用している女性が多いし,中には顔の下半分を覆っている女性もいる.しかし必ずしも髪を覆い隠してはいないし,デザインもなかなかファッショナブルだ.洋服はワンピースが多いが,半袖であるし,真っ黒なずん胴スタイルのアバヤ(イスラム服)とかとは違う.やはりイスラムの掟というより,この地方のスタンダードファッションといった印象を受ける.なお顔の下半分を覆っているのは多分強風のためであろう.
下は,タルクチカバザールの写真あれこれ
ニサ遺跡は2007年7月,つまり訪れた頃,文化遺産として登録されたばかりのユネスコ世界遺産.紀元前3世紀~紀元後3世紀に,イラン系パルティア王国の首都として栄えたというニサの遺跡がアシガバートにあった.なお現イランとの国境を形成しているコペットダグ山脈は写真のように間近に迫り,イランは直ぐ先のようである.遺跡の周囲は盛り土で囲まれて,内部は盆地のようになっている.
このようにきれいな形のものは殆ど修復されたものである.残された基礎部分などから修復しているようだ.中心にはゾロアスター教の神殿と火が点されていた祭壇があったそうである.またワイン醸造を行っていたそうで,大きなワインセラー室があったようだ.
レンガ製の柱の基部が4個所に残されている.柱は複数の円柱を束ねた構造である.レンガは焼きレンガに見えた.ここにミトリダデス王(170BC~138BC)の宮殿があったそうで,ここはちょうど王の間だったようだ.宮殿は主に日干しレンガを用い,3階建てであったそうだ.
大理石製で本物は国立博物館に収蔵され,そこで見ることができた.腕はなくなっているが,全体的にミロのヴィーナスなどとの共通点が感じられる.ニサは長安とローマを結ぶシルクロードの中継点で,漢の隊商使節はパルティアを安息国(音訳のようだ)と呼んでいたそうだ.またローマ帝国とは戦火を交えたこともあるそうで,そのようなことからもローマ文化やさらにヘレニズムの影響を受けていたようである.
こちらも国立博物館に複数収蔵されていた.リュトンという言葉は底部ないしは突端部に流出孔のある容器の総称として用いられるそうだ.これにワインを入れて,ジョッキのように上の開口部から飲むのかと思ったら,どうやら違うらしく......正解は底部の流出孔から飲むのだそうである.少しじれったい飲み方のように思われるが.....
立派な建物だ.中も快適で,専門の学芸員が通して説明に回ってくれる.トルクメニスタンの民族,歴史,文化が凝縮する国立博物館とされ,上述のニサのヴーナスやメルブ遺跡で見つかった仏像などや民族衣装等が展示されている.同行者の中で仏像に関し詳しい方が居られ,メルブ遺跡で見つかった仏像が仏教伝来の西の端であると教えてくれた.因みに東の端は日本だ.まあ,キリスト教やイスラムに比べれば広まった範囲は広くないということになろうか.
ニヤゾフ大統領礼賛の品,例えば受賞した勲章とか,世界で二番目に大きな絨毯なども結構幅を利かせている(いやそちらが主かな?).因みに一番大きいのは同国絨毯博物館にあるそうだ.
建物の両側には拡張工事も進められており,さらに大きくなるようだ.ただ客の入りは少なく,我々以外は同じ時間帯では誰も見かけなかった.....見る側からすると大変結構であるが.
この辺りは新しい建物が多く,また新築工事があちこちで進められている.多くは集合住宅のようである.天然ガス生産で国が潤い,中東産油国と同じような様相に見える.
馬には疎いが何でも名馬の誉れ高いというアハルテケ馬を見に行った.
遊牧の伝統を有するトルクメン人にとって,馬は切っても切り離せない存在だそうだ.なかんずくトルクメニスタン固有種のアハルテケ馬は優れた駿馬としてトルクメン人の誇りで,国宝級の扱いだそうである.アハルテケは紀元前よりアレキサンダー大王や漢の武帝にも献上されてきたそうで,アレキサンダー大王が遠征のとき騎乗したのもアハルテケだったという.砂漠に暮らす馬では最も持久力があり,4152kmの砂漠を84日間で横断し,そのうち3日間は水無しで走ったという記録があるそうだ.
