ブハラはザラフシャーン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で,人口は約25万くらいという.長い歴史を有するので見応えのあるところが多い筈.
ウズベキスタンのブハラ(Bukhara)はトルクメニスタン国境を越えて暫く走ると至り,マーカー14の場所に位置している.
トルクメニスタン/ウズベキスタン国境では一人ひとりの審査に時間がかかる.先に終えた者は建物内に留まることが許されず,炎天下のウズベク側路上に出る.幸いこちら側にも待機中の大型バスが止まっており,この陰に腰を下ろして待つことにした.退屈な時間が過ぎ行く中,ロバが通りかかり,我々を幾らか癒してくれた.
皆が入国を完了し,程なくバスが到着した.バスはブハラに向け出発した.違う国に入り,眺めがどのように変化するか楽しみだ.こちらにも綿花の畑が広がり,所々に水路が見えて,その点トルクメンアバードと似た光景かと思う.そして,写真のようなロバ車や,ロバに乗る人は目立つようになった.街道を横切る家畜なども含め,やはり家畜の居る風景はのどかだ.
夕刻ブハラに到着した.たまたま以前宿泊したことのあるブハラパレスホテルに泊まることになった.ただし以前はニューブハラホテルの名称だったようだ.窓からはブハラの街が一望できる.こうして眺めてみるとやはり「乾いた街」の印象を受ける.
下は,国境からブハラへ行くときと着いてからの写真
シトライモヒホサは月と星の宮殿の意だそうで,ブハラ王国最後のアミールアミルハーンの離宮であったそうだ.ブハラ伝統様式にヨーロッパ様式を加えた仕上げになっている.部屋の壁や柱,天井には多様な装飾が施され,当時宮殿にあった品々,例えば中国や日本の陶磁器などが展示されていた.
地元の子であろうか,小学生のグループも見学に訪れていた.
王が好きだったという孔雀の子孫が遊ぶ庭園を進むと池があり,その辺りに物見台とハレムだったという建物があった.王は物見台に上り,女性が池で泳ぐ様子を眺めていたとか.ハレムは現在ウズベキスタンの伝統織物スザニの展示館兼販売所になっていた.スザニは布地に刺繍を施したもので,洋服から帽子,バッグ,壁掛け,敷物までいろいろ用いられるようだ.
下は,シトライモヒホサの写真あれこれ
この廟は9世紀~10世紀にかけて栄えたサーマン朝のサマニ王が亡き父親のために建てたそうである.907年に建てられ,中央アジアに現存する最古のイスラム建築であるそうだ.
構造を見ると,焼きレンガ製で,一辺がおよそ10mの立方体の上に直径8mの半球ドームを乗せたものになっている.
中央アジアを制したチンギスハンはどこでも徹底的に破壊した.1220年,この地への遠征時,ブハラでも多くの建物が破壊されたが,この墓廟はたまたま砂の中に埋もれていたため,破壊を免れたという.
レンガ積みで透かし窓や,いかにもイスラム様式らしいシンプルな幾何学模様のレリーフが形成されている.建築学的には四角形の本体と丸いドーム屋根の接合部分が,4角→8角→16角→丸と変化させて積み上げているのが注目されるようである.
この辺りはちょっとした遊戯施設や,広場,池などが備わっている.サイクリングや水遊び,散歩などを楽しむ市民の憩いの場になっているようだ.
イスマイールサマニ廟の近くには写真のような日干しレンガでできた城壁の跡が残っている.当初城壁は5世紀に造られ,それが8世紀のアラブ人侵攻で破壊された.後,10世紀になって,上述のサーマン朝の手で再築されたが,今度は13世紀になってジンギスハーンの軍隊によって破壊されたという.現在見えるのは,さらに新しく,16世紀になって栄えたブハラハン国が造ったもので,大半は1920年侵入したロシア軍が破壊したようである.
マアユブはタジク語で旧約聖書にあるというヨブに相当し,チャシュマアユブで「ヨブの泉」という意味になるのだそうだ.何でも,日照りの年に,マアユブ(だからヨブ)が杖を地面に立てたら,ここから水が湧き出したという伝説の地だそうである.廟は14世紀のアムルティムールの時代に建立されたようである.
泉は今も湧き,聖水として尊ばれているが,不慣れな我々は飲まぬが無難ということだった.
近くの路上で少年が真剣な眼差しで皿を彫り付けていた.材質は黄銅(真鍮)であろうか.殆どタガネ一本と小さなハンマーで彫るようだ.彫ったものは傍らに立て掛けて展示販売している.
一方その近くでは引退したおじさん達が集まって,お茶をしている.この辺りは大陸性気候の土地柄,冬は雪が積もろうから,やはり暑くとも夏がよかろう.
チャシュマアユブ廟の隣にあってイスラムの象徴であるコーランと三日月からデザインされたという最近の建物.イマームアリブハリは9世紀の神学者だそうだ.
18世紀創建で比較的新しいが木造であるので傷みも大きいようだ.ハウズは池の意だそうで,20本の柱がモスクの前の池に映り40本に見える.その柱はくるみの木が用いられ,彫刻が施されている.天井は彩色模様が描かれている.この後訪れるアルクの近所にあり,王のモスクだったようである.現在は普通の人が礼拝に訪れている.
ところでウズベキスタンでは昔コウノトリがいっぱいいたそうである.ところが最近は急減し,あまり見かけなくなったそうだ.この辺は日本と似ていようか.ウズベクコウノトリは蛙が主食だそうで,昔ブハラに200個もあった池が,近年,僅か数個に激減し,また残った池も汚染のためここを含めて蛙が著しく少なくなったためだそうだ.
汚れた池,つまりハウズはコウノトリだけの問題に留まらないようだ.池の脇の給水塔は,ハウズの水が原因とされる病気がしばしば発生した1922年頃,この飲用を禁止する替わりに旧ソ連の技術者によって建設されたという.ただ現在は他に水道設備が整ったためか不用になっているそうである.
下は,ボロハウズ寺院とその近所の各種ショップ