ヒワはウルゲンチから30kmのところにあって,2000年以上歴史があるというオアシス都市.1592年,ホラズム王国の国王アラブムハメットハーンがウルゲンチから遷都し,都を置いた.一時,モンゴル帝国によって破壊されるも,16世紀後半からはヒワハン国の都として栄えたそうだ.二重の城壁に囲まれており,内城はイチャンカラ(Ichan Kala)と呼ばれ,中世の建造物が多く残っている.ここを主に見物する.
ウズベキスタンのヒワ(Khiva)は同国ウルゲンチやトルクメニスタンとの国境近くにあって,マーカー8の辺りに位置している.古都でいろいろな建造物が残されている.
内城イチャンカラは概ね長方形で,各辺に門が付いているようである.写真は西門で,ここが一番大きいようだ.
内城イチャンカラにはこのように宮殿やメドレセが立ち並び,外城には一般の商工業者が住宅を並べていたようである.
本来1,853年創建のメドレセ(神学校)であったものであるが.現在はホテルとして利用されている.世界遺産なので古いまま保存する必要があろうから,結構大変であろう.現に,バスタブがないとか宿泊施設としてはイマイチのようである.尤も,筆者の泊まっているアルカンチホテルもイチャンカラ内にあって,山小屋程度のホテルであるのでまあ止むを得まい.
ミナルはミナレット.基礎の部分の直径が14.2mで,高さは26m,普通のミナレットより太いのがとても印象的だ.実はムハマドアミンハンの命令で1852年に着工したが,途中で本人がペルシャと戦い戦死したため工事中止になり,このようなずんぐりした形状になったらしい.本来は高さ109mの建築計画だったそうだ.でもこの太い形の方がインパクトがあるように思う.
クフナアルクと呼ばれる宮殿の屋上に登るとイチャンカラの様子がよく見渡せた.またイチャンカラと外を隔てる長い城壁が立ちはだかっている構造もよく見える.
炎天下,イチャンカラ内のメドレセや廟で結婚の報告を行い,通りを練り歩くカップルが2,3あった.参加した親族や友人は広場でダンスを繰り広げていた.何しろ半端な暑さではないので歩くのも容易ではないが,生涯での最大イベントなので粛々と行動していた.
この人はヒワ出身の屈強なレスラーにしてまた詩人でもあり,文武両道の英雄,聖者とされているという.廟があり,中で聖職者がいて,内容は判らないが何か唄うように述べてくれる.傍らにお金を入れる箱が用意されており,堂を退くときにいくらか入れてきた.
1908年にヒワハン国のイスラムホジャが建てたこのミナレットは56mの高さがあるそうだ.遠くからもよく目立つ.脇にはメドレセが建てられている.
ジュマモスクとは金曜のモスクの意で,他所でもよく用いられる名称のようだ.10世紀建立でヒワ最古のモスク.写真の礼拝堂は18世紀の建設だそうであるが,付属のミナレットは創建当時からのものだという.礼拝堂を支えている木柱は212本あるそうであるが,皆デザインが違うところが面白い.ガイドの話では,このモスク建設には柱の数だけの建築家が携わり,各持分の柱に思い思いの思想を込めた結果だという.一方近所の廃屋から転用したという説もあるらしい.
内城イチャンカラ内にはいろいろな工房が点在していた.ここは木工の工房で,複数の少年がのみで円柱に彫刻を施していた.親方がデザインし,大まかに刻んだあと,細部を少年たちが削り込んでいる風であった.このようにして技能を継承し,やがて一人前に育っていくのであろう.この柱自体は古くなった建物の補修に用いられるのではなかろうか.或いは町に出回り,一般の建物の建築に供されるのかも知れない.
下は,イチャンカラのいろいろな写真
さらにイチャンカラの写真
町からは内城のミナレットなどが見える.住宅の大半は日干しレンガ製で白い漆くいで仕上げてある.家の屋上や庭にはテラスが設けてあって,早朝歩いてみるとここで寝ている人を多く見かける.中にはちゃんとテレビを用意してあるところもある.
殆ど山小屋であるが,まあ内城の中であるしこんなものであろう.右上の紅白バスの連中,北米やオーストラリアの人が多いようだ,同じ宿で中庭で遅くまでドンチャンうるさかった.翌日我々と同じようにトルクメニスタン国境へ向かったのであるが,2,3人入国が認められず,それでなくても時間の掛かる国境越えが,そのまた3,4時間多くかかったようだ.金で解決したとのうわさであるが,トルクメニスタンへ入国できないより何ぼか良かったであろう.
時間が遅いのでどうかな~?と思いながら来てみたら大半の店がたたんでいた.ここも最盛期なのでスイカが大量並んでいた.悪ガキのスイカ美味しそうだ.
どの時代かハッキリしないがヒワ王朝夏の宮殿だったそうである.今はレストランになっており,ここで夕食をいただいた.そう古くはないので最後の王朝かな?夏の宮殿といっても暑いことに変わりはなく,エアコンを入れると停電になるし,なかなか難儀である.
さてヒワの観光を終えて,次はトルクメニスタンのクフナウルゲンチを見るため国境へと向かった.国境近くの道の脇には桑の木が連なり,畑には綿の花が咲いていた.出国審査の手前では,炎天下数十人の人が暑さに堪えて待っていた.