武帝に献上ではなく,力ずくで手に入れた,という説もある.つまり,武帝は西域へ旅した家臣の報告により,この地方に名馬が産することを知り,外交交渉でこれを手に入れようとした.しかし決裂したので遠征軍を送り,これを得た,ということだ.きっとこちらがより真相に近かろう.これは「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれるそうだ.武帝は汗血馬を得た喜びのあまり「天馬」と褒め称えたという.汗血馬は一日に千里(約500km)を走ると言われ,『三国志演義』に登場する名馬,関羽将軍の赤兎馬はこの汗血馬をイメージしたものではないかと見られるそうだ.アハルテケ馬や汗血馬は知らなくても,赤兎馬なら聞いたことがあって親しみ易い.汗血馬の名の由来は,毛色によっては汗を流した時に血のように見えることがあるとか,寄生虫で実際馬が血の汗を流すことがある,とかの説があるそうだ.
また,何でも府中競馬場にも金色のアハルテケ馬像があるとか?
最初に白状すると,アナウ遺跡については殆ど理解できなかった.まあ,先日行ったキルギスのアクベシム遺跡も殆ど判らなかったが,ここも想像力欠如であるためか,なかなか難しい.
アナウ遺跡は新石器時代,紀元前4,000年(または7,000年ころ?)に遡り,人類最古の農耕集落があったところとされるそうである.水理があって,かつ水害を避けるため丘,これをテペと称するようだ,に集落が形成され,それが時代を経るに従って積層されていったようである.トロイ遺跡のようなものか.
ある地層からは彩文土器や,初めて家畜として飼育された羊の痕跡や,メソポタミア文明に見られるような文字(若しくは符号)が刻まれた方形スタンプ状の石などが見つかっているのだそうだ.個人的には篆刻に興味があるので石のスタンプはぜひ見てみたいものだが....
さて時代はぐっと下り,紀元後15世紀あたりにバガバッド(Bgadad)の名で知られる城塞都市が興ったようである.そして写真の崩壊した建物が,ティムール朝地方総督が15世紀に建たというモスクで,龍の装飾が施されていたそうである.セイットジュマールアッディンモスク(Sayyid Jamal adDin)と称され,龍の装飾は中国文化の影響とされるようだ.僅かに残る鮮やかな青いタイルがきれいだ.このように破壊されたのは,1948年の地震のためだそうだ.なおこのとき,アシハバードの街並みも相当崩壊したのだそうである.また遺跡手前のお墓はたしかモスク建設者の父親のものであったような.....
丘の手前にはモスクがあった.これは比較的最近,きっと築100年以内,のモスクのようだ.上述のアナウ遺跡の壊れたモスクやお墓には今も多くの信徒が訪れるようであるが,新しく小さなモスクにもそれなりの人が訪れるのであろう.周りは野原のようであるがやはり熱心な信徒が集まるのであろう.こちらでは屋根の改修工事が行われていた.
左は前ニヤゾフ大統領金の像,右はベルディムハメドフ現大統領の肖像画.街の至る所に大統領の影がある.前ニヤゾフ大統領は欧米から中央アジアの金日成と呼ばれるほど完全な独裁体制が確立していた.ニヤゾフ没後の選挙で,ベルディムハメドフ現大統領はインターネットの開放などある程度民主化を行うことを約束して当選しているそうだ.しかしこれほど多く肖像画を見せられると,彼もニヤゾフ前大統領に倣って独裁制を築くのか....との懸念が出ているのも否めないようだ.
ニヤゾフ前大統領に関していくつかのトピック.
「ルーフマーナ」二部構成の第一巻英訳版をちょっと眺めたが,確かに一部コーランのような趣があった.
ガイドのアッタージャンさんによれば,欧米から,中央アジアの北朝鮮と言われるのは心外,ニヤゾフ大統領が亡くなった時,国民は皆悲しんだ.第一トルクメン人はパスポートが取れないどころか,一定の年齢に達すると取らなければならない.外国に行くのは自由だ.しかし誰一人として国外逃亡を図る者はいない,と言っていた.確かに,北朝鮮とは全く違うとは思う.
アシハバードでモスクはそれ程目立たない.ここも旧ソ連時代に減ったのであろう.それでも宿泊したニサホテルの窓からは4本のミナレットを持つ大きなモスクが一つ見えた.イスタンブールのブルーモスクに少し雰囲気が似る.夜もライトアップされ,かなり目立つ.トルクメニスタンではロシア人以外はイスラム教徒だそうなので,今後また増えていくのでなかろうか.
どこのレストランもバーが併設されているのが厳格なイスラムの国でないことを窺わせる.特にここに座って飲みたいという訳ではないが,少しほっとできる感じだ.旧ソ連圏のどの国も原理主義の台頭はある程度見られるのであろうから,この先はどうなるのか判らないが.
下は,アシハバードでの写真あれこれ
定評あるアシハバードの街は,確かにゴミや落書きがなく,道路はきれいだ.樹木も多い.放っておけば砂漠のようになる環境なので,人工的な手入れにかなり力をいれているようだ.さて次は空路マリィ,メルブに向かう